紫式部はなぜ源氏物語をこれほどまでに「嫉妬」まみれの作品にしたのか…物語中、最高に胸くそ悪い最悪の嫉妬シーンとは
集英社オンライン / 2024年2月4日 18時1分
NHKの大河ドラマ『光る君へ』でも話題の紫式部とその著書『源氏物語』。この物語の大きなテーマのひとつが「嫉妬」だという。源氏物語のおもしろさを現代風に解き明かした書籍『やばい源氏物語』の著者・大塚ひかり氏曰く、『源氏物語』にはかわいらしい嫉妬と、胸糞悪い嫉妬の両方が描かれているという。作品の中での最悪だと評される嫉妬シーンの解説を交えて、1000年前から変わらない人間の感情を考察する。
『源氏物語』の一大テーマは「嫉妬」
『源氏物語』のテーマは何か。
そう聞かれたら、皆さんは何と答えるでしょう。
恋愛、失敗、親子関係、季節のように移り変わる人間の心情……さまざまなものが思い浮かぶと思うのですが、大きなテーマの一つが「嫉妬」であると、私は考えています。
嫉妬を印象的に描いた文学としては、『源氏物語』以前にも、藤原道綱の母の書いた『蜻蛉日記』があります。
道綱母は、夫である兼家の愛をさらった女への嫉妬を赤裸々に描き、この女の出産後、夫の女への愛が冷め、女の生んだ子まで死んでしまうと、
〝いまぞ胸はあきたる〞(今こそ胸がすっとした)
と快哉(かいさい)を叫んでいます(上巻)。
ここまで自分の嫉妬心を自覚して描ける道綱母の理性と勇気は相当なものだと私は思うのですが、当然ながら『蜻蛉日記』は日記ですし、自身の嫉妬心しか描かれません。
一方、『源氏物語』には、先に触れた六条御息所の嫉妬はもちろん、そもそも、物語の始まりからして、人々の嫉妬に殺された女の話です。
〝いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり〞
当時、天皇妃のランクは上から皇后(中宮)→女御→更衣となっていて、更衣については紫式部の時代にはすでに有名無実のものとなっていたとはいえ、いずれにしても、どのランクをあてがわれるかは、出身階層によってほぼ決まっていました。
こうしたランクのある天皇の妻たちの中でも「大して高貴な身分ではない」のに「ひときわミカドのご寵愛を受けている」、つまり、「階級にそぐわぬ良い目にあっている」人がいたんですね。これは、他の天皇妃や、一族繁栄の望みをかけて娘を送り出している貴族たちにしてみれば、面白からぬことに違いありません。
案の定、
〝はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ〞(当初から「我こそは」というプライドのある高貴な出自の女たちは、心外な者よと彼女を見下し、嫉妬なさる)
ということに。
とはいえ、彼女たちは、この女よりハイレベルの地位にあるだけ、救いがあります。問題は、
〝同じほど、それより下﨟の更衣たち〞
つまりは、女と同等、それ以下のランクの更衣たちで、彼女たちは、
〝ましてやすからず〞
穏やかな気持ちではいられない、ということになります。
『源氏物語』はしょっぱなから、近い立場の者ほど激しくなるという「嫉妬の仕組み」を語っているんです。
この物語最初のヒロインは、桐壺更衣と呼ばれる人で、父の大納言はすでに死んでいましたが、宮仕えをした結果、ミカドに寵愛され、他のすべての天皇妃とその家族に妬まれ、恨みを負う、その〝つもり〞(積み重ね)のせいか、病弱になって、玉のような〝男皇子〞を生むと、その皇子が3歳になった夏、死んでしまうのです。
この皇子こそは『源氏物語』の主人公である〝光る源氏〞(「帚木」巻)。
『源氏物語』は、人々の嫉妬に、いわば殺された形の女から生まれた皇子が、主人公となっているのです。
『源氏物語』に描かれる「理想の嫉妬」
『源氏物語』が嫉妬への強いこだわりを持っているのは、有名な「雨夜の品定め」で、登場人物が「理想の嫉妬」ともいうべき論を展開していることからも分かります。
