タカアンドトシ結成30周年、“お笑い不毛の地”だった北海道での青春と「関西弁を話す人を見るだけで鳥肌が立った」若手時代の大阪トラウマ
集英社オンライン / 2024年2月12日 11時1分
お笑いコンビ「タカアンドトシ」が今年で結成30周年を迎える。“お笑い不毛の地”と言われていた北海道で生まれたふたりは、いかにしてお茶の間を賑わせる人気者にまで上り詰めたのか? 道産子お笑いコンビに30年の歩みを聞いてみた。(前後編の前編)
「お笑いのノリがわからないから歌ネタで手拍子しちゃう」
――タカアンドトシがブレイクし、平成ノブシコブシ、とにかく明るい安村さん、EXIT・兼近大樹さん、錦鯉・長谷川雅紀さんなど、北海道出身の芸人をテレビで見る機会がどんどん増えてきました。ですが、かつての北海道は“お笑い不毛の地”と言われるほどお笑いに縁がなかった土地。30年前の道民のお笑い事情についてうかがいたいです。
タカ ポール牧さんとか極楽とんぼの加藤浩次さんとか、北海道出身の芸人がいないワケじゃなかったんですが、いわゆる「北海道芸人」っていう枠はなかったですね。
トシ また生でお笑いライブを見る習慣がなかったもんですから、先輩芸人が歌ネタを披露していると観客が手拍子しちゃうんですよ(笑)。
お客さんもみんな引っ込み思案で、席の後ろから順に座っていく。一番遅れてきた人が最前列に座るなんていう本州ではありえない現象が起こっていましたから。それぐらいお笑いのノリと見方がわからない人が多かった印象でした。
――お笑いの文化が根付いていない、そんな北海道でお笑いを目指そうとした、と。
タカ もともとドリフターズやとんねるずが好きだったんです。中学のころから同級生を誘って文化祭でコントを披露していました。
そんで中2のときにトシが転校してきて。話してみておもしろかったから、お笑いに誘ってみたら食い気味に「いいよ!」って。
トシ 僕もお笑い番組を観るのは好きだったし、ましてや中学生が言うことだから本気でプロを目指すとも思わなかったんで、軽い気持ちでOKしたんですよ。
そしたら、誘ってきた次の日には陸上部の部活が終わった僕を迎えに来たり、家まで泊まりに来たりして執拗なまでに追いかけてきて(笑)。
タカ んで、そのうち僕が所属していたサッカー部を辞めて暇になり、毎週末にはお互いの自宅でコントのまねごとをするようになりましたね。
トシ 覚えているのは、覆面被って“プロレスラーの私生活”なんてネタをやったことかなぁ。それを8mmカメラで撮影して、テレビにつなげてふたりで観ていましたね。
「一番ウケていたのに吉本のオーディションで落とされた(笑)」
――中学を卒業後、別々の高校に進学されたおふたりは、その後も継続的にお笑いの練習を続けていたんですよね?
トシ そうですね。高校に入学してしばらくしてから、タカがお笑いに本気になり始めて、「高校卒業したら上京するぞ!」って意気込んでいたんです。東京の事務所を片っ端から受けるつもりでした。とりあえず受かったところ入ろう、みたいな。でも「吉本は嫌だ」ってふたりで頷いていましたね。
――え!? 候補に入っていなかったんですか?
