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「親が変わらないと俺は死ぬぞ!」死にたい衝動で後戻りできなくなった20年ひきもこりの男性が命を削って書いた『動くと、死にます。』という遺書

集英社オンライン / 2024年1月13日 11時0分

小4から100回以上自殺未遂を繰り返したワケ…「刺し違えるつもりで包丁を隠し持っていた」親から見放された20年間ひきこもりの33歳男性〉から続く

繊細で人の輪に入るのが苦手だった小川一平さん(33)。生きづらさを親にもわかってもらえず、振り向いてもらいたい一心で何度もベランダから飛び降りようとした。中2で不登校になり、家にひきこもって暴れるようになる。精神科病院に連れて行かれ「親に見放された」とショックを受けた。その後、ひきこもりの当事者会を探して、外に目を向け始めたのだが――。(前後編の後編)

(前編)

「死にたい」衝動にかられる

小川さんは自分のことを「繊細で臆病」だと言うが、もう一つ付け加えるとしたら、とても真面目だ。



小川さんが『ひきこもり新聞』に書いた「当時者の声」が話題になり、あちこちの当事者会やひきこもりの居場所で取り上げられるようになると、「書いた本人として行かないわけにはいかない」と律儀に足を運んだ。ひきこもりの家族会から新たな原稿を頼まれると、頑張って書き上げた。

だが、そうして動けば動くほど、ある思いにとらわれるようになる。

「ひきこもって動けない状態のときは壁がただ見えているだけでしたが、動こうとすると自分のできないことが、より解像度高く迫って見えてきたんです。それでも動き続けたら、今度はその壁に当たって砕けちゃったという感じです。

単純に言うと、いろいろ動いて疲れちゃったんですね。最初につながった当事者とのいざこざもあったりして、そこからどういう風に動いていくべきなのかわからなくなった。

ひきこもりとして言いたいこともいろいろ書かせてもらったし、もうこれ以上は自分ができることはないなって、あきらめてしまって。それで、もう『自死するしかない』と思ったんです」

実は、「自死するしかない」と思った1年ほど前に、小川さんは精神障害者保健福祉手帳2級を取得し、障害年金も受給し始めた。主治医の診断は抑うつ、適応障害、発達障害の一つであるASD(自閉スペクトラム症)だった。

抑うつだと心のエネルギーが極端に低下する。小川さんの場合、抑うつが悪化すると、ずっとダウナーな状態が続いて、ふさぎ込んでしまうのだという。

適応障害だと診断されたのは社会生活を営めない状態が続いているためだ。発達障害は先天的な脳の発達の偏りによるものだが、ASDの人はコミュニケーションが苦手という特徴がある。小川さんも保育園で「遊びの輪の中に入れず、人との接し方もわからなかった」と話しているので、幼いころからその兆候はあったと言える。

こうした疾患を抱えながら当事者活動を続けるのは、相当大変だったに違いない。一度「死にたい」と思ったら、自分では後戻りできなくなってしまった。

「自死する」と警察に通報

まず自殺するための道具をそろえた。首を吊るにはドアノブでは成功率が低いので、ネットで調べて「ぶら下がり健康器具」を購入。縄は簡単にちぎれないようなガッチリしたものを選んだ。

縊死(首吊り)は糞尿が出てしまうと聞くので、おむつも用意する。そのころは家から出ることもできない精神状態だったので、すべて通販で買った。

そこまで用意して、小川さんは自ら警察に通報。母親と一緒に警察署に行き事情聴取を受けた。

「どうして通報を? 本当に死にたいのなら、誰にも言わずに実行すればいいのでは?」

不思議に思って疑問をぶつけると、小川さんはこんな説明をする。

「警察は最後のストッパーだったんです。抑うつが極まっているときって正常な判断ができない状態なので、“自殺の道具を用意したら警察に連絡する”と、自分の中に強い命令として入れておいたんですね」

最初からストッパーを設定するということは、やはり、どこかで死んではいけないという気持ちもあったのだろうか。重ねて聞くと、小川さんは少し考えて、こう答える。

「なんか、そこが僕の変に真面目なところというか、危ない状況になったら脱出する手段も用意しておかなければならないという感覚でしたね。それに、もし、警察に相談しても止めてもらえなかったら、そのまま死ぬわけじゃないですか。自分の死の責任を誰かのせいにしたかったんじゃないかな」

その日は警察署の保護室に留め置かれ、翌日、精神科病院に保護入院した。

親に期待するのを、あきらめた

入院は1か月に及んだ。適応障害のある小川さんが病院とはいえ集団生活に適応するのは大変だった。アトピーが悪化して皮膚からは血が滲み、眠ることもできずに疲弊してストレスは溜まる一方だったという。

だが、悪いことばかりではなかった。

「小川さんはひきこもりのプロですね」

リハビリを担当する理学療法士の男性が、こんな言葉をかけてくれたのだ。その男性との出会いが、一つの転機になる。

「僕はひきこもることで、ようやく等身大の自分に会えたんですよ。でも、自分のような動けなさを抱えた存在は、社会的に無視されているというか、顧みられていないことがとても寂しいなと感じていました。それが、いきなり『ひきこもりのプロだね』と言ってもらえて、すごくうれしかったです。だって、ひきこもっている自分を承認されるってことじゃないですか。

