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小学4年生の藤井聡太がおもしろかった本ベスト3とは…岡崎将棋まつりプロになる前の伝説の藤井―佐々木戦

集英社オンライン / 2024年2月10日 11時1分

八冠の偉業を成し遂げた藤井聡太。彼がプロになる前から交流がある観戦記者の鈴木宏彦氏が、幼い頃からの藤井の成長を記録した著書『【増補改訂版】藤井聡太の軌跡 愛知の少年はいかにして八冠になったか』。デビュー後奇跡の29連勝で時の人となった藤井を止めた佐々木勇気氏とは、藤井がプロになる前の2016年に岡崎将棋まつりで対局しており、その一局は伝説として語り継がれている。小学生時代に藤井がおもしろかった本ベスト3として挙げた本とともに紹介する。

少年時代の思い出

筆者が藤井二冠の姿を初めて見たのは、彼が小学校2年生の時。私が設営の手伝いをしている「岡崎将棋まつり」の小学生大会低学年の部で、瀬戸市から参加した聡太少年が優勝した時だ。優勝者は舞台に上がって谷川浩司九段から賞状をもらったのだが、その時の天真爛漫な笑顔が印象に残っている。



岡崎将棋まつりでの優勝は2010年4月29日のことだが、実はそのひと月ほど前の3月に藤井はあるセンセーションを巻き起こしていた。名古屋市で行われた第7回詰将棋解答選手権の一般戦。アマ四、五段の大人でも頭を抱える詰将棋の大会だが、そこに参加した7歳のちびっこが大人に交じって2位になるという快挙を成し遂げたのだ。藤井が将棋関係者を最初に驚かせたのがこの時である。

以来、藤井の成長と詰将棋解答選手権での活躍は切っても切り離せない。活躍ぶりはあとで詳しく述べるが、きっかけになったのがこの2010年という年だ。

もっとも、当時私は藤井の天才ぶりをまだよく知らなかった。詰将棋解答選手権の活躍は耳に入ってはいたが、その後の成長までは予想できなかった。今思えば、もっと写真を撮っておけばよかった。話を聞けばよかった。谷川九段とのツーショットも撮るべきであった。後悔先に立たず。見る目のなさを恥じるしかない。

藤井が東海研修会を卒業して小学校4年生で関西奨励会に入った頃から本格的に様々なうわさが流れてくるようになった。当時、東海研修会の幹事をしていた棋道指導員の竹内努氏からは、「名古屋では、次の名人は藤井君だと言われています」という話も聞いた。

藤井が奨励会に入ったのは、2012年8月、10歳になったばかりの時だ。その頃の名人戦の状況を思い出してみよう。

2002年に森内俊之名人が誕生してから、名人戦は羽生善治九段と森内俊之九段の2強時代が長く続いた。2002年から2015年までの名人戦の勝者を順番に並べると、森内、羽生、森内、森内、森内、森内、羽生、羽生、羽生、森内、森内、森内、羽生、羽生となる。

その間、渡辺明名人の竜王9連覇もあったが、こと名人戦に関しては羽生と森内が順番に名人を取る時代が14年間続いた。そんな時に、まだ10歳の少年が「次の名人」と言われたのだ。いくら名古屋ローカルの話とはいえ、奨励会に入ったばかりの子どもが、こんなことを言われるのは普通じゃない。

小学4年生のときの文集。将来の夢は「名人をこす」

慧眼

2014年、名人戦の勝者は羽生。羽生はライバルの森内を4勝0敗で破り、史上初となる3度目の名人復位を決めた。羽生名人が誕生したのは同年の5月21日。羽生と森内は43歳になっていたが、2人の名人時代はまだまだ続くように思われていた。

その年の6月、関西奨励会の第2例会で、ある記録が誕生した。11歳11か月の藤井が奨励会の初段昇段を決めたのだ。これは、今の奨励会規定ができてからの最年少初段昇段記録である。その直後の7月に私は中原誠十六世名人と将棋ライターとしても知られた故・河口俊彦七段との名人戦をテーマにした対談の司会をした。その一部を紹介しよう。

