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「1杯2000円のラーメンは世界的には高くない」モノ作り大国ニッポンが給与最低水準の貧乏国になった遠因、電機メーカーの凋落とは

集英社オンライン / 2024年1月17日 11時1分

1990年代半ば以降、市場や技術動向の激変に対応できず競争力を失ってしまった日本企業。失われた30年とはよくいわれるが、一体何が悪かったのだろうか。かつてモノ作り大国として日本をリードした電機メーカーの凋落が、社会全体のブレーキとなってしまった可能性があるという。経済ジャーナリスト渋谷和宏氏の新著『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』(平凡社)より、一部を抜粋・再構成して日本の凋落について解説する。

30年間上がらない賃金

メーカーに勤務する中堅社員・田中聡史さん(39歳・仮名)の声をお聞きください。

「私は、最大手ではありませんがそれなりに知られた国内のメーカーに勤務しています。新卒で入社した時にはいい会社に入れたかなと思ったのですが、今は胸の内がモヤモヤしています。若手時代を経て、中堅社員として役職に就いてから、賃金がほとんど増えていません。10年近く据え置かれたままなんです。



私の会社では、係長に相当する等級以上の社員は一人ひとり、半期ごとに期間の実績や取り組みを自己申告シートに書き込み、4段階で査定・評価されるのですが、最上位の評価を得ないと賃金が上がらない仕組みです。上から2番目の評価で現状維持、3番目以下では減らされてしまいます。最上位の評価を得る社員はほんの数%です。そんな人たちにしても最上位を続けて取ることは稀なので、賃金が増えている社員はほとんどいないと思います。

会社の経営が苦しいわけではありません。一時期は赤字に陥りましたが、今では業績は決して悪くなく、それなりの利益をきちんと出しています。中国での販路開拓がうまくいったのに加えて、私たちの人件費を削ったり、交通費や会議費などの諸経費を切り詰めたり、研究開発に振り向ける予算を絞り込んだりした結果です。私たちも身を切ってきたんです。会社にはそんな努力に少しでも報いてほしいと切望していますが、私たちの想いが叶う予感は今のところまったくありません。

私は管理部門に所属して、労務管理の仕事に就いています。今の仕事が嫌いではありません。常にではないですが、やりがいを感じることもあります。しかし先ほど言ったようにモヤモヤが晴れないんです。若手時代のように100%前向きな気持ちで仕事に取り組めません。仕事に没入することにためらいを覚えてしまう自分がいるんです」

この話を聞いて、身につまされた人はきっと少なくないでしょう。もしかしたら、あなたもそうかもしれませんね。

田中さんは「賃金を10年近く据え置かれたままだ」と告白しましたが、実は10年どころか、この30年間、日本企業で働く社員の平均賃金はほとんど上がっていません。

それどころか「賃金が上がらないのは会社に貢献できていないからだ」と言わんばかりの巧妙な人事考課と賃金制度によって、社員の賃金を減らしてきた企業も少なくありません。頑張っても報いてくれない会社に対して、モヤモヤした気持ちを抱いている社員は多数派だと言っていいでしょう。

第1章ではまず日本の「安い賃金」に焦点を当て、社員のやる気が失われていった理由を浮き彫りにしたいと思います。

30年にわたって据え置かれてきた日本の賃金水準は今や先進国で最下位の水準に落ち込んでいます。

OECD(経済協力開発機構)加盟国38カ国の2022年の平均賃金よれば日本の均賃金は4万1509ドルで、38カ国中25位にとどまり、アメリカ(7万7463ドル)の半分強(53.6%)の水準に過ぎません。OECD加盟国平均の5万3416ドルや、ドイツ(5万8940ドル)、フランス(5万2764ドル)、イギリス(5万3985ドル)などヨーロッパ諸国と比べてもかなり低く、韓国の4万8922ドルをも下回っています。

