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「デブの田舎者」心ない誹謗中傷に囚われ続けたカレン・カーペンター…天使の歌声と命を奪った“心の闇”

集英社オンライン / 2024年2月4日 11時1分

『イエスタデイ・ワンス・モア』『トップ・オブ・ザ・ワールド』など、誰しもが聞いたことのある名曲を生み出した兄妹ポップスデュオのカーペーンターズ。珠玉の歌声を持つ妹のカレン・カーペンターは今から41年前の2月4日、32歳という若さでこの世を去ったが、彼女にいったい何があったのか。(サムネイル/2009年4月22日発売『カーペンターズ 40/40 ~ベスト・セレクション [SHM-CD]』(ユニバーサル ミュージック合同会社))

「野暮ったい」という理由から、レコード会社に相手にされなかった

のちに「カーペンターズ」を結成することになる兄リチャード・カーペンターと妹カレン・カーペンター。二人が最初に注目を集めたのは、1966年のことだった。



学校に通いながらリチャード・カーペンター・トリオとして活動。この年にハリウッド・ボウルで開催されたアマチュア・コンテストに出場すると、巧みな演奏技術とアレンジの素晴らしさから、圧倒的な評価を集めて優勝したのだ。

同年、大学の友人らを加えて6人組のバンド、スペクトラムを結成。

自分たちの音楽に自信を持っていたリチャードとカレンは、レコード会社と契約してデビューすることはもちろん、ラジオから流れてくるようなヒット曲を作り、プロのミュージシャンとして成功を収めることを信じて疑わなかった。

『Carpenters - Rainy Days And Mondays』。Carpentersより

しかし、ここから彼らは不遇の時代を送ることになる。いくつものレコード会社にデモテープを送るも、どこからも相手にされなかったのである。

当時のアメリカではロックやフォークが若い世代の人気を集めており、ポップスの売上は低下しつつあった。さらに二人の住んでいたカリフォルニアではヒッピーによるムーブメントが起こっていて、サイケデリックな音楽が最新のカルチャーとして発信されていた。

そうした時代の変化の中で、スペクトラムの音楽は評価されながらも、野暮ったくて今の時代には売れないと判断されてしまったのである。

念願叶って「カーペンターズ」が誕生

ラジオから自分たちよりも演奏の未熟なバンドの音楽が聴こえてくるたびに、どうして自分たちの音楽は認められないのかと、リチャードとカレンは不満を募らせた。

それでも彼らは今の自分たちの音楽のままで成功するはずだと信じ、ライブハウスを回るなど熱心に活動する。しかし、状況が進展することのないまま1年以上が過ぎ、スペクトラムはとうとう解散してしまう。

そんな1968年の初夏。残されたリチャードとカレンのもとに、ある情報が入ってきた。

新しく始まったテレビ番組『ユア・オール・アメリカン・カレッジ・ショー』が、あちこちの大学キャンパスでオーディションを開催しているというのだ。

2000年9月27日発売の『ヴォイス・オブ・ザ・ハート』(ユニバーサル ミュージック合同会社、オリジナルは1983年1月1日発売)のジャケ写。カレンが亡くなった後、1983年に兄のリチャードが残されたカレンのヴォーカルをもとにアルバムとして完成させたもの

全国ネットのオーディション番組への挑戦は、自分たちの音楽が普遍的な魅力を持ち、商業的にも価値のあるものだということを証明し、そして多くの人たちに知ってもらう、またとない機会だった。

6月22日、二人は初めてのテレビ出演を果たした。演奏レベルの高さもさることながら、巧みにドラムを叩きながら歌うカレンの姿には、レコードでは伝えられない新鮮さがあった。二人は見事にオーディションを勝ち抜き、その後も何度か番組に出演した。

そして翌1969年。A&Mレコードと契約を交わし、「カーペンターズ」が誕生したのだった。

輝かしい活躍の舞台裏で抱えていた心の闇

1983年2月4日、カレン・カーペンターが32歳でこの世を去った。彼女の歌声と命を奪ったのは、常に「自分は太っている」と考えてしまうことによる拒食症(神経性食欲不振症)だった。

デビュー当初、普通よりほんの少しぽっちゃりしている程度だったカレンに対して、一部の人々が「デブの田舎者」などと心ない誹謗中傷をした。

カレンはその言葉を聞き流すことができず、決して太っていたわけではないのに「もっと痩せれば愛されるようになるかもしれない」と考えるようになってしまった。

輝かしい活躍の舞台裏では、常に人に見られる立場であること、芸能界という世界で女優やモデルと頻繁に会う機会があったこと、そして音楽メディアに書かれることなどを過剰に気にするようになり、カレンはその病状を悪化させていった。

『Carpenters – Superstar』Carpentersより

1980年、30歳の時に結婚するものの、生活は惨憺たるもので翌年には別居。カレンの病はますます悪化の一途を辿り、その痩せ細った身体と疲れ切った心は、カーペンターズの活動にも暗い影を落とすようになる。

その後、治療を受けた甲斐もあり、約14kgも体重を戻したというが、急激な体重の増加は、長年の無理なダイエットですでに弱っていた心臓に大きな負担をかけていた……。

今ではカーペンターズは永遠になった。『遙かなる影』『愛のプレリュード』『雨の日と月曜は』『スーパースター』『愛にさよならを』『イエスタデイ・ワンス・モア』『トップ・オブ・ザ・ワールド』『青春の輝き』などを耳にするたび、多くの人々がカレンのことを想い出す。

ポール・マッカートニーは、カレンの歌声とカーペンターズの音楽についてこう賛美した。

「世界で最高の女声であり、旋律が美しく、豊かで、そして独特だ」

文/TAP the POP

参考文献
『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』(レイ・コールマン著/安藤由紀子・小林理子訳/ベネッセコーポレーション)

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