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ロックスター3人が乗った飛行機が墜落し死亡…「音楽が死んだ日」と呼ばれた2月3日の13年後に起きた奇跡の物語

集英社オンライン / 2024年2月3日 11時1分

1950年代後半から60年代にかけて、アメリカン・ロックのスターたちがスキャンダルや懲役などで表舞台から姿を消していた時代に、若きロックスター3人が死亡する悲劇の事故が起こった。ロックンロール時代の終わりを告げたとまで言われる象徴的な出来事を紹介する。

ロックンロール・スターの飛行機墜落死

数年前に生まれたばかりのロックンロールが全米中のティーンエイジャーを夢中にさせていた1959年ごろ。そんな2月3日未明のこと。

悪天候の中を強引に飛び立った小型飛行機が離陸して間もなく、吹雪のために方向を失ってアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落した。翌朝になって発見されると、パイロット1名と乗客3名全員がすでに死亡していた。



命を落としたのは、エルヴィス・プレスリーに次ぐロックンロール・スターだったバディ・ホリー、メキシコの民謡をロックンロール調にアレンジした『ラ・バンバ』のヒットで知られるリッチー・ヴァレンス、そして「ビッグ・ボッパー」の名で知られたJ.P.リチャードソンの3人である。

この痛ましい犠牲者たちはバディが22歳、ビッグ・ボッパーが28歳、リッチーにいたっては17歳という若さだった。

バディ・ホリーは、ビートルズやローリング・ストーンズに影響を与えた人物としても、今ではロック史で最も影響力のあったアーティストの一人として記憶されている。

ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』の中で、「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わった」というセリフがある。アメリカではそう思った名もなき若者たちが無数にいたのだ。

2015年7月22日発売『バディ・ホリー・ストーリー』(UNIVERSAL)のジャケ写。
タイトルに「ロック」が入ったロックン・ロール最初にして最大のヒット曲『ロック・アラウンド・ザ・クロック』が全米1位に輝いてから60年。それを記念しロックン・ロール創生期のアルバムを一挙再発+CD化したもの

3人の死から13年後の奇跡

1959年当時、アメリカの小さな町で新聞配達のアルバイトをしていた13歳の少年は、憧れのアイドルだったバディ・ホリーの死を、自分が配達する新聞で知って大きな衝撃を受けた。

それから12年の歳月が流れて、かつて新聞配達をしていた少年のドン・マクリーンはシンガー・ソングライターとなり、ロックスターの悲劇を題材にした8分30秒にも及ぶ大作『アメリカン・パイ』を発表する。

ドン・マクリーンの『アメリカン・パイ』。写真/shutterstock

ずっとずっと昔のこと
音楽が人を笑顔にしてくれるものだった頃のことを
僕は今でもよく覚えている

歌詞の中にたくさんの曲名やバンドやスターの名前が織り込まれた異例の大作は、シングル盤のレコード片面には収まらず、A面とB面に分割されて発売になった。

そこには比喩と暗喩が散りばめられて、ドンは曲中で飛行機が墜落した日のことを、「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)と繰り返し歌った。

そして僕らは暗闇で葬送の歌を歌っていた
あの音楽が死んだ日に

その「音楽が死んだ日」からちょうど13年後の2月3日。『アメリカン・パイ』は全米チャートで1位に輝いていた。出来すぎのようだが、本当の話である。

念願のマイホームを家族へプレゼントしたばかりだった…

亡くなったもう一人、リッチー・ヴァレンスについても触れておきたい。本名はリカルド・エステバン・バレンスエラ・レジェス。生まれはロサンゼルス近郊だが、メキシコ人の血が流れている。

貧しい移民コミュニティの中、女手一つで育てられた。メキシコの伝統的なマリアッチ、アメリカR&Bなど幅広い音楽を耳にしていたリッチーの夢は、ロックンロール・スターになって、農場で働く母親とまだ幼い妹たちにマイホームをプレゼントすることだった。

地元のバンドのメンバーになったリッチーは練習に励みつつ、やがて自分のバンドを結成して才能が開花。1958年に『カモン・レッツ・ゴー』でレコード・デビューを果たすと、リッチーの人生は変わり始める。続くシングル『ドナ』/『ラ・バンバ』が大ヒット。念願のマイホームも母親にプレゼントすることができた。

2013年8月7日発売の『Ritchie Valens / ラ・バンバ』(WARNER MUSIC JAPAN)のジャケット写真。17歳という早過ぎる死の直前に残された音源を集めた唯一のアルバムを国内初CD化したものだ

このあたりは伝記映画『ラ・バンバ』(1987)をぜひ観てほしい。わずか17歳で伝説となってしまったリッチー・ヴァレンスの青春と恋、家族と兄弟愛、そして音楽への情熱を描いた素晴らしい作品だ。

生前にリリースされたシングルはわずか2枚と、その生涯はあまりにも短すぎたが、こちらもカルロス・サンタナをはじめとしたラテン系ミュージシャンへの影響ははかりしれない。

文/TAP the POP

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