写真はイメージです

鈴木 たとえば、名人は次の名人を予言するということはあるのでしょうか。木村義雄名人は大山名人を後継者と認めて引退しました。中原先生が奨励会の三段時代、山田道美九段が、「マコちゃんを大山さんにぶつけてみたい」と言ったという話があります。

また、中原先生が王位戦の記録係を務めた谷川浩司三段を見ながら、「今のうちに谷川君の色紙をもらっておくと価値が出るよ」と言った話があります。羽生名人は奨励会初段時代に「将来の名人候補」と書かれました。将来の名人というのは見る人が見ればわかるものでしょうか。

中原 まあ、谷川さんや羽生さんは誰しもが認めていたからね。

河口 羽生さんが出てきた時、「谷川君も長くないよ」と中原さんが言った。今、そういう若手がいないでしょ。

鈴木 一般的には、三段リーグや若手の層が厚く競争が厳しくなったと言われますが。

河口 そんなの30年前にも言われていた。三段リーグも昔からあったし、昔だって棋士は絞られていたんだ。多分、次の名人は渡辺明だろうけど、彼ももう30になった。皮肉なことに、レベルが落ちてから名人になることになる。羽生と森内が13期連続?これだって、人材不足の証明だよ。

鈴木 今の若手はなかなか生きのいいうちにA級にたどりつけません。

中原 名人になるには20代前半でA級になるのが条件。それは昔から言われていた。豊島君も去年は惜しいところで昇級を逃したね。

河口 豊島は王将戦で挑戦者になったでしょう。そこでさっさとタイトルを取っちゃわないとダメなんだ。広瀬だってさあ、王位になってあとが続かないのがダメなんだ。中原さんは渡辺の将棋をどう見ますか。

中原 彼の四段時代に初手合いがあったけど、感想戦が見事なんでびっくりした。理路整然と勝ち筋を指摘された。あの解説は有名でしょう(笑)。

河口 確かに竜王9連覇はすごいけど、最近は往時の勢いがないし、どうも頼りない。結局、今年も森内が挑戦者になりそうでしょう。こんなに次の名人が見えない時代はないよ。

鈴木 今は天才天才と騒がれていてもいつの間にか埋もれちゃう時代。ちなみに、名古屋の杉本門下の藤井聡太君というのが奨励会初段の最年少記録を作りました。11歳。彼は10歳の時、詰将棋解答選手権で上位入賞をしていて、一部関係者の間では次の名人と言われています。

中原 ほう、そんな子がいるんだ。今は情報がたくさんある時代だから、そういう子がどんどん出てきても不思議じゃない。

河口 今は初段まで行けば、すぐに三段までは行くから、それは面白い。ついでに言うと、今の三段リーグは弱いと思うんだな。それは新四段の成績を見ればわかる。みんな苦労しているもん。しかし、やっと出てきたか。

中原 僕も谷川さんも羽生さんも13歳初段でしょ。木村名人も12歳初段、大山先生も14歳初段。まあ、時代が違うとはいえ、11歳の初段が有望なのは間違いない。

河口 四段昇段の年少記録を持っている加藤一二三、谷川、羽生はみんな三段リーグを指していないから早かったということもある。藤井君が14歳で四段になるためには11歳のうちに三段まで行ってほしいね。三段リーグがあると、どうしても1年や2年は無駄足食うってことがあるから。

今振り返ってみても、さすがに中原十六世名人と河口七段の指摘は的を射ている。残念ながら、慧眼を見せた河口七段はその後の藤井の成長を見ることなく、2015年に亡くなった。

策略

藤井が中学に入り、奨励会二段になった時、私はある計画を思いついた。藤井が将来の大物であることはもう間違いない。だとしたら、今のうちに何か伝説を残せないかと思ったのだ。

その一つとして、東海地方で行われる王位戦のタイトル戦の記録係を務めてもらうのはどうかと考えた。当時の王位は羽生善治。羽生王位が記録を取る藤井少年を見て、「今のうちに藤井君の色紙をもらっておくと価値がでますよ」と言う。かつて、中原王位が谷川三段を見て言ったセリフを羽生さんに言ってもらえないかと考えたのだ。これぞ、歴史は繰り返す、である。

まず、藤井の師匠の杉本昌隆八段に相談した。「藤井はまだ中学1年生ですからね。対局者に迷惑をかけることがないかと心配だが、棋力的には問題はないと思います。藤井はまだ記録を取ったことがないからタイトル戦の記録を取るのは勉強になるでしょう。もし日本将棋連盟がよいというなら、私は構いません」という返事をいただいた。

そこで今度は当時日本将棋連盟の会長だった谷川浩司九段にお伺いを立てた。谷川会長の返事は、「確かに私も中学生の時にタイトル戦の記録を取りましたが、その前に何局か記録を取って練習しました。何かトラブルがあってはいけないから、記録係の経験のない者にタイトル戦の記録を取らせるのは難しいです。何度か記録係を経験してからなら考えます」であった。

考えてみれば、これも当然の話なのだ。記録係というのは、長時間の対局中、ずっと将棋盤の横にいて、対局の記録を取り続ける。棋譜だけではなく、対局者の持ち時間の消費時間もつける。そうして、持ち時間がなくなると、今度は秒読みもする。神経も体力も使う役割で、勉強にはなるが、誰でも簡単にできる仕事ではない。特に、秒読みは対局の勝敗に直結する重大な業務で、過去には記録係の秒読みを巡ってトラブルになったケースが何度かある。

そうなると、谷川九段が言うように藤井二段がタイトル戦の記録係を務めるには、それ以前に公式戦の記録係を務める必要があるということになるのだが、ここに一つ問題があった。藤井二段は愛知県瀬戸市在住の中学生。一方、将棋の公式戦は主に東京と大阪の将棋会館で行われる。藤井が記録を取るには東京か大阪に行く必要があり、学校との兼ね合いが出てくるし、移動や宿泊の手間も考える必要がある。簡単にはいかないのだ。

結局、「名古屋のイベントなど、何か機会があった時に記録を取る練習をすることを考えましょう」と杉本八段と話してその場は終わった。そして、その計画はやがて立ち消えになった。

藤井二段はあっという間に藤井三段になり、記録係をする機会もなく、史上最年少の新四段になってしまったからだ。

伝説の藤井―佐々木戦

藤井少年にタイトル戦の記録係をしてもらう、という私の目論見は失敗に終わった。その代わりにというわけではないが、私は第2の計画を立てた。藤井は2015年10月に中学1年で三段になった。史上5人目の中学生棋士になる可能性は大いにある。その藤井三段に、岡崎将棋まつりの公開対局という舞台で将棋を指してもらおうと思ったのだ。

岡崎将棋まつりは岡崎市出身の石田和雄九段が市の※葵市民に顕彰されたことを記念して始まり、2020年で27周年を迎えた歴史あるイベントである。公開対局の席上で将棋を指すのは、時のトップ棋士や将来を嘱望される新鋭棋士に限られる。

過去の出場者は、羽生善治九段をはじめ、谷川浩司九段、渡辺明名人、豊島将之竜王など、超トップ棋士が並ぶ。まだ半人前の奨励会員が舞台の上で将棋を指したことは一度もない。いくら強い奨励会員がいたとしても、その肩書きは「プロ棋士」ではない。

ものすごいレベルの高校野球の選手がいたとしても、その選手がプロの公式戦に出ることはないのと同じことだ。プロ棋士と奨励会員では戦う土俵が違うのである。

ただ、藤井聡太の名前は関係者の間ではすでに有名になっていた。最年少で奨励会初段になった藤井は13歳2か月で奨励会三段になり、三段昇段時の年齢でも過去の最年少記録を6か月も塗り替えていた。

さらに、例の詰将棋解答能力がある。毎年春に開催される詰将棋解答選手権のチャンピオン戦で藤井は並み居るプロ棋士を押しのけ、奨励会二段と三段時代に2年連続優勝していた。まさに「怪物の卵」なのだ。特例として公開対局を指してもらう価値は十分あると思った。

藤井三段の対戦相手には石田和雄九段門下の新鋭・佐々木勇気五段(当時)を選んだ。藤井の前に三段昇段の最年少記録を持っていたのは誰か?実はそれが、この佐々木勇気五段なのである。佐々木も小学校1年生でアマ四段になり、13歳8か月で奨励会三段になった天才少年だ。

