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「女優という生きもの」ーー大鶴義丹×金守珍

集英社オンライン / 2022年6月18日 11時1分

俳優、映画監督、コラムニストなど多方面で活躍する大鶴義丹氏が、ほぼ十年ぶりに上梓した小説のタイトルは『女優』。演出家・俳優・映画監督の金守珍氏が、『女優』創作の背景、演劇と舞台芸術について大鶴氏と語り合う。

俳優、映画監督、コラムニストなど多方面で活躍する大鶴義丹氏が、ほぼ十年ぶりに上梓した小説のタイトルは『女優』。内容からも、昨年亡くなった母、女優の李麗仙氏を想い起こす読者がいるかもしれない。大鶴氏の父親である唐十郎氏が旗揚げした〈状況劇場〉にかつて在籍し、李氏とも交流が深く、唐氏の戯曲の演出に多くかかわってきた演出家・俳優・映画監督の金守珍氏が、『女優』創作の背景、演劇と舞台芸術について大鶴氏と語り合う。



構成/すばる編集部 撮影/中野義樹

女優の息子

いやー、面白かった。びっくりしたよ、義丹が小説家だっていうの、すっかり忘れてた。文体もしっかりしているしテンポがいいから、すぐ読めちゃった。

大鶴 本を出したのは十年ぶりなんです。

出だしがすごくいいよね。「有名女優の子供になることは、有名女優になることより難しい」

大鶴 確率として。女優は子どもを持たない人も多いから。
すばる文学賞でデビューしてから三十代まではなんとか小説を書いていたんですが、四十代に入ってあるとき、文字を書こうとしたら出てこない瞬間があって。そんなときに絞り出すようにして書く天才もいるでしょうけれど、僕は拗ねちゃったんです。出てくるまで書かないぞって、その後映画を作ったり他のことをしていた。でも、「すばる創刊50周年」の号に短編を書いたとき「あ、出てきた」って思って。そのころ母親が病気で倒れて、「女優」というテーマが頭に浮かんだ。「亡くなったから書いたの?」ってよく訊かれるんですけれど、そうじゃないんです。

僕は唐十郎が作った〈状況劇場〉に八年いたから、唐十郎と状況劇場の看板女優・李麗仙を両親として育った義丹がどんなに苦労してきたか実際に見てたし、それに二〇〇九年に放送されたNHKのドラマシリーズ「わたしが子どもだったころ」大鶴義丹編『僕は恐竜に乗らない』に僕、唐十郎役で出演もしたから、義丹の幼いころのこともなんとなく知ってはいるんだよね。妻の水嶋カンナさんが李麗仙役で。義丹の語りで進む再現ドラマ形式。今、みんなに見てほしいな。今回の小説でも女優を「恐竜の生き残り」に例えていたね。そして主人公テツロウの母親であり、大女優でもある人の名前が星崎紀李子。李麗仙の一文字が入ってる。

大鶴 作品中に出てくるベテラン天才女優・星崎紀李子がそのまま自分の母親というわけでもないんですよ。インスパイアはされていますけれど。母親よりもう少し小柄なイメージです。

僕は状況劇場のあと、〈新宿梁山泊〉でも李さんが倒れる寸前までずっと李さんと対峙していた。生きていれば李さんは今年八十歳になるから、唐さんが一九六九年に書いた『少女仮面』を再演する予定もあったんです。
小説『女優』の母親は七十五歳だったけれど、僕は李さんが七十三歳のときに主演に迎えて『少女仮面』を演出した。ここ新宿梁山泊の地下の劇場〈満天星〉で稽古して、下北沢の〈ザ・スズナリ〉でやった。だから、この小説、もう他人事じゃないんです。状況劇場でも李さんが一番闊達なときを見ている。老齢になられても何一つ変わらなかったな。みんな、いけにえになったかのようでした。稽古中、すっと誰か通っただけで、李さんが芝居を止めちゃうんです。「誰? 今通ったの」って。加藤亮介という、劇団の若手俳優がプロンプ(舞台演劇で、出演者が台詞などを忘れたときに合図を送る役割の人)に入ったときの話、したことあったかな?

大鶴 加藤さん、寝ちゃったんでしたっけ?

