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「アジアカップ惜敗後のW杯は成績がいい」というデータは森保ジャパンの吉兆となるのか? 森保監督解任のタイミングを考える

集英社オンライン / 2024年2月13日 13時1分

カタールで行なわれたアジアカップは開催国カタールの優勝で幕を閉じた。荒れた決勝の内容は一旦置いておいて、日本代表の危機について提言したい。ワールドカップ優勝を目標に掲げる森保一監督率いる日本代表は、グループリーグでイラクに敗れ、決勝トーナメントでイランに敗れた。だが過去を遡るとアジアカップで惜敗すると2~3年後のW杯では調子がいいというデータがある。それは森保ジャパンにとってよい知らせなのか? ジャーナリストの吉崎エイジーニョ氏が冷静に分析する。

早くも協会が
「森保監督の更迭なし」を宣言

日本は1992年の初出場以降、2024年までの9大会中4回のアジアカップ優勝を果たしてきた。これは出場国の中で最多の優勝回数だ。よって今大会のベスト8という結果は、W杯での優勝を目標に掲げる日本代表の期待や目標に沿う結果とはいえない。



だが大会後、日本サッカー協会の田嶋幸三会長は早くも「森保監督の更迭なし」を宣言した。では監督の変更を考えるべきタイミングはいつなのか。

筆者が考える、こうなったら終わりという基準は、「ピークを維持するようになったらその監督は終わり」ということだ。

日本サッカーの史実から紐解こう。そこには「日本社会の弱点」も内包されていると考えられる。

アジアカップとW杯の相関関係

通常だと、アジアカップが終わるとおよそ2~3年後にW杯がある。いってはなんだが、後者が「本番」だ。そして2000年以降の日本において、この両大会の関係性はひとつしかない。

「W杯でベスト16に入った大会(グループリーグで敗退しなかった大会)では、その前のアジアカップで優勝していない」という法則だ。

2007年アジアカップ
→ベスト4でサウジアラビアに敗戦→2010年南アフリカW杯でベスト16

2015年アジアカップ
→ベスト16でUAEに敗戦→2018年ロシアW杯でベスト16

2019年アジアカップ
→決勝でカタールに敗戦→2022年カタールW杯でベスト16

それはつまり、このようにも言い換えられる。

「W杯でグループリーグ敗退を喫した大会では、その前のアジアカップで優勝した」

2004年アジアカップ優勝
→2006年ドイツW杯でグループリーグ敗退

2011年アジアカップ優勝
→2014年ブラジルW杯でグループリーグ敗退

例外は2002年の日韓W杯(ベスト16、2000年アジアカップ優勝)のひとつだけ。ただサッカーの世界においては「自国開催」というのが、特殊な事情であるのはいわずもがなだ。

さらにいうと、W杯初出場を巡ってもがいていた90年代にもこれが当てはまる。1992年にアジアカップで優勝後、1994年のアメリカW杯アジア予選では「ドーハの悲劇」が起きた。逆に1996年アジアカップで伏兵クウェートに負けた後、翌年の98年フランスW杯予選を勝ち抜き、初出場を果たした。

2026年W杯の吉兆なのか…?

では優勝を逃した今大会は2026年のカナダ・アメリカ・メキシコの共同開催W杯を迎える森保ジャパンにとっていい兆候じゃないか。

……そんな話ではない。ジンクスでもない。この”史実“から抽出すべきポイントはこの点だ。

「ピークを維持することを考え始めたら、そこで終わり」

今の森保ジャパンの場合、「カタールW杯のときはよかったのに、なぜ?」と考えが巡る。本大会の森保ジャパンでは、FW上田綺世、DF毎熊克哉の台頭があり、長年守備の中軸を担った吉田麻也が抜けた守備ラインの多様な組み合わせといった収穫があった。これは大きいと思う。

いっぽうで「カタールW杯ではよかったのに」と感じさせるシーンもあった。大会を通じて最も安定した戦いを見せたのが、決勝トーナメント1回戦のバーレーン戦後半だったが、それは負傷中だった三笘薫が大会初出場を果たしたからだ。

三笘が左サイドでボールをキープし、ドリブルを仕掛ける際に一気に攻撃陣が動き始めた。カタールW杯の時のかたちだ。さらに右サイドの伊東純也が週刊誌報道の影響もありこの試合以降欠場。カタールW杯で対戦国の脅威となった両サイドが揃い踏みをすることはなかった。

だからダメだった、ではダメなのだ。

どんどん替わりの選手が出てきて、チームが変化していく必要がある。

日本の過去の失敗はまさにこの点にある。W杯でグループリーグ敗退したときの日本代表は2年前の最高戦力をそのまま維持しようとしてしまった。

外国人監督の話になるが、2002年に就任したジーコ監督の時代は、よりそれが顕著だったように思う。ブラジルの監督には「最高の選手に最高のテンションを注入することが自分の仕事」という考えが伝統的にあり、中田英寿、中村俊輔などレギュラークラスの序列を早々と決め、彼らを重用したが、2006年ドイツW杯では一勝もできずにグループリーグで敗退した。

ジーコ監督


「ノーリスク信奉」、これは日本社会の弱点でもある。

新型コロナのパンデミックの際にも指摘されたものだ。とにかく事が起きないことを願う。W杯までの4年間、チームがずっといい成績を残して、安定した状態で本大会でもよい結果が出ることを願う。

筆者が多く取材する韓国のサッカー関係者は「日本サッカーの強みは計画に沿った強化」とよくいうが、計画した通りのことがそのまま進むことだけが正解のような考えに陥りがちだ。

日本サッカー史上初めて
W杯後も指揮をとる森保監督

しかし、実は日本サッカーの史実ではそんなことは一度もない。

2010年南アW杯。この時は大会直前のテストマッチの成績が芳しくなく、当時の岡田武史監督が大胆に「守備的サッカー」に戦術を変更した。ずっと主力だった中村俊輔をサブに回し、本田圭佑を中心に据えた。

2018年のロシアW杯でもそうだった。チームの雰囲気の悪さからヴァイット・ハリルホジッチ監督を本大会2ヶ月あまりの段階で電撃解任。揉め事のあと、西野朗監督の下で結束しベスト16入りへと繋げた。

直前の変化こそが大会での好成績を生んだのだ。

もうひとつ、森保解任が一考に値する理由がある。

「日本サッカー界は“ちゃんと” A代表監督更迭をやったことがない」

厳密に言うと、W杯本大会常連国になって以降の話だ。1998年フランスW杯のアジア予選時には、加茂周監督を中央アジアのウズベキスタンで解任するという出来事があった。いっぽうで前述のハリルホジッチもW杯本大会2ヶ月前での解任劇だった。

追い込まれて、エイッと更迭を行なったことはある。しかし、その時点の結果・内容・チームの雰囲気から将来を予測して「このままではダメだ」と判断し、更迭を行はったことはない。ハリルホジッチなどは好例で、決断を先送りにした結果だともいえる。

更迭をしない。これは誇るべきことだろうか? 見方を変えれば、未来を予測した決断ができないということではないか、予定調和が過ぎる。いわば「ノーリスク信奉」の結果なのだ。

まだ現時点では「監督を替えろ」とまでは筆者は思わない。アジアカップでの上田、毎熊の台頭は収穫だった。ただし、チームが「ピークを懐かしがる」という状況に陥ったのなら、それが解任のタイミングだ。森保監督はその点で難しさを抱えている。史上始めてW杯後も指揮を執り続けることになったゆえ、「カタールW杯での成功」のイメージが強くあるからだ。

4年間もいい時期が持続した前例はない。森保監督もファンもメディアも、「ぶっ壊して前に進むこと」をためらうことがあっては次の成功はない。

取材・文/吉崎エイジーニョ
写真/shutterstock

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