タカ ぼくらはコントをやりたかったんで、北海道で見ていた新喜劇のイメージの強い吉本は自然と候補から外れていたんです。
だけど1994年の高校3年生のとき、吉本興業の札幌支社ができて、オーディション番組が開催されることになって。「札幌で受かんなくちゃ東京でも勝負できない」と思っていたので、力試しで受けてみたんです。ダメだったら東京行けばいいぐらいのノリで。
トシ そして、番組放送前の事前審査でネタを見せたところ、本番の収録に参加できるようになりました。
――それがおふたりの初ライブになったワケですね。
タカ しかもトリだったんですよ。たしかに大勢のお客さんの前でネタを披露したのは初めてだったんですが、これが大ウケで。
会場の雰囲気もよかったんで「受かっただろ!」と確信したんですけど、なんと落とされちゃって(笑)。そのときの審査方法は、審査員3人がそれぞれイエローカードを持っていて、2枚以上、上がると失格というシステム。で、僕らはフルの3枚上がっちゃった。
トシ 会場のウケ度を考えても絶対に受かると思っていたからタカの顔が引きつっていて。アナウンサーの「怒っている?」という質問に「怒ってないですよ」と言いつつ半ギレだった(笑)。
――一番ウケていたのに(笑)。
タカ でも控室に戻ったときに当時の札幌支社の所長と審査員だった太平サブロー師匠が、「自分ら一番おもろかったよ」と言ってくれたんですよ。素直にうれしかった半面、「じゃあなんで落としたんだよ!」とも思ったんですけど。
サブロー師匠いわく、「タカトシは一番おもろかったから誰も(イエロー)出さないかと思ったけど、誰かひとりはイエローを出さないと場が締まらないと思って出したら、みんな出していた」とのことで、ずいぶん後になってから謝られましたけどね。
トシ 「オーディション、また来てくれな」と一声かけてくれたから、次のオーディションにも足を運んで、無事合格できたんです。たぶんサブロー師匠がいなかったら僕らは吉本にいなかったかもしれない。
タカ 逆にあそこで落とされた経験があったからこそ、今のタカアンドトシがあるとも言えるな。
「今思うと札幌時代は、先輩がみんなよくしてくれて」
――お笑いの世界の“洗礼”を受けたおふたり。けど吉本は候補から外していたはずが、けっきょく吉本所属になりましたね。
タカ 2回目のオーディションで受かったときに「卒業したらどうするんや」と所長に言われて、「じゃあやりたいです」となってそのまま所属することに。
いきなり上京して慣れない環境でバイト漬けになりながら活動するよりも、地元で活動したほうがやりやすいなって思ったんです。まあどこの事務所でも天下獲れるっていう、めちゃくちゃ強気な自信だけはありましたけどね。
トシ ただ札幌支社は設立されたばかりだったから、とにかく芸人の人手が足りなかった。
タカ あー、そうだな。入ったばかりのときは、関西から来た先輩コンビが1組、北海道勢は僕ら1期生だったんですが、たった3組しかいなかった。
トシ 何ならぼくらが道産子芸人1号なんて呼ばれ方されていたんですよ。
――いくら吉本といえど、設立したばかりの芸能事務所のような状況ですね。紆余曲折ありつつも、高校卒業後の1995年にはデビューされました。
タカ 駆け出しにもかかわらず、公演で舞台に立つ機会も少なくなかった。よく営業で本州の先輩方、師匠方がいらっしゃったんですが、1年目の僕らが前座で2組目が師匠方の出番なんてこともザラでしたからね。
普通、芸歴1、2年目のひよっこが舞台に上げさせていただくことなんてないんですが、人手が足りず、早い時期からリアルな笑いの現場を体験させてもらえるのはラッキーでした。師匠方がやられている漫才も見放題だったし。
トシ 先輩方、師匠方はみんな優しくしてくれて。もし高校卒業後に直で東京に行っていたら味わえない経験だったと思います。
「大阪でウケなさすぎて、関西弁がトラウマ」
――札幌での漫才の評判も上々で先輩芸人からの評価も高かったおふたりは、札幌支社所属の頃から東京や大阪に出張することもあったそうですね。ただお笑いが盛んじゃなかった北海道の一道民としては、お客さんの熱量に圧倒されそうですが……いかがでしょう?
タカ 東京のウケはまずまずでしたが、大阪はてんでダメでした。
実は1995年にデビューした後、大阪の難波グランド花月(NGK)に1週間毎日立たされていたんですが、全然ウケなかったんです。
トシ 関西弁をしゃべらない時点で見てくれない。東京の先輩芸人が漫才を披露しても笑ってくれず、「よそ者が来た!」というか、お客さんのお笑いに対するプライドがものすごく高いと感じましたね。
――お笑いの本場といえば大阪ですし、お客さんの圧も強そうです……!
タカ だから大阪はそれ以来トラウマになっちゃいました(笑)。もう関西弁を話す人を見るだけで鳥肌が立つようになって。大阪の笑いは侮れないな、怖いなと。
トシ 大阪に対する苦手意識がなくなってきたのは、最近になってからですよ。30年かけて大阪のお客さんも笑ってくれるようになったので、「ようやくか…!」としみじみとしています。
取材・文/中田 涼/A4studio 撮影/下城英悟
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