日本より賃金が低い国はポーランドやハンガリー、チリなど経済的に低迷している国が中心です。

ちなみにOECDは、世界経済や各国経済の現状を分析し課題を協議するため、先進国主導で設立されました。加盟国は日本を含めて38カ国です。世界経済や各国経済に関する膨大な統計を調査・発表しており、統計の信頼性や網羅性の高さから「世界最大のシンクタンク(調査機関)」とも呼ばれています。

海外で食べた1杯2000円のラーメン

平均賃金が先進国で最下位に落ち込んでしまった結果、欧米の人たちには値ごろ感のある商品が私たち日本人にとっては高額品になってしまいました。

iPhone(アイフォーン)はその代表でしょう。

アメリカのアップルが2023年9月に発売したアイフォーン15の日本での販売価格は、廉価機種が12万4800円で最上位機種が24万9800円でした。この値付けに対して大多数の日本人は「最上位機種とはいえスマホが約25万円もするのは高すぎる」と思ったでしょう。私も「高いな」と思いました。

日本人の2021年の平均月収は、月曜日から金曜日までフルタイムで働く人で残業代も含めて33万4800円でした(厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」による)。アイフォーンの最上位機種の価格はその7割にも達します。高額に思えるのは当然でしょう。

しかし平均的な収入を得ているアメリカ人にとっては決して高すぎる価格ではありません。最上位機種の価格は月収の3割程度なので、平均的な日本人が12万4800円の廉価機種を買うのと負担感はあまり変わらないのです。

アイフォーンだけではありません。ジープ社のSUV(スポーツ用多目的車)や、L.L.ビーン社のジャケットやブーツといったアメリカ製品も、私たち日本人には高価に映りますが、アメリカやイギリス、ドイツなど欧米の中間層にとっては常識的な価格の範ちゅうに入ります。

またコロナ禍が収束し、海外旅行に出かけた日本人による「ハワイでラーメンを頼んだら1杯で2000円もした!」といった驚きの声がネットで散見されるようになりました。2000円のラーメンは欧米人にとって驚きではありません。それが私たちには法外な値付けに思えるのは、日本の賃金水準が低すぎるからです。

日本の賃金はもともとここまで低かったわけではありませんでした。

OECDの調査では、約30年前の1990年には、日本の平均賃金は3万6879ドルと、アメリカの4万6975ドルに比べれば見劣りするものの、イギリスやフランスよりも高い水準でした。

しかし1990年以降、日本の平均賃金はほとんど増えませんでした。OECDによれば1990年から2022年までの約30年間で4630ドル(1ドル=145円で計算して67万1350円)しか上がっていません。上昇率はたった12.5%です。

一方、アメリカやイギリスの賃金はこの間に約5割上昇し、韓国ではほぼ2倍になりました。日本が足踏みしているうちに他の国々がずっと先にいってしまい、日本だけが賃金上昇の恩恵にあずかれず、大きく劣後してしまったのです。

30年は長い年月です。1990年に生まれた人たちは今では企業で中堅社員として活躍し、当時、中堅社員だった人たちは定年後の第二の人生を考えなければならない年齢に到達しています。

私自身、30代初めの中堅記者として働いていた1990年当時を思い出すと隔世の感があります。ビジネスパーソンは私たちメディア関係者を含めてスマホはおろかケータイさえ持っていませんでした。NTTドコモの前身であるエヌ・ティ・ティ・移動通信企画が設立されたのは1991年のことです。インターネットも普及しておらず、eメールもありませんでした。仕事でもプライベートでも相手との連絡は固定電話かファクスが中心でした。

インターネットによる映画や音楽、ゲームなどの配信ももちろん影も形もありません。映画や音楽はレンタルビデオ・CD店でVHSのビデオやCDを借りて視聴しました。ゲームをする時は、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)や1990年に発売されたスーパーファミコンなどのゲーム専用機を使いました。ゲームソフトはROM(読み出し専用メモリー)に記録されており、ロムカセットと呼ばれた、ROM付きの基盤が内蔵されたプラスチック製の箱をゲーム機本体に装着してゲームを楽しんだのです。

