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誰だって心配事があるときには眠れないもの。スーパーマンではない自分を受け入れることで手に入れられるもの

集英社オンライン / 2024年2月2日 17時1分

誰しも不安で眠れない夜はあるだろう。だがいざその瞬間が訪れると簡単に片付けられる問題ではないし、夜はいつもよりもとても長く感じられるものだ。だが熟睡できる「はず」だと思っている自分は、自分のことを冷静に見つめられていない自分であるという。心理学者の加藤諦三氏の新著『「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き』より現実に適切に対処する思考法を一部抜粋してお届けする。

#2

自分は特別でなければ
ならないという苦しみ

犬を飼っている人は「犬に癒される」と言う。しかし誰でもその犬に癒されるわけではない。

同じ犬でも、その犬に癒される人と、癒されない人がいる。問題は犬ではなく、犬に癒される心を持っているかどうかである。



人は癒される心を持ったら幸せになれる。「この犬がいればいいや、友達はいらない」と思う。

そうなれば友達から仲間外れにされても良い。仲間外れにされることが怖くなくなる。

そこまでその犬が大切になるということである。そこまでその犬に癒されるようになるということである。

そしてそれが犬を愛するということである。

「この畑でやっていればいいや」と思えば、その畑で幸せになれる。そこで独自の幸せが築ける。そのような人間になる。

そこに心地よさがある。そういうのを「幸せ」と言う。癒されるためには、自分自身が癒されるような人間になっているかどうかということが問題である。

癒されるような人間になっているためには、満足していなければならない。財産を持っても幸せにはなれない。

花がいっぱいあっても幸せにはなれない。毎日のささやかな喜びの中に幸せはある。

戦うのではなく、来たものに対処をする。

「頭の中に旋律が渦巻いています……体はくたくたです。薬を飲んで、5時に起きました」
5時に起きたときに、「あー、7時まで眠れていたらどんなに体が楽だろう」と思うだろう。

そして5時で目が覚めたことを悔いる。そして悔いれば悔いるほど、自分の体の不調を嘆く。

自分の体の不調に注意し、それが自分の何と結びついているのかを考えない。つまりACE性格ではない。

ACE性格とは免疫力のある性格である。また嘆いている人は、目の前に素晴らしい景色があっても、その景色には意識がいかない。

「今日もこの景色を見られてよかった、幸せだなー」とは思えない。そしてその素晴らしい景色を前にして「あー、7時まで眠れていたら、もっと快調なのに、こんなに不快な気分にならなくても良いのに、なんで自分は眠れないのだ」と嘆き続ける。

このように嘆き続けるのは、すでに説明したように心の中に「隠された憎しみ」があるからである。

このような大袈裟な嘆きは、憎しみの間接的表現である。憎しみを直接表現できるコミュニケーション能力がないので、惨めさを誇示することで間接的に表現する。

だから嘆いているだけで彼には解決の意志はない。解決しようとしていれば、嘆き続けることはない。

「対処能力がある」ということ

「消化不良と不眠、それにときどき発作的に自分自身や他人が――主に自分ですが――たまらなく嫌になります。もの凄い悪夢のようです。……消化不良のせいで途方に暮れ、閉じ込められ、本当にうんざりです」

