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あの鈴木清順監督にファンレターを書いたら、自宅に招待された話

集英社オンライン / 2022年6月7日 12時1分

映画誌「ロードショー」の関係者が、2008年に休刊するまでの取材裏話を披露するこのシリーズ、今回はイラストレーターのともゑさんがプライベートでのエピソードを語る。なんと! 世界の映画人たちからカルト的人気を得ているあの監督と、ひょんなことから親交を結んだという、不思議なお話

イラスト投稿から誌面デビュー!

「ロードショー」がオンラインで復活すると聞き、うれしいと同時に慌てふためき、思い切ってスマホを購入しました。「公衆電話とテレホンカードがあれば事足りる」と生きてきた人間が、今やスマホ教室に通って、いちから学んでおります。それくらい、私にとって「ロードショー」は特別な存在。

なかでも2001年6月号は、さらに特別。第73回アカデミー賞授賞式を、編集部の方が現地取材された号です。


当時いち読者だった私は、そのページを夢中になって何度も読み、眺め、この興奮と喜びを自分なりに形にしたいと考え、イラストブックをこしらえてロードショー編集部に送りました。今考えると、大胆、こわいもの知らず…でも自分の行動力に乾杯。

ともゑさんの人生を変えた号。LA現地取材で16ページにわたるアカデミー賞特集が。
©ロードショー2001年6月号/集英社

「絵を描くこと」と「仕事」がつながった、初めての場所「ロードショー」。何もかもが初めてづくしでした。

カラーページのことを出版用語で「4色※」と呼ぶのを知らず、「それしか使っちゃいけないんだ…」と4つの色だけを使ってイラストを仕上げたなどという、素人ならではのズッコケ話など多数。
※オフセット印刷では通常4つの色のかけあわせと濃淡でカラーを表現する

…と、こんな感じではありますが、「ロードショー」では約8年間、イラストを描かせていただいておりました。イラストレーターなので、スターにじかに会ったり、インタビューなどをしたことはありませんが、ただひとり、映画に深くかかわった人に、直接お会いする機会がありました。

映画監督の鈴木清順さんです。

ただファンのひとりとして絵と手紙を描いて送ったら、「家に遊びにきてください。ご馳走します」とお返事が。どれほど感激したことか。

たしか5月だったと思います。喜びと緊張で汗ばみながらご自宅にうかがいました。
「どんな雑誌で描いてんの?」と訊かれ、
「は…はい、あの、“ロードショー”で…」
「ああ! そう、へえ…」
わあ…テレビで見るのと一緒だ…おだやかで、ひょうひょうとしてて。

映画の話はほとんど…というか、いっさいしなかったと思います。「おまえは何しに行ったんかい」という大きなツッコミが日本、いや、世界の鈴木清順ファン(特にクエンティン・タランティーノあたり)から入りそうですが、仕方ありません。事実です。

監督・鈴木清順の目

その後も(なぜか)何度かおうちによんでいただき、その際は毎回「ロードショー」を持参。しばらくするとさすがに緊張も和らいで、そのとき読み終えたばかりの本『ショーケン』(萩原健一・著)の話で盛り上がり、「これ、人の悪口描いてないのに、すっごく面白いんです!」と、つい悪口好きな腹黒い自分を露呈してしまったときも、「はっはっはっ」と豪快に笑っておられました。

そう、私はこの笑い声が聞きたくて、それと「ロードショー」を開いて私のイラストを見てくれているときのあの笑顔が見たくて、会いに行っていたんだと思います。

「ロードショー」に掲載されたイラストを見てくださっている監督の笑顔
(ともゑさん所蔵写真/ご家族の許諾を得て掲載)

私が間近で見た清順さんはこんな感じで、やさしくて、のんびりとしたたたずまいといった印象でしたが、一度だけ、「あのときは…なんだったのだろう…」と今でもふと思い出すことがあります。

それは、食事もお酒も一段落して、本にサインをしてもらっていたときのことです。
突然カッと目を見開いてこちらを凝視すること5秒(…もなかったと思います)。「あれ、私、今なにかまずいこといっちゃったかな…」

ちがう。
あれは怒っているとかそういう目ではなく、ただ真剣な目。
後にも先にもあの目を見たのはその一度きり。
そう、今思えばあればまさしく映画監督「鈴木清順」の目なんだ…きっと…。
などと、撮影現場など一度も行ったことのない人間が勝手にそう思ってます。

その後も折に触れ、ご自宅で一緒にお酒を飲んだり、清順さんなじみの“どぜう屋”さんでごちそうになったり。
こう書くとなんだか頻繁に会っていたかのようですが、年に1~2回程度だったと思います。

©ともゑ

それよりもお便りのやりとりのほうが多かったです。
ポストから、あの清順さんの字で書かれたハガキを取り出すときの喜びといったら!
2017年に亡くなって、もうハガキが増えることはありませんが、一通一通、大切に箱にしまってあるのです。

鈴木清順(すずき・せいじゅん)
映画監督。1923年、東京都出身。助監督を経て1956年『勝利をわが手に』で監督デビュー。1980年『ツィゴイネルワイゼン』がベルリン国際映画祭に出品、国際的な評価を獲得。“清順マジック”と呼ばれた独特の色彩センスや強烈な作風で知られ、ジム・ジャームッシュやクエンティン・タランティーノがファンを公言している。『殺しの烙印』(1967)、『陽炎座』(1981)、『ピストルオペラ』(2001)など生涯に50本以上の作品を発表した。2017年逝去。享年93。

『オペレッタ狸御殿』(2005)が上映されたカンヌ国際映画祭で、主演のオダギリジョー、チャン・ツィイーと
写真:AP/アフロ

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