インターネットなどのIT(情報技術)が普及・浸透する以前の時代です。「プレ(前)デジタル時代」と言ってもいいかもしれません。

私たちの賃金は、そんないにしえの1990年からほぼ据え置かれたままなのです。日本はいったいこの長い年月、何をしてきたのでしょうか。

日本が「安い賃金」の国へと転落していく道筋を振り返ってみましょう。それは同時に社員のやる気が失われていった真因を探ることでもあります。

「安い賃金」の国への転落は、電機産業凋落から

日本が「安い賃金」の国へと転落していくきっかけは、輸出産業の花形だった電機産業の凋落でした。1990年代半ばのことです。

1980年前後から1990年代前半にかけて、日本の電機産業は世界随一の競争力を持っていました。日本の大手メーカーが製造する「テレビや冷蔵庫などの家電」「パソコン」「カメラやビデオに代表される光学機器」「オーディオ機器のような音響機器」「コピー機などの事務機」はジャパンブランドとして文字通り世界の市場を席けんしていました。

日本の輸出総額に占める家電製品やパソコン、光学機器などの割合は、1995年の時点で13.5%に達し、同16.3%を占めた自動車とともに莫大な外貨を稼ぎ、日本経済の繁栄を支えていました。日本の大手家電メーカーや光学機器メーカー、音響機器メーカー、事務機器メーカーは「モノづくり大国ジャパン」を支える世界有数の企業だったのです。

商品開発力にも長けており、これまでにない独創的な商品を次々に開発・発売し、世界の消費者の心をつかんでいました。

ソニーが1979年に発売したカセットテープ再生型の初代ウォークマンや、任天堂が1983年に発売したファミコンはその代表でしょう。ウォークマンは手軽に持ち運びできるオーディオプレイヤーとして欧米でも爆発的に売れ、ウォークマンを聴きながらローラースケートやスケートボードに興じる若者たちの姿が時代の象徴になりました。

一方、ファミコンは、ゲームセンターに置いてあるアーケードゲームと遊戯性の点で遜色のないゲームを、家庭でも楽しめる家庭用ゲーム機として登場しました。世界中の子ども達だけでなく親世代をも引きつけ、「マリオブラザーズ」や「ドラゴンクエスト」のような世界的な大ヒットゲームのシリーズを生み出したのは皆さんもご存じのとおりです。

ちなみにウォークマンの開発を決断したのは、ソニーの創業者であり、当時会長だった盛田昭夫氏です。盛田氏の盟友で声楽家でもあった井深大氏(当時の名誉会長)が、「ビジネスで行き来する国際線の機内で音楽が聴けるポータブル型オーディオプレイヤーを私自身のために開発してほしい」と、当時のオーディオ事業部長で伝説的なエンジニアとしても知られた大曽根幸三氏に依頼したのがきっかけでした。

大曽根氏は既存の製品とありあわせの部品で試作品を開発しました。その性能に驚嘆した井深氏は、すぐに試作品の奏でる音楽を盛田氏に聞かせました。

盛田氏は製品としての大きな可能性を確信し、ウォークマンの商品化を指示したのです。
ワクワクするようなエピソードですね。商品開発に向けて何十回も無駄な会議を開き、結果的に当初の独創性が失われ、最大公約数的な面白みのない製品しか生み出せなくなってしまった現在の多くの家電メーカーなどからは考えられないような話です。

「デジタル化」でモノづくり大国の地位失墜

残念ながら、このような「モノづくり大国ジャパン」の黄金期は長くは続きませんでした。

デジタル化の波がモノづくりを変え始めた1990年代半ば以降、日本の電機産業を支えてきた大手家電メーカーや光学機器メーカー、音響機器メーカー、事務機器メーカーは世界的な環境変化にうまく適応できず、国際競争力を失っていったのです。当時、『日経ビジネス』の記者として企業を取材していた私は大手家電メーカーなどの勢いが急速に落ちてきたなと感じたのを今でもよく覚えています。

