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「港区女子」による高級すし店ディスが大波紋! そもそも「港区女子」はなぜこんなに“嫌われる”のか…由来を調べてわかった衝撃の事実とは

集英社オンライン / 2024年1月27日 18時1分

南麻布の高級すし店と港区女子の間でトラブルが起こり、その様子をXに投稿したところ、議論が紛糾し、「港区女子」という概念そのものまで炎上している。そもそもなぜ「港区女子」はここまで嫌われているのか? その由来と語源を調べて見えてきたのは…。

「港区女子はなぜ、こんなにも嫌われるのか」

これが、この記事で解決する疑問である。

「港区女子」という言葉が再び話題を集めている。南麻布の高級すし店と港区女子の間で起こったトラブルがXに投稿され、結果的に港区女子が炎上した。この件であらためて思ったことがある。

高級すし店のイメージ 写真/Shutterstock.

「港区女子、嫌われすぎじゃない?」

もちろん、港区女子がインスタの投稿のために食べ物を丁寧に扱っていないとか、いわゆる「パパ活女子」「ギャラ飲み女子」などとの境目がわからなくなってきている、などの事情はある。今回の件でも、批判される根拠は確かにある。



しかし、それにしてもこの叩き方は過剰な気がする。最近「港区女子」という言葉は、ほとんどが否定的な文脈で使われている。例えば、「マイナビニュース」が出している記事のタイトルは『港区女子とは? 服装や性格の特徴、職業、恋愛観に末路、あるあるなどを紹介』である。ここに“末路”が入っている段階で、その使われ方がわかる。

あまりにもみんな「港区女子」という存在を嫌っている。いったい、これはなぜなのか?

ヒントは「港区」という言葉にあるのではないか。

港区女子の「いけすかなさ」

そもそも、「港区女子」という語は、シティ・マガジン「東京カレンダー」での連載『港区女子の原点』が始まったことに由来する。現在の定義では、「港区界隈(六本木、麻布など)をオフタイムの活動拠点とし、ハイスペック男性たちを結婚相手として狙う20代の女性たちのこと」らしい。

ここまで彼女たちが嫌われるようになった背景には、2020年ごろに港区女子のイメージが「婚活女子」的なものから「フリーランス水商売」へと変わってきたことがあるという(『「港区女子」小史』)。こうした意味での「港区女子」への批判的な目線は、雑誌でいえば2019年ごろから起こっている。「週刊大衆」や「SPA!」などの雑誌で、港区女子の生態が赤裸々に書き始められているのだ(大宅壮一文庫のデータベースによる)。

こうした文脈を支えるのは、若さや体だけで金銭を稼ぐことに対するやっかみだ。ある特定の層の人々が持つミソジニー(女性嫌い)的な感情との親和性も高かった。いずれにしても一般の人々が彼女たちに抱く「いけすかなさ」がそこにはある。

いけすかない女子はみんな「港区女子」

ただ、港区女子という言葉は、港区を離れて、もはや「いけすかない女性」を表すイメージとして流布しているという指摘もある。最近では、多くの人が、港区女子が実際の港区と関係がないと書いている。

前述した「港区女子小史」では、港区女子の前身として「キラキラ女子」が、ライターの小山(狂)の記事では、「セミプロ女子大生」という女性の存在が挙げられている。キラキラ女子は、インスタグラムなどを好むタイプの女性で、セミプロ女子大生はキャバクラなどで働くプロの水商売的なものを、個人で行なっていた女子大生の総称だ。どちらもある意味では「いけすかなさ」を人々に与える存在だっただろう。

それら複数のさまざまな「いけすかない」女性イメージが一つの言葉に集約されたとき、選ばれたのが「港区女子」という言葉で、「港区」だったのではないか。そこでは、港区との結び付きはもはや失われていて、ただただ「いけすかなさ」を表す言葉として、港区女子が使われる。

でも、なんで「港区」だったのだろう。

1980年代から揶揄されてきた「港区」

これを探るには、港区のイメージの変遷を追う必要がある。

端的に言って「港区」のイメージ自体が、「いけすかなさ」という言葉と共にあったのだ。

港区には昔からテレビ局などマスコミ系の会社が多く存在し、その周辺に「業界人」が多く集まっていた。中でも飯倉にある伝説のイタリアンレストラン「キャンティ」は文化人たちの交流の場になっていて、ユーミンこと松任谷由実などもここでの出会いを起点に活動を始めている。六本木に夜な夜な集まっていた人々は、「六本木族」と呼ばれて東京のセレブリティの代表的存在だった。

