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70年代に「新宿まで100分」と謳われた限界ニュータウン、今は最寄りのバス停まで一苦労…限界分譲地から新宿まで「通勤」してみた

集英社オンライン / 2024年3月4日 8時1分

YouTubeチャンネル「資産価値ZERO─限界ニュータウン探訪記─」で191万回再生を記録している動画、「限界ニュータウンの通勤事情」。1970年に「新宿から100分 オフィスと直結」という売り文句で売り出された土地から、半世紀が経ったいまも本当に新宿駅まで100分で通勤することが可能かどうか検証した動画だ。今現在の所要時間は?混み具合は?人気動画の裏側を書籍『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』より一部抜粋して紹介する。

1970年の新聞広告「新宿から100分」を再現

ご覧いただいたことのある方がいるかもしれないが、僕は自身で運営している動画チャンネルで、JR総武本線の成東駅(千葉県山武市)から5㎞ほど離れた分譲地から新宿駅まで、公共交通機関のみによる通勤が現実的に可能かどうか、実際に通勤時間帯の電車に乗車して実証するという体裁の撮影を行ったことがある。



きっかけは、その分譲地の開発当初の新聞広告で謳われていた「猛烈ビジネスマンの本格的ベッドタウン新宿から100分―オフィスと直結する」という文言を見かけたことである。

「100分」という、今日の感覚ではどう聞いても遠すぎる所要時間を、あたかも唯一無二のアピールポイントであるかの如く記載している点が、当時と現在の住宅事情を対比するうえで最もわかりやすいのではないかと考え、これをネタに一本動画を作れるのではと思い付いてのことだ。

写真はイメージです

1970年2月2日付朝日新聞に掲載されていた「東昭観光開発」の紙面広告。那須や伊豆の別荘地のほか、「第1・2九十九里浜」と称した、千葉県成東町(現・山武市)の分譲地の記載がある。

検証と言っても、50年前と今日では列車のスピードもダイヤも大きく異なり(1970年当時の成東〜銚子間は未電化区間でもある)、当時の総武本線の終着駅は東京駅ですらない。そのため、今日の総武本線に実際に乗車してみたからといって、条件が違いすぎてなんの検証にもならない。単に成東の限界分譲地から都内までの距離感を、分かりやすい形で、動画内で示したかっただけである。

広告記載の100分という所要時間も、自宅から勤務先・学校などまでの所要時間であれば、少なくとも関東では、現在でもその程度の時間を掛けて通勤・通学している人など特に珍しくもないと思う。

だが、今日成東周辺で分譲される住宅地の広告に、新宿や東京までの所要時間が記載されることはない。現在の成東で販売されている住宅分譲地は、あくまで成東近辺を生活圏とする住民を想定したものであり、50年前と比較して集合住宅の供給も格段に進んだ今、交通不便な九十九里平野の分譲地が、都心通勤者の「ベッドタウン」として販売されることはもうなくなった。

結果的にこの動画は、現在でも僕のチャンネルの中で最多の再生回数になっているのだが、主題はあくまで分譲地の紹介とその開発の背景にある歴史的事情の解説で、率直に言って後半部分の「検証」などお遊び程度のネタのつもりだった。

自分では他にもっと緻密に資料を揃えて丁寧に作ったつもりの動画があるのに、なぜこんな横着なものの再生回数が伸びたのか不思議で仕方ないのだが、まあ、再生回数を稼げる動画の作り方などというものが事前にわかれば誰も苦労しない。たまたま何かのきっかけで興味を惹かれる方が多かったということなのだろう。

出発地点のバス停まで行くのに一苦労

さて、そんなわけで実に安易な思い付きで取り組んだ企画であったが、実際に撮影を行うにあたって、まず最初に困ったのが、自宅から出発地点までの移動手段であった。成東のような単線区間の小さな駅では、駅までの交通手段は自家用車を利用し、駅前の駐車場に車を停めて鉄道を利用するのが一般的である。

しかしそれでは面白みがないというか、田舎ではそれが普通であったとしても、公共交通機関を日常的に使用して生活する都市部在住者にとってリアリティーのある話ではなくなってしまう。そこで、あえて成東駅までの移動に路線バスを利用しようと、最寄りのバス停留所の時刻表を調べてみると、その停留所に、朝の一本目の成東駅行のバスが通過するのは6時28分であった。

写真はイメージです

ところが困ったことに、朝のその時間に、我が家とスタート地点であるその分譲地を直接結ぶ交通手段が存在しない。

僕の自宅からその分譲地までは13㎞ほどもあり、とてもではないが歩いて行けるような距離ではないので、最初は成東駅前のコインパーキングに自家用車を停め、駅からタクシーに乗って分譲地に行き、そこからバスに乗車して撮影を開始しようと考えていたのだが、成東を営業エリアにするタクシー会社で、朝の6時台に営業している会社が存在しないのである。

周辺にはコインパーキングも一切存在せず、月極駐車場すらない。つまり東京へ向かっている間、車を停めておける場所がないのである。

仕方ないので、あまり褒められるような手段ではないが、分譲地の近隣にある墓地の駐車スペースに車を停めさせてもらい、そこから徒歩で出発地点の分譲地に向かい、撮影を開始することになった。

撮影開始は午前6時10分で、バス停までは徒歩で10分弱ほどかかる。バスの本数は決して多くないので、利用者は大体みな同じ時間に停留所に向かうはずなのだが、周囲には他に歩いている人もいなかった。停留所に着くと、すでに一人の高校生がバス停で待機していたが、結局その停留所から乗車したのはその高校生と、僕と妻の3名だけで、バスの車内にも乗客は数えるほどしかいない。通勤客らしい乗客は皆無である。ただ、僕は以前成田市で路線バスの運転手の仕事に就いていたことがあるので、地方の路線バスのこうした現状については特に驚くようなことではなかった。

駅までのバス代は往復600円

成東駅までの乗車運賃は300円であった(2022年6月時点。現在は320円)。この撮影は妻も同行していたので、成東駅までの交通費だけで片道600円掛かった計算になる。ところが成東駅の周辺のコインパーキングは、駅から最も近いもので1日400円、少し離れた駐車場(それでも徒歩5分程度)であれば1日200円で停めることができてしまう。

これではバスより、駅前の駐車場を利用した方がずっと安上がりだ。

もちろん、単に通勤で駅へ行くためだけの用途で自家用車を1台確保するのでは、バス運賃よりもずっと高額な維持費が掛かってしまうが、単に駅の利用時だけでなく、地域で生活するために、成人であれば自分専用の車を1台は保有しているのが当たり前のこの地域では、すでに車が手元にある以上はバスより駐車場を利用した方が安上がりで、なおかつ時刻表に拘束されることもないので時間の節約にもなる(住民の感覚としてはむしろこちらの方が重要)。

これでは路線バスの利用が低迷してしまうのも無理もない話だ。

バスが成東駅へ到着したのは6時43分。千葉行の各駅停車が6時59分発(2022年6月当時)なので多少の時間的余裕はある。実はその1分後に、JR東金線・京葉線回りの成東発の便もあるのだが、とにかく目標は最速で新宿駅に到着することなので、あえて混雑することを承知の上で総武本線に乗り、佐倉駅で快速に乗り換えることにした。

成東駅は、混雑しているというほどではなかったが、通学中の高校生が大勢ホームで待機しており、入線した千葉方面への電車もすでに満席で、着席することはできなかった。着席したければ次便の始発電車を利用した方がずっと良い。

千葉県・佐倉駅到着までにすでに約1時間経過

佐倉での乗り換え時刻は7時25分。つまり佐倉駅での乗り換えの時点で、すでに出発地点のバス停からは約1時間が経過していることになる。この先、佐倉から新宿まで40分で到着できるはずがなく、この時点で検証は終了しているに等しいのだが、先にも述べたように、別に真面目に検証しているわけではなかったので撮影は継続して行った。次は錦糸町駅で再び各駅へ乗り換えることになる。

乗客の数は、千葉駅を過ぎたあたりから目に見えて増加していく。当然のことながら乗換駅の佐倉駅でも座席は確保することができず、成東駅からずっと立ちっぱなしである。

だが、こんなことは首都圏の通勤電車ではごく当たり前の光景であって、むしろ撮影時点は新型コロナウイルスに伴う行動制限の最中でもあり、コロナ前よりも電車が空いていると言われていた時期である。

乗客を車内に押し込むためのアルバイトまで雇われていたような、昭和の「通勤地獄」の時代とは比較にならない。総武線の新小岩駅近くに住む知人が語るには、コロナ前の通勤ラッシュの時間帯は、ホーム上の列に並んで3本ほど電車を見送らなければ乗り込むこともできなかったそうだ。それでもやはり車内は身動きが取れる状態ではない。

錦糸町駅への到着は8時15分だが、ここでの乗り換えが最難関である。ただこれも、コロナ前は下車するのも困難なほど混雑していたことを思えば、撮影時はずいぶん空いていたように思う。

それでも乗り換え時はホームの足元が見えないほどの人だかりで、首都圏のこうした鉄道事情を見慣れていなかった視聴者さんの驚きのコメントが多く書き込まれていた。佐倉から来た総武線の快速はそのまま東京・品川方面に向かってしまうので、ここで総武線の各駅に乗り換え、両国・御茶ノ水方面に向かわなくてはならない。

これはのちに鉄道ファンの方からのコメントで知ったのだが、1970年当時の総武本線には、銚子〜新宿間に「犬吠」という急行列車が運行しており、件の広告表記の「100分」とはその急行での所要時間ではないかとのことであった。

現在の不動産広告でも、駅までの所要時間や駅構内の移動時間などは考慮せず、駅間の所要時間のみを記載しているものは珍しくないので、それほど誇大表記というわけではないのかもしれない。

新宿駅までの所要時間は140分に

結局、御茶ノ水駅で中央線の快速に乗り換えた後、目的地である新宿駅に電車が到達したのは8時41分、地上に出たのが8時48分。所要時間はバス停から計測しても140分で、往時より40分も余計にかかる計算になる。

特急電車を利用すればより早く到達できるが、特急の始発電車に間に合うバス便が存在しないため、今回の撮影では利用していない。多くの地方都市同様、九十九里平野においても、駅までの移動ですら自家用車に頼らざるを得ない事実が厳然としてある。

動画内では下車後、オフィスビルが連なる新宿駅の西口方面に向かっているが、この西口の光景も、50年前と現在では、ほとんど何の面影も残さないほど変貌しているはずだ。

いずれにしてもおよそ「検証」と呼ぶには値しない杜撰な検証ではあるが、都合よく急行「犬吠」を毎日利用できる条件であったならまだしも、そうでなければ今も昔も、決して楽な通勤とは言えないということはわかる。

冒頭で紹介した東昭観光開発の分譲地は、例によって当初の購入者の大半は投機目的であった。同分譲地に実際に家屋が多く建ち始めたのは1980年代後半に差し掛かってからであり、それまでは大半の区画が更地だったので、電化前の総武本線を利用して新宿まで通勤した「猛烈ビジネスマン」など、実際はほとんどいなかったはずだ。

しかし開発ブームに沸いた1970年代から、のちに地価が高騰する80年代後半〜90年代初頭の首都圏は、一般的なサラリーマンの給与では都心近郊の宅地などは到底手が届かない価格に跳ね上がっており、都内の会社まで1時間半、2時間かけて通勤するのはごく当たり前の話であった。千葉県には、そんな時代に開発された旧ふるい郊外ニュータウンが、今も数多く残されている。

70年代当時は公害が深刻化していた時代でもあり、環境が悪化する一途の都心部周辺を避け、環境汚染の影響が及ばない郊外が積極的に選ばれたケースも確かにあったのだが、好き好んで過酷な通勤手段を積極的に選ぶ人はさすがに少数派であったとは思う。

皆、予算が許す範囲で、可能な限り会社にも近く、また環境も優れた土地を選んでいたはずだ。

そんな時代を生きた方の、土地というものに対する絶対的な信頼感を、今日の相場観をもってあっさり切り捨てるのは酷な話であることはわかるのだが、一方で、もはや最寄り駅までの交通手段すら途絶しつつある「住宅地」の資産価値について、今後も過大に期待を寄せるのが賢明であるとはとても思えない。

この機微をはたしてどう扱うか、「限界ニュータウン」という題材を扱ううえで、常にこの点が一番頭を悩ますところである。

モノクロ写真・新聞広告/書籍『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』より
写真/shutterstock

限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話(朝日新聞出版)

吉川祐介

2024年1月12日発売

957円

240ページ

ISBN:

978-4022952523

各界より絶賛の声!

「独自取材を重ね日本社会の暗部に迫った一冊」――原武史(政治学者)

「興味津々で奇々怪々……不動産の魑魅魍魎!」――春日太一(時代劇研究家)

YouTube再生回数2000万回超! 「限界ニュータウン探訪記」配信者、渾身の書き下ろし!

嘘八百・誇大広告、デタラメ営業、乱開発……高度成長期・バブル期の仰天販売手口を紹介し、「資産価値マイナス物件」が再び分譲されている現状を明らかにする

(目次)
第1章 取り残される限界ニュータウン
第2章 限界ニュータウンはこうして売られた
第3章 原野商法の実相
第4章 変質するリゾートマンション
第5章 限界ニュータウンの住民
第6章 限界ニュータウンの売買
第7章 限界ニュータウンは二度作られる

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