彼に認めてもらえたおかげで、自分の状況を冷静に見ることができるようになったし、日記のような覚書を書く気にもなった。もし彼に出会えていなかったら、入院はもっと長引いていたと思いますね」

退院後の方針を話し合うため、両親を呼んで担当医と面談をしたときのこと。自分の苦しみを理解してほしいと訴える息子に対して、両親が医師に求めたのは叱責だった。

自死に使おうとした縄やおむつを医師に見せて、「叱ってください」と言い張る親の態度に腹が立ち、小川さんは思わず啖呵を切った。

「これがどういう事態かわかっているのか! 親が変わらないと俺は死ぬぞ!」

だが、どれほど悲痛な叫びも、この親には通じない――。

「もしかしたら、親が変わってくれるんじゃないかなという期待を込めて言ったんだけど、言葉だけがスーッと過ぎていきました。ダメ押しですね。もうこれでダメだったら、しょうがないですからね。親には期待しないほうがいいんだと、あきらめがつきました」

『動くと、死にます。』がつないだ縁

退院後も、「死にたい」衝動が消えたわけではない。抑うつが強まると虚しさを感じて何をしても楽しくなくなるのだという。だが、どん底まで落ちた経験をしたことで、やるべきことが見えてきた。

「入院している間、何かできることはあるんじゃないか、やり残したことはあるんじゃないかって、必死に考えたんですね。それで思いついたのが、何か一冊本を書くことだったんですよ」

1年間かけて『動くと、死にます。』を完成させた。お世話になった人には読んでもらいたいと思い、主治医、地活(地域活動支援センターの略。働くことが困難な障害者をサポートする福祉施設)の相談員、地元の当事者会のボランティア、当事者活動でつながったひきこもりの人たちに送った。

「もっといろんな人に読んでもらうべきだと言ってくれた人やSNSで一気に20~30人に広めてくれた人もいました。じゃあ、ちょっとそれを生きがいにしてみようかなと思って、読んでくれた人に『(この本を必要としている次の)送り先ありませんか』と聞いたりして、これまで100冊以上、ご縁を頼りに数珠繋ぎで送ってきたんです」

主治医が「大人の発達障害」の学会で取り上げてくれたり、学者が大学の論文に引用してくれたり。地元の市議会議員に本を送ったら、その紹介で地元の図書館2館に置いてもらえるようにもなった。

2023年12月には、ひきこもりのイベントに呼ばれ100人近い人の前で講演をした。小川さんは自分の体験を伝え、「動けないことを寛容に受け入れてくれる社会になってほしい」と思いを込めて話した。

「自分のことを開示して話すことに対して不安はなかったんですけど、とても緊張しました。間違いなく、人生で一番疲れた日になりました。でも、『情けは人のためならず』じゃないですけど、自分のこのわずかな動きが他の動けない人のためになって、それが巡り巡って、僕のためにもなったりすると思うので。

動くと死にたい方向に行くっていうのは、今も確かにありますが、それをギリギリのところでストップさせているのは、この本を広めたいという思いなんです」

母を母として見ない

小川さんは生まれ育った家で、今も両親と暮らしている。自分がひきこもりになったのは、親のせいだとしつつ、「ひきこもり続けていられるのは、親のおかげだと思っている」と感謝の言葉も口にする。

ここ1、2年は大学受験の勉強をするのが日課だ。「自分の経験を学問や社会に還元したい」との思いから、障害学や障害当事者文学を学んでみたいと考えているそうだ。

最近は、母親との関係も改善しつつあると話す。

「僕の病の実質は、父からではなく、間違いなく母から受け継いだ部分が多いだろうなと思ったので、思い切って母を母として見ないで、僕と同じような病を抱えた人だと思うようにしたんですね。

そんな風に客観的に見るようにしたら、割と母親とは仲良くなれたんです。たぶん母も努力をしているんじゃないかと思うんですよ。僕がひきこもり始めたときは、1週間に何回もヒステリーになったりしましたけど、今は1年に1回ぐらいですし。先日は一緒に伊豆大島に行きました。僕が海を見たいと言って。埼玉、海がないので(笑)」

そう言って控えめに笑う小川さん。今後は、ひきこもり当事者の「動けなさ」を広く知ってもらうため、編集者の力を借りて新たな本を作れないかと考えを巡らせている。ひきこもりとは縁のない人にも届くよう、祈るような気持ちで――。


取材・文/萩原絹代 

親から見放され、小学4年生から100回以上自殺未遂を繰り返したワケとは…(前編)はこちら
(前編)『「刺し違えるつもりで包丁を隠し持っていた」親から見放された20年間ひきこもりの33歳男性』


ルポ〈ひきこもりからの脱出〉はこちら
1『担任から”いない者”扱いされ、6年間ひきこもった39歳男性』
2『4度ひきこもりを繰り返した男性のホンネ』
3『10年以上ひきこもった「350円+350円の計算ができない」40歳女性』
4『「きちんと教育を受けたかった」発達障害の女性のホンネ』
5『何で自分だけこんな生活をしているのか…」33年間ひきこもった51歳男性の本音』
6『33年間ひきこもった男性が人生で初めて働いて得た4000円で買ったものとは』

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