1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

《地震後に新年会行脚》岸田政権の能登半島地震における明らかな初動遅れ…「空白の66時間」の安倍政権よりも劣化している災害対応

集英社オンライン / 2024年1月20日 11時1分

元日に発生した能登半島地震から20日間が経過した。政府の初動に誤りはなかったのか。2011年の東日本大地震、2016年に起きた熊本地震との比較を通して、安倍政権よりも劣化している岸田政権の災害対応の実態について、フリー記者・犬飼淳氏が指摘する。

能登半島地震の初動遅れ

1月1日16時10分に発生した能登半島地震が震度7であり、マグニチュード7.6であることは発生直後に気象庁が速報で発表していた。さらに、最大加速度が2828galであることは、当日22時45分(地震発生の約8時間半後)に防災科研が公表している。以下に記載した、直近20年間に日本で発生した他の震度7の地震4件と比べても、その地震規模の大きさは一目瞭然である。



【直近20年間に日本で発生した他の震度7の地震5件】
・新潟県中越地震(2004年):震度7、マグニチュード6.8、1750gal、津波なし、死者68人
・東日本大震災(2011年):震度7、マグニチュード9.0、2933gal、津波9.3m以上、死者19,729人
・熊本地震(2016年):震度7、マグニチュード7.3、1579gal、津波なし、死者273人
・北海道胆振東部地震(2018年):震度7、マグニチュード6.7、1796gal、津波なし、死者43人
・能登半島地震(2024年):震度7、マグニチュード7.6、2828gal、津波4m以上、死者232人(1月19日時点)

震度6以下の地震も含む一覧は気象庁「日本付近で発生した主な被害地震」参照

能登半島地震はマグニチュードも最大加速度も東日本大震災に次ぐ数値で、特に最大加速度は東日本大震災(2933gal)に匹敵する2828gal。さらに、東日本大震災と同様に津波もあった。政府は想定される被害の大きさに遅くとも地震当日の夜には気付けたはずだが、災害対応は極めて遅かった。

こうした批判に対して、「被害が甚大な能登半島北部への交通ルートが限定されていた」という地理的条件を理由に初動遅れを擁護する声がある。そこで本記事では能登半島地震、発災直後の「官邸の動き」に焦点を当て、初動の遅れについて検証する。

まず、地震発生1〜2日目に、初手誤りといえる動きを複数確認できる。
1月1日17時30分(地震発生の1時間20分後)に「特定」災害対策本部を設置。一見すると素早い設置に見えるが、この対策本部の種類に大きな問題がある。

対策本部設置の問題点とは

特定災害対策本部というのは、位置付けとしては非常災害対策本部よりも軽い災害時に設置するもので、総理は基本的に参加すらしない。つまり、この時点で政府は能登半島地震の被害を軽く見ていたことの証左といえる。(*過去の非常災害対策本部および特定災害対策本部等の設置状況は内閣府 防災情報参照)

現に、当日20時0分~20時33分に防災担当大臣(自民党・松村祥史 参議院議員)を本部長とする第1回会議を開催したものの、岸田文雄総理は不参加。そして、この特定災害対策本部の開催はわずか1回でその役割を終えた。22時40分(地震発生6時間30分後)、より重大な災害向けの「非常」災害対策本部の設置をようやく決定したからだ。

これがまず、岸田政権の初手誤りを象徴する出来事といえる。

一方、直近20年で特に被害が大きかった2つの大地震では、いずれも迅速に非常災害対策本部以上の位置付けの本部が設置されていた。

・東日本大震災(2011年):地震発生28分後に緊急災害対策本部を設置
・熊本地震(2016年):地震発生44分後に非常災害対策本部を設置
(*緊急災害対策本部は非常災害対策本部よりさらに重い災害時に設置する位置付け。設置されたのは東日本大震災の1回のみ)

しかも、能登半島地震では非常災害対策本部の第1回会議が開催されたのは一夜明けて翌2日の9時23分から。設置決定から実に10時間43分の空白が生まれており、岸田政権のスピード感のなさを象徴している。こうした1~2日目の初動がいかに遅かったかは、同じ自民党である第2次安倍政権時代の熊本地震と比べても明らかだ。

同地震は2016年4月14日21時26分(本震は約28時間後)に発生すると、当日22時10分(地震発生の44分後)に非常災害対策本部を設置。そのまま間髪を入れず23時21分(本部設置の1時間11分後)に第1回会議を開催。安倍晋三総理(当時)が本部長のため、当然ながら安倍総理も自ら参加。設置決定は同じ22時台なのに、翌朝に第1回会議を開催した能登半島地震とは大違いだ。

安倍政権、民主党政権との初動比較

その後、「72時間の壁」までの同本部の実施間隔も実に対照的だ。能登半島地震では第1回から継続して1日1回ペース。毎日午前10時前後に実施し、わずか20分程度で終了。一方、熊本地震では1日複数回の開催や、30分以上の開催も珍しくなかった。

また、熊本の本震発生時(4月16日1時25分)は土曜深夜だったにもかかわらず、午前5時10分(本震発生の3時間45分後)に第4回会議を実施。このように姿勢の違いが顕著なため、地震発生72時間後までの開催回数には2倍超(熊本地震:8回、能登半島地震:3回)の差がついた。

*地震発生後の時系列を比較したタイムテーブルの詳細は、筆者のtheLetter「能登半島地震の初動遅れ。安倍政権よりも棄民政策が加速する岸田政権」(2024年1月8日)参照

さらに、能登半島地震では「72時間の壁」を過ぎた後、岸田総理は地震と無関係なイベントに立て続けに参加し始める。筆者も参加した1月4日の年頭記者会見を「地震関連の公務」を理由にわずか43分間で打ち切った後、20時0分~20時48分(首相会見より長い48分間)までBSフジテレビの報道番組に出演。翌5日には都内ホテルで3件(経済3団体、連合、時事通信)の新年会に出席。

1月5日、記者会見する岸田首相、同日3件の新年会に出席したとされている

岸田総理の振る舞いは、もはや被災地に関心がないようにさえ見える。ちなみに熊本地震の際に安倍総理は地震発生後5日間の期間でここまで地震と無関係なイベントには参加していない。つまり、同じ自民党政権ではあっても、現在の岸田政権による劣化や棄民政策は8年前より確実に悪化しているといえる。

ちなみに、一連の比較で熊本地震における安倍政権の対応は実にまともに見えたわけだが、その安倍政権も2年後(2018年7月)の西日本豪雨でいわゆる「空白の66時間」と呼ばれた初動の遅れを見せ、被害を拡大させている。安倍政権も決して災害対応に優れていたわけではなく、今回の能登半島地震に対する岸田政権の対応があまりに酷いから、振り返れば相対的にまともに見えているに過ぎない。

岸田総理は、安倍総理が「勤勉で真面目」に見えるほど「怠惰で不真面目」であることが浮き彫りになった。さらに言えば、「#枝野寝ろ」というハッシュタグができるほど不眠不休で東日本大震災(2011年)の対応をした民主党政権とは次元が違い過ぎて、もはや横並びの時系列比較すら不可能な状況にある。

文/犬飼淳

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください