日本のコロナ「専門家」はなぜ表舞台から消されたのか…有事での「専門家」と「政治家」の駆け引きから見えた日本の政治システムの限界
集英社オンライン / 2024年1月18日 11時1分
政権と世論に翻弄されながらコロナ禍の危機と戦った感染症専門家たちの観察を続けたドキュメント『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)。家族や自身を危険に晒し、研究者としての輝かしい評価を犠牲にしてまで、危機と向き合った彼らはなぜ蹴りだされるように国家の中心から去ったのか。著者の野真嗣氏に話を聞いた。(前後編の後編)
安倍、菅、岸田…なぜどの内閣もコロナ対策で苦戦したのか
――新刊『奔流』を面白く読みました。サブタイトルの通り、日本を襲ったコロナ禍と最前線で闘った専門家たちが、「政治(家)」によって、どのように“消されていったのか”を追跡した迫真のドキュメントですね。
――広野さんは、2020年に始まり現在にいたるコロナ対策の推移を、3つの段階に分けて考えていらっしゃいます。
【第1期】未知のウイルスとの遭遇、試行錯誤を重ねた時期
【第2期】医療逼迫が繰り返された時期
【第3期】社会・経済を動かすステージに向けて踏み出した時期
広野(以下、同) これは私というより、尾身茂さんが3年間のことを振り返って語った区分です。これはウイルスがつくり出した感染状況による区分ですが、興味深いことにそれぞれの時期が安倍、菅、岸田という政権期と、それぞれほぼ重なっています。
――本書で一貫して描かれるのは、コロナ対策にあたって登場した「政治家・官僚ではない専門家たち」と「政治家・官僚たち」による駆け引き、綱引きです。
安倍総理の「一斉休校」、菅総理の「Go Toトラベル」、岸田総理の「コロナ分科会廃止」。この他にも東京五輪の延期および開催など、コロナ禍において、さまざまな政治的措置がおこなわれましたが、個々の政策は、すべて「政治家・官僚の思惑」と「専門家たちの危機意識」の綱引きの中ではじき出されました。
安倍、菅、岸田のいずれの内閣も、コロナ対策で苦戦しました。もともと官邸主導政治とは、危機管理を強くするために進められてきた成り立ちがあるのに、なぜこうもギクシャクしたのか。
――そんな成り立ちがあったのですね。
ひとつのきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災です。当時は村山富市政権でしたが、中枢に情報が集まるのが遅れ、初動から後手に回ったと批判されました。こうした反省から官邸機能を強化し、首相がリーダーシップを発揮する政治が求められました。
小選挙区制の導入で総理・総裁の権力は増大し、中央省庁再編を通じて人事や予算管理の権限も強められてきた。このモデルは一定の達成を見たはずなのに、コロナ危機では官邸は表に出ることを回避し、専門家に対してリスクコミュニケーションの前面に立つことを期待しているようでした。
少しでもリスクがあれば語らない、判断しない政治家
――それは、なぜでしょうか。
詳しくは『奔流』を読んでいただきたいのですが、ひとつには、未知のウイルスのリスクがあまりに不透明で、下手をすると政治家は批判を受け、支持率下落に直結することを恐れていたこと。もうひとつは、首相のリーダーシップを履き違えていたことです。
官邸には今、あらゆる政策課題の起動ボタンが集まっています。その優先順位を差配する首相には、官僚組織や人々に対してどうしてそういう選択をしたのか、「語りかける力」が求められると思うんですよね。
誰かに代わってもらうことはできない役目なのに、3人の首相はそれぞれ大事なところで、平時と同じように、失言リスクがあれば語らない、判断しないという行動パターンをとりました。
――具体的な場面としては?
象徴的な局面を挙げれば、変異株の急速な広がりと五輪開催が重なり、政府と専門家の対立が際立った2021年5月以降の第5波の時のことです。
「緊急事態宣言の下でオリンピックをやるのは、ふつうはない」という尾身氏の国会での発言の一部のインパクトが強くて多くの人が誤解しているのですが、専門家たちは五輪の開催そのものに反対はしていませんでした。
――私も誤解していたひとりでした。
首相の菅氏が五輪開催への強い意欲を持っている一方、従来よりも感染力が強い変異株による流行が兆している。だから「なぜ五輪をやるのか」「どんなリスクがあるのか」を首相自らが語ってほしいと意見具申していたのです。戒厳令のような強い私権制限のできない日本では、国民に自発的に協力してもらうしかないからです。
その上で、感染をできるだけ下火にするにはどうしたらいいか、「リスク評価をさせてほしい」と訴えているのに、菅氏は、主催者は国際オリンピック委員会(IOC)であることを強調するばかり。「やると決めました」という大方針を自らの言葉で語ることもなかった。
―― 一言でも「リスク」を口にしてしまうと、野党やメディアに攻め込まれる。そればかりを気にして。
感染状況がどんどん変わる中で、首相も国民の不安の変化に寄り添った語りをしないほうがリスクでしょう。平時とは違う構えをとって、間違いがあったら、その都度修正すればいいのに。
80回もの改稿を重ねた提言書
――そこで積極的な役割を果たしたのが専門家たちですが、彼らの「危機意識」や「政治に対するスタンス」も一枚岩ではなかった。
感染が下火になっていく局面では、平時への移行をいそぐ「経済の専門家」と、ふたたびウイルスが強毒化するリスクを心配する「感染症の専門家」の間で議論が分かれました。
さらに2022年8月には、政府が二の足を踏む中、専門家有志が平時に向けたシナリオのプランを提言し、一歩踏み出します。岸田政権はのちにこれを追認していくことになりますが、この案をめぐっては「医療の専門家」の間でも意見が分かれることになりました。
――『奔流』の書きぶりからは、尾身茂さんの存在が大きかったように感じました。もしも彼がいなければ、委員たちが分裂したり、メディアでの批判合戦などに発展した可能性もあったのでは。
そうですね。専門家コミュニティーのまとめ役の尾身氏は、会見すれば2時間に及ぶこともしばしば、記者たちからも「もっと端的に」と言われたり、ウイルス学の専門家から「ちょっと理解が違う」と言われて言い直したりなど、大丈夫かなと思わせるところもあるんですよね。ただ、雄弁ではなくとも、対策を決める前後で、必ず説明者として登壇しました。批判から逃げず立っている人がいる、ということが大事だったと思うんです。
それだけでなく、公的な会議の合間に専門家同士が率直に意見をぶつけあう場では、何度も議論を蒸し返して「この表現は?」「こう変えたらどうか」と修正や修文を重ね、対立した人と人の間で合意できるポイントを探り続けた。前出の提言ペーパーはじつに80回もの改稿を重ねたそうです。少数意見との違いを埋めるためにあそこまでエネルギーを注ぐ姿に、私は生き方を学んだ」と述懐する専門家もいたほどです。政治が後衛に退く中でも専門家組織が中心を失わず、空中分解しなかったのは、そうした尾身氏の個性が果たした役割が大きい。
――けれど、尾身さんらの分科会は昨年8月には廃止され、9月から「内閣感染症危機管理統括庁」が発足しました。
さまざまなケーススタディが行われているようですが、官僚の備えで切り回せるほど、危機の展開は待ってくれそうにないことが盲点になるかもしれません。
官僚の役割とは何か?
――コロナ禍に対する政策決定のプロセスにおいて、本来は主役となるはずだった厚生労働省の官僚たち、とくに医系技官の機能不全についても触れられています。
厚労省の首脳部の一部に信じがたい保身の行動を取る者がいたのは事実です。厚労省に置かれた専門家による感染状況を分析する会議の場に、首相肝入りのGo Toトラベル継続に都合のよいデータを示す内閣官房の資料と、不都合なデータを示す専門家の資料が出た日のこと。厚労省は前者だけを公開し、後者を公開しなかったのです。
――とんでもないですね。
しかし、このような状況は厚労省という役所の通弊というより、異論を唱える官僚を次々と人事異動で処分してきた官邸主導の通弊でしょう。諫言する者はろくな目に合わないから、積極的な意見は出づらくなり、耳触りのよい情報ばかりを上げてくる茶坊主が重用される。
――そもそもの話なのですが、国政における政治家と官僚の「役割分担」というのは、具体的にはどういうものなのでしょうか。
現状の分析をしたり、プランを立てるのが官僚で、プランを決定する責任を持つのがその省庁のトップである大臣や、大臣を任命する首相。つまり政治家です。
――官僚の本分は、政治家に「実現可能な複数の選択肢」を示すこと。
質の低下を危惧する声もありますが、やはり霞が関は日本最大のシンクタンク。法令に通じ、過去のデータや経験を蓄えていて、適切な問いさえあれば、政策の選択肢をたちまちに示す力があると思います。
今回は専門家がかなり積極的な触媒の役割を果たすことでやり遂げましたが、政治家が官僚の創造力を引き出すような新しい政と官のダイナミズムを作り出さなければ、5年後、10年後の危機にすばやく対応することは難しいでしょう。
取材・文/山田傘
奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか
広野真嗣
2024年1月17日
1980円(税込)
単行本/304ページ
発行:講談社
978-4-06-534465-1
「嫌われたって、やるしかないんだ」
尾身茂、押谷仁、西浦博ー感染症専門家たちは、コロナ渦3年間、国家の命運を託された。彼らは何と闘い、なぜ放逐されたのか?政権と世論に翻弄されながら危機と戦った感染症専門家の悲劇!
小学館ノンフィクション賞大賞受賞の気鋭ライターの弩級ノンフィクション
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