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「この子が男の子でなかったのは不運」と親に嘆かれた稀代の秀才・紫式部が『源氏物語』に込めたリアリティとは

集英社オンライン / 2024年1月21日 18時1分

1月7日に始まったNHK大河ドラマ『光る君へ』。1話目から紫式部の壮絶な生い立ちが描かれるなど、早くも話題をよんでいる。吉高由里子演じる紫式部が書き残した『源氏物語』がどんな作品なのかを理解することでさらにドラマを楽しめるだろう。多くの人にとって教科書程度の知識しかない『源氏物語』の、“ヤバさ”を解説した書籍『やばい源氏物語』より一部抜粋し、フィクションにして、作り話にあらずな『源氏物語』のリアリティを解説する。

これは「作り話」ではないという紫式部の気持ち

『源氏物語』はフィクションです。

が、物凄くリアリティを大事にしているフィクションです。と言うと、そうなの?と意外に思う人もいるかもしれません。



『源氏物語』の主人公って〝光る源氏〞でしょ?光るほどイケメンてことでしょ?しかも天皇の皇子で、たくさんの女と関係する。超絶イケメンの貴公子のモテ話でしょ?まぁイケメンのボンボンがモテるのはリアルと言ったらリアルだけれど、あまりにデキ過ぎていて、夢物語というか、フィクションの権化という気もするよね、と……。

違うんです。

源氏はたしかにイケメンですが、年も取るし失敗もする。

そもそも作者の紫式部が、リアリティを目指し、リアリティを大切にしているんです。

物語は、しょっぱなから、源氏が人妻の空蟬に逃げられ(最初はいきなり寝所に侵入し関係を結ぶことに成功するんですが、それ以降は応じてもらえない)、親友の妻の一人だった夕顔を変死させてしまうという、源氏にとって不名誉なエピソードを綴っている。そのあと、作者はこう断っています。

「こういうくだくだしいことは、源氏の君がひたすら人目を気にして隠していらしたのもお気の毒なので、すべて書くのを控えていたのですが、『なんでミカドの皇子だからといって、間近でつき合っていた人までが完全無欠みたいに褒めてばかりいるのだ』と、〝作り事〞(作り話)のように決めつける人がいらしたので書いたのです」(「夕顔」巻)

紫式部は、「この話を作り話だと思ってもらっては困る」と思って、そう見えない物語作りに腐心していたのです。

これは、人妻の空蟬との交流という、源氏の恋愛話が初めて具体的に描かれる「帚木」巻の冒頭に、

「〝光る源氏〞と名ばかりご大層ですが、実はその名を打ち消すような失敗も多いようです」

と、作者が書いていたことに呼応しています。

紫式部はかつてない新しい物語、スーパーマンとしての〝光る源氏〞ではなく、失敗もする生身の人間としての源氏を、実録風に紡ぎだそうとしていたのです。

『源氏物語』はフィクションだけれど、従来の作り話とはまったく違う、人間界の現実を描くことを目指していたわけです。

歴史書よりも物語にこそ
真実があるというスタンス

紫式部は、物語という手法に大きな可能性を感じていました。

それは、『源氏物語』で展開されている有名な物語論からもうかがえます。

主人公の源氏は、養女である玉鬘が物語に夢中になっているのをからかいながらも、冗談めかしてこう言います。

「『日本書紀』などの歴史書は、ほんの一面に過ぎないんだよ。物語にこそ、正統な詳しい事情が書かれているんだろう」(〝日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ〞)(「螢」巻)

平安中期当時、正式な文書は仮名ではなく漢文で書かれていました。中でも『日本書紀』は国が編纂した歴史書ですからその地位は重いものでした。ところが源氏はその『日本書紀』より物語のほうが〝道々しく詳しきこと〞が書かれていると言います。〝道々し〞とは、学問的で道理にかなっている、政道に役立つ、といった意味です。書き手の恣意が入る、勝者に都合のいい歴史書は、人の世のほんの一端に過ぎない。物語にこそ、真実が書かれているというのです。

源氏は続けます。

「誰それのことといって名指しでありのままに書き写すことこそないけれど、良いことでも悪いことでも、この世に生きる人の有様の、見ても見飽きず、聞くにも余る出来事を、後の世にも語り伝えさせたい節々を、心にしまっておけなくて書き残したのが、物語の始まりなんだ」

物語は、現実にもとづいているというのです。

さらに、

「良いふうに言うためには良いことばかり選びだし、人に受けるためにはまた、ありそうにないほど悪いことを書きつらねる。それも皆それぞれに、この世の現実の出来事と無縁なことではないんだよ」

誇張はあっても、あくまで現実がベースとなっていることには変わりない。描かれるのは現実の人間なんだ、と。

要するに、紫式部は物語にこそ真実があるという考えで、物語を綴っているのです。

これは、現代人にとっては目新しいことではないでしょうが、千年以上前の人々にとってはとても新鮮な考えだったはずです。繰り返すように、当時の正式な文書は漢文で書かれたものであり、仮名で書かれた物語などは、オンナ子どもの慰み物という位置づけだったのですから、

「文書の中でも最も格の高い正史である『日本書紀』より物語がまさる」

と受け取れるような源氏の発言がいかに思い切ったものであるかが分かります。

〝日本紀の御局〞と呼ばれ

主人公の源氏に、『日本書紀』などの歴史書より物語のほうが本格的な役立つ情報が描かれていると言わせた紫式部ですが、実は『源氏物語』は、歴史書を参考にしており、意識してもいます。

『源氏物語』には、見てきたように、『日本書紀』の名が挙げられているだけでなく、『史記』に描かれた戚夫人の憂き目のこと(『源氏物語』には具体的には記されませんが、呂后が彼女の両手両足を切断し、人豚と称して便所に置いたエピソード)を引用するなど(「賢木」巻)、内外の歴史書に通じた紫式部ならではの知識と世界観がにじみ出ています。

『紫式部日記』によれば、紫式部は、左衛門の内侍と呼ばれる内裏女房に、

〝日本紀の御局〞

というあだ名を付けられてもいました。『源氏物語』を読んだ一条天皇が、

「この人は日本紀(『日本書紀』などの歴史書)を読んでいるようだ。実に学識がある」

と仰せになったのを、この女房が耳に挟んで、当て推量で「えらく学問を鼻にかけている」と殿上人などに言い触らして、そんなあだ名を付けたというのです。

紫式部がちやほやされていることへの嫉妬でしょうが、紫式部は「実家の侍女たちの前でさえ慎んでいるのに、宮中なんかで学問をひけらかすわけがない」と否定しながらも、直後、幼いころから、漢文を読む学者官僚の父と兄弟の前で、自分は不思議なほど理解が早かったというようなことを書いており、学問があると思われることはその実、まんざらでもないような書きぶりでもあります。

ただ当時は、学者の道は女には閉ざされていましたから、父は賢い紫式部のことを、

「残念なことに、この子が男の子でなかったのは不運だった」

と、常に嘆いていたと、紫式部は書き記しています。

平安中期の貴族社会では、女のもとに男が通う結婚形態が基本だった上、大貴族ともなると、娘を天皇家に入内させ、生まれた皇子を皇位につけて繁栄していました。そんなこともあって、女の子は大事にされ、またその誕生も歓迎されていたのですが、学者の家では別で、男の子が望まれていたわけです。

とはいえ紫式部は、自身が日記に書いているように、彰子中宮に『白氏文集』などを講義しています。学問の才は無駄になるどころか、大いに役立ち、何より『源氏物語』の世界にも深みと厚みをもたらしたのです。

とことんリアリティを追求

さて、『源氏物語』を初めて読んだ時、おお!と思った一つは、源氏の晩年の正妻・女三の宮が柏木に犯されて密通することになるシーンです。

〝四月十余日ばかりのことなり〞(「若菜下」巻)

と、その日が明記されることで、これはただ事ではない、「事件です!」という感じが印象づけられたものです。

ほかにも、源氏の邸宅に冷泉帝と朱雀院が行幸するという最高の栄誉の日は、〝神無月の二十日あまりのほどに、六条院に行幸あり〞(「藤裏葉」巻)と明記されるなど、要所要所に日付が入ります。

もっとも、大事な事件があった時、何月何日と記すのは『うつほ物語』でも同様で、『源氏物語』が特別ではありません。

ただ、『源氏物語』は年立がかなり正確で、六条御息所や紫の上の年齢の矛盾など、乱れることもまれにあるものの、この当時の物語としては異常なくらい年表が作りやすいのです。

『源氏物語』は大河ドラマである

年立といえば、『源氏物語』は76年以上にわたる長編小説であるだけでなく、醍醐・村上天皇の御代を時代設定にしていることが音楽の研究から分かっています(山田孝雄『源氏物語の音楽』)。

「宇治十帖」には、紫式部と同時代に生きた源信をモデルにしていることが明らかな〝横川の僧都〞も登場している。醍醐・村上朝を起点に始まった『源氏物語』は、おしまい近くになって当時の「現代」に重なっているんです。

ここで『源氏物語』の構成について説明すると、大まかに言って3部に分かれています。

まず「桐壺」巻から「藤裏葉」巻までは、主人公の源氏が苦難を乗り越えながら、准太上天皇にまで出世し、一族が繁栄する様が描かれています。

そして「若菜上」巻から、源氏の死を暗示する巻名だけの「雲隠」巻までは、源氏の幸せに陰りが見える物語。

以上2部は「正編」とも呼ばれます。

さらに「匂宮」巻以降は源氏の子孫たちの物語となり、そのうち「橋姫」巻から最終巻の「夢浮橋」巻までは、宇治を舞台に展開することから「宇治十帖」と呼ばれています。

この長大な物語は、源氏の親世代から孫世代までの4代にわたるドラマが描かれているという意味で「大河ドラマ」と言えます。

しかも、源氏の父・桐壺帝は醍醐天皇をモデルにしており、源氏も複数のモデル説がある上、舞台となる地名や宮殿名もすべて実在するものです。

『源氏物語』は非常にリアリティを大切にしており、かつ「歴史的」なんです。

大河ドラマには「時代考証」が不可欠ですが、そういう意味でも、『源氏物語』は大河ドラマ的なのです。


写真・イラスト/shutterstock

『やばい源氏物語』(ポプラ新書)

大塚ひかり

11月29日発売

979円

222ページ

ISBN:

978-4591179758

『源氏物語』は、ヤバかった――。
2024年大河ドラマの主人公にもなっている紫式部。彼女が千年以上前に書いた「源氏物語」は、当時の人々からすると【異端】といえるほど、革命的なものだった――。

本書では、その革新的な点を「○○がやばい」と様々な角度からユーモラスに紹介。源氏物語の知られざる魅力を存分に綴った一冊です。
これを読めば、源氏物語が何倍も楽しめること間違いなし!

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