1980年前後から1990年代初めにかけて、日本の大手家電メーカーなどの強さを支えていた柱の一つは、「垂直統合型」と呼ばれるモノづくりの仕組みでした。

大手家電メーカーなどは1次・2次・3次など系列の下請け部品メーカーを束ね、自らを三角形の頂点とする供給網を構築していました。そしてこの緊密で強固な供給網――いまではサプライチェーンなどと言いますね――を活かして、大手家電メーカーなどと下請けの部品メーカーが連携してモノを生産してきました。

垂直統合型のモノづくりでは、製品の開発・設計・製造の各段階で下請け部品メーカーと緊密・綿密なすり合わせができます。「ここの歯車を1ミクロン(マイクロメートル)ずらしてほしい」などと部品メーカーに注文を出し、何度もダメ出しをして要求水準を満たす部品を完成させる、といった連携による作り込みが可能だったのです。

これが高い品質と耐久性を持つ日本製のテレビやパソコン、ビデオ、オーディオなどの競争力を支えていました。日本製品は1990年代初めまではとにかく故障しないことで知られていて、世界の消費者を引き付ける魅力の一つにもなっていました。

ところが1990年代半ばに入ると状況は一変します。デジタル技術の普及によって、設計、製造段階で下請け部品メーカーと緊密なすり合わせをしなくても、高い品質と耐久性を持つ製品をつくり出せるようになったのです。

音響・映像機器を例に挙げてみましょう。1980年代に主流だったカセットプレイヤーやビデオデッキのような製品では、テープを巻き取ったりするのにメカニックすなわち機械的な機構が必要でした。これらを正確に作動・機能させ、なおかつ何千回何万回と使用しても壊れない耐久性を持たせるには繊細な加工技術や緊密なすり合わせが欠かせませんでした。

それが1990年代半ば以降のデジタル製品では一変しました。メカニックな機構がほとんどないDVDレコーダーやCDプレイヤーなどが登場し、電子部品を組み合わせるだけで高品質の音楽を再生できるようになったのです。音響・映像機器の生産には、繊細な加工技術も下請け部品メーカーとの緊密なすり合わせも必要ではなくなりました。

音響・映像機器だけではありません。1990年代半ば以降、あらゆる家電や事務機器がデジタル製品となり、繊細な加工技術や下請け部品メーカーとの緊密なすり合わせが無くても製造できるようになりました。

電子部品を組み合わせる新たなモノづくりによって、垂直統合型の緊密で強固なサプライチェーンの優位性は失われていきました。

製品メーカーは世界中の電子部品メーカーから最も適当な部品を調達し、それらをそれこそプラモデルのように組み合わせるだけで、一定の品質や耐久性を持つ製品をつくれるようになったのです。

このようなモノづくりを「水平分業型」とも言います。デジタル技術によって、モノづくりの主流は、製品メーカーが1次・2次・3次など系列の下請け部品メーカーを束ね、自らを三角形の頂点とする供給網を構築して製造していた垂直統合型から、世界中に散らばる部品メーカーから最適な部品を調達して組み立てる水平分業型へと変わっていったのです。


写真/shutterstock

『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』(平凡新書)

渋谷和宏

2023/11/17

1045円

192ページ

ISBN:

978-4582860443

1990年代半ば以降、市場や技術動向の激変に対応できず、競争力を失った日本企業――。
その凋落の一因に、会社員の「やる気」の無さがあるのは間違いない。米ギャラップ社が世界各国の企業を対象に実施した調査によると、日本企業の「熱意あふれる社員」の割合はたったの6%であった。これは調査した139カ国中132位で最下位クラスである。

では日本の会社員が「やる気」を失った原因は一体何なのだろうか?

過去30年にわたる日本企業のマネジメント(経営・管理・人事)の問題点を丁寧に検証し、私たちが再び「やる気」を取り戻して、日本企業が復活を遂げるための処方箋を提示する。

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