1973年5月に14歳でレコードデビューした山口百恵は、自分に与えられた過激なテーマと歌詞を持つ作品に対して萎縮することなく、年ごろの女性の微妙な心理をどのように表現したらいいのかを自ら考えながら、与えられた楽曲を丁寧に歌うことで成長していった。
山口百恵が所属するホリプロダクションの傘下にある音楽制作会社、東京音楽出版の原盤制作ディレクターとして、モップスや井上陽水を手掛けていた川瀬泰雄が新たにスタッフに加わったのは、3枚目のシングル『禁じられた遊び』からだった。
そして5枚目のシングル『ひと夏の経験』が1974年6月に発売されると、ヒットチャートの3位まで上昇して初のベストテン入りとなった。これを機に「山口百恵」は明らかに勢いがついてきた。
そして6枚目の『ちっぽけな感傷』も同じく3位にランクインした後、12月にリリースされた7枚目の『冬の色』で、とうとうシングル・チャート1位を獲得。このとき、16歳。