1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

「聡太、お母さんにゴロにゃ~んしてると将棋がうまくならんぞ」藤井聡太は何歳から将棋を始めたのか? 運命を変えた「ふみもと子供将棋教室」で発揮した異才

集英社オンライン / 2024年2月12日 12時1分

藤井竜王・名人の運命を変えたといわれているのが、愛知県瀬戸市にある「ふみもとこども将棋教室」である。観戦記者の鈴木宏彦氏が綿密な取材を行ない、少年・藤井聡太がどうやって成長していったのかを著書『【増補改訂版】藤井聡太の軌跡 愛知の少年はいかにして八冠になったか』に克明に記録している。本書の中から特に貴重な母とのエピソードを一部抜粋して紹介する。

生い立ち

棋士、藤井聡太は2002年7月19日、愛知県瀬戸市に生まれた。藤井誕生の2日後にはフィギュアスケートの紀平梨花選手が兵庫県で生まれている。華やかなスターが相次いで生まれた年と言ったらこじつけか。いずれにしても、藤井は21世紀に生まれた最初の棋士である。



瀬戸市は名古屋市中心部より北東へ18キロほど。尾張北部に位置し、北は岐阜県と隣接している。古くから陶磁器、いわゆる「瀬戸物」の産地として知られるが、今は「藤井聡太の住む町」として有名になっている。市は名鉄瀬戸線で名古屋と結ばれていて、名古屋の中心部まで20分ほど。藤井はこの電車を使って中学、高校と名古屋まで通った。

聡太の父、正史さんは大手住宅設備機器会社に勤めるサラリーマン。レコード集めが趣味で、外国のロック音楽を中心に幅広く集めているそうだ。母の裕子さんは専業主婦だが、バイオリンが趣味で、愛知県で将棋イベントが行われた時は、その腕前を披露されたこともある。

お父さんもお母さんも音楽が趣味だが、小さい頃の聡太は聞くだけだったという。その代わり、聡太は別の分野で才能を示した。

藤井家は両親と聡太、そして聡太の4歳上の兄の4人家族だ。小さい頃の聡太はやんちゃでお兄ちゃんと一緒に走り回って遊んでいたという。ドッジボールなどのボール遊びが大好きな少年だったが、プラレールを与えると部屋いっぱいにレールを組み立てて遊んでいたそうだ。

生まれつきの集中力

将棋を覚える前の藤井はどんな子どもだったのか。裕子さんにいろいろ聞いた。

やんちゃで動くのが好き。それは間違いないが、「何事もやり続ける集中力は最初からありました」と裕子さん。

3歳から4歳にかけて、モンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園に通っていた聡太は、紙を編んで作る「ハートバック」という袋を毎日大量に作って家に持ち帰ったそうだ。

実物を見せてもらったが、10分やそこらでできるものではない。子どもの手なら、1つ作るのに30分以上かかるのではないか。それを100個は作ったというから、すごい。

4歳になると、今度はクリスマスプレゼントでもらったスイス製のキュボロという木製玩具にはまった。空中に立体迷路を作って、ビー玉を走らせる知育玩具だが、かなり複雑で大人でも最初はてこずる。それを一人飽きずに何時間でもいろいろなパターンを作り続けたという。この遊びは将棋に夢中になる中でも、しばらく続けていたそうだ。

自分で興味を持ったことはとことんやる。藤井の一番の強みはこの集中力だ。

藤井少年が作ったハートバック

将棋との出会いは5歳の夏

そんな聡太少年に、いよいよ将棋との出会いが訪れる。藤井のご両親は将棋を指さないが、藤井が5歳になった幼稚園年中の夏、隣の家に住む祖母の育子さんがしまってあった盤駒を出してきたのだ。それはスタディ将棋と呼ばれる、初心者用に駒の動かし方が表面に書いてあるものだった。

育子さんは駒の動かし方もあやふやだったのでスタディ将棋でしか遊べなかったが、聡太はすぐに駒の動きを覚え、指しても敵わなくなった。今度は将棋が少し指せるおじいさんに代わったが、そのおじいさんもすぐ聡太に勝てなくなったという。