「雨夜の品定め」というのは、ある雨の夜、源氏とその親友で、葵の上の兄弟の頭中将らが宮中で宿直中、上品、中品、下品という仏教の極楽浄土のランクになぞらえ、女の階級を上・中・下の3段階に分けて論じたことからそう名づけられています。
この品定めで、人生の先輩格たる左馬頭が言うには、
「万事、なだらかに、恨みごとを言いたいところでは、私は知っていますよとほのめかし、恨んでいいような場合でも、憎らしくなくちらりと触れるようにすれば、それにつけても男の愛はまさるはず。多くは夫の浮気心も妻次第で収まりもするでしょう。あまりに寛大に、男を野放しにするのも気楽で可愛いようだけれど、自然と軽く扱っていい女に思えるんですよ」
男の浮気も女次第……とは、いかにも男に都合のいい理屈ですが、この「理想の嫉妬」を具現化したのが、紫の上です。
彼女は、源氏の愛する継母の藤壺と瓜二つということで、10歳のころ、拉致同然に源氏のもとに連れて来られ、14歳になると、その意に反して性交を強いられ、結婚させられます。しかし母方の親族はすでになく、強い正妻のもとで暮らす父とは疎遠であった紫の上にとって、源氏との結婚は幸運と言えるもので、周囲は彼女の〝御幸ひ〞(ご幸運)を称えていた(「賢木」巻)。
ところが、源氏が須磨で謹慎することになって、須磨にほど近い明石で、明石の君と関係し、子までできてしまう。
当然、紫の上としては面白からぬ気持ちになって、歌で当てこすったり、源氏の帰京後もすねてみたりする。
しかし、身分の低い明石の君の代わりに、その生んだ子を養育することになると、子ども好きな紫の上は、すっかり機嫌を直してしまいます。ただ、さすがに源氏が明石の君に会いに行く時などは、皮肉を言ったり、すねたりする。
たとえば、源氏が琴を弾くよう勧めても、明石の君が琴の名手だと聞いている紫の上は〝ねたきにや〞(妬ましいのか)、琴に手も触れない、という具合です(「澪標」巻)。
おっとりとして、可愛らしく柔軟性のある性格ながら、〝さすがに執念きところ〞(執念深いところ)があって恨んでいる様子であるのが、源氏の目には、
〝をかしう見どころあり〞
と、映る。面白くて相手のしがいがある、というんです。
要するに、このころの紫の上というのは、男に都合のいい女です。
ただ、紫の上は、相手が自分より格上の女である場合、こんなふうに可愛らしい嫉妬は見せません。
のちの話になりますが、源氏のもとに女三の宮という皇女が正妻として降嫁してくることになると、紫の上は、「当人たちの恋でもない、こんな降って湧いたようなことで、愚かしく落ち込んだ様を、世間の人に知られたくない」と考え、平静を装います。
こうなると、源氏にも「面白い」などと思う余裕はありません。
女三の宮が心身共に子どもっぽいこともあって、源氏は彼女に幻滅しながら、紫の上の信頼も失った形で、苦悩する。その上、女三の宮はのちに柏木に犯され、子まで生むことになって、源氏はえらいしっぺ返しを食らうことになります。
しかしそれはまだ先の話で、いずれにしても、紫の上は、相手の女が低い身分の場合は、ほど良い嫉妬で男の心をつなぎ止め、相手の女が高い身分の場合は、嫉妬の感情を抑えることで、事無きを得ます。その結果、紫の上の心はストレスを溜めて、胸の痛くなる病となって、最終的には死んでしまうのですけれど……。
物語最悪の嫉妬
一方、物語最悪、男を最もうんざりさせる嫉妬をしたのが、この紫の上の異母姉である、鬚黒大将の北の方です。
彼女の母は、紫の上の父・親王の正妻。紫の上の母はこの正妻のため、ストレス死したという設定です。
鬚黒の北の方は、正妻腹の親王のお嬢様であるわけです。
この北の方は、母と異なり、性格もおとなしく、もとはとても綺麗な人で、鬚黒とのあいだに一女二男をもうけたものの、長年、執念深い物の怪に悩まされ、〝心違ひ〞(正気をなくす心の病)の発作が出る折々も多く、夫婦仲は冷えていました。それでも〝やむごとなきもの〞(重々しい正妻)としてはほかに並ぶ人もなく、鬚黒に大事にされていたのでした(「真木柱」巻)。
