「あのネオンだけは、残したほうがいい」二度と光ることがないネオンを気遣ったリリー・フランキーと館主を救った高倉健さんの手紙〈北九州市・昭和館〉
集英社オンライン / 2024年2月26日 11時1分
北九州市の老舗映画館「昭和館」が火事で消失した次の日、すぐに連絡をくれたのがリリー・フランキーさんだったという。北九州出身の俳優、映画監督など関係者たちからも続々と応援メッセージが届いた。そんなときに館主が思い出したのは、2009年に高倉健さんからいただいた手紙だった。書籍『映画館を再生します。 小倉昭和館、火災から復活までの477日』より一部抜粋し、高倉健さんの手紙を紹介する。
リリーさんが助けてくれた
翌日。
8月11日は、すべての予定をキャンセルしました。
ニュースは、全国に流れました。あれほどの火事でしたが、亡くなった人はいなかったようです。怪我人も出ませんでした。
昭和館をずっと応援してくださっていた方々、仲代達矢さん、奈良岡朋子さん、栗原小巻さん、光石研さん、岩松了さん、片桐はいりさん、吉本実憂さん……。映画監督の平山秀幸さん、タナダユキさん、片渕須直さん、江口カンさん、松居大悟さん……。作家の村田喜代子さん、田中慎弥さん、福澤徹三さん、町田そのこさん……。
もう数え切れない方々から、ご連絡をいただきました。
祝日なので、主人も家にいます。息子と3人で、旦過に行きました。
日中は、うだるような暑さでした。空は曇りがちで、あたりは蒸しています。雨が降らないのも、幸いでした。
瓦礫の残骸が、積み上がっています。35ミリの映写機は、2台とも焼け残りました。たとえ瓦礫になったとしても、昭和館が存在した証です。愛着がないはずがありません。
チケット売場のあたりが、かろうじて形状を留めていました。残骸からガシャガシャと引き下ろされているのは、「昭和館①②」のネオンの看板です。
ニュース映像を見ていたリリー・フランキーさんが、すぐに連絡をくれて、「あのネオンだけは、残したほうがいい」と助言してくれていたのです。
リリーさんは、北九州で生まれています。昭和館80周年のお祝いには、こんなメッセージを寄せてくれました。
「自分の両親や、祖父母、世代を越えた様々な人々が、ここで笑い、涙したことを想像するだけで、この場所が愛しくなる。これからも、ずっとあり続けてほしい場所」
あのネオンを、瓦礫にしてはいけない。
わたしは走って、作業している人たちに訴えました。
「すみません!あのネオンの看板が、うちの象徴なんです。あれだけは取っておいてほしいんです」
路地を照らしていたネオンは、見る影もありません。二度と光ることはないでしょう。それでも瓦礫と思えませんでした。
顔見知りの警察官の口添えで、初めて現場に入りました。
「昭和館」の3文字が赤、「①」が青で、「②」が緑。この「昭和館①②」の看板を、取り外してもらいました。
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2024/02/21054831754698/800/L10175444.jpg)
火事になる前の昭和館 ネオン管が光っている
想像以上の大きさでした。
「チケット売場」の表札も取り外しました。これだけは家に持ち帰りました。
耐火金庫も出てきました。
「いまだったら、開けてあげられる」と重機の人が言ってくれたので、お願いしますと頼みました。
すごい音で、ショベルをガンガンと打ち付けます。耐火金庫のコンクリートと鉄の間から、保護している砂が大量に出てきました。それを何度か繰り返して、ようやく中身を取り出せました。
金庫にあったのは、お稲荷さんの預金通帳でした。映画館の隣りにあって、お預かりしていたのです。次の日には銀行に行って、通帳を新しくしてもらいました。
ほんのわずかですが、売店の売り上げや、アルバイト代も出てきました。昭和館のネオンは、瓦礫の片隅に置かせてもらいました。
高倉健さんの手紙
8月12日。
「映画館を守ることが出来ず申し訳ございません」
と、ツイッターでメッセージを出しました。
それでも瓦礫の近くにいると、たくさんの方が声をかけてくださいます。あたたかい言葉に、胸が熱くなることもありました。
ふたつのスクリーンで、5本の映画を上映していました。父が89歳の誕生日を迎える8月20日には、創業83年記念のイベントを予定していました。
わたしの仕事は、よろこんでもらえる映画を選ぶこと。居心地のいい場所を提供すること。まちの人たちに足を運んでもらえるように、たくさんのイベントを仕掛けていました。
もう、何もできない。
映画館主として、翼をもがれています。瓦礫を前にして、立ち尽くすしかない……。
わたしは映画館の娘です。幼稚園の頃から、毎日のように、暗闇からスクリーンを見つめていました。大スタアの石原裕次郎や加山雄三に会いたくて、映写室にも通っていました。
十数年前、2代目の父から昭和館を引き継いだとき、経営はまさしく火の車でした。
しばらく赤字が続いているのを、他部門による利益補塡でなんとか補っていたのですが、もう潮時かなと感じました。
何もないところから初代が起業して、2代目が暖簾を守ってきた映画館を、素人の3代目が潰してしまった……。そんな役目を引き受けようと、小倉に帰ってきたのです。
2009年、昭和館の70周年記念に、松本清張さんの生誕100周年のイベントを開催しました。
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2024/02/13032853592424/800/shutterstock_2313553739.jpg)
旦過市場
このとき、有馬稲子さんのアテンド役をつとめました。
有馬さんは、言わずと知れた大女優で、清張原作の『ゼロの焦点』や『波の塔』に出演されています。最初は怖くもあったのですが、わたしは舞台『はなれ瞽女おりん』の大ファンで、芝居の話から打ちとけたのです。
大盛況のイベントのあと、気さくに電話をくれました。行き届いたアテンドに感謝するとおっしゃいます。
「昭和館は、あなたががんばらなきゃだめよ」このはげましで、家業にもどりたいと思ったのですが……。
映画館があった路地に、ひとりで立っています。
ここに人生を捧げてきました。
たくさんの思い出が、瓦礫の山にこめられています。わたしが小倉にもどって、最初に仕掛けたのが、高倉健さんの特集上映でした。
健さんは、福岡県中間市の出身です。最後の出演作になった『あなたへ』のロケが、北九州の門司港であると聞いたので、昭和館でも同時期に、健さんの特集を組みました。
エキストラの一般公募に申し込んで、映画『あなたへ』に出演させてもらいました。門司港のベンチで話している健さんと佐藤浩市さんの目の前を、夫とふたりで意気揚々と歩いたのです。
幸いなことにカットされず、ほんの一瞬だけ、映画に残っています。
この撮影後、高倉健さんにご挨拶したところ、
「自分の映画を上映していただき、ありがとうございます」
と、握手してくれたのです。
昭和館を知ってくださっていた……。
うれしくて、手紙を書きました。握手のお礼と、「昭和館を継続させるかどうか、迷っています」と、正直に打ち明けました。
思いがけず、お返事をいただきました。
健さんからの手紙は、速達で届きました。何か失礼があったのではないかと、おそるおそる封をあけたのですが……。
「熱い想いのこもったお手紙、拝読させていただきました」
と書いてあります。一文字ずつ、かみしめるように読みました。
「映画館閉鎖のニュースは、数年前から頻繁に耳にするようになりました。日々進歩する技術、そして人々の嗜好の変化、どんな業界でもスクラップ・アンド・ビルドは世の常。その活性が進歩を促すのだと思います」
甘い言葉はありません。それでも健さんは、映画館経営を励ましてくれたのです。
「スクラップ」と「ビルド」は、切っても切れない関係にある。たとえ壊れたとしても、そこから生まれてくるものがある……。
この手紙を宝物にして、昭和館に飾っていました。
休館か、閉館か。
健さんの言葉には、続きがあります。
「夢を見ているだけではどうにもならない現実問題。どうぞ、日々生かされている感謝を忘れずに、自分に噓のない充実した時間を過ごされて下さい。ご健闘を祈念しております」
感激しました。昭和館を守ろうと決意しました。
健さんの映画を、ずっと見てほしい。
費用が高くて購入をためらっていたDCPのデジタル上映機器を、2台購入しました。35ミリのアナログ映写機も、過去の名作を上映するために残しました。
2014年に亡くなられたとき、日本でたった1館、うちだけが健さんの主演映画をかけることができたのです。『新幹線大爆破』のアナログのフィルムが、昭和館に届いていたので……。
瓦礫の山を探しました。あの手紙に、わたしは救われたのです。
どこかにあるはずだ。ほんの切れ端でもいい。どこかにあってほしいと祈りながら。見つかりません。
ファンの方々に申し訳ない。健さんに申し訳ない。
35ミリの映写機が出てきました。巨大な鉄の残骸ですが、これがあったから、健さんの映画を上映できたのです。
瓦礫の近くに立っていると、小倉のまちの方々が声をかけてくださいます。涙ながらに、一緒に悲しんでくださいます。
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北九州市
休館か、閉館か。
心は揺れています。再建は無理だろうと思うのですが、閉館を決断することもできない。まちの人たちが昭和館を必要としてくれるのであれば、できることを考えたい。
それだけでした。
写真/shutterstock
映画館を再生します。 小倉昭和館、火災から復活までの477日(文藝春秋)
樋口智巳
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2024/02/13033212081519/400/81bKTGHqr4L._SL1500_.jpg)
2023/11/22
1,320円
168ページ
978-4163917801
2023年12月19日、ついにグランドオープン!あの火災から496日、小倉昭和館が完全復活。「北九州のニュー・シネマ・パラダイス」と話題に。
昨年の夏。北九州の旦過市場の火災で、福岡市最古の映画館は、創業83年を目前にして焼け落ちた。「うちはもうダメ…」高額な映写機やスクリーンや座席も、宮大工のつくった神棚も、たくさんの映画人のサインも、宝物だった高倉健の手紙も、すべてが燃えてしまった。
小倉昭和館の三代目館主、樋口智巳は、瓦礫の前で立ち尽くした。それでも、あきらめなかった。リリー・フランキー、光石研、仲代達矢、秋吉久美子、片桐はいり、笑福亭鶴瓶など、たくさんの映画人に支えられて、樋口館主は誓うようになった。まちの人たちのよろこぶ顔を見たい。みんなの居場所を守りたい。「映画の街・北九州」で、映画館の復活という夢を見たい……。
すべてが瓦礫になった映画館が、2023年12月に「再生」するまで。完全ドキュメント。
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