早くも話題を呼んでいる高橋ユキさんの新作『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』(小学館新書)の構成は、一風変わった体裁をとっている。新書や単行本に「おまけ」として加えられる「著者とゲストの対談」は、本編の後に収録されるのが普通だ。しかし、本書では開いてすぐに、ベストセラー小説家である道尾秀介さんとの対談〈暗がりに目を向ける〉が始まる。なぜ、対談を巻頭に置いたのか。その理由は、刊行にあたって発表したステートメントに示されているように思われる。
『つけびの村』から抗い続けるノンフィクションゆえの不自由さ…『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』を読む
集英社オンライン / 2022年6月14日 8時1分
異色のベストセラー『つけびの村』でノンフィクション界に衝撃を与えた高橋ユキさんの最新刊『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』(小学館)。本書もまた“異色”と言える構成でスタートする。何が異色なのか? 作者・高橋ユキさんの証言と本書を一部抜粋・再構成してお届けする。
冒頭から道尾秀介との対談
〈わたしは日頃、事件や裁判を取材し、それをいろんな媒体に書く仕事をしています。たまにはインタビューを受ける機会もあるのですが、ひとつだけ、以前からうんざりしていることがあります。
「なぜ傍聴に行こうと思ったんですか?」
何度質問されたか分かりません。
取材を受けると、必ず「傍聴の動機」を聞かれるのです。
「なぜこの事件を取材しようと思ったんですか?」
これも定番です。
だから、こちらも定番のように思ってしまいます。
もしも、私が続けているのがランニングだったら、そんなにいつも「なぜ」と聞かれるだろうか? 絵画が趣味だったら、毎回のように「なぜ」と聞かれるだろうかと〉
高橋さんは常日頃から感じていたモヤつきを、思い切って道尾さんにぶつける。
〈高橋:最近は、ノンフィクションをめぐる表現の限界というか、不自由さを感じる機会が多くて、しんどい気持ちになります。
道尾:物語を魅力的に「加工」できないという意味ですか?
高橋:(…)なんというか、事件にはかならず被害者や関係する人々がいるじゃないですか。一言で被害者といっても、事件に直接かかわる人から、その事件の報道を見て心が傷ついたという人まで、被害者を定義する範囲も拡大しようとすればどこまでも広くなります。人が亡くなった事件を扱っている本について、面白いので、ぜひ買って読んでくださいね、というような言い方は許されません。事件ノンフィクションを「面白い」と言うことに、なんとなく、うしろめたさを感じる。というより、感じているように振る舞わないと許されない雰囲気へのストレスというか〉
定型化する「ノンフィクション作品」への反発
これも、一種の「同調圧力」なのだろう。高橋さんは前作『つけびの村』のあとがきでも、大文字で語られる「ノンフィクション作品」に見られがちな定型への反発を記していた。
「何かを知りたいと思ったときに、まずその気持ちを正当化する動機がなければいけないというのは、ちょっと窮屈だと感じています。誰か、他人から『意義のある、立派な行為ですね』とお墨付きをもらわないとやってはならない、なんて決まりはないと思うので」
そこで今回は〈建前〉や〈動機〉や〈正義感〉をそれらしく付け加えることはせず、ただ自分の興味に的を絞って、『逃げるが勝ち』を仕上げた。その結果、大ベストセラー漫画『ゴールデンカムイ』に登場する白石由竹のモデルとなった日本最強の脱獄囚・白鳥由栄、警察署の留置場から脱走して自転車旅を楽しんだ山本輝行(仮名)、松山刑務所(大井造船作業場)に抗議するために離島に潜んだ野宮信一(仮名)の逃走劇が選ばれた。
フリーライターとしての高橋さんの執念は、本書に充満する異常に細かな固有名詞に表われているだろう。
食べ物を得るため、各地の道の駅で万引きを繰り返していた山本が唯一、なけなしの現金を使って購入したお菓子は何だったのか。逃走中、山本は全部で5回も職務質問を受けている。どうやって、彼は警官の追求を逃れたのか。あっと驚く真相に、ミステリー小説の手練れとして知られる道尾さんも脱帽するばかりである。
〈道尾:この本を読んだ人みんなが感じると思うんですけど、もしも小説で書いたら、読者の怒りを買いそうな出来事がたくさん出てくるじゃないですか。「なんだ、こんなリアリティのないものを書きやがって」と、クレームをつけられるような(…)例えば山本さん(…)第3章に書かれている「リアルな理由」を、もし僕が小説で書いたなら、編集者とか校閲さんから赤字が入ると思います。「いくらなんでも警察が間抜けすぎでは?」とか〉
でも、それこそが「リアル」なのだ。
保釈をめぐる日本と外国の司法制度の違い
潜伏先の離島から尾道水道を泳いで渡り、広島(本州)に上陸した野宮を指名手配犯だと見抜いたのは、ネットカフェのベテラン店員。店員はどうして、偽名を使って入店した野宮を怪しいと睨めたのか。北海道から広島、四国までひたすら足で稼ぎ、次から次へと繰り出される「事実は、小説より奇なり」のディテールは、まるで漫才のようだ。引き笑いから噴き出し笑い、苦笑、失笑のうちに読み進めると、終章では比較刑事法を専門にする王雲海教授(一橋大学大学院)を訪ねて、保釈をめぐる日本と外国の違いについてクールな解説を決める。
「まずはシンプルに、かつて日本を騒がせた逃走犯たちがどんな思いで過ごしていたか、何を食べていたか、どうやって捕まったのか。そういう、おもしろ情報を楽しんでもらえれば嬉しいです」
だがもちろん、書かれているのはトリビアだけではない。
「レバノンに逃げたカルロス・ゴーン元会長が、自分の味方を増やすために世界に向けてアピールしたせいもあって、最近は、諸外国から日本に対して『人質司法』という厳しい声も上がっています。
けれど、それは必ずしも米国や欧州の司法制度だけが正しくて、日本の司法制度が間違っているという意味ではありません。良し悪しの両面を含んだものなのではないでしょうか。そのあたりも、王教授や弁護士の先生方に色々と伺っています」
硬軟おりまぜた充実の内容、新書に巻かれた帯のフレーズにも納得である。
どうりで捕まらないわけだ!
取材・文/山田傘
#1はこちらから
逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白
高橋ユキ
2022年6月1日
946円(税込)
新書 216ページ
978-4-09-825425-5
「どうりで捕まらないわけだ」(道尾秀介)
自転車全国一周に扮した富田林署逃走犯、尾道水道を泳いで渡った松山刑務所逃走犯、『ゴールデンカムイ』のモデルとなった昭和の脱獄王……彼らはなぜ逃げたのか。なぜ逃げられたのか。
異色のベストセラー『つけびの村』著者は、彼らの手記や現場取材をもとに、意外な事実に辿り着く。たとえば、松山刑務所からの逃走犯について、地域の人たちは今でもこう話すのだ。
〈不思議なことに、話を聞かせてもらった住民は皆、野宮信一(仮名)のことを「野宮くん」「信一くん」と呼び、親しみを隠さないのである。
「野宮くんのこと聞きに来たの? 野宮くん、って島の人は皆こう言うね。あの人は悪い人じゃないよ。元気にしとるんかしら」
「信一くん、そんなん隠れとってもしゃあないから、出てきたらご飯でも食べさせてあげるのに、って皆で話してました。もう実は誰か、おばあちゃんとかがご飯食べさせてるんじゃないん、って」〉(本文より)
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