〈東日本大震災から13年〉「元気でないよ」原発事故で飼っていた牛を殺処分した福島県浪江町の酪農家一家は今。別の街に行けば「放射能が来た」と陰口を言われたことも
集英社オンライン / 2024年3月10日 10時1分
たくさんの人々の人生を変えた東日本大震災。例えば、福島県浪江町に住んでいた酪農家の石井隆広さん(75)とその妻・絹江さん(72)夫婦もそうだ。あれから13年。かつての日々が戻ることはない。それでも、それぞれの思いを抱き、もがきながらも新たな生活を送っている。
「お父さんはあの日からすっかり変わってしまった」
〈この先帰還困難区域につき通行止め〉
赤い文字で危険を知らせる立て看板が街のあちこちで目につく。1年ぶりに訪れた福島県浪江町の津島地区は、屋根が崩れ落ちた民家や取り壊し途中の学校、朽ち果てた牛舎などが、そのままの形で残されていた。
無人の街。そう表現しても決して大袈裟ではないだろう。昨年、浪江町では「室原、末森、津島」の3地区の一部で避難解除が実施されたとはいえ、東日本大震災から13年が経った今も、故郷に帰ることのできない被災者は多い。
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福島県浪江町津島地区のガソリンスタンド
そうしたなかで今年1月、政府は未だに帰還困難区域となっている浪江町の一部地域について、避難指示を解除する「特定帰還居住区域」に新たに指定した。帰宅を希望する浪江町のすべての住民に、2029年末までに故郷に帰れるかもしれないというかすかな希望が見えてきたのである。
だが、この政府の決定について複雑な思いを抱いている者もいる。例えば、石井隆広さん、絹江さん夫婦だ。福島県浪江町の津島で酪農を営んでいた石井さん夫婦の自宅は今も帰還困難区域の中にあるため、帰ることはできない。現在は浪江町から60キロ以上離れた福島市内の住宅に生活の拠点を移している。
今回、「特定帰還居住区域」に指定された浪江町出身者の声を取材させてもらおうと、福島市内の石井家を訪れたのは今年2月末のことだ。
震災直後から浪江町の人々を撮り続けてきた写真家の郡山総一郎氏に同行し、石井さんの家の外から窓の中を覗いてみると、こたつに入った隆広さんが横たわって昼寝をしている姿が見えた。外まで出迎えてくれた絹江さんは、眠っている夫の姿を見ながらこう話す。
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牛舎で働く13年前の石井隆広さん
「お父さん(隆広さん)、あの日から、すっかり変わっちゃったんですよ」
あの日とは、福島第一原発の事故により、飼っていた牛たちが殺処分をされた日のことだ。育てていた乳牛がトラックに乗せられ運び出された日を境に、隆広さんの時間は止まっているようだった。
夢の酪農業をスタート。一時は約25頭の牛を飼育
お宅に入ると玄関の正面には、2階へ続く大きな階段が見えた。その両脇に居室があるが、右側の和室に隆広さんの姿はあった。起き上がった隆広さんと挨拶を交わし、部屋の中を見回してみると、趣味である自動車の雑誌が山のように積まれていることに気づいた。
郡山氏が「お久しぶりですね。元気でしたか?」と声をかけると、隆広さんは、「元気でないよ」とわずかに笑みを浮かべた。
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すっかり気力を失ってしまった隆広さん
テレビでは大音量で競馬中継が流れている。だが、番組を見ている様子はない。浪江町に住んでいた頃は馬券を買いに福島市内までよく行ってていたそうだが、実際に市内に住んでみると、隆広さんは「もう(馬券を)買いに行く気にもなんねえな」と漏らした。
時々、市内まで酒を飲みに出ることも楽しみのひとつだったというが、やはり今はそういう気にもなれないと話す。そんな彼を見ていると、何かを見失ってしまったときの喪失感に心が支配されているかのように思えた。
浪江町で育った隆広さんは小高町(現・南相馬市)の高校で畜産を学んだ。父親は他県に出稼ぎに出ることが多く、測量の仕事などをしていたという。隆広さんは高校を卒業すると一時期はトラック運転手をして生計を立てた。その後、自宅で1、2頭の牛を飼い、ついに夢だった酪農業を始める。
絹江さんは、地元の高校の農業科で学び、卒業後は浪江町の職員となった。そんなふたりが出会ったのは、地元の青年会だった。もともと面識はなかったが、青年会で親交を深め交際するようになったという。
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妻・絹江さん
「最初は、酪農の家に嫁ぐことを両親が反対していましてね。しばらくはお互いの親を説得する期間をつくって、それから結婚したんです」(絹江さん)
結婚後の生活は順調だった。3人の子どもに恵まれ、隆広さんが手掛ける酪農も全盛期には25、6頭の牛を飼うまでに規模を拡大していった。
ところが――。2011年3月11日、石井さん夫婦の人生は一変する。
「放射能がきた」と陰口を言われることも
福島第一原発事故があった当時、石井さん一家は8人で暮らしていた。石井さんの両親、それに長男夫婦と孫2人だ。震災の日、偶然にも、長男夫婦と孫は新潟におり、そのまま新潟で避難生活を続けることになった。
浪江町の石井さん一家も、すぐに避難するよう指示が出ていたが、隆広さんの両親はこのまま自宅で暮らしたい、避難しなくてもいい、とかたくなに逃げることを拒否した。そのとき隆広さんは、こう声を荒げたという。
「何言ってんだ、自分の命を守るのは当たり前だべ」
こうした隆広さんの説得もあり、両親は福島県内の温泉施設へ一時的に避難。その後は仮設住宅に入ることになった。
一方、隆広さんはしばらく自宅に残り牛の世話を続けたが、県は、福島第一原発から20キロ圏の警戒区域にあった浪江町の酪農家に対して、同意のうえで家畜を殺処分にするとの方針を示した。トラックで運ばれていく牛たちを、隆広さんはじっと見つめた。悲しそうな目をした牛の姿は今も頭から離れない。
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牛のいなくなった牛舎に立つ隆広さん
生きがいでもあり、生活のすべてだった牛が牛舎からいなくなると、隆広さんは仮設住宅に入った。避難生活が始まったのである。一方、妻の絹江さんは浪江町から車で約1時間半かかる本宮市のボロボロになったアパートで暮らすことになった。
絹江さんがいう。
「仮設住宅は町民のためのものですから、私たち町の職員が入ることはできませんでした。そこで、雇用促進住宅を自分で見つけてきて、何とかお願いして知人の看護師さんと、そこで暮らすようになりました」
こうして石井さん一家は、離ればなれで暮らすことを余儀なくされた。
「お父さんは食事の用意も自分でできないし、家事もまったくやらない人なんです。当時、三男が独身でしたので、お父さんと一緒に仮設住宅で暮らし、身の回りの世話をしていました」(絹江さん)
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福島市内の農園
震災後、絹江さんは配置換えとなり、町が運営する仮設の診療所で事務員として働くことになった。
「当時は、避難している町民が別の街の病院に行くと、『放射能がきた』と陰口を言われることもありました。何としても浪江に診療所を再開させなければということで、仮設の診療所を町がつくったんです」(同)
その診療所に従事する医師を見つけてきたり、レントゲンの機械を導入したりと、絹江さんは町の職員として病院での仕事に奔走した。
そんな生活がしばらく続き、やっと夫婦が一緒に暮らせるようになったのは、約2年半後のことだった。しかし、購入した福島市内に建つ一軒家も、石井さん夫婦にとって住みやすい場所にはならなかった。
(後編に続く)
取材・文/甚野博則
集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/Soichiro Koriyama
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