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〈南部虎弾さん追悼〉元後輩芸人が語るダチョウ倶楽部を脱退した本当の理由。アメリカ進出を後押ししたデーブ・スペクターは「海外で活躍する芸人の先駆者」「日本人のイメージを壊した」

集英社オンライン / 2024年1月22日 19時16分

1月20日、過激なパフォーマンスで人気を博したお笑いグループ「電撃ネットワーク」のリーダー南部虎弾(なんぶ・とらた)さんが脳卒中で亡くなった。72歳だった。南部さんは、かわいがっていた後輩芸人のエスパー伊藤さんが1月16日に亡くなったのを受け、所属事務所社長に「お別れ会をやろう」などと相談していた矢先の出来事だった。あまりに突然の訃報に、南部さんの知人らは驚きを隠せない。

「言葉のいらないリアクション芸を大事にしていた」

南部さんがよく顔を出していたという六本木のバーの店長は言う。

「1月8日に空手家の村上竜司さんの還暦パーティーでお見かけして、ご挨拶したばかりでした。そのときもいつものようにド派手な衣装でお元気にされていたのに……びっくりです。昨年8月6日に開催された『南部虎弾生誕祭』でも自らいろいろなゲストを招いたり、集客したりしてイベントを盛り上げていました」


イベントを盛り上げるため、南部さん自ら仲間とのLINEグループで告知し、人集めを行っていた(知人提供)

南部さんや、所属する電撃ネットワークの体を張った芸は芸人たちからも尊敬されており、ダチョウ倶楽部の元相方だった肥後克宏、寺門ジモンを始め、東国原英夫、田代まさし、鉄拳らが次々と追悼コメントを寄せた。

南部さんや電撃ネットワークのメンバーと親しかったという、元芸人で現在は千葉県の千眼寺で僧侶をするパンチユーホーさんは言う。

「僕もエスパー伊東や鳥肌実と同じような珍種でめちゃくちゃやる芸風だったから、周囲から敬遠され、見て見ぬふりをされるような扱いでした。それでも南部さんは『パンチぃ、元気してるかよ』『食えてるのかよ』と、いつも気さくに話しかけてくれた。

あと、僕が酔っぱらって舞台に出たとき、上岡龍太郎さんやルー大柴さんからは『しっかりやれ』と叱られましたが、南部さんは笑いながら見守ってくれていたのが印象的です」

パンチユーホーさん(写真右)と電撃ネットワークのギュウゾウ氏(左・写真はパンチさん提供)

パンチさんは、“芸人・南部虎弾”をこう分析する。

「言葉のいらないリアクション芸を大事にしていた南部さんは、衝動のままに行動しちゃう自由人でした。ダチョウ倶楽部を脱退したのも、制作サイドから『これはダメ、あれもダメ』と言われるのがイヤで自由にやりたかったからなんだろうなと思って見てました」

パンチさんは今朝もお経をあげたという。「南部さんのご冥福と、南部さん亡き電撃ネットワークの活躍を祈っています」

「海外で活躍する芸人の先駆者」

南部さんとはダチョウ倶楽部時代からの付き合いだという、タレントで放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏もその死を悔やむひとり。電撃ネットワークは「TOKYO SHOCK BOYS(トーキョー・ショック・ボーイズ)」という名前で海外でも活動していたが、実はそのデビューの恩人ともいえるのがデーブ氏なのだ。

「初めて会ったのは86年の『新春かくし芸大会』だったと思う。当時、南部さんはダチョウ倶楽部のメンバーで一緒にチャンバラ芸をやりました。その後、『夕やけニャンニャン』などでもご一緒しましたよ」

デーブ・スペクター氏(本人提供)

その後、90年に電撃ネットワークを結成。過激なパフォーマンスを展開する同グループを見て、「これはアメリカで絶対ウケる」とデーブ氏は確信を持ち、アメリカに売り込んだという。

「1991年かな。ちょうどFOX TVで『Best of the Worst』というとんでもないコメディ番組が始まるということで、南部さんに話したらすぐにノってくれて。FOX側もそれまでの日本人の真面目さや寡黙さというイメージからかけ離れたパフォーマンスをする彼らに度肝を抜かれてました。これはビデオを送って放送するよりも生で見せたほうがいいだろうということで、グループみんなで渡米したんです」

最近ではゆりやんレトリィバァや、とにかく明るい安村がアメリカやイギリスのオーディション番組で活躍したことが話題となったが、「電撃ネットワークこそ、その先駆者だよね」とデーブ氏は語る。

デーブさんはXで「どうか天国にコンプライアンスがないからぶっ飛んだ芸を続けてください」(原文ママ)と追悼した。

エスパー伊藤さんとのツーショット(本人Facebookより)

「最近はコンプラの影響で、過激な芸をする人がテレビに出られなくなっている。電撃ネットワークは学園祭のスターだったけど、それにも呼ばれなくなっていたしね。残すは、えがちゃん(江頭2:50)だけだけど、彼もYouTubeに行ってしまって。テレビがどんどんつまらなくなって悲しいかぎりだよね。

まぁ電撃ネットワークがアメリカデビューした当時も、睾丸で重いものを持ち上げる芸は過激すぎだって公開不可になったみたいだけど(笑)」(デーブ氏)

令和時代に数少ない本物の芸人がまたひとり逝ってしまった。慎んで冥福を祈りたい。

取材・文/河合桃子
集英社オンライン編集部ニュース班

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