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難読症の克服、『タップス』での大抜擢、3度の離婚……。大スター、トム・クルーズの知られざる素顔

集英社オンライン / 2022年6月9日 18時1分

大ヒット上映中の『トップガン マーヴェリック』で主演を務めたトム・クルーズ。彼のキャリアの初期から取材してきた、ロサンゼルス在住のベテラン映画ライター中島由紀子さんが、その素顔と知られざる半生に迫る。

2022年最大のエンターテイメントに感動!

『トップガン マーヴェリック』を引っ提げ、2022年のカンヌ国際映画祭に出席したトム・クルーズと共演者たち
©HFPA

ああ、娯楽作品を見てこんなに感動したことが過去にあったでしょうか。

『トップガン マーヴェリック』(2021)を見終わって、うれしくなりました。高額の製作費を注ぎ込み、テクノロジーを駆使した迫力の映像。1ミリの隙もないディテールへの気配りとシンプルなヒューマンストーリー。まさにハリウッドならではの超娯楽大作です。



主演と製作を兼ねたトム・クルーズは、パンデミック下においても、ストリーミング配信ではなく劇場公開にこだわったそう。そのため、映画ファンは「公開までどれくらい待つのかな?」と一抹の不安を抱えていたけれど、ハラハラの2年間を経たトンネルの向こう側には、輝く青空が待っていた、今まさにそんな感じでしょうか。

『トップガン』(1986)
Photofest/アフロ

前作は、1986年に公開された故トニー・スコット監督の『トップガン』。大空を凄いスピードで飛ぶ戦闘機。そしてそれを操縦するトム・クルーズ演じる熱血の“マーヴェリック”と、ヴァル・キルマー演じるクールな“アイスマン”が空中でにらみ合い、スピードを張り合うさまに世界は大熱狂。『トップガン』は大ヒットし、トムを一躍スターの座に押し上げました。

36年後の続編で戻って来たマーヴェリックは、相変わらずスピードに命をかけていました。「いまだにそんな階級か」と年下の上官に笑われても、受け流して任務を遂行しています。今作ではマーヴェリックが人生経験を積んだベテランパイロットとして描かれていて、無謀で怖いもの知らずだった36年前の彼とはちょっと違う。その成長ぶりを見て泣けてきました。

試写室で横に座っていた男性(30代くらい)は、何回か眼鏡をはずして感動の涙をぬぐっていたし、後ろに座っていた男性は監督への質問の際、「1986年の『トップガン』を見て軍に志願し、7年間務めました」と誇らしげに語っていました。ちなみに1986年の『トップガン』公開当時、海軍航空部隊への入隊志願は5倍になったそう。

2022年5月、カンヌ国際映画祭で
©HFPA

「いつも『トップガン』の続編は? と聞かれていたけど、オリジナルよりずば抜けてエキサイティングなものが保証されない限り作る気はなかった。仕事を決める大きな要素のひとつは、チャレンジしがいがあるかどうかということ。撮影テクノロジーが、実現させたい映像に追いつくのを待っていた感じだ。そして僕自身がF /A-18戦闘機に乗ること。それが条件だった」とTVのインタビューで笑っていたトム。

これならトムが出演をOKしてくれるかもしれないという自信のある脚本と、F /A-18に搭載できるカメラの完成を待ち、ジョセフ・コジンスキー監督とプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーは、パリで『ミッション:インポッシブル/デッドレコニングPART ONE』(2023年公開予定)を撮影していたトムに直談判に行ったといいます。

その結果誕生したのが、2022年最大のエンターテイメント!
この素晴らしい作品を送り出してくれたトム・クルーズについて、40年以上取材でかかわってきた思い出を掘り起こし、その成長と変遷を振り返ってみたいと思います。

忘れられない、スター誕生の瞬間

トムの俳優業のスタートは1981年の『エンドレス・ラブ』と『タップス』の脇役。『エンドレス・ラブ』の出演シーンを見たトム自身、「トム、リラックス! リラックスだよ! と笑ってしまった」と、後に語っていました。

『タップス』左からトム、ティモシー・ハットン、ショーン・ペン
Everett Collection/アフロ

彼には初めから幸運の女神が微笑んでいました。
『タップス』では、トムが演じるキャラクターは、名前もついていない、その他大勢の陸軍士官候補生Aみたいな役だったのですが、彼には何かがあると感じたハロルド・ベッカー監督が、名前のある役に格上げしました。短い出演時間だし、主演のティモシー・ハットンとショーン・ペンの洗練された役作りに比べると未熟な演技なのですが、すでに光を放っていました。「あれは誰だ?」と観客の注意を引いたのです。あのときのトムが発散していたオーラは、今でもはっきり覚えています。強烈でした。まさに、スター誕生!