5歳になったばかりの夏に聡太は将棋を覚えた。そして、すぐルールを教えた育子さんに勝つようになり、少し指せるおじいさんも負かしてしまう。ここに藤井のゲームセンスを感じる。強いとか、弱いとかいう問題ではない。初心者が将棋を覚える場合、駒の動き方を覚えるのが最初の壁になる。

大人になってから将棋のルールを覚えようとする人はここで苦労することが多い。将棋の駒の動き方に慣れるには時間がかかる。特に桂馬や飛車、角など、いわゆる「飛び駒」の動きは頭の中でつかみにくい。子どもはそれを理屈ではなく、感覚で覚える。だから早い。

そして、この駒の動きをはっきりつかんでいないと、将棋の勝負がつく一番の急所である「詰み」を理解できない。駒の動きと、詰み。極端に言えば、ルールはこの2つだけ覚えてしまえば将棋を指すことができる。だが、並みの初心者はここでワンステップ、ツーステップかかるのだ。聡太はこれを一瞬で乗り越えた。

やがて、おじいさんも聡太の相手をするのは大変になった。それでも聡太は「将棋が指したい」と言う。そこで近所の将棋教室を探すことになった。ここから藤井の運命は将棋に向かって動き始める。

運命を変えたふみもと子供将棋教室

「将棋を指したい」という聡太少年の願いを叶えるため、育子さんは将棋を教えてくれる教室を探した。そして、それは思いがけず藤井家のすぐ近くにあった。

「ふみもと子供将棋教室」は日本将棋連盟瀬戸支部長である文本力雄氏が20数年前から瀬戸市の新瀬戸駅の近くに開いている将棋教室だ。聡太の家からは車で分ほどのところにある。(ふみもと子供将棋教室・瀬戸支部=愛知県瀬戸市孫田町51-12。開講日時=月曜16時~19時、水曜17時~19時、土曜13時30分~16時30分。対象=幼稚園児、小学生。料金=各コース月4000円 TEL 0561-82-3693)

文本氏は、愛知県瀬戸市で生まれ育った、文字通りの瀬戸人だ。将棋は小学校5年生の時、姉の同級生に教わった。中学に入ると仲間に強い子がいて、初めて本格的な知識に触れ、『将棋世界』などの本を読むようになったという。中学3年生で将棋の力はアマ3級くらい。その後、高校時代は対戦相手に恵まれず、たまに教師と指すくらいでなかなか将棋を指す機会がなかったそうだ。

本格的に将棋をやりだしたのは20歳の頃。高校を卒業してからは歯科技工士の技術を習いながら名古屋の栄にあった板谷教室に通うようになった。

その後、歯科技工士の道はあきらめ、リハビリ関係の仕事に従事。8年ほど板谷教室に通い、板谷四郎九段や大村和久九段の指導を受けた。その後は瀬戸市に近い尾張旭市の森林公園支部に通うようになり、40歳くらいまでは平日夜と土日の昼間、毎日将棋を指すようになる。当時、四日市市で行われた三段戦(優勝すれば三段の免状が獲得できる)で優勝したのが一番の棋歴だという。

お母さんが詰将棋の解答を代筆

ふみもと子供将棋教室で藤井はどんな成長を遂げたのだろう?

2007年の暮れ。まだ幼稚園年長の5歳だった藤井は4歳上のお兄ちゃんとともに、おばあさんの育子さんに連れられ、ふみもと子供将棋教室に現れた。

「初めて来た聡太はよく覚えています。紅くぷっくりとしたほっぺ。おでこがまるく、少し茶系の天然がかった少し長い髪をしていて、ぱっと見女の子と間違える感じでしたね」と文本氏。

だが、その5歳の少年がいきなり異才ぶりを示した。

「詰みの形はすでに理解していたと思います。1手詰を出題してもすぐに解いていきました。最初から手を読んだ。そう思います。

聡太は最初から週に3日。つまり全部の教室に通っていたのですが、毎日が驚きの連続でした。8枚落ち下手(駒を落とされる側)棒銀戦法の定跡も1回目のテストで合格しましたし、地味な定跡学習を嫌がるということは全然なかったですね。