ちなみに、プロ棋士が奨励会員と対戦することには基本的にメリットがない。プロ野球の現役投手が高校生にホームランを打たれたらメンツ丸つぶれになる。それと同じで、プロ棋士が公開対局で奨励会員に負けるのは恥でしかないからだ。だが、藤井との対戦を打診すると、佐々木はすぐに「いいですよ」と言った。天才は天才を知る。

佐々木も、この年下の怪物少年に興味を持っていたらしい。のちに、プロ棋士になった藤井はデビュー29連勝という奇跡的な快進撃によって時の人になったが、その連勝をついに止めることになったのも佐々木である。藤井と佐々木はおそらく生涯にわたって張り合う関係になる。そのファーストコンタクトがこの岡崎将棋まつりの公開対局であった。

この対局は注目された。メインイベントは渡辺明竜王(当時)と谷川浩司九段の対戦であったが、それを差し置いてテレビや新聞の取材が多数やってきた。これまた異例のことである。

第23回岡崎将棋まつりの公開対局。対局日は2016年5月1日で藤井は13歳と10か月だった。あとでわかったのだが、この時期の藤井は将棋ソフトを使った研究を本格的に始めてまだ半年ほど。「将棋の完成度はまだまだ」と本人も当時を振り返っているように、プロとして必要な将棋の知識、特に序盤に関する知識は佐々木のような上位者とはかなり差があったはずだ。

だが、天才同士の対決は誰もが息を呑む名局になった。戦形は矢倉。奨励会時代の藤井が最も得意としていた戦形であり、佐々木もそれを受けて立った。対局条件は持ち時間が5分、それを使い切ると20秒将棋というきつい条件だったが、若い天才二人にそんなことは関係なかった。

終盤は双方に詰めろ逃れの詰めろの妙手が3回も出る奇跡的な応酬となり、居合わせた棋士全員が目を見張った。藤井の指し手を見て「この子強いな」とうなったのは渡辺竜王。「こんな将棋を指されたら、あとで指す方はやりにくくなる」と苦笑したのは谷川九段。

藤井-佐々木戦の終局図。この局面が激闘を物語っている

結局、最後に妙手を指した佐々木が勝ち、藤井は惜しくも敗れたが、この将棋は「伝説の藤井―佐々木戦」として今も語り草になっている。

※三州岡崎葵市民・・・過去に岡崎市の区域内に居住又は市内で修学したかたで、現に岡崎市外に居住して、政治、経済、学術・教育、文化、スポーツ、芸能等の分野で活躍し、または業績が優れ、郷土の誇りとして市民の模範となるかたを顕彰する制度(岡崎市HPより)

モノクロ写真・棋譜/書籍『【増補改訂版】藤井聡太の軌跡 愛知の少年はいかにして八冠になったか (マイナビ新書)』より
カラー写真/shutterstock

【増補改訂版】藤井聡太の軌跡 愛知の少年はいかにして八冠になったか (マイナビ新書)

鈴木宏彦

2023/11/24

1,188円

216ページ

ISBN:

978-4839984397

藤井聡太、八冠までの軌跡を加筆

本書は2021年5月発売された『藤井聡太の軌跡 ~400年に1人の天才はいかにして生まれたか~』に加筆したものです。

『藤井聡太の軌跡 ~400年に1人の天才はいかにして生まれたか~』は棋聖、王位の二冠を獲得したところで終わっていましたが、藤井聡太竜王・名人はそれからも快進撃を続け、ついに前人未到の八冠制覇を成し遂げました。本書では三冠獲得~八冠制覇までの物語を追記しています。

著者の鈴木宏彦氏は藤井竜王・名人と同じ愛知県出身でメディアで注目される前から交流のあった観戦記者です。

書籍中では鈴木氏のみが知っているエピソードや秘蔵写真を公開しています。岡崎将棋まつりでの伝説の佐々木勇気戦や、小学生時代の詰将棋解答選手権の奮闘などの秘話の数々を紹介しています。

さらに藤井竜王・名人の運命を変えた「ふみもとこども将棋教室」に対して綿密な取材を行い、少年・藤井聡太がどうやって成長していったのか、どのような才能があり、それをどう伸ばしていったのかが克明に記されています。

本書は藤井聡太八冠を語る上で必ず参照されるバイブルになることでしょう。

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