ところが。
北の方が35、6歳、鬚黒が32、3歳のころ(当時の夫婦は正妻が3、4歳年上であることは普通でした。源氏の最初の正妻の葵の上も4歳年上という設定です)、鬚黒は新たに23歳の美女、玉鬘のもとに通い始めます。
この玉鬘というのは、頭中将の劣り腹の娘でしたが、亡き母・夕顔が源氏とデート中、物の怪に襲われて変死したことから、夕顔の乳母一家に伴われ、九州で育っていました。源氏は、乳母をはじめとする家の人にその死を知らせず、幼かった玉鬘はもちろん、乳母たちも夕顔の死を知らぬまま、流浪することになったのです。
そういう大貴族の非道が描かれていることも『源氏物語』の凄さで、おかげで玉鬘は苦労して育つのですが、九州の土豪の求婚から逃れ、上京したところ、源氏に雇われていた、夕顔の元女房と巡り会い、いきがかり上、玉鬘は源氏の養女となっていたのでした。
今は内大臣となった実父の頭中将とも親子の名乗りをした玉鬘は、実父も養父も権力者というパワフルな妻です。しかも若い美女。
鬚黒は、恋愛馴れした色好みと違って人の嘆きを思いやる余裕もなく、可愛がっていた子どもたちをも顧みず、ひたすら玉鬘に熱中したので、北の方はますます精神状態がおかしくなっていき……事件が起きます。
その日、部屋にこもって、なんとか玉鬘と穏便にやってほしいと北の方を説得していた鬚黒は、日が暮れると玉鬘のもとに行きたくてそわそわし始めます。夫が新妻のもとに通おうとする。それを妻も許容しなくてはいけないとは……一夫多妻の悲哀です。
そのうち雪が降り出して、こんな日にまで出かけるのが人目に立てば、北の方も可哀想で、むしろ憎らしく嫉妬して恨んでくれれば、それを口実に出かけられるのに……と鬚黒は思うのですが、北の方は平静を装い、女房に香炉を持って来させて、出かける夫の着物に香をたきしめさせるなど、けなげに協力していました。
玉鬘に会いたい鬚黒はといえば、偽りのため息をついては、小さい香炉を取り寄せて、袖の中まで念入りに香をたきしめている。その姿に、鬚黒の二人の〝召人〞(お手つき女房)も嘆きながら横になっていました。実直な鬚黒は、玉鬘と結婚する前は、この北の方以外に妻はいませんでしたが、召し使う女房とは手軽な性関係を結んでいたのです。こうした関係は当時の貴族にとっては普通のことで、紫式部も道長の召人と言われ、南北朝時代にできた系図集『尊卑分脈』の紫式部の項にも、〝御堂関白道長妾云々〞と記されています。
さて北の方はと言えば、〝いみじう思ひしづめて〞(懸命に思いを沈めて)可憐にものにもたれていた……。
と、見る間ににわかに起き上がり、大きな伏せ籠の下にあった香炉を取ると、鬚黒の後ろに立って、さっと中の灰を浴びせかけたのです。
一瞬のことで、細かな灰が目鼻にまで入り、払い捨てても間に合わず、鬚黒は衣服を着替え、その日の外出は取りやめになってしまいました。
これをきっかけに、鬚黒と北の方は離婚することとなり、玉鬘は晴れて鬚黒の正妻となるのでした。
写真・イラスト/shutterstock
『やばい源氏物語』(ポプラ新書)
大塚ひかり
11月29日発売
979円
222ページ
978-4591179758
『源氏物語』は、ヤバかった――。
2024年大河ドラマの主人公にもなっている紫式部。彼女が千年以上前に書いた「源氏物語」は、当時の人々からすると【異端】といえるほど、革命的なものだった――。
本書では、その革新的な点を「○○がやばい」と様々な角度からユーモラスに紹介。源氏物語の知られざる魅力を存分に綴った一冊です。
これを読めば、源氏物語が何倍も楽しめること間違いなし!
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