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「蓮池・地村夫妻は12011番〜12014番」北朝鮮当局が拉致被害者に付与した謎の番号が示す、“隠された日本人”の可能性「認定外の被害者は当然いる」

集英社オンライン / 2024年3月3日 18時1分

北朝鮮が日本人拉致被害者の再調査を約束した2014年の「ストックホルム合意」は、双方の思惑の違いなどにより事実上破綻。それ以降、北朝鮮は拉致問題について「解決済み」との主張を貫き、今日現在まで交渉は停滞したまま解決に至っていない。拉致被害者である蓮池薫さんらに付与されたという「番号」が示す、拉致被害の実態とは? 『当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の深層』(朝日新聞出版)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

内部文書から探る、拉致問題解決の糸口

北朝鮮は頑(かたく)なに拉致問題は「解決済み」との主張を変えようとしない。それでも、来るべき本格交渉に備えて政府は引き続き情報収集や分析に努め、いまだに判然としない拉致事件の全容を把握する努力が必要になるだろう。



内閣官房拉致被害者・家族支援室が2004年に、2002年に帰国した5人の被害者から聞き取りを行い、その内容を中心に分析を加えた内部文書は、過去の北朝鮮の動向を分析するうえで貴重な資料と言える。その内容をみていきたい。

拉致被害者などについて再調査する「特別調査委員会」の看板が掲げられた建物=2014年10月29日、平壌(©︎朝日新聞社)

文書によると、日本人拉致を発案・実行、北朝鮮での被害者管理に関わった工作機関は、朝鮮労働党の対外情報調査部、作戦部、統一戦線部、社会文化部(後の対外連絡部、現・統一戦線部225室)の4機関で、総称として朝鮮労働党の「3号庁舎」と呼ばれた。このうち、実際に日本人拉致を実行したのは、工作船などを使って工作員を日本に送り込んでいた作戦部。拉致被害者が生活する招待所の運営を行っていたのは対外情報調査部だった。

対外情報調査部のなかで対日工作は第2課、工作員教育は第5課で、被害者5人が日本に帰国した際、「朝鮮赤十字会」の職員として来日した北朝鮮の随行団のなかには、対外情報調査部の幹部が含まれ、5人の言動に目を光らせていたという。このため、5人は帰国当初、記者会見の場などで硬い表情を崩さず、不用意な発言をしないように心がけていたのである。

では、実際にどれだけの日本人が北朝鮮の工作機関により拉致されたのだろうか。日本政府が認定するのは帰国した5人を含めて17人だ。だが、文書の内容は、実際には把握できていないより多くの被害者がいる可能性を示している。

作成者は次のような考察を記している。「両家(蓮池さん夫妻、地村さん夫妻)の以前に約10名の拉致被害者がいたということも考えられる」。

拉致被害者に割り振られた「番号」の謎

2002年に帰国した蓮池さん夫妻、地村さん夫妻には、北朝鮮工作機関に拉致されたとみられる順番に5桁の通し番号が付与されていた。

蓮池薫さん 12011
蓮池祐木子さん 12012
地村保志さん 12014
地村富貴恵さん 12012

4人のうち、2人は同じ番号を記憶していた。この点について文書には注釈で、富貴恵さんの証言として「番号が祐木子さんと重なっているが、富貴恵さん自身、末尾番号が記憶違いの可能性があると述べている」と記される。

4人には「12011〜12014」の連続した番号が割り振られていたとみられる。4人が番号の存在を知ったのは、1986〜2000年に平壌郊外の「大陽里招待所」で生活していた時だった。番号は転居しても変わらなかったという。

北朝鮮の国旗

番号が示す意味について被害者らは北朝鮮当局から教えられていなかったが、配給などの際に番号が使われたという。文書には「北朝鮮ではいろんな朝鮮名を使っていたが、名前はあまり重要ではなかった」との証言もある。

4人への聞き取り調査の結果、作成者は「4人の番号の冒頭『12』は、日本人拉致被害者に割り当てられていた可能性もある」と分析した。蓮池さん、地村さん両夫妻の4人が拉致されたのは1978年7月で、番号の下2桁が11〜14だった。このため、北朝鮮が日本人を拉致した順番に番号をつけていったものとみなし、「両家(が拉致される)以前に約10人の被害者がいたことも考えられる」と考察した。

蓮池さん、地村さん両夫妻以前に被害に遭った日本政府認定の被害者は、久米裕さん(当時52歳)、松本京子さん(当時29歳)、横田めぐみさん(当時13歳)、田中実さん(当時28歳)、田口八重子さん(当時22歳)の5人しかいない。文書の指摘通りなら、拉致認定者以外に少なくとも5人の被害者がいた可能性がある。

蓮池さん、地村さん両夫妻以前の1977年11月に拉致された横田さんにも番号がつけられていたようだ。帰国した被害者のなかに、具体的な数字を記憶している人はいなかったが、うち1人は「若い番号だった」と証言する。

隠された被害者の存在「確信している」

私は蓮池薫さんに2023年9月にインタビュー取材し、この番号についても聞いた。9月19日に配信された朝日新聞デジタルの記事の中でも触れているが、蓮池さんの見解は異なり、日本人拉致被害者だけに割り振った番号との見方を否定した。

「私と同じ招待所地区にいた工作員も含めて、全員に番号が割り当てられていました。配給や招待所の運営は工作機関ではなく、党の財政経理部という部署でした。

配給などを通じて、工作機関に所属する人の名前が外に漏れないように、すべて番号でやりとりされているのです。すべては秘密保持のためです」

蓮池さんへのインタビュー後、長年にわたって拉致問題に取り組み、北朝鮮側との交渉に臨んだ経験のある政府関係者にも尋ねた。この関係者は「日本人拉致被害者に割り振った番号である可能性が高いと思う。北朝鮮がひた隠しにする被害者が他にもいると、私は確信している」と断言した。番号は何を意味するのか。真相は不明だが、政府は把握できていない日本人被害者が多数いる可能性を踏まえて、北朝鮮と交渉に臨むべきだろう。

ロシアのウラジオストク駅で北朝鮮の政府関係者と話す金正恩・朝鮮労働党委員長=2019年4月26日(©︎朝日新聞社)

一方で、曽我ひとみさんには「12」から始まる番号の記憶はなく、「配給番号」として「709」の数字を覚えていた。1980年に米国人のジェンキンスさんと結婚後、他の元米兵らと軍管理の招待所で生活しており、文書には、別の招待所にいた蓮池さん、地村さん両夫妻とは別の番号で管理されていた可能性が示されている。

これは言い換えれば、蓮池さん、地村さん両夫妻のように朝鮮労働党の対外情報調査部の管理下ではなく、軍の管理下に置かれていた曽我さんのような日本人被害者が他にもいる可能性があるということだ。

北朝鮮当局は今でも、拉致した日本人らを別々の地域に住まわせたり、外出を制限したりして、日本人同士を接触させないように管理しているとみられる。帰国した5人も、北朝鮮で直接会ったことのある他の被害者は横田めぐみさん、田口八重子さん、増元るみ子さんの3人だけだった。政府が把握できていない日本人被害者が多数、存在している可能性はある。

「これまで当局の言うことをよく聞いて、特に問題がなかったので帰国者リストに載せた」

2002年に被害者5人が帰国を準備していた時期に、被害者を管理する指導員が曽我さんにこう打ち明けたという。この証言が本当ならば、他に被害者が存在しながら北朝鮮が発表しなかったとも考えられる。北朝鮮の内情に詳しい日本政府関係者は「認定以外の拉致被害者は当然いる」と話す。

“再調査”日朝合意も破綻…拉致問題の現状

日朝関係筋によると、北朝鮮が「日本人の包括的な再調査」を約束した2014年のストックホルム合意の前に、北朝鮮側は「特別な日本人」が存在する可能性を示唆していた。首相官邸や外務省内には、北朝鮮が新たに拉致被害者の生存を明らかにし、帰国させる用意があるとのメッセージを暗に送ってきているのではという期待感があった。

このため、終戦前後に亡くなった日本人の遺骨問題や残留日本人、行方不明者も含めた調査をパッケージで行うという北朝鮮側のプランに応じた。

ただ、日本政府内には、北朝鮮が遺骨調査などを優先し、拉致問題をうやむやにするのではないかとの懸念の声もあった。実際、外務省の主導で北朝鮮との交渉が進む中、拉致問題対策本部事務局は首相官邸に「包括的調査は筋が悪い」と進言していた。

再調査結果を出すように再三にわたって求める日本側に対し、北朝鮮は非公式に、拉致被害者の田中実さんと知人の金田龍光さんの生存情報を伝えてきた。だが、「自ら渡航してきた」と説明し、拉致を否定した。

当時の安倍政権は、2人は日本に身寄りがなく、帰国しても「成果」として世論に十分にアピールできないと判断。むしろ、再調査の報告書として正式に受け取れば、北朝鮮に拉致問題の幕引きを図られたと日本国内で批判を浴びると懸念した。報告書は受け取らず、田中さんらの生存情報は公表しないことにした。

北朝鮮にとっては「拉致問題は調査の1項目に過ぎない」(日朝関係筋)という立場だったが、日本側は「特別な日本人がいる」との発言を重視した。田中さんらの生存情報だけでは納得できず、結果として1人の帰国も実現しなかった。再交渉に備えて、交渉戦術を練り直す必要がある。

日朝政府間協議に臨む日本側の伊原純一・外務省アジア大洋州局長(右手前から3番目)と、北朝鮮側の宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使(左手前から3番目)=2014年5月、ストックホルム市内のホテル(©︎朝日新聞社)

政府の拉致問題対策本部事務局は、北朝鮮関係者との接触や韓国政府などの協力を得て、被害者の生存情報を収集してきた。ただ、実際に存在を確認できるわけではないので「最終的には北朝鮮に調査を求めるしかない」(警察当局関係者)のが現状だ。

北朝鮮で、蓮池さん夫妻や地村さん夫妻を担当していた指導員は、1〜3年で次々に交代していったという。帰国後の日本政府の聞き取り調査に対し、被害者の1人は「指導員は頻繁に交代するので、過去の経緯を知っている人はもういない。だが、必ずどこかに記録は残っているはずだ」と指摘している。

指導員は毎年1〜2回、担当する被害者の暮らしぶりや言動などについて記録した評定書を作り、上司に提出していたとされる。被害者は拉致された直後に履歴書や、指導に従うことを約束させる誓約書も書かされていた。

複数の政府関係者によると、2004年11月の日朝実務者協議で、北朝鮮側に評定書の提出を要求したが、北朝鮮は存在自体を否定したという。「一度、北朝鮮側が存在を否定したものを再び求めても意味がない」(政府関係者)との意見もあるが、粘り強く提出を求めるべきではないだろうか。

制裁解除というカードをちらつかせながら、まずは拉致事件に関して残存する証拠資料の提出を強く求める。このことは拉致事件の全容を解明し、生存する被害者の帰国に応じさせるうえで有効な手段になるはずだ。

文/鈴木拓也
構成/集英社オンライン編集部ニュース班
写真/朝日新聞社

『当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の深層』

鈴木拓也

2024年2月20日発売

1,870円(税込)

240ページ

ISBN:

978-4022519665

北朝鮮との水面下の接触は続いていた!
日本人被害者5人の帰国から21年。交渉は停滞したままと思われていた2023年、政府高官が東南アジアのある都市に極秘渡航し、朝鮮労働党関係者と接触していた。
数年前に外務省と北朝鮮の秘密警察「国家安全保衛部」とのパイプが途絶えた後、内閣官房の関係者が第三国で北朝鮮側と断続的に接触し、政府間協議の本格的な再開への意思を探り合ってきたのだ。岸田首相の「ハイレベル協議」発言と北朝鮮の外務次官談話は、5月の日朝接触とタイミングが重なる。
「拉致問題は解決済み」との態度を変えない一方、米韓と対立する北朝鮮は日本との対話を探っている。2024年1月1日に起きた能登半島地震被害を受け、北朝鮮の金正恩書記長が岸田首相に見舞いの電報を送った。これは一体何を意味するのか?
蓮池薫氏、田中均氏らキーパーソンたちが語る交渉の舞台裏と拉致問題の行方を追ったノンフィクション。
解説=斎木昭隆・元外務省事務次官(2002年と2004年、政府調査団として訪朝)

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