寝られなくて頭がぼーっとしていても仕方ない。長い人生にはそういうときもある。

いつも完全に熟睡できるわけではない。

また皆が熟睡できているわけではない。他の人と違って自分一人がいつも熟睡できることを求めているということ自体がおかしい。

誰だって心配事があるときには眠れない。皆と違って自分だけはいつも熟睡できなければならないと要求するのは無理である。

自分は特別でなければならないというのはノイローゼの傾向である。熟睡できなければ熟睡できないで仕方ない。寝ぼけた体でできる仕事が自分のできる仕事である。

その心構えが現実への対処である。

自分はそれ以上できる「はず」だと思うことがおかしい。それ以上できない自分に不満になることがおかしい。

熟睡できる「はず」だというのは現実無視である。「実際の自分」を受け入れていない。だから現実に対処できない。

「実際の自分」は心配事があれば眠れない。どこでもいつでも熟睡できるような肝っ玉の大きい大物ではない。

熟睡できないから体が不調でも、その不調な体でできることが「実際の自分」ができることなのである。

それが対処である。それが「対処能力がある」ということである。

もし熟睡できていれば、こんなに頭がぼーっとしていなくて、もっと能率よく仕事ができるに違いない。そう思うのは「たら、れば」である。

自分はスーパーマンではないと
受け入れる

「ああ、ああ!私を綿にくるみ、今すぐ引き出しの中へしまって鍵をかけてくれ。我慢の限界です」

我慢の限界と思うのは、自分の要求がとびきり凄いからである。要求がとびきり凄いのはそれだけ心の傷が凄いということである。

「これだけできなければいけない」と思いながら、その10分の1しか仕事ができない。

その焦りは大変なものである。その仕事ができるかできないかに自分の価値がかかっていると思えば、焦りも凄くなる。

焦りながらも、いっこうに仕事がはかどらない。その苦しさは凄まじい。そこで「我慢の限界だ」となるのだろうが、もともと原点の要求が大きすぎる。

現実無視の過大な要求である。非現実的なことを要求することをやめれば、我慢することは何もない。

自分は万能ではない。スーパーマンではない。それさえ受け入れられれば我慢することはない。

そこまで要求するのは、自己不在だからである。

非現実的なほど高い期待を自分に課すのは、それによって自分の存在を感じられるからである。そこまで人に認めてもらいたいからである。

普通に生きているのでは、自分という存在を感じることができない。普通の人では自分という存在が感じられない。

そこまで彼の内面が脆弱になっているのである。前出のジョージ・L・ウォルトンは次のように書いている。

「……彼がときどき肝臓を患ったのであれば、たいていの人が、出世するたびに肝臓を患うことになる。実際には、彼は普通の人よりもはるかに頑丈だった。……カーライルには名声もあり、尊敬もされ、友人もたくさんいた。輝かしい成功への扉は彼の前で開かれ、偉大な知性と、後悔しなければならないようなことは決してしない良心を持っていた。それなのに、なぜ彼は耐えられず、また忘れることもできなかったのか?ほんとうになぜなのだろう?

答えは一つしかない。カーライルはカーライルだったのだ」

幸せになれないときに、焦っているときに、イライラしているときに、悔しいときに、「カーライルはカーライルだったのだ」という言い方を借りて、「自分は自分だったのだ」と言ってみることである。

自分の心が変わる以外に幸せになる方法はないことがわかる。自分が今の自分である限り仕事の能率がもっと上がらなければ焦る。

不幸を受け入れなければ人は悩む。

完全なる状態を要求するが故に彼は不幸なのである。しかし完全な状態を目指して努力する人でも幸せな人はいる。

どこに違いがあるか。

それは幸せな努力をする人には、心の中に隠された敵意がないということである。したがって不安と焦りがない。

憎しみから自分に完全であることを要求する人は、不安と焦りに苦しめられている。

カーライルは自分が健康に対して抱く誇張された理想を実現できずにくよくよ悩み、その悩みに押しつぶされた。

カーライルも欲張りだった。健康に対して抱く極端な理想を実現しようとしたために悩んだのである。

「彼は普通の人よりもはるかに頑丈だった」と先に述べた本には書いてある。

人間は欲張りというだけでこれほど苦しむ。自分が苦しんでいるときに、外側に原因を求めると、いつになっても苦しみは消えない。苦しむのは自分の心に何か葛藤があるからである。

その葛藤を解き明かす努力をすることが何よりも大切である。外側はどれほど完璧でも、それだけで人は苦しみから逃れられない。

実際には、彼は普通の人よりもはるかに頑丈だった。それにもかかわらず彼はこれほど苦しんだ。

エピクロスの「すべての悩みがなくなるような力を求めてはいけません」という言葉と、シーベリーの「不幸を受け入れる」という言葉をカーライルが実行できたら、彼はこれほどまでに苦しまなかったろう。

ありのままの自分を受け入れられていない。理想の自我像としての自分と、「現実の自分」との乖離。自分への失望。これが些細なことを、もの凄い苦悩にする。些細な病気を大袈裟に苦しむ人は「不幸を受け入れる」ことができない人である。


写真/shutterstock

「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き (幻冬舎新書)

加藤諦三

2023年11月29日

1034円

224ページ

ISBN:

978-4344987128

「老いても幼稚な人」「晩節を汚す人」にはなりたくない!「我が人生に悔いなし」と言える人と言えない人、どこが違うのか?

――老いと成熟の心理学

自分の人生はもっと幸せなはずだったのに、と嘆く老人は多い。最後に「我が人生に悔いなし」と言えるかどうかは、どれだけの社会的成功を手にしたかで決まるのではない。

勝ち組人生を送ってきた人でも、いつまでも自分が「すごい人間だ」と思い込んでいたら「裸の王様」になって孤立し、不満と後悔のうちに死んでいくことになる。

人生を最後まで生き抜くのは大変な難事である。普通の暮らしに感謝する。他者との比較をやめ、執着しない――。人生の見方を変え、老いを輝かせて幸福を引き寄せる、高齢者とその家族必読の書。


「老いを認められる人」は若い!

●恨みで一生を終えるのですか
●失敗は人生を意味あるものにする
●老化に失敗すると孤独になる
●老いてなお生きるのは恥ずかしいのか?
●高齢者は本来幸せで、健康で、活動的である
●「英雄末路哀れなり」の意味
●なんであんなことで、あんなに怒るのか?
●過去の成功に頼る人は行き詰まる
●完璧な健康を求めてはいけない
●幸せな人は不幸を受け入れている ……ほか

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