『タップス』の取材の席では、『普通の人々』(1980)でアカデミー助演男優賞を受賞し、すでにスターだったティモシー・ハットンへの質問ばかりでした。インタビュアーが新人のトムの名前を間違えてロニーと呼んでしまった際、礼儀正しく「僕の名前はトム、トム・クルーズと申します」と敬語で訂正していたのを思い出します。

インタビュアー:あなたの趣味は?

トム:ランニング、長距離です。それにフットボール、レスリング、高校時代は棒高跳びもやっていました。

インタビュアー:スポーツマンなんですね?

トム:スポーツは大好きです。

トムへの質問は、これだけ。

このときからずっと、ランニングが彼の得意スポーツリストのトップにあるのがおもしろい。約50本の出演作品のうち40本以上で走るシーンがあるそうです。トムのFacebookのページにも“アクター、プロデューサー、1981年から映画の中で走り続けています”というユーモアたっぷりの自己紹介文が載っています。

2009年のゴールデングローブ賞授賞式で。トムの後ろに映っているのが、2017年に亡くなった最愛の母、メアリー・リー・サウスさん
©HFPA

彼の人生とキャリアをプッシュする原動力は、スポーツマンとしてのヘルシーな競争心に加え、7歳で診断を受けてから苦しめられてきたディスレクシア=難読症の克服ではないでしょうか。
難読症は今でこそ治療の方法がありますが、以前は学習能力欠陥とさえいわれていました。本を読み聞かせされれば意味が理解できるのに、文字を追うだけでは理解できないというもの。学校の宿題は、トムが口で言ったことをお母さんが書き取り、それをトムが自分の手で書き直すというやり方で乗り切ったそう。

難読症で苦労したことを本人から聞いたことはないのですが、ある教育システムに助けられたと丁寧に説明していたことがあります。それがどれほど難読症の自分を助けてくれたかということや、自身の苦労を生かして子供たちを助けていきたいということを情熱的に話していました。
「引っ越すたびに読めないことがバレるんじゃないかとヒヤヒヤしていた」と、かつて雑誌「ピープル」のインタビューでも語っています。

チャンスを逃さず、ベストを尽くす

『タップス』の後、トムの出演作には『卒業白書』(1983)、『トップガン』、『ハスラー2』(1986)、『レインマン』(1988)『7月4日に生まれて』(1989)、『デイズ・オブ・サンダー』(1990)が並びます。このリスト、信じられますか? これだけの作品を自分に引き寄せるのは、並大抵のことではありません。

「チャンスを逃さない」、「チャンスをつかんだら全力でチャレンジする」、「ベストを尽くす」という言葉は、トムのインタビューで何百回も聞いています。

『卒業白書』共演のレベッカ・デモーネイ(左)と
Everett Collection/アフロ

『卒業白書』のインタビューですでに、80〜90年代を走り抜けるトップスターになる、彼なりの哲学がうかがえました。22歳のときです。

「今はスーツケースの中に住んでいるようなもの。NYに落ち着きたいけど、NYに帰ろうとするとハリウッドでの仕事の声がかかる。やりたいと思う仕事に恵まれたら自分のすべてを投じてチャレンジする。それは自分への挑戦であり、見た人がどう思うかは関係ないんだ」

誰かから仕事のアドバイスを受けるのかと聞かれれば、こんな感じ。
「僕は自分でやりたいと感じるもの以外はどんなにギャラを積まれてもやらない。すべて自分で決める。人からアドバイスは受けないんだ」

『ハスラー2』右は主演のポール・ニューマン
mptvimages/アフロ

『ハスラー2』でも、「僕のアパートにはベッドと仕事用のデスクしかない。だからアパートに(役作りのための)ビリヤード台を入れるのは簡単だったよ。僕はたくさんのものは必要ないんだ。シンプルな生き方を目指している。定めた目標を見失わないようにしている。いい仕事をする、毎日何かを学ぶ。チャレンジを恐れない」と語っていました。