寝たんじゃなくて、気を失っちゃった(笑)。息をするのを忘れるくらい李さんの演技をじっと追って、酸欠になったの。「金ちゃん、この人寝てるんだけど」「ばかやろう!」って(笑)。李さんのものすごい集中力、揺るぎない強さ。女優としては日本でもトップクラスじゃないかな、義丹はその息子ですからね。

大鶴 母親もそうですが、僕、ある種の〝到達点〟に辿り着こうとする女優さんというのは、ふだんの生活が辛いんだということに気づいたんです、生い立ちから何からすべてが。女優を辞める人はたいてい芝居を続ける辛さに負けていなくなるんだけど、〝到達点〟に辿り着く人たちにとっては芝居をし続けているほうが楽なんです、ふだんの生活、人生が辛過ぎるから。努力して芝居をやっているわけじゃない。ここにいると楽よね~って(笑)。

「恐竜」「肉食獣」「怪獣」、この小説でも女優をいろいろに例えていたけど、僕らがとうてい入れない世界を持っている。違う空気を吸っている。

大鶴 そして、金さんもさんざん見てきていると思うんですけど、俳優としてある程度力をつけて安定してきたときに、男優はどうしても権力や覇権に向かうところがある。でも、女優はそうはならない。

女優は自分のためにやるんだろうね。

大鶴 シャーマン、巫女のように。

天から舞い降りてくる何かがあるんじゃないかな。生命体の根源にある何か。権力なんか目に入らない、自分の表現をとことん突き詰める。
小説の中で稽古して上演される芝居『娘と母の鉛筆画』で、女性の〝二面性〟が描かれているのが面白かった。芝居の主人公ツバキが実像と虚像に分裂していて、二人の役者が演じ、二人の闘いが描かれる。この視点がすごいよ。前からそういうふうに見てたの? そして一番感動したのは、二人のツバキを超えた存在としてツバキの母親がいるという構図。その母親を、この小説の主人公で演出家のテツロウの母である大女優が演じる。あれは見事だと思った。
僕は演出家だからテツロウの気持ちがとてもよくわかる。どうやったら俳優の才能を解き放つことができるか、魅力を引き出すことができるか。縛るんじゃなくて、自由にやらせる、泳がせてると、相手役によって全然変わることもある。小説の中にも、大女優が稽古に参加することによってみんなの演技が変わっていくところがあったよね。あれ、手に取るようにわかる。義丹の演出家の目が生きてると思った。

大鶴 僕は新宿梁山泊に四十一くらいのときから出入りさせてもらっています。見ていると、小劇場の女優さんというのは、大成したかたがいる一方で、女優として芽が出ない人もたくさんいる。

いますね。

大鶴 ここで女優という生物をたくさん見られたというのは、この小説を書く原動力にもなりました。

そして李麗仙という存在があって初めて書けたんだと、やっぱり僕は思うよ。実際、小説に書かれているとおりだった。
両親がまだ〈紅テント〉やっていたころなんか、義丹は嫌だったでしょうね。だって、いつも殴り合いの喧嘩ですから。いい大人たちがしょっちゅう家に来て、年がら年中宴会していて、そこで喧嘩が始まる。

大鶴 時代ですよね。本当に毎日酔っ払って殴り合って、誰かが血を流す。今だったら問題になるでしょうね。近所の人も「うるさい」って怒りに来るし、その人を劇団員が殴って警察沙汰になったこともありました。

さっきのNHKのドラマの中で、子供の義丹が「ギタンガ」という恐竜のおもちゃをずっと持っているんですよ、放さない。お母さんが忙しいから、劇団員の中に乳母のような存在ができる。優しいお姉さんが母親のように義丹の面倒をみたりする。その人があるとき、女優を辞めて田舎に帰っちゃう。そういうときの、心を痛める義丹の姿がうまく表現されていて……。
僕も女優が崩れ落ちていくさまをたくさん見た。年齢との闘いという部分もある。そういう意味でも、唐さんが李さんにあて書きして一番成功しているのが、『少女仮面』だと思います。李さんはかつての宝塚の大スター・春日野八千代役を初演以来、何度も演じた。中に「時はゆくゆく/乙女は婆アに、/それでも時がゆくならば、/婆アは乙女になるかしら」って老婆が歌うシーンがあります。
女性ってずっと少女なんだと思いますね。皺ができても、八十、九十になっても、紅を引くと少女に戻る。それを永遠にやり続けるのが女優さんですよね。

化け物たちの中で

二〇一三年、唐さんが朝日賞を受賞したんです。受賞式では蜷川幸雄さんがスピーチする予定だった。でも蜷川さんが倒れちゃって義丹が代わりにスピーチした。

大鶴 前の年の五月に父が脳挫傷を負って、その回復がまだ十分じゃなかったのでサポートをするため、というのもあったんです。

そのときの控室で、義丹が「金ちゃん、俺、テントやってみたい」と突然言うから、びっくりした。それでまず『ジャガーの眼』というのを一緒にやりました。義丹がテントに踏み込んでくれて、十年近くになります。今年は義丹のほうからの提案で『下谷万年町物語』を準備しています。
僕が状況劇場に入ったのは一九七九年、唐さんという大きな謎を解くために彷徨い続けた八年間だった。その後、新宿梁山泊を旗揚げしてからも旅は続き、でも謎を解く扉すら見つからないからとにかく唐さんの初期作品を上演し続けた。そして、新宿の花園神社にテントを張ったころ、行く手に朧気だけど扉が見えた気がして、ようやく唐さんに自分から脚本を「書いてください」とお願いすることができた。それが二〇〇五年初演の『風のほこり』という作品です。これは唐さんのお母さんの話だよね。二十歳の文学少女「田口加代」(実名のまま)が自分の書いた脚本を浅草の劇団に売り込みに行く。唐さんは第二部『紙芝居 アメ横のドロップ売り』も、新宿梁山泊のために書き下ろしてくれた。そのとき、肉親を書くのって、相当なエネルギーがいるんだろうと思いました。

大鶴 肉親を書くのはこれで最後だと思います。最初で最後。

李さん、喜んでるよ、昭和にこんなすばらしい女優がいたんだということが活字になって残った。百年後もまた語られる。僕は僕で、『少女仮面』をずっとやり続けたいんですよ。これは唐さんから李さんへのラブレターだと思っている。
思い出すのは二〇一二年、さいたま芸術劇場の『下谷万年町物語』の稽古の帰り、思ったより早く終わったので、唐さんと二人で一緒に中華料理を食べたんですよ。そうしたら大きな餃子を手摑みで食べながら、李が引退するらしいが、「僕がまた李のために書いてあげたら、引退なんて考えないかもね」って少年のようなキラキラした目で言ったんだよ。その少しあとに会ったとき「金ちゃん、李にプレゼントする作品が思い浮かんだよ! 今、金町からスカイツリーを見上げながら妄想してるんだ!」って。ドキドキしたな……結局その後、唐さんが倒れて、新作が生まれることはかなわなかったけれど。
ぶつかるときはすごかったよね。これは聞いた話だけど、夜ね、唐さんが黙ったままキュッキュッキュッキュッってこたつの脚を回してる。それで李さんの頭をパーン、とやって。でも李さんは微動だにしないんだって……。

大鶴 こたつの脚、回るからね(笑)。

義丹の場合は親への反発がすごく強かったでしょうね。「僕はそっちには行かない」という。その反発が原動力になって二十代、三十代、他の世界で活躍したけど、四十代になって実際に舞台と小劇場に関わって、幼いときから見てきたことが自分の中で整理できたんじゃないかな。うちの〈紫テント〉で芝居に関わりながらお母さんの演技を見て、やっと客観的になれた。
この小説には母親と息子の関係の長い道のり、すごい道のりが芝居を通して描かれている。フィクションかもしれないけれど、僕にとってはとてもリアリティーのあるフィクション。女優論としても読める。さきほど話した〝二面性〟というテーマを作中劇に入れていることもそう。幻影と対峙する実体のこと、よくぞ書いてくれました。女優って必ず葛藤がありますから。現実の女である自分と表現する自分。それを超越し、悟った人を大女優・星崎紀李子が演じてまとめている。母親をそう描いている。
テンポもいいけど最後、切ないね。悲劇なんだけど、すごく温かい何かが残る。一年後に再演するとき、いなくなる人もいる。

大鶴 俳優は芝居から離れると、魔力が抜けるんですね。

演出家は本当に演劇の神様にぬかずくような、修行僧のような気持ちになるんですよ。人間としての本能は本能でむくむくあるんだけど、恋愛となるとブレーキがかかっちゃうんですね。書かれているとおり。芝居取るか、恋愛取るか、でも、恋愛していいこと何もない、芝居中は。

大鶴 僕が小学校高学年ぐらいかな、うちは座内セックス禁止だからって不破万作さんが言ってたなあ。

いや、新宿梁山泊も旗揚げ当時は、座内恋愛禁止、日常を持ち込むなと標語に書いてあった。恋愛というのはどこか逃げ場になっちゃうじゃない? 辛いときなんかに。それで駄目になった女優をいっぱい見ている。僕は奥さんと座内恋愛ですけど、十年以上ちゃんといたら、オーケー(笑)。
状況劇場のころは、みんなどっかおかしかった。一年三百六十五日休みがないからバイトもできない。唐さんは芝居の構成の刺激になるから飲み会をしたい。夜飲んで、朝七時から小林薫の家に行って台本を書く。そして、飲み会の場にいなかった団員は「もう明日から来なくていい」と言われる。三百六十五日なんにもしないでも稽古場に行かなきゃいけない(笑)。そういう意味ではまさしく芝居漬け。
僕はNHKの番組で唐さんを演じる中で義丹の辛さ、葛藤とかを垣間見ましたけど、今回小説を読んでまた、いかにがんばってその中から抜け出そう、人間性を取り戻そうとしていたかを知りました(笑)。あそこにいるのは普通の人間じゃない。怪獣、化け物たちだよね、ある意味。でも、そこにはやっぱり真実がある。この小説で、義丹は優しい目で見て全てをひも解いている。見事です。義丹はタレントもやったし、俳優もやったし、バラエティーや他にもいろいろやったけど、視点はぶれてないというのがうれしかった。

父と息子

唐さんが書くものと義丹のは全然違うね。義丹のはすごく読みやすいし、僕の場合は自分のことのように感じて没頭できた。唐さんの作品はその幻想の中に入り込むまでちょっと時間が必要なんです。入り口がなかなか見つからない。義丹の場合は僕らの等身大の世界から入って、また違う劇的な世界を見せてくれるんだけど、唐さんのはこう言うのも変ですけど、読むのに苦労します、いつも。ただ、最終的にはすごいインパクトを受け取る。

大鶴 父は小説はそんなにたくさん出してないんです。『佐川君からの手紙』で芥川賞をもらった後、『御注意あそばせ』以降は、小説を積極的に発表しなくなったんですよね。

自分の世界をまとめることをしなくなったんじゃないかな。戯曲を読んでいても、あっち行ったりこっち行ったり。幻想のほうが強過ぎちゃって戻れないことがある。常に生と死の世界を行ったり来たりしている。「死の世界からの叫び声を聞いて書いているみたい」って僕、『泥人魚』の演出についてインタビューされて答えたことがあります。
唐さんは台本を大学ノートに万年筆で書くんです、すっごいちっちゃい字で百ページくらい書いても、誤字脱字、書き損じ、いっさいない。蜷川さんも、『盲導犬』の大学ノートもらったときは震えてましたよ。義丹はどうやって書くの?

大鶴 本当にいけないところなんですけど、僕は何かぼわっと頭の中で作って、設計図も書かないんですよね。あらかじめ組み立てると陳腐になっちゃうときがあって。小説の書き方として駄目だよって言われたこともあります。

すごく読みやすかった。

大鶴 最初にスタートと真ん中と終わりは作って、後から盛り上げるタイプです。

僕は主人公のテツロウの妻のフキコが、自分の奥さんに思えてしょうがなかった。うちのカンナさんも制作やっているから、似たようなものなのよ(笑)。昨年末は追悼公演で李さんの後を継いで『少女仮面』の春日野を演じましたが、助成金の申請の細かい作業などもやっています。女優しながらお金のこともやる。大したもんだなと思ってます。僕にはできない。

大鶴 小劇場の面白いところは、テレビや映画などの映像だと女優さんって一つの価値観――芝居のうまい下手、容姿、人気があるかどうか――だけで見られてしまいがちだけど、あいつは芝居は下手なんだけど、そういえば金計算がうまい、という女優がちゃんと芝居を続けられたり、そうやって続けているうちにちょっと味が出てきたり、ってことがありますね。小劇場や舞台というのはやっぱり人間、役者が中心、〝主役〟なんですよね。でも映像は、もしかしたらプロデューサーが主役なのかな。

映像は監督のものでしょう。編集でいくらでも切っちゃえるから。あと、カメラの位置も含めて、何だって指示できるし。舞台は役者のものです。だから、イギリスでは〝サー〟の称号まで付くのだと思う。演出家は産婆さん、幕が上がったらもう止めようがない。その日その日、出来不出来もある。一応ルールがあるからそのために稽古をする。でも、そのルールを超えたところにまた一つの領域がある、そこに到達する役者がいるわけですよ。毎日違うけど、毎日すごい。名優という人たちは百回同じことやっていても全部違う。だから、毎日が闘いだと思いますよ、体調管理から何から何まで。

大鶴 イギリスの〈ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー〉なんかには、すごい人がいますね。商業システムとしても完成されていて、一つの演目を追究できる。飽きたその先までやるみたいな人。

実は韓国もそうなのよ。客が入ろうが入るまいが平気で二、三か月やるの、小劇場は。一つの演目を半年くらいやって、ヒットしたら三年くらいやるところもある。僕なんか十日ぐらいで飽きちゃうから(笑)、どうしたら維持できるか考えます。森光子さんなんて偉いなと思う。

大鶴 経験がないですけど、ある回数超えたら別の風景が見えてくるんでしょうか。うちの親たちもそれをやってないから、僕も分からないんですよ。

だって再演しないのが状況劇場だったんですよ。常に新作を上演していた。でも、義丹が大きくなって家を出ていき、唐さん、李さんの間に葛藤があって、過去作品に戻った。それが義丹が生まれたころ唐さんが書いた『少女仮面』の再演。唐さんはあて書きじゃないと書けない人だった。李さんがいなかったら、唐さんという作家は出てません、これは断言できます。あと、緑魔子という女優がいなかったら、たぶん〈第七病棟〉に新作を書けなかっただろうし、吉田日出子もそうだけど、ある時期の小劇場って、個性ある女優さんが作家に作品を書かせていたという面がある。
昨年十二月に、初演から十八年ぶりに上演した『泥人魚』ですが、唐さんからは、実は宮沢りえをイメージして書いたと聞いていました。今回やってみて分かったけれど、ダイアローグが小説みたいで、かなり文学的なところがあった。一幕目で、これは大変だなと思いました。二幕になると演劇的に転がっていくんですけど。
今回、実は宮沢さんにどれをやりたいか選んでもらおうと、戯曲五本くらい候補を挙げたんです。だって、「唐さんがあて書きしたから『泥人魚』やろう」っていうのも陳腐じゃない? 唐さんの告白のことは黙っていた。だけど、『泥人魚』を選んでくれた。うれしかったな。宮沢りえという女優もすごい。半端ないですよ、あの人も。

人間の本質は全部アングラの中にある

大鶴 金さんと演劇やらせてもらう前に、一度劇団の話を途中まで書いたことがあったんです。でも親の話になってしまって、でもまだ親も現役で、自分で気持ち悪くなって書くのやめたんです。だから、劇団の話を書いたの、実を言うと二回目なんですよ。

よくここまで客観的に書けたと思った。だいたいの演出家はグッとくると思います。たわいのない葛藤が常にあって(笑)、でも、そこから歯車が回ってさらに大きな歯車を動かす。いろんな人と一緒に舞台を創り上げる。役者だけ集まれば演劇は始まると言うけど、本当はそうはいかない。貧乏であることは確かです、たいてい経済という波で現実に押し戻されちゃう。でも、李さんも唐さんもそうはならなかった。僕はお二人からそういうことも学びました。
最初僕は〈ニナガワ・スタジオ〉に所属していたんだけど、あるとき蜷川さんの言ってることが分からなくて、「状況劇