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高齢化するホームレス事情から浮かび上がる日本の行政の弱者への冷淡さ「間に仕切りのあるベンチを国外で見たことがない」〈椎名誠が見る路上〉

集英社オンライン / 2024年1月20日 19時1分

高齢化が進む日本。その傾向は“路上”においても同様だ。日本のホームレス事情への取材を通して見えてきた「孤独死」の問題と弱者を切り捨てる行政の冷淡さ、そして弱者を支えるNPO法人山友会の活動を、書籍『遺言未満、』より一部抜粋してお届けする。

孤立死はいやだ

2018年は年明けから春にかけて各地で厳しい天候が続き、東京では春になっても冷たい雨が降り続く日が多かった。

現在の住処で暮らすようになってからぼくは新宿中央公園の脇の道をぬけて街の中に入っていくことが多いが、ブルーシート囲いのホームレスの人々の仮住まいや、歩道の陸橋の下などでもうまい具合に段ボールハウスなどを組み立てている人々などをしばしば見て、雨のときなど「大変な苦労だろうなあ」とつくづく思っていた。



そんな折々にこのシリーズの連載がはじまり、ホームレス生活を余儀なくされている人々の話を側面からいろいろ知るようになり、そのなかで「孤立死」「孤独死」という言葉が頻発しているのが気になった。

今の日本の行政措置の基本はどう見ても弱者排斥という非情なところに向いていて、ホームレスが段ボールや端材を使って公園などに自分の仮の住まいを造るのも並大抵ではない、ということをよく聞いていた。

森林公園などにブルーシート囲いの仮住まいがいくつかできてくると狙いうちのように一斉撤去の強制指導がきて、それらの仮住まいの人々が大勢集まって共同体などを造らせないように牽制をするようだ。

写真はイメージです

ホームレスの人々は孤立し、むかしふうにいえば孤独な無宿人として肩身の狭いところにどんどん追いやられているようにみえる。行政のいたるところにおける「弱き者」への冷淡さはたとえば公園に行くとよくわかる。

ベンチなどの多くは真ん中のところに区切りを作って簡単には壊れない障害物を作っているのをよく見る。

これは恋人たちが2人ずつなかよく分けて使いなさい、というような甘いはからいなどでは断じてなく、ホームレスをその上で寝そべって寛がせないための「仕切り」なのだ。その非情ないやらしさはおそらく世界でも日本だけしかやっていない底意地の悪さだろうとぼくは思う。

ずいぶんいろんな国に行ったがそんなヘンテコなベンチ見たことがない。行政の考え方の中心は「弱者排斥」であるということをあのベンチの真ん中の突起があからさまに示しているのではあるまいか。

「弱者排斥」という基本的な行政の思考のもと各地の公園などに住み着いているホームレスはいまどんどん外に追いやられ、そこらの町の隙間に造った段ボールやビニールハウスはたいがいなんらかの排斥勧告を受けているようだ。

高齢化問題は路上にも

新宿や上野など、むかしからそういうホームレスの人々が多く集まるエリアには、長くてもせいぜい数日、という「日雇いもしくは短期労働」の雇用があったと聞いていたが、今はどうなっているのだろうか、ということを知るために通称「山谷地区」を取材した。

知らなかったが「山谷」という地域名は約50年前に地図から消えている。

以前の先入観に満ちたイメージのように、その界隈いたるところに日銭を得た人や日雇い職にあぶれた人がぶらぶらしたり昼から寄り集まって酒を飲んでいる、という光景はまるでなく、むしろ道路も家並みも整然としてひっそりしていた。

その日は春とはいえ寒の戻りのように空気が冷え込んでいて予想していたような山谷的な全体の活気というようなものがまるでなかった。

写真はイメージです

その大前提として、今はかつてよく目にしたような日雇い仕事も少なく、同時にそういう職を求める人もかつてと比べると激減しているからだろう。さらに〝路上〟でも高齢化が進み、地方の過疎問題と同じく都会の限界集落化している面もあるということを事前に聞いていた。

いくつものNPOや宗教系の団体の支援や援助がこのあたりのホームレスの人々や簡易宿泊所に住む元ホームレスたちの拠り所になっているのは変わりないが、そこにさらに「高齢化」と「死」というものがからんできているようなのだった。

同じ境遇の〝仲間〟とささいな世間話をする喜び

今回、取材の窓口になってくれたNPO法人「山友会」のホームページを中心にその現状を概観していこう。

定住所を持たない人たちは保険証を持っていないことも多い。過重労働や怪我などで治療の必要があっても病院に行けない、行かない人も多かった。若いときはまだいいが、歳をとれば長年の栄養不足、酒の飲み過ぎなどで体を悪くする人々も増え、肝硬変、高血圧、糖尿病などの持病を抱えて倒れる人が増えていった。

そのような厳しい問題に少しでも応えるために一九八四年に無料診療所をメーンとして生まれたのが山友会だった。

当初は玉姫公園のそばの木造2階建ての建物で、クリニックの運営をしながら100人分以上の炊き出しをしていた。しかしそこはわずかな暖房設備しかなくすきま風が入り込み、ネズミが走り回っているようなところだった。冬の間だけだったが浅草近くの古い幼稚園を借りて約40人が宿泊できるようにした。

写真はイメージです

1985年に三ノ輪駅近くに移転。そうこうしているうちに炊き出しやクリニックの利用者が増え、医師、看護師、ボランティアスタッフの人数も増えていった。しかし、利用者が増えたことにより近所からのクレームが続出したらしい(いろんな理由はあるだろうが、この小市民と名乗るフツーの生活をしている近所の人々、というのもきわめて日本風に冷淡である)。

そこで山友会自身で土地を確保せざるを得なくなり、1989年、清川に3階建ての建物を建て、支援を必要とする人が寄り集まることができる場所をつくり今に至る。

日本経済の発展とともに日雇い労働者が従事できる軽い仕事も減り、バブル崩壊後やリーマンショック後は50代、60代といった年代だけでなく若い世代の失業者も山谷周辺に集まってくるようになった。そしてその頃から隅田川沿いにブルーシート囲いの仮住まいをするホームレスも増えてきていた。

しかし日雇い労働事情はこのあたりからさらに厳しくなり、仮の住処を得ても満足な仕事にありつけずもっぱら山友会の炊き出しやクリニックにかよう人々が増えていったという。

いままでなかなか得られなかったほぼ同じ境遇の〝仲間〟とささいな世間話をする喜びを得る場所になっていった。必要なのは毎日の食べ物や寝場所は勿論のこと、そうした「人間同士の会話」があるのもすこぶる大きかった。


文/椎名誠
写真/shutterstock

遺言未満、

椎名誠

11月17日発売

726円

288ページ

ISBN:

978-4-08-744589-3

その時、何を見て何を想い どう果てるのか。

空は蒼く広がっているのだろうか。風は感じられるのだろうか――
作家、ときどき写真家がカメラを抱えて迷い込んだ“エンディングノート”をめぐる旅17。

お骨でできた仏像、人とのつながりの希薄さが生む孤独死の問題、ハイテクを組み合わせた最新葬祭業界の実情――。

「死とその周辺」がテーマの取材は、かつて経験した九死に一生の出来事、異国で出合った変わった葬送、鬼籍に入った友人たちの思い出などと重なり、やがて真剣に「自分の仕舞い方」と向き合うことになる。

シーナが見出した新たな命の風景とは?

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