2、3回見て、これはこれまで見た子たちとは違うぞと思いました。初めて知る棋譜の符号、定跡、囲い、戦法、次の1手、詰将棋など、初めてづくしのことにぶつかり、好奇心いっぱいでどんどん好きになっていったようです。本当に水を得た魚のようでした」と文本氏は振り返る。

ふみもと子供将棋教室では、生徒に与えられる課題が毎日ある。先に述べた「定跡書の暗記」と「詰将棋」がその中心だ。

まだ幼稚園生だった藤井少年には一つの難関があった。それは、漢字を読んだり書いたりできないことだ。

将棋の棋譜は、「☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖3三角☗同角成☖同桂☗2五歩」といったように、洋数字と漢数字、そして、駒とその動きを示す漢字の組み合わせで表現される。

藤井少年はまず、棋譜を見て駒の動きを盤上で示すことを覚えた。これで将棋の本の内容が半分はわかる。だが、漢字を書くのはなかなか難しい。

「詰将棋を教えると、3手詰からはじめて5手、7手、9手とどんどん進んでいく。1年で11手詰まで進んだのかな。成長がとっても早いし、読む力が最初からあった。私も長く将棋教室をやっていますが、あんな子どもは初めて見た。とんでもない子だと思った」と文本氏。

詰将棋が解けたら、答えを書く。それを先生がチェックして「合格」となるのだが、まだ幼稚園生だった藤井少年は頭の中で答えが出ても、それを書くことができなかった。それで育子さんに代わり、母親の裕子さんが付き添って、聡太が言う解答を書いて出すことになった。

写真はイメージです

「最初の1年くらいかなあ。お母さんが付き添って詰将棋の答えを代わりに書いてあげていました。お母さんがそばにいるので、一度聡太が授業中に甘えてお母さんの膝の上に頭を乗せて『ゴロにゃ~ん』をしたことがある。

それで、『聡太、聡太、ゴロにゃ~んしてると将棋がうまくならんぞ』と言ったことがあります。後にも先にもそれ一回きりだったと思います。それ以後は、やらなくなりましたね。授業後のプロレスまでは集中していた感じです」と文本氏は笑顔で話す。


モノクロ写真・棋譜/書籍『【増補改訂版】藤井聡太の軌跡 愛知の少年はいかにして八冠になったか (マイナビ新書)』より
カラー写真/shutterstock

【増補改訂版】藤井聡太の軌跡 愛知の少年はいかにして八冠になったか (マイナビ新書)

鈴木宏彦

2023/11/24

1188円

216ページ

ISBN:

978-4839984397

藤井聡太、八冠までの軌跡を加筆

本書は2021年5月発売された『藤井聡太の軌跡 ~400年に1人の天才はいかにして生まれたか~』に加筆したものです。

『藤井聡太の軌跡 ~400年に1人の天才はいかにして生まれたか~』は棋聖、王位の二冠を獲得したところで終わっていましたが、藤井聡太竜王・名人はそれからも快進撃を続け、ついに前人未到の八冠制覇を成し遂げました。本書では三冠獲得~八冠制覇までの物語を追記しています。

著者の鈴木宏彦氏は藤井竜王・名人と同じ愛知県出身でメディアで注目される前から交流のあった観戦記者です。

書籍中では鈴木氏のみが知っているエピソードや秘蔵写真を公開しています。岡崎将棋まつりでの伝説の佐々木勇気戦や、小学生時代の詰将棋解答選手権の奮闘などの秘話の数々を紹介しています。

さらに藤井竜王・名人の運命を変えた「ふみもとこども将棋教室」に対して綿密な取材を行い、少年・藤井聡太がどうやって成長していったのか、どのような才能があり、それをどう伸ばしていったのかが克明に記されています。

本書は藤井聡太八冠を語る上で必ず参照されるバイブルになることでしょう。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください