1976年、日本ロック史に残る“伝説の10日間”の内幕「サザンだってジーパンも汚いし、オシャレなんていうのとはほど遠かった」新宿ロフト創設者が証言
集英社オンライン / 2024年3月9日 11時0分
高橋幸宏や大貫妙子、遠藤賢司、ムーンライダーズをはじめレジェンドたちが集った、1976年の新宿ロフトオープン記念の10日間。そのとき創設者・平野悠氏が得た、日本ロックの確かな手ごたえとは。フォークからロックへと変わる激動の時代を語ってもらった。
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1976年は日本ロックの集大成の年だった
――「1976年の新宿ロフト」にフォーカスした本を書こうと思ったきっかけはなんだったんでしょうか?
平野悠(以下同) 新宿ロフトの過去のスケジュールを見ていると、1976年の10月1日から10日間かけて行われた、オープン記念ライブのラインナップが目立ってすごいんですよ。
ムーンライダーズ、桑名正博、高橋幸宏や高中正義がいたサディスティックス、センチメンタル・シティ・ロマンス、南佳孝、吉田美奈子、矢野顕子、大貫妙子、遠藤賢司、りりィ、山崎ハコ、長谷川きよし……他にもたくさん。
昔のファンも若い人たちも、これをみるとみんなぶっ飛ぶわけですね。だから、その時期のことを中心にして、1984年に僕がいったん日本を離れるまでのロフトの歴史をまとめてはどうかという話になったんです。
――1976年という年は、やはり平野さん自身にとっても特別な意味を持っているんでしょうか?
その数年前に日本のロックが産声をあげてからすごい勢いで発展してきて、次々才能のある音楽家が出てきたわけですけど、1976年っていうのはそういう時代の集大成みたいな時期ですよね。
それまでマイナーだった日本のロックがニューミュージックと混じり合いながら市民権を得はじめた時代。けれど、後にそうなるようには完全に大衆化もしていない。だから、キャパ300人の新宿ロフトにこれだけのメンツが集まったっていうのもこの時期ならではのことですよ。
――日本のロックが広く商業的な成功を収めていく前夜がその時代だったということでしょうか。
そう。このくらいの時期からレコード会社の連中も「ロックが売れるかもしれない」ということに気づきだすんですよね。それまではレコード会社の社員でライブハウスをまともに相手にしていた人間なんてほとんどいなかったのに(笑)。
――先ほど名前の上がったアーティストの一部は、現在では「シティポップ」と括られて都会的でオシャレな存在として語られたりもしますが、当時の平野さんはどういう印象を抱いていましたか?
どうなんですかねえ。あの時代、確かに「はっぴいえんど」が出てきて以降、いろいろな流れがあったと思うんですけど、オシャレだったかなあ……(笑)。もっと後の時代になって、80年代からそういうイメージが出てきた気がするけどね。少なくとも、当時はオシャレなんてものじゃないですよ。
むしろ、自分たちが演奏できる場所にはどこへでも出ていくぜ、自分たちの表現をするんだ、これからは俺たちの時代なんだ、っていう意気込みのほうがすごかったですね。
――後のスターたちもほとんどがまだ20代だったわけですよね。
そう。サザンオールスターズだって、下北沢ロフトに出ていた頃なんてジーパンも汚いし、オシャレなんていうのとはほど遠かったですよ(笑)。
お前らはいつからそんな偉くなったんだ!
――本の中で、坂本龍一さんによる印象的な発言を紹介されていますよね。「YMOでブレイクする以前、まだ無名だった坂本龍一は、『どこぞの牛丼が美味いかどうかを話題にしていた奴らがいつの間にか六本木のステーキ屋の話をしている』と言っていたものだ」と。これも、その時代の音楽シーンの変遷をうまく表しているように感じました。
そうですね。もともと彼は、僕が1971年に開店した最初のロフトの客だったんですよ。その店はもともとジャズ・スナックとして世田谷の烏山でオープンしたんだけど、当初店のレコードはたった数十枚しかなかったんです。それで開店してしまったんだから無謀ですよね(笑)。
そのうちに見かねた客が私物を持ち寄るようになって、ロックやフォークを含めたさまざまな音楽を聴かせる店になったんです。
坂本は芸大の学生でクラシックの人間だったわけだけど、他の客が持ち寄ったロックやフォークのレコードを通じてそういう音楽にも目覚めていったんですよ。近くの音大に通っている女子学生のレポートを、一杯の水割りをギャラに代筆してあげたりしてね(笑)。その後、西荻窪と荻窪にもロフトを展開していくんですが、彼はしょっちゅうライブを観に来ていました。そこでいろんなミュージシャンと繋がっていったんですね。
――1973年開店の西荻窪ロフトには、フォーク系のミュージシャンが多く出演していたそうですね。
高田渡、遠藤賢司、友部正人、南正人、シバ、久保田麻琴、中山ラビ……他たくさん。オープニングには山下洋輔さんに出てもらったり、ジャズのライブもやっていました。ミュージシャンたちも、自由に演れる場所ができたっていうだけで喜んでくれましたね。
――こじんまりしたスペースだったようですね。
控室もないし、トイレもお客さんと共用でね。照明も裸電球を銀紙でくるむだけ(笑)。それが今の時代はねえ……出演者専用のトイレがないとミュージシャンは怒るでしょ。あの時代はそんなことで誰も怒らない。お前らいつからそんな偉くなったんだと言いたいですよ(笑)。
元左翼運動家が大事にした「場」の精神性
――元々ジャズ好きだった平野さんが、なぜ当時のフォークに惹かれていったんでしょうか?
ことさら「フォークだから」って気持ちがあったわけじゃなくて、あの当時はロックとフォークって繋がっていましたからね。自分の中で区別しているつもりはなかったですね。はっぴいえんどを追っていれば、自然と高田渡や遠藤賢司に行き当たるわけで。彼らもロックのミュージシャンたちから尊敬されていたし、実際に影響を与えていましたから。
――精神性の部分から重なり合っていたんですね。
後の時代に出てくるパンクもそうだけど、この社会はおもしろくないっていう反抗心みたいなものは共通しているんですよ。現状を変えて突破しなきゃっていう意識をみんな持っていた。これはもちろんその前の学生運動があったからこその意識ですよね。
でも、無気力・無関心・無責任の「三無主義」じゃないけど、70年代から徐々に変わっていっちゃうんです。それこそ、シティポップになっていくと、みんな楽しくやりましょう、みたいな雰囲気になっていくわけで。
――そういう時代の移り変わりの中で、熱い思いを持つ若者が集まる「場」をなんとかして確保していきたいという気持ちがあったんでしょうか?
そうですね。烏山のロフトにお客さんが誰でも書き込める落書きノートを置いて交流の場にしてみたり、そうかと思うと、青山高校とか千歳高校の社研(社会科学研究会)が店で会議を開いたりね。そういう連中が集える場所、いわば運動体みたいなものを作りたいっていう気持ちがあったんですね。なんせ、僕自身が元左翼運動家ですから。
――西荻窪をはじめ、各地にライブハウスを開店していくのにも、単に歌を披露するだけではない、そういう意味での「場」を作りたいという思いがあったんでしょうか?
はい。当時、フォーク系のミュージシャンが吉祥寺の「ぐゎらん堂」っていう店によく集まっていたんですよ。ぐわらん堂はちゃんとしたライブハウスっていうよりも飲み屋という感じだったんだけど、あの雰囲気に僕もすごく憧れていたんです。
毎晩どこからともなくフォークシンガーがやってくると、PAも何もないところで歌いだして、それにつられてお客も一緒に歌いだすっていうね。それで西荻窪にライブができる店を出したんです。
当時はまだ「ライブハウス」なんて言葉もなかった時代で、最初は客もほんの数人しかいなくてね。毎日ライブをやるのは難しいから、ライブは週末の夜だけにして、昼は喫茶店、終演後は朝までロック居酒屋という形態にしたんです。このやり方は荻窪ロフトや新宿ロフトでも続けていきました。
――演奏を観られるのに加えて、飲みながら語り合う場をつくるというのが念頭にあったんですね。
そう。その点、今のライブハウスなんて結構システマチックで、終演後に自動的に追い出されちゃったりするでしょう。あの頃は、ミュージシャンにボトルを出してライブ後もタダで飲ませていたんですけど。そうすると、お客さんも残って飲んでいってくれるし、大いに盛りあがるんですよ。
喧嘩からなにからいろんなことがあったけど、そういう時間の中で即席でセッションがはじまったり、新しいバンドが作られたり、あの時代のロフトではおもしろいことがたくさん起こっていましたね。
取材・文/柴崎祐二 撮影/杉山慶伍
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