「キャンティ」での豪華絢爛な人間模様は、詳しくは野地秩嘉『キャンティ物語』(幻冬舎文庫、1997年)を参照

ただ、こうした港区のきらびやかな姿は、80年代から同時に揶揄の対象でもあった。1983年に出版された『見栄講座―ミーハーのための戦略と展開』という本では、港区なるものに対するイメージを垣間見ることができる(この辺りはWikipedia「港区民」という項目に詳しい)。

ホイチョイ プロダクション『見栄講座―ミーハーのための戦略と展開』(1983年、小学館)

その本いわく、港区では外国人が一番偉くて、その次に港区民の日本人が位置する。最も下のヒエラルキーは港区民以外の日本人で、「外国人」を頂点とするヒエラルキーが形成されているというのだ。典型的な港区民はサングラスをつけた音楽プロデューサーや放送ディレクター。ある種の「いけすかなさ」を背景にこうした記述がなされているのだろうが、こうしたイメージは今の「港区女子」に持たれているイメージとも似たものを感じる。

「東京の中のアメリカ」としての港区

問題は、なぜ港区に集う人々が揶揄の対象になってきたのか、ということだ。

ヒントは、「港区」で一番偉い存在は「外国人」である、と『見栄講座』で述べられていたことにある。

「港区」はそもそも、戦後、アメリカ軍の基地が多く集まる「基地の街」だった。特に六本木は「東京租界」と呼ばれるほど、東京にあって東京ではないような雰囲気を持っていた街で、1950年代には米兵向けのバーやクラブなどが多くあった。そのため、米軍の施設が日本に返還されたあとも、そこには多くの外国人が集うことになる。

社会学者の吉見俊哉によれば、こうした六本木をはじめとする港区の「アメリカ感」「異国感」は、米軍撤退後、そこにテレビ局などのマスコミが開業して、芸能人などが集うことによってさらに強固なイメージとして作られていったそうだ(吉見俊哉「迷路と鳥瞰」『東京スタディーズ』)。

アメリカ軍のイメージ 写真/Shutterstock.

当時の日本人にとって、六本木をはじめとする港区は“日本の中のアメリカ”で、どこかこの世のものではない、オシャレで、ふわついた空間がひろがっていた。

その空間に日本人はどんなイメージを持つか。

港区は、日本人のコンプレックスが集まる場所

よく言われるが、日本人は、外国人、とくに欧米系の人々に対してコンプレックスを持っているといわれる。いまだに私たちが欧米由来の商品に弱いのが、その証拠かもしれない。

そう考えると、港区はまさに、そのコンプレックスの中心地ともいえるんじゃないか。アメリカみたいなものに対する憧れと、でも、そうはなれないことに対する焦り。そうはなれないからこそ、港区を否定しようとして、そこを「いけすかない」と揶揄する。

港区のイメージ 写真/Shutterstock.

そういえば、2000年代、ベンチャー企業が六本木ヒルズに入居しまくる、みたいなムーブメントがあって、「ヒルズ族」なる言葉が生まれたりもしたが、もしかするとそれもまた、こうした屈折した感情の裏返しなのかもしれない。ベンチャー企業で「成り上がる」ことによって、港区という土地を屈服させてコンプレックスを解消させる……。そんな感情の動きが、そこにあったような気がしてならない。

港区とは、日本がアメリカをはじめとする外国に対して抱いてきた、どこか屈折した感情と共にある街だったのではないか。私たちが「港区女子」に向ける眼差しも、もしかしたらそんな複雑な感情を反映しているのかもしれない。

アメリカに「すし屋」が蹂躙されているぞ!

で、こうして考えていくと、今回の事件がなぜここまで強い拒否反応を起こしたのかわかってくる。

「港区女子」というものをきっかけにして、なんというか、日本人がずっと持ってきたコンプレックスが爆発したのが、今回の騒動の全容なんじゃないか。しかも、今回の舞台は「すし屋」、まさに「日本」を体現するような場所である。そこを、アメリカ的なるものを背負う「港区」が蹂躙している! そんな危機感がそこにある。そう、これは一種の擬似的な“戦争”なのだ。それがヒステリーともいえる否定的意見を巻き起こす。

こうやって思うと、多分今回の騒動は「すし屋」という舞台で「港区女子」が起こしたからこそ、ここまで否定的な反応があったんじゃないかと思う。

なにかとバカにされがちな「港区女子」という言葉だが、そこには日本人のメンタリティーがうっすらと映し出されている……のかもしれない。

文/谷頭和希

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