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「不適切にもほどがある!」賛否両論のミュージカルに盛り込まれたクドカンの真意とは…まだ間に合う「ふてほど」1〜4話を総復習

集英社オンライン / 2024年2月23日 22時1分

放送されるたびに話題を呼ぶドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)。中でも毎週SNSで賛否両論が起こり、トレンド入りするのがミュージカルシーンだ。このシーンには脚本家・宮藤官九郎氏がその回のストーリーを通して伝えたいメッセージが込められていると気づいているだろうか? 今後の放送をより楽しんでもらうためにも、ここまでの放送回を通して振り返りたい。

ミュージカルシーンは放送回の“まとめ”

これまで宮藤官九郎こと、クドカンが脚本を書きあげた作品は、大河ドラマ『いだてん』(2019年)をはじめ、映画、舞台など100作以上に及ぶ。

彼のどの作品にも共通するのが、登場人物と単にコメディだけに収まることのないコンテンツの多さだ。今回紹介している作品もタイムスリップ、恋愛、親子愛、多様性、ハラスメントなど枚挙にいとまがない。コンテンツは放送回を追うごとに増えていく。



出演俳優やスタッフから「台本がとにかく細かい」という話を聞いたことがある。必然的にカット割も多く、物語に張り巡らされる伏線にファンは熱狂する。

そんな彼の作品において『不適切にもほどがある!』のミュージカルシーンは、視聴者に向けた各放送回の“まとめ”なのだ。

例えば視聴者が突然の歌い出しに唖然となった、第一話。ミュージカルテーマはドラマ全編を通して感じられた「多様性の時代」。

ミュージカルスタート前には、こんなシーンが見られた。
令和はあまりにもデリケートすぎてついていくことができない市郎(阿部サダヲ)。酒でも飲もうと入った居酒屋は、市郎が操作できるはずもないタッチパネルでの注文方式で、間違えて200皿近くの炙りしめ鯖を注文してしまう。

そんな彼の隣席のテーブルでは、社内のハラスメントについて、3人の社員が打ち合わせをしていた。問題は秋津くん(磯村勇斗)の無意識の言動のせいで女性社員が休職をしたこと。「多様性の時代なんだから、後輩社員に気を遣え」と会社員たちが話していると、市郎がおもむろに会話に入り込んだ。

「気持ちわりぃ。なんだよ、寄り添うってムツゴロウかよ。そんなんだから時給も上がんねえし(昭和と大差がないという指摘)、景気悪いんじゃねえの? 挙げ句の果てに(配膳)ロボットに仕事取られてさ。ロボットはミスしても心折れねえもんな」

そして秋津くんの「話し合いましょう〜」で突如始まったミュージカル。「(問題は)拳と拳で解決」と、昭和おじさん節全開で盛り上げる市郎。ラストには休職中の女性社員が「(先輩から仕事に関して)叱ってほしかった」と歌い上げる。

コミュニケーションが減少していることに対する警鐘だ。コンプライアンスを遵守してばかりで、つい“多様性”で片付けようとする傾向、あなたの職場にもないだろうか。

「気持ちわりっ」な社会への警鐘

第二話で訴求されたのは「働き方改革」。シングルマザーの犬島渚(仲里依紗)が職場復帰すると、待っていたのは働き方改革の上澄みばかりをすくい上げた、働きにくい職場。ここでのミュージカルは「同調圧力があって、強制じゃないと言いながら帰れない空気がある」という社員の不満から始まった。

「給料上げて(ひとりでやるから)、託児室別館にしないで、ペーパーレスはあとにして、ランチは1時間保証して、シフト制は仕事を覚えてからにして」

渚の歌う本音が沁みる。新しい価値観を持ったように見える働き方改革は、そもそも運用ができていない。途中、市郎が言う「働き方って、がむしゃらと馬車馬以外にあるのかね」というセリフも沁みた。

続けて第三話は「ハラスメント」について。

テレビ局内では情報番組のプロデューサーが「(女性に対して)かーわーいい〜、髪切った? なんて聞いてはいけない」「カニクリームコロッケの中がトロトロはダメ!」「稲庭うどんシコシコはダメ!!」と、表現規制の奴隷になっていた。地上波ではありがちな話だ。

昭和に戻った市郎も、大事な一人娘の純子(河合優実)を通して“エロい目線”について考える。純子が視聴者参加型のポロリもあるようなテレビ番組に出ると聞き、スタジオ観覧に行く市郎。セクシー女優のポロリは期待するのに、娘には何もしてほしくない。このふたつの気持ちの乖離から市郎は気づき、歌う。

「みんな自分の娘だって思えばいいんじゃないのかな」
「娘に言わないことは言わない、娘にしないことはしない、娘が喜ぶことをする。それが俺たちのガイドライン」

地上波での表現もスポンサーや視聴者の反応を気にし過ぎて、正解がわからなくなっているテレビ。これに対するようにSNSでは一般人が性的な写真や動画を次々にアップする、現代社会。ガイドラインもなく、皆が違和感を持っている最中、市郎が気づいた「娘にしないことはしない」は明解、明答だった。

唐突な演出はクドカンから視聴者への愛だ

クドカンの手がける作品には二元論が多く取り入れられることが多い。『不適切にもほどがある!』では、昭和と令和。『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系・2016年)では、現役昭和生まれ世代と、ゆとり世代。背中合わせのような項目をひとつの物語に詰め込みながら、最終的には両者を取り持って、丸く収める。

第四話では「SNSとの距離感」がミュージカルシーンの歌詞になった。スマホやSNSにまったく触れたことのない市郎と、ビジネスシーンでも暗黙のルールを守って使いこなす令和の人々。市郎がSNSを始めると、そのやりとりなどの距離感が分からず、つい激怒してしまう。そして渚が歌い出した。

「SNSは本気で打ち込むものじゃない」

これこそ、SNSビギナーとエキスパートを一言で収めるワードだ。そう、本気にならず、ただの情報交換ツールだと思えばいい。

「既読なんかつかなきゃいいんだ、業務連絡なら連絡網で十分だ!」

恋する女子高生のように既読に翻弄される市郎。第四話のミュージカルばかりは、ドラマサイドが問題を提起する側だったことが印象に残った。

テレビで観ているだけだと、ミュージカルシーンの素っ頓狂さばかりが目立ってしまうけれど、実はそこに深い意味がある。ちなみにクドカンがドラマでミュージカルを採用するのは、今回が初めてではない。

2006年放送の『吾輩は主婦である』(TBS系)でも、演出の一環に使っていた。他にも『木更津キャッツアイ』(TBS系・2002年)では物語が終盤に差し掛かると突然、逆再生が始まるという演出もあった。今でこそ珍しくなくなった、逆再生も20年前は斬新だったのだ。要は真面目に訴えると誤解が生じそうなことを、歌うことで柔和にさせているのだろう。

ドラマ終盤、唐突な演出をトリガーにして一気に盛り上げる。これはクドカンならではの視聴者へのサービスといっても過言ではない。

文/小林久乃 写真/shutterstock

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