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故・池田大作「私ほど監視され続けた人生も少ない」教祖なら備えているはずの特殊な能力はあったのか? カリスマの栄光と挫折

集英社オンライン / 2024年2月16日 11時1分

いまや日本人の7人に1人が信者だと言われている創価学会とはいったいどんな団体なのか。政教分離の原則を曖昧にしながら、あまりにも当然のように存在する公明党や、その名前しか聞いたことがなかった学会のカリスマ池田大作のことを、実は我々はほとんど知らないのだ。創価学会の歴史と人物を読み解く書籍『完全版 創価学会』より、池田大作の半生を一部抜粋して紹介する。

#2

栄光と挫折

そもそも池田大作という存在を、私たちはどのようにとらえるべきなのだろうか。

池田は宗教家に分類しうるが、他の宗教団体の開祖や教祖と比較した場合、その性格は大きく異なる。教祖と言えば、一般には霊能力をはじめとする特殊な能力の持ち主として考えられている。



だが池田の場合、霊能力はもちろん、教祖なら備えているはずの特殊な能力は何一つ備えていない。池田が病気治しをしたなどという話はまったく伝わっていない。それは彼の師である戸田城聖の場合も、さらに戦前に創価学会の前身にあたる創価教育学会を創設した牧口常三郎の場合にも共通する。そこには、霊についての信仰をもたない創価学会の特質が関係している。

池田は創価学会自体の創立者ではなく、牧口、戸田に次ぐ3代目の会長である。ほとんどの新宗教の教団において、もっとも重要な役割を果たし、信者からの人望が厚いのは創立者である。ところが池田は3代目であるにもかかわらず、歴代の会長のなかでもっとも重要な存在と見なされてきた。創価学会と言えば、池田大作という印象が強い。

池田は、日本で最大の新宗教団体を半世紀以上にわたって率いてきただけに、さまざまな形で批判や非難、誹謗中傷を受け、女性関係にまつわるスキャンダルまで暴かれてきた。それでも、最期まで巨大組織の最高指導者の地位に君臨し、失脚したり、その地位を失ったりすることなく、人生をまっとうした。これは、驚異的なことである。

戦後、戸田と出会った池田は、戸田の経営する出版社や小口金融の会社で働き、頭角をあらわすことで、創価学会のなかでも布教活動の最前線に位置する参謀室長に抜擢された。とくに、創価学会の幹部が日蓮宗の僧侶と法論を戦わせた1955(昭和30)年の「小樽問答」は、池田の組織のリーダーとしての資質を証明する機会となる。

この問答での議論は平行線のままで、決着がつかなかった。ところが、創価学会側の司会者をつとめた池田は、終了間際に法論に勝ったのは創価学会だと言い立て、学会が勝利したという「空気」を作り上げることに成功した。日蓮宗は、この小樽問答以降、創価学会との議論を禁止したので、実質的に創価学会は勝利をおさめたと言える。その功績は大きい。

しかし、2年後の1957年、参議院大阪地方区の選挙運動に従事した池田は、戸別訪問の容疑で逮捕、起訴され、最終的には無罪とされたものの、裁判にかけられた。その後も、1970年に『創価学会を斬る』(藤原弘達著)の出版をめぐって言論出版妨害事件を起こした際には、国民に謝罪するとともに、公明党との政教分離を宣言しなければならなかった。池田は常に組織の先頭に立ち、矢面にさらされてきたからこそ、こうした苦労や挫折も味わってきたと言える。

言論出版妨害事件以降、創価学会に対する社会的な批判は高まり、国会で追及されたり、創価学会批判の書物が大量に刊行されるようになる。それによって、池田は独裁者であり、権力の亡者であるというイメージが作り上げられていった。

さらに、学会の組織のなかで重要な地位を占めていた側近が、池田に対して反旗を翻すといった出来事も続く。東京都議を長く務めた龍年光や、創価学会の顧問弁護士であった山崎正友の離反などがそれにあたる。龍は、創価学会の古参の幹部で、長年公明党都議会議員をつとめたにもかかわらず、創価学会が日蓮正宗から破門されたときに脱会し、その後は池田批判をくり広げた。山崎は、学会の学生部出身で、顧問弁護士をつとめていた時代に日本共産党の宮本顕治宅盗聴事件に関与し、その後は、学会を恐喝する側にまわった。

最初に日蓮正宗からの独立をめざした1977年には、日蓮正宗の側からの猛反発で計画は頓挫し、池田は大石寺に赴いて詫びを入れなければならなかった。それでも事態はおさまらず、池田は会長の座を降り、名誉会長の職に退いた。あわせて大石寺の法華講総講頭も辞任した。これは池田にとって生涯最大の屈辱だったのではないか。

前原政之『池田大作――行動と軌跡』によれば、池田が名誉会長に替わった際、会員たちの前で挨拶しても拍手はまばらで、この時期、「聖教新聞」に池田のことばや写真が掲載されない日々が続いたという。会合に出ることさえままならなかった。池田は一時、創価学会の組織からさえ見放されていたのである。

そもそも池田は病弱だった。その恰幅のよさを示す写真ばかりが巷にあふれているため、想像しにくいが、戦後、創価学会に入会した時点では肺を病んでいた。戸田からは、「大作は、30歳までしか生きられないかもしれない」と言われていたほどである。夫人の香峯子は、そのインタビュー集である『香峯子抄』のなかで、結婚以来、夫の健康管理に腐心してきたと語っていた。

2003年の春には、池田の重病説が流れ、実際、会合に姿を見せなかった時期もあった。それでも一旦は見事に復活し、会員の前で健在ぶりを示した。2006年10月には、海外の大学、学術機関から200個目の名誉学術称号を授かったのを機に、13年ぶりに一般のメディアの前に登場した。だが、その後は本部幹部会でのスピーチの大半を代読させるようになり、ついには幹部会に出なくなった。時折、その写真が「聖教新聞」などに掲載されるだけで、会員の前にまったく姿を見せなくなる。そして、2023年11月15日に95歳で天寿をまっとうしたのだった。

格段の人望

多くの困難にあいつつも、なぜ池田は巨大教団のトップに君臨し続けることができたのだろうか。

池田が会長を退いてから就任した名誉会長という地位は、池田のために設けられた特別なもので、創価学会の作成した組織図にも出てこないものだった。会長との上下関係が明確にされることもなかったが、会員からの人望は厚かった。

また池田は、最期まで創価学会の国際組織である創価学会インタナショナル(SGI)の会長職にあった。SGIの著名な会員たちは、来日するたびに池田を表敬訪問した。グラミー賞を受賞したジャズ・ピアニストのハービー・ハンコックやサックス・プレイヤーのウェイン・ショーターは、池田の前で演奏するためだけに来日したこともあった。

オーランド・ブルーム

映画『ロード・オブ・ザ・リング』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出演したイギリスの人気俳優オーランド・ブルームは、2004年にSGIに入信し、2006年夏には創価学会の長野研修道場で池田夫妻に面会した。彼は2009年秋にも来日し、本部幹部会で池田に再会している。たまたま私は、このときの本部幹部会の中継を見ている。ブルームの嬉しそうな顔が印象的だった。

池田が、会員たちから厚い信頼を得てきた背景には、国内外を問わず、各地を頻繁に訪れ、会員たちと直接に交流していたという事実がある。国内でもっとも頻繁に訪れたのが関西で、なんとその回数は258回にも及んだ。中部にも100回以上出向いている。

抜群の記憶力を持つ池田は、地方の会員でも、一度会えばそれを覚えていて、会員を感激させた。会員に慕われるのも、そうした細かな気配りがあってのことである。

高齢になってからは、地方に直接出向くことはなくなり、まして海外を訪れることはなくなった。その代わりとなったのが、本部幹部会の衛星中継だった。これは、幹部会を録画したものを、一定の期間、各地域にある創価学会の会館で放送するもので、「本幹(本部幹部会の略)」、「同放(同時放送)」、「同中(同時中継)」と呼ばれるようになっていく。

そこでの池田のパフォーマンスについては、第3章で詳しくふれるが、池田のスピーチは実に巧みで、会員のこころをたちどころにつかんでしまう魅力にあふれていた。

その点は、彼の師である戸田と似ていた。ただし、体つきのせいかもしれないが、戸田に比べて池田の方がはるかに威厳を備えていた。庶民的という点では共通しても、池田は、古今東西の文学作品や有識者のことばを頻繁に引用し、仏教思想についても博識なところを示した。会員とのやり取りにしろ、包容力という観点からは、池田の方に軍配があがった。

会員たちも、戸田に対しては気さくに接していたが、池田に対しては、畏怖の気持ちを抱いているように見受けられた。創価学会の熱心な会員で、芸術部の副部長である芸能人の久本雅美が涙ながらに池田の話を語る映像がネット上に流されたことがあったが、そうしたことが起こるのも、会員にとって池田が偉大なカリスマだったからである。

2007年の正月、ほとんど人がいない創価大学のキャンパスを、車に乗った池田が視察に訪れた。そこに出くわした人物は、「たとえ学生がいなくても、自分が創立した大学のことをつねに見守っている池田の姿に感動した」と語っている。

ただし、これを伝えたのは「聖教新聞」であり、話全体が、さりげない形での池田のイメージアップになっていた。それでもこの記事を読んだ会員たちは、親身になって学生たちのことを思う池田の姿に感銘を受けたことであろう。

「聖教新聞」や「潮」「第三文明」といった創価学会系のメディアは、つねに池田を偉大な宗教家、思想家、教育家として称揚し続けた。晩年には、とくに平和思想家としての面が強調された。池田が受賞した平和運動関係の賞としては、インドの国家的機関、アジア協会からの「タゴール平和賞」(1997年)や、国連NGO、世界平和国際教育者協会からの「アルバート・アインシュタイン平和賞」(1999年)がある。

これに対して、創価学会に批判的な人間は、池田はノーベル平和賞の受賞を目的として実績作りに奔走しているととらえてきた。

封じ込められたカリスマ

池田については、創価学会の側だけではなく、創価学会と対立したり、敵対する側も膨大な情報を流してきた。けれども、その実像ということになると、正確なところはほとんど伝わってこなかった。晩年になればなるほど、創価学会の外部の人間で、池田に直接会ったことのある人間は少なくなっていく。私も結局、一度も会うことがかなわなかった。その姿を直接見る機会もなかった。

過去には、ルポライターの児玉隆也によるもののように、池田の日常に迫ったルポルタージュもあった。あるいは、松本清張や内藤国夫、田原総一朗のように、池田と対談した作家やジャーナリストもいた。

田原の場合には、創価学会の会館に出向いて対談しているが、松本と内藤の場合には、池田は対談場所にたった1人で姿をあらわした。松本も内藤も、そのことに驚き、単身で乗り込んできた点については評価していた。

とくに内藤の場合には、創価学会にかなり批判的な立場をとっていたため、創価学会の内部では、内藤との対談に反対する声が上がっていた。それでも池田は内藤との対談を決断した。対談の場でも、「なんでも質問してください」と前置きして、かなり意地悪な質問にもすべて答えていった。

こうした池田の姿は、創価学会が伝えようとしているものとも、外部のメディアが描く独裁者、権力者のそれとも違っていた。もちろん、これをもって池田の実像だと言い切ってしまうのは問題がある。

というのも、池田にかぎらず、カリスマ的な指導者は多面的な顔をもっており、相手や場にあわせて発言の内容を変えたり、態度を変化させることが少なくないからだ。

カリスマは、その場の空気を読むことにたけており、それに合わせられるだけの柔軟性をもっている。彼らは演技する存在でもある。池田は、自ら演技していると語ったわけではない。だが、巨大教団のトップに50年以上君臨したわけで、その間に、さまざまな顔を備えてきたと考えられる。

写真はイメージです

その点で、カリスマ的な存在について、実像と虚像とを区別することはほとんど不可能に近い。本人にとっても、もはやこれが自分の実像だと言えるようなものは持ち合わせていなかったのではないだろうか。

この相手に合わせて変化する多面性が災いすることもあった。

外部の人間から質問を受けた場合、池田は世間の一面的なとらえ方をくつがえすために、率直でオープンな指導者として振る舞おうとした。しかし、インタビューや対談は、学会員も読むわけで、一般の読者だけではなく、彼らをも満足させなければならなかった。

どんな意地悪な質問をされようと、臆することなく、忌憚のない素直な答えを返していかなければならない。そうなると、池田の答えは、あけっぴろげで、ざっくばらんなものにならざるを得なかった。

学会の組織にとって、とくに巨大教団を管理、運営していかなければならない学会本部にとって、外部の人間に直接池田を会わせることは、組織の維持という観点からは都合の悪いことを池田に言わせてしまうことにもなりかねない。

池田と対談した田原は、実際の対談内容は「中央公論」(1995年4月号)に掲載されたものとは異なり、池田はもっと大胆なことを語っていたと述べている。ところが、学会本部の側が、発言を無難なものに変えてしまったのだという。

池田を独裁者、絶対的な権力者として見ようとする人々は、池田の一存で巨大教団が動いているかのようなとらえ方をしていた。けれども、池田の発言は教団本部によって封じ込められている面があった。とても、その一存で組織を動かしているとは言えなかったのである。

前掲『池田大作』の最後に載せられたインタビューのなかで、池田は、自分が生涯にわたっていわれなき中傷や批判を浴び続けてきたとし、「私ほどみんなに監視され続けた人生も少ないと思いますよ」と述べていた。池田を監視してきた存在のなかには、当然外部のメディアも含まれるだろうが、同時に創価学会の組織、とくに教団本部も含まれるように思われる。


写真/shutterstock

完全版 創価学会 (新潮社)

島田裕巳

2024年1月17日

924円

256ページ

ISBN:

978-4106110283

一宗教団体であるにもかかわらず、いまや国家を左右する創価学会。国民の7人に1人が会員ともいわれる巨大勢力だが、その全容はあまりにも知られていない。発足の経緯、高度成長期の急拡大の背景、組織防衛のしくみ、公明党の役割、そして池田大作というカリスマ亡き後の展開――。あくまでも客観的な研究者の視点から、現代日本社会における創価学会の「意味」を明快に読み解いたロングセラー・決定版。

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