1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

我が子を「頭のいい子」とほめることの罪…相手に「属性」を与えることが強制や命令となって関係性を悪くする危険

集英社オンライン / 2024年1月24日 11時1分

「あなたは頭のいい子ね」という子どもへのほめ言葉は、時として「いい成績をとりなさい」という命令になってしまう危険性を孕んでいる。それは子どもだけでなく、会社の部下など、広く社会にあてはまる可能性も秘めている。頭がいいなど相手に特性を与える「属性付与」の危険性について、ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者・岸見一郎氏の『つがらない覚悟』(PHP新書)から一部抜粋、再編集してお届けする。

#2

属性付与ー
他人に「特性」を与える

精神科医のR・D・レインは、親が放課後子どもが学校の門から出てくるのを待っているという状況を例に「属性付与」について説明している(Self and Others)。

「属性」(attribution)とは「事物の有する特徴・性質」を意味する。例えば、「あの花は美しい」という時の「美しい」が属性(花に属している性質)である。その属性を、ものや人に与えることを「属性化」あるいは「属性付与」という。



子どもが校門から出てくる。親は子どもが自分を見つけて、自分に向かって走ってきて抱きつくだろうと思っている。ところが、母親が抱きしめようと腕を開いても子どもは少し離れて立っている。母親は、子どもに「あなたはお母さんのことが好きではないの」とたずねる。同じ状況で、大好きと満面の笑みで親のところに駆け寄って抱きつく子どももいるだろうが、その子どもは親に抱きつかず、「私のことが好きではないの」と親が問うた時に、「好きではない」と答えた。

その時、母親は子どもに「でも、私はあなたが私を好きだということを知っている」といった。これが属性付与である。つまり、親は子どもが好きではないといっているのに、そうではない、あなたは私を好きなはずだとか、あなたは従順であるべきだ、親に歯向かったり、反抗したりしない子どもだという属性を子どもに付与する。

「頭のいい子」とほめることの罪

これがなぜ問題かといえば、弱い立場の人、例えば、子どもにとっては、親の属性付与が事実上の命令になるからである。子どもは大人(親)が自分について行う属性付与を否認できないことがある。

あなたが本当は私を好きであることを知っていると親からいわれた時に、子どもがそうかもしれないと思ってしまうと、親の属性付与は「私を好きになりなさい」という命令になる。本当は親のことが好きではないのかもしれないと思っても、その気持ちを封印してしまう。このように、親が子どもにする属性付与が子どもを依存的にする。

子どもが大人の期待に応えなければならないと思うこともある。私は子どもの頃に、祖父から「お前は頭のいい子だ」といわれて育った。「お前は頭のいい子だ」というのも、ただ子どもへの属性付与ではなく、「お前は頭のいい子なのだから、勉強しなさい」「勉強していい成績を取って親を喜ばせなさい」という命令になる。

「お前は頭のいい子だ」と祖父からいわれるとたしかに嬉しかったが、後には重荷になった。小学生になって初めて通知表を受け取った時、算数の成績がよくないことを知り、これでは祖父の期待に応えられないと思ったのである。

属性付与に反発しないで合わせると依存的になる

レインは、「ある人に与えられる属性が、その人を限定し、ある特定の境地に置く」といっている(前掲書)。属性化が命令であるというのは、今の例でいえば、子どもはどんなふうに育ってもいいはずなのに、自分が親によっていい成績を取れる子どもとして限定されるからである。

自閉症スペクトラムの弁護士が主人公のドラマを見たことがある。その中で、弁護士が「私のように障害があると、好きだというだけでは十分でないようだ」と語るシーンがある。彼女は人を愛することがどういうことなのかをなかなか理解できない。人から話を聞いたり、本を読んだりして理解していたつもりでも、自分で経験して初めてこの気持ちが愛なのだろうかととまどう。

私が好きだったらそれでいいではないかと思いたいのだが、まわりの人は、彼女が感じている感情を愛だと認めず、彼女は人を愛せないと決めつけているように見えることに困惑する。

属性付与に反発しないでそれに自分を合わせてしまうと、自分に属性を付与する人に依存して生きることになる。

先に叱られると依存的になると書いたが、ほめることも依存的にする。ほめられたら嬉しいではないか、自信を持ち、やる気を出せるようにするためにはほめてもいいのではないか、ほめて伸ばすのは大事なことではないかと考える人は多い。

しかし、ほめるとは何らかの意味で上にいる人が下にいる人にする評価である。部下が上司を普通はほめたりしないだろう。対人関係の下に置かれることは嬉しくはないはずなのに、いわば家来や子分になって自分をほめる人に依存する人はいる。

実際よりも過剰な評価をされた時も、自分をほめた人の期待を満たさなければならないと思うが、実際にはそれができないと思った人にとって、ほめられることはプレッシャーになるので、期待を満たせなければ認めてもらえないと思うと、自信を失ってしまうことになる。このように、ほめることも属性化であり、命令になってしまう。

属性付与が偽りのつながりを作る

属性付与のみならず、親が子どもに何かを命じた時に、子どもが親に反発しなければ「偽りのつながり」(false conjunction)が形成される。子どもが親に反発しなかったら、一見よい関係が築かれるが、子どもは親に依存しているだけで自分の考えを持っていないか、持っていても親に従ってしまっている。

子どもは幼い頃は親の保護がなければ生きていくことはできないが、やがて子どもは自立していく。ところが、この「真の背離」(real disjunction)を認めようとしない親は、自分に都合のよい解釈をして、子どもを自分のもとに留めておこうとする。子どもが親を好きではないといっても、本当は好きなのだと解釈する。

子どもが親から離れようとしていなくても、本来親と子どもは独立した人格であり、分離した存在である。それなのに、属性付与を行うことによって「偽りのつながり」を作り出し、親と子どもの間には何の隔たりもないかのように見せる。

親子関係に波風を立てたくないという理由で、親に従う子どもはいる。そのような人は好きな人と結婚しても親に反対され祝福してもらえなければ意味がないと、好きな人よりも親を選ぶことがある。

子どもは自立しなければならないが、そのためには意識的な決断が必要である。偽りのつながりを断たなければならない。

いいたいことをいわない人

上司に従わなければ、その上司からよく思われないだけでなく、同僚からもよく思われないかもしれない。そうなることを恐れる人は、上司のいうことに納得できなくても、上司に逆らえない。異議を唱えなければ共同体の和や秩序は乱されない。これも偽りのつながりである。上司や同僚によく思われたい人がこの偽りのつながりに身を委ねる。

共同体に所属している、共同体の中に居場所があると感じられることは人間の基本的な欲求であるが、所属の仕方は人によって違う。親に逆らわない、多数派につくという仕方で家庭や職場という共同体に所属しようとする人がいる。そのような人はいいたいことがあってもいわない。共同体に所属していなければ不安を感じるので、波風を立ててそこから追い立てられることを恐れるからである。

しかし、所属感は本来大きな共同体に所属して安心することではない。安心したいがために、共同体に所属していると感じたい人は共同体に依存することになる。

依存的な人は共同体がつながりを求めてくれば容易に応じる。つながりが強制されているとわかる時はまだしも安全である。強制に抵抗するのは難しいが、強制する人が見えている。しかし、心が弱っている時などは、他者とどんなつながりの中にあるのかを見極めることが難しく、自分がつながることを強制され、そのつながりに依存していることに気づかないことがある。


文/岸見一郎
写真/shutterstock

つがらない覚悟(PHP研究所)

岸見一郎

2023年12月16日発売

¥1,100

256ページ

ISBN:

978-4569856216

私たちは子どもの頃から「人間関係は大切にしよう」と教え込まれ、つながりを結ぶことが強制されることもある。しかし、人とつながるとはどういうことなのかがよく理解されておらず、他人との「絆」が依存・支配関係になってしまうことも多い。

「私」を失わないためには孤独を恐れてはいけない。私たちにはつながらない覚悟が必要なのだ。望ましくない人間関係を捨てて、偽りのつながりを真のつながりに変えるための考え方や方法を哲学者が語る。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください