なぜ、弱小メーカーだった「ナイキ」がスニーカー市場シェアの大半を獲得できたのか? エアジョーダンなどのプロモーション戦略に通底する“勝利の方程式”
集英社オンライン / 2024年2月28日 11時1分
スニーカーショップatomsの創業者でスニーカービジネスの申し子・本明秀文氏が、「スニーカーブームはなぜ終わったのか? そして、これから起きること」を綴った書籍『スニーカー学』。東西冷戦の終結とアメリカ自由主義の到来がナイキの地位を確固たるものにしたと本明氏はいう。誰もが名を知る有名スニーカーブランドの歴史について一部抜粋して振り返る。
ナイキの勝利は
アメリカ自由主義と経済の勝利
2014年から巻き起こったハイプスニーカーブーム(入手困難なほど人気のモデルなどが登場したブーム)とは、つまり「ナイキ」ブームとイコールでもあります。なぜ、これほどまで「ナイキ」のひとり勝ち状態になったのか。先ほどの項目でエアマックス95ブームについて説明しましたが、さらに時代を遡って同社の歴史を振り返りつつ、国際政治の流れと絡めながら説明していきましょう。
「ナイキ」が創業したのは1964年のこと。当初は「オニツカタイガー」(現・アシックス)のランニングシューズをアメリカで販売する代理店として創業しました。71年からは「オニツカタイガー」から技術者を引き抜いて自社ブランドのランニングシューズの製造を開始していたものの、当時の「ナイキ」は何度もメインバンクから融資の継続を拒否されるほど、吹けば飛ぶような規模の小さな会社でした。
ただし「ナイキ」は当時から広告プロモーションが極めて上手でした。そのマーケティングへの熱意が描かれているのが、ちょうど2023年に公開された映画『AIR/エア』です。
この映画はバスケットボールシューズの市場で苦戦を続けている「ナイキ」が期待の新人だったマイケル・ジョーダンと契約し、エアジョーダンが誕生するまでのストーリーを史実をもとに描いたもの。しかし、当時のジョーダンは生粋の「アディダス」ファン。80年代の人気ヒップホップグループのRUN─DMCが「アディダス」のスーパースターをシューレースを通さずに履いてメディアに登場していたように、当時は「アディダス」こそが世界一のスニーカーブランドとして認知されていたのです。
さて、そこからどうやってジョーダンを説得したかは実際に映画を観ていただくとして、重要なのは、エアジョーダンの登場をきっかけに「ナイキ」のスニーカーがファッションアイテムとして人気を獲得するようになったこと。その人気ぶりは凄まじく、アメリカではエアジョーダン5の発売時には殺人事件まで起こりました。
そして現在の「ナイキ」のプロモーション戦略にも通底する重要な点が、ブレイク直前のカリスマを、破格の待遇でプロモーションに起用することが挙げられます。
当時のNBAはどん底だった70年代からマジック・ジョンソン*が登場し、シャキール・オニール*やマイケル・ジョーダンなどのスター選手がしのぎを削るNBAブームが起きはじめていた頃。
そのブームはアメリカ国内に留まらず日本でもNBA人気の高まりとともに90年から『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『SLAM DUNK』*が連載を開始し、一気にバスケットボール人口が増えたことを記憶している人も多いでしょう。
そんなNBAはアメリカのプロスポーツやエンターテインメント市場の成熟ぶりがうかがえる経済的な豊かさや自由の象徴でもあり、デニス・ロッドマン*をはじめとしたファッションリーダーを生んできた場所でもあります。〝エア〟のふたつ名の通りに高く跳び上がって飛ぶようにダンクを決めるマイケル・ジョーダンの姿に、当時の若者たちはアメリカの力強さを投影して試合を観ていたのです。
それに対し、エアジョーダンの登場以降の「アディダス」は苦戦を強いられます。というのも当時の欧州は経済面でも振るわず、テロも頻発していました。
英国ではサッチャー政権*下による賃金の低下や失業率の上昇が起こり、映画『トレインスポッティング』で描かれているように若者たちは未来に希望を失っていたからです。(ちなみに『トレインスポッティング』の主人公にして薬物中毒者のレントンが劇中で履いていたのは「アディダス」のサンバでした)
さらに「アディダス」や「プーマ」の母国であるドイツでは、89年にベルリンの壁が崩壊。ソ連の崩壊によって冷戦が終わると、一気に世界中に自由主義の波が押し寄せ、アメリカ一強の時代が訪れます。そこにアップル社やマイクロソフト社がシリコンバレーから頭角を現すと「アメリカ製こそが最先端である」と、みなが考えるようになったのです。
「ナイキ」がスニーカー市場のシェアの大半を獲得できたのは、冷戦終結によって国際政治と経済のバランスが大きく変わったことと無関係ではありません。
独自の路線を歩み続けている
「ニューバランス」と「コンバース」
「ナイキ」は巧みにトレンドに乗りながらプロモーションをおこなっているのに対し、独自の路線を歩んでいるメーカーが「ニューバランス」です。
もともと「ニューバランス」はスティーブ・ジョブズ*が愛用していた991やM1300といったヘリテージを愛する本格志向の層に加えて、アジアメイドのMT580をシュプリームのクルーが愛用したり裏原ブランドの「ヘクティク」がコラボしたりといった経緯からストリート層の支持も集めているという、2面性を備えたブランドでもあります。
またコラボレーションも「コムデギャルソン」や「パレス」、「オーラリー」などのブランドとアジアメイドのモデルでおこなったほか、近年ではUSA・UK製の品番でも「ダブルタップス」や「エメレオンドレ」、「キス」といったブランドとコラボをおこなったことで注目を集め、通常モデルも枯渇するほど人気を博しました。
本来、本物志向のヘリテージ層で「ニューバランス」が好きな人は流行り廃りに関係なく履き続ける傾向がありますが、良くも悪くも常に安定した購買行動を取るため、爆発的な人気を集めることは少ない傾向にあります。
しかし、彼らの需要を掘り起こすきっかけとなったのが、ML2002Rの復刻と993の日本発売です。低価格帯の2002とハイエンドモデルの993と、ともに異なるレンジで高い人気を誇るモデルでしたが、その人気を煽ったのがコロナ禍における品薄です。
2022年前半までML2002Rは試着もできないほどの品薄でしたし、特にUSA製の993はコロナで生産ラインを縮小した関係もあって品薄状態が続いたことで逆に需要に火を付ける結果になりました。
これらは「ニューバランス」が意図して起こしたハイプ(≒トレンド 入手困難なほど人気のスニーカー)ではありませんが、スニーカー業界の人たちのなかでも今まで「ナイキ」ひと筋だった人が「ニューバランス」を履きはじめるなど、少しずつ人気が高まりつつありました。
しかし、コロナ禍以後の急速なインフレによって顧客も製品の良さは認めているものの、若者の手に届かないブランドになりつつあるのは否めません。
女性人気もある堅調なコンバース
一方で1908年に創業した歴史あるスポーツシューズのメーカーのひとつである「コンバース」は、さらに独自の道を歩んでいます。その代表作が1917年に誕生したオールスターです。当時のスタープレイヤーだったチャールズ・H・テイラーの名前をアンクルパッチに冠した世界最初のバスケットボールシューズのシグネチャーモデルにして、ブランドを代表する定番モデルとして親しまれています。
オールスターが100年以上のロングセラーを記録している理由が、キャンバス地のアッパーにローテクのソールを採用したシンプルさのため安価とあって、街履き用として愛されていること。50年代以降にアイビーリーガー*たちがキャンパス内や街中でも履くようになったことを皮切りに、70年代以降はパンクをはじめとした音楽シーンでも愛された、いわば街履き用のスポーツシューズの元祖とも言える存在なのです。
また、女性にスニーカーカルチャーを根付かせるのは至難の業ですが、コンバースの価格帯はマス受けする1万円以内のモデルが多いこともあって、女性の愛用者が多いのも特徴です。実際に店舗前を歩く女性のスニーカーを調べた時は、オールスターの比率が目立っていました。ただし、これは逆に言えば今のスニーカーブームとは違う層から親しまれているブランド、とも言えるでしょう。
「コンバース」も新たなブランドバリューを創造するためにUSA生産のモデルを立ち上げたほか、2008年に日本企画のハイエンドラインである「コンバースアディクト」を立ち上げたり、2014年に過去のアーカイブをもとにした「タイムライン」を立ち上げたりと挑戦を続けています。
しかしスポット的にリリースされる「コンバースアディクト」のゴアテックス*搭載モデルやワンスターJなどは時折二次流通市場で人気が出るものの、今ひとつハイプできていませんでした。その理由のひとつとしてハイプスニーカーファンの多くはストリート系のスタイリングであるのに対し、オールスターを履く人たちの多くは古着やアメリカンカジュアルを好む点が挙げられます。
こう言うとブームの波に乗り遅れたブランドのように聞こえるかもしれませんが、言い換えるとハイプスニーカーブームが終わっても「コンバース」の業績は変わることなく、堅調を維持し続けています。ちなみに、日本で売られているコンバース製品はアメリカのものとは別物です。現在、アメリカの「コンバース」は「ナイキ」の傘下となっています。
*マジック・ジョンソン
80年代初頭からロサンゼルス・レイカーズで活躍し、NBAブームを牽引したプロバスケットボール選手。96年にNBA史上最高の50人の選手に選出。
*シャキール・オニール
身長2.1m、体重147㎏の巨漢を活かし、センターとして活躍したNBA選手。シャックの愛称で知られ、ファイナルMVPを3年連続で受賞した。
*『SLAMDUNK』
90年から井上雄彦が『週刊少年ジャンプ』で連載を開始し、全世界での累計発行部数は1億7000万部を突破している人気漫画。
*デニス・ロッドマン
86年にプロ入りし、ラフプレーや奇抜な髪型からバッドボーイズと呼ばれたNBA選手。
*サッチャー政権
1979年~90年にわたって保守党のマーガレット・サッチャーが英国首相を務めた期間。公共・福祉事業・社会保障の削減と民営化の推進をおこなった。
*スティーブ・ジョブズ
アップルの共同創業者として知られるカリスマ経営者。『イッセイミヤケ』のタートルネックセーターと『ニューバランス』の991を常に着用していた。
*アイビーリーガー
アメリカの東部8大学に通う学生のこと。富裕層の子弟が多く、キャンパスライフで培われた服装術はメンズファッションに大きな影響を与えた。
*ゴアテックス
1971年に開発された、透湿防水素材。アウトドア用品やレインウェアを中心に採用され、1979年に「ダナー」がダナーライトではじめて靴に採用した。
スニーカー写真/書籍『スニーカー学』より
写真/shutterstock
スニーカー学atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰
本明秀文
2024年1月29日(月)発売
1700円(税抜)
192ページ
978-4048974806
atmos創設者・本明秀文氏、電撃退任から早1年、『SHOELIFE』に続く2冊目の自著を刊行。「スニーカーブームはなぜ終わったのか?そして、これから起きること」をテーマに、25年以上にわたって原宿から界隈を見てきた本明氏の見解を、忖度なしで一冊にまとめました。ジェフ・ステイプル氏、コルク代表で編集者の佐渡島庸平氏、atmosディレクター小島奉文氏、スニーカーYouTuber CRD氏との対談も収録。“スニーカーブームのからくりは、あらゆる商売に応用できる”
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