「ももクロは青春だった」 10年ぶりのメディア登場! 知られざるももクロ仕掛け人"FKD"こと福田幹大が語る、黎明期のももいろクローバー 聞き手:吉田豪
集英社オンライン / 2022年6月4日 10時1分
アイドル戦国時代のキーパーソンの1人でありながら、長らく表舞台から遠ざかっていた”FKD”こと福田幹大が、10年ぶりにメディアに登場! ももいろクローバー、ハロー!プロジェクト、ぱすぽ☆、Doll Elementsといった有名アイドルグループと関わり続けてきた自身のアイドル業界歴を語り尽くす。プロインタビュアー・吉田豪による、福田幹大インタビューの第1回(全4回)。
10年ぶりのメディア出演
――(吉田豪)ようやくFKDさんに会えました! FKDさんのことを簡単に説明すると、初期のももいろクローバーが活動していく上で重要な役割を果たしたスタッフで、でもブレイク直前にももクロを離れたからその存在が掘り下げられることがない、その後もいろんなアイドルに関わったりしてきたはずなのにインタビューもほとんど受けたこともない幻の存在です。
FKD 何年もその名前を伏せて仕事してたんで(笑)。名前を出すとマイナスなこともあるし、いまのももクロ担当者に悪いなっていうのもあって、できるだけ出さないようにしてたんですけど。
――ちょっと黒歴史みたいな感じになってるじゃないですか。あまり積極的にはみなさん名前を出したがらないというか……。
出したがらないけれども、ときどき良くも悪くも出していただいて。
――それはボクが各所でFKDさんの話題をよく振るからですね(笑)。
何年か前に吉田さんが川上(アキラ、ももいろクローバーZマネージャー)さんと話されてたとき(2019年3月26日放送、猫舌SHOWROOM『豪の部屋』)にもやたらと触れていただいて。それもあって吉田さんと一度お話をしたいなと思っていたところで、ちょうど取材を受けられるタイミングになりまして。
――後で触れますけど、こういう経験がちゃんとプラスになる仕事をやってるんですね。
もちろん音楽はずっとやってるんですけど、このタイミングだったら、というのがあったので。表に出て話をするのは10年振りですね。
――インタビューは『グループアイドル進化論』(2011年)以来ですかね。
そうです、あれ以来ですね。あそこから10年ぐらい経って……時間が経ったなっていう感じがしますよね。
スターダストプロモーションとの出会い
――もともとFKDさんとアイドル文化との接点は、秋葉原でフリーペーパーを作っていたことから始まるんですよね。
そうですね。まだぜんぜん売れる前のAKB48とか取材してたんですよ。戸賀崎(智信、当時AKB48劇場支配人)さんにインタビューしたこともあります。実はアイドルには1ミリも興味なかったんですけど、ちょっとずつ詳しくなって。僕もともとアニヲタで、同時に僕、小室哲哉オタクなんですよ。
――あ、それで小室哲哉さんがメイドカフェに降臨する企画を立てたんですね。
そうです。たまたま知り合ったスターダストの人に「TKを秋葉原で売りたいからちょっと手伝って」って言われて。そこから「アイドル詳しそうだからおまえなんかやれば?」と言われて、ヌルヌルッて入った感じですね。
――川上さんが「当時からいろいろとV(TR)にも出ていた宮井(晶、ももいろクローバー初代ディレクター。スターダストレコーズ取締役)さんっていう人がいるんですよ。いまでも暗躍している。そういう人が福田幹大とかを連れてくるんですよ」とか言ってましたね。
そうですね(笑)。宮井さんって小室さんのお仕事をよくされてた方なんですよ。で、あの人が小室哲哉オタクを集める会みたいなことをやって、そのなかのひとりが僕だったんです。
――スターダストとの最初の仕事は声優の中島愛さんだったんですよね。
そうです、「中島愛ちゃんに会わせてやる」のひと言でホイホイついて行って(笑)。
――ダハハハハ! スタダといえばまめぐ! と(笑)。
吉田豪
そうです、それでホントに会わせてくれて。1枚目のソロ(2009年1月28日発売『天使になりたい』)を出したときのプロモーションを秋葉原で打たせていただいて。
――ちょうど『マクロスF』のランカ・リー役でブレイクした直後ですね。
それこそまめぐのバックでももクロが踊ってたんですよ。そういう時期で、「今度こいつらどうにかしなきゃね」っていうことで、「なんかやれ」って言われて。「じゃあ石丸電気とかヤマダ電機を周りますか」っていうところからスタートしました。
――得意な秋葉原の文化と結びつけて。
そうです。だからアイドルはそこから勉強し始めた感じですね。
ももクロとアニソン
――初期のももクロにアニソン的な要素が混じってたのは、アニオタ側のFKDさんがよくわからないまま引きずり込まれたからなんですかね?
そうですかね。あの頃、『スタ☆コレ』っていうアニソンカヴァーのコンピレーションCDにももクロが参加したんですよ。そこに収録した『最強パレパレード』(ラジオ『涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団ラジオ支部』主題歌のカヴァー)とか、いまでもたまにやったり。
――当時はももクロをどんな感じのグループにしようって感じだったんですか?
いまとなっては1ミリのかけらもないんですけど、メンバーにSKE48に行った高井つき奈がいたんですよ。それで高井を中心にやるみたいな感じで。彼女の特技が日本舞踊だったので、和をコンセプトにしたものをやろうってことで『ももいろパンチ』ができたところが出発点でしたね。
――なのに高井さんがいなくなっちゃって(笑)。
なんやかんやで早見あかりが入って、有安杏果が入って。有安が入って石丸電気でお披露目っていうときに、バレちゃいかんってことで、有安を段ボールに詰め込んで台車で運んだりしてました(笑)。バレちゃいかんから段ボールに入れるって発想もどうかと思うんですけど。
――当時はスタッフの中でFKDさんが表に出る役割だったんですよね。
出てましたね。MCやってPAやってモギリやって、機材車の運転もして、ホントになんでもやってました。だから川上さんがマネジメントで、僕は現場でなんでもやらされる人みたいな感じでした。いまでもそのときの動画がYouTubeに残ってて、こんな時代あったなーって感じで、ホント青春ですね。なんで僕を出したのかいまだに謎なんですけどね。
――その結果、ファンのあいだでFKD呼ばわりされるようになって。
当時、2ちゃんねるで戸賀崎さんが「TGS」って書かれてたんですよ。それに倣って「あいつは福田らしいからFKDでいいじゃん」っていう流れで。じゃあクレジットもこれでいいじゃんって誰かが「FKD」って入れて、そこから公式になっちゃって。
――FKDさんはデビューシングル『ももいろパンチ』(2009年8月5日発売)の制作には関わっていなくて、そのリリイベ『ヤマダ電機Presents ~ももいろクローバーJAPANツアー2009 ももいろTyphooooon!~』(2009年5月24日~8月16日)には同行したんですよね。
ヤマダ電機の軒先に機材を出して、ももクロが歌って踊って、CDの予約を取って、みたいなことを毎週末やってましたね。北は盛岡、南は九州まで行ってました。
徐々に増えてゆくファンたち
――その時点で可能性みたいなものは見えていたんですか?
まったくです(キッパリ)。こっちも音楽屋さんとしての経験が一切なかったですし。ただ、とにかく楽しかったんですよ。メンバーが一生懸命やってるっていうのもありましたし、ライブをやるごとにお客さんが増えていくんですよね。
自分の口コミでこの子たちが売れていくっていうのが、きっとファンの方もおもしろかったと思うんですよ。1回ツアー周ると箱がひとつ大きくなって、「俺この時代から知ってる」っていう、それはうれしいし楽しいじゃないですか。
ツアーから帰って、東京のヤマダ電機でやったときに人があふれて警察を呼ばれるみたいな。当時は渋谷のヤマダ電機の軒先でライブやってましたからね。いまできないですよ、あんなこと。
――確実に怒られますね。
渋谷に行くたびに、よくこんなとこでライブやったなと思って。秋葉原でも、駅を出てすぐの富士そばのところが、当時は空きテナントだったんですよ。そこでもライブやってましたね。
――そういうのってFKDさんのプランなんですか? 話し合いの結果?
場所がないか探して、「ここが空いてる」みたいなことを毎週川上さんと話して。そのときはHappy Music Recordsっていうヤマダ電機傘下のレーベルから出してたので、レーベルの方とも毎週末ワチャワチャやって、気がついたらオリコントップ10にデイリーで入って。こんなんでイケるんだって、当時は思いましたね。こんなんって言ったらあれですけど。
「FKD商法」の誕生
――『ももいろパンチ』はデイリー11位で、セカンドの『未来へススメ!』でデイリー6位になりました。それだけ地道な予約商法が効果的だったわけですよね。
そうです。CD発売前の予約枚数が、リリース日の売上としてカウントされるっていうシステムだけが斬新だったんですよ。それで順位が跳ね上がる。「え、何これ?」ってなるじゃないですか。それをお客さんが楽しんでたんですよ。
――それまでそのシステムを利用した人がいなかった。
いなかったんです。あえて言うのであれば、そのシステムでオリコン1位取れんじゃんっていうのがわかって、それを実行した結果だったんですね。
――それはFKDさんのプランだったんですか?
たまたまですね。たまたまヤマダ電機を周るときにCDがもうないぞってことになって、「じゃあ予約にすりゃいいじゃん」みたいな話で。オリコンを狙ってたわけでもなんでもなく、結果的にそうなっただけなんですよ。
――単純に現物がなかった(笑)。
そうです! 「売るもんないしどうする?」ってことで。
――それなら予約券を売ればいいじゃん、と。
そうです。それがたまたま斬新で、たまたま1枚目でオリコンってところにポーンと入って。みんな同じCDを何枚も予約してましたからね。
――ヲタもそんなのやったことないからおもしろがって。「CDが段ボール一箱になっちゃった」みたいなことも含めて楽しんでましたね。
「なんじゃこりゃ?」みたいな文化でしたね。あと、10数年前のオリコンってやっぱり権威ありましたし、オリコン1位を取ったってなると大騒ぎでした。それは新鮮だったんだろうなと思いますね。
――当時のももクロの知名度ではありえないですからね、デビューシングルの時点でデイリー11位とか。
ありえないです、ホントに。ただの地下アイドルがこんなにって。いまはその手法は使い古されちゃってますけど、あのときはオリコン命でお客さんも僕もやってましたね。
ももクロのために会社を辞めた
――だんだんそのやり方を特化させていこうってなっていくわけですかね。
そうですね。結果そのあと僕はももクロと一緒にメジャーレコード会社に行くことになって。
――まず会社を辞めちゃうんですよね。
そうです。もともと平日ふつうに働いてたんですけど、週末のももクロが楽しくて。っていうか、いまだから言えますけど、会社にバレたんですよ。
――会社員でそこまで外部の仕事をやってたら、まあアウトですよね。
何も考えてなかったです、人生を。バカじゃないかと思うんですけど(笑)。
――とりあえず、いまは最高に楽しいし(笑)。
そうですね、だから20代の無知の為せる業というか。
第2回に続く
取材・文:吉田豪
写真:小山田恵太
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