『卒業白書』の成功で変化したことを尋ねられたときも、「仕事に対する基本的な価値観はまったく変わっていない」と断言。
「人気が出るとか女の子に騒がれるといったことは、仕事の副産物であり、仕事を選ぶ基準にはならない。僕はアクターとしてのキャリアを大切にしている。出演作品と関係ない“トム・クルーズ・ポスター”とかは絶対に出さないんだ。ファンの部屋の壁を飾るポスターのために仕事をしているわけじゃないから」

徹底した作品至上主義。あの明るい笑顔の裏側には鉄の意志が息づいているのです。

3度目の離婚以来、自分の人生について語らなくなった

『マグノリア』(1999)の頃は、ニコール・キッドマンと結婚して養子を迎え、自らよいお父さんぶりについても語っていました。
「家で仕事をするときは子供たちと一緒にいるようにしている。5時間半くらいの睡眠時間でやっていけるんだ。子供たちに対する責任は軽く見てはならないからね」

1998年にニコール・キッドマンと
Shutterstock/アフロ

なのに、どんな変化が起きたのか想像もできませんが「ニコールは離婚の理由をわかっている」という不思議な言葉とともに、トムは離婚訴訟を起こし2001年に離婚が成立しました。そのあとケイティ・ホームズと2006年に結婚したものの、今度はケイティが2012年に離婚訴訟を起こしてあっという間に離婚が成立。ケイティは娘のスリちゃんを連れてトムの元を去りました。

2009年。妻のケイティ・ホームズ、娘のスリとともに
Big Australia/アフロ

トムが大勢の取材陣を相手に取材に応じたのは2010年の『ナイト&デイ』が最後です。
メディアは残酷ですから、有名人のスキャンダルには批判的な記事を書き立てます。その結果、スターは目に見えない防波堤を築き、コントールできない外的危害から自分を守ろうとします。トムも当然、いろいろとメディアには傷つけられたと思います。
ケイティとの離婚騒動後、トムは出演作品のPR以外、自分の人生についてはほとんど語らなくなりました。

『ナイト&デイ』取材
©HFPA

サービス精神旺盛な人ですから、嫌な顔は絶対見せないし、対応の丁寧さは変わりません。しかし、楽しく終わったインタビューの録音を聞き返すと「あれ?」という感じ。内容スカスカのインタビューなのです。記者たちの質問のテクニックよりも、それをかわすトムのテクニックの方が優れているのです。

『マグノリア』取材でのトムと私(中島)

トムがあの笑顔で取材部屋に入ってくると、みんな思わず立ち上がって彼を歓迎します。ひとりひとりに「元気?」「どうしてる?」と聞いてくれるのです。
そばにいる人たちを元気にしてくれるトムのエネルギーが部屋に充満し、和気あいあいとインタビューは進み、温かいオーラに包まれて「じゃ、またね」と彼は消えていきます。
記者仲間は、「トムの人を惹きつける魅力は凄いね」と言っていました。そう、たとえインタビューの獲れ高が少なくても、彼の輝くスマイルを前にすると、そんなことはどうでもよくなってしまうのです。

2022年5月、カンヌ国際映画祭
©HFPA

1981年から、新作公開のたびに彼のあの輝くスマイルを真近で拝んできました。60歳になろうとしているトムは、当時と変わらず、観客を興奮のるつぼに巻き込み続けています。
かつて「自分の人生を深く生きれば生きるほど、役柄にその要素がにじみ出る」と言っていましたが、自分について語らなくなっても、『トップガン マーヴェリック』を見ていると、その裏にあるトムが積み重ねてきた人生が感じられます。
もう、賞賛の言葉が見つかりません。拍手喝采を贈るのみなのです。

文/中島由紀子

『トップガン マーヴェリック』(2021)Top Gun:Maverick/上映時間:2時間11分/アメリカ
アメリカのエリート・パイロットチーム“トップガン”は、かつてない世界の危機を回避するべく、絶対不可能な極秘ミッションに直面していた。ミッション達成のためチームに加わったのは、トップガン史上最高のパイロットでありながら、常識破りな性格で組織から追いやられた“マーヴェリック”(トム・クルーズ)だった……。

©2022 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
配給:東和ピクチャーズ
公開中
公式サイト:https://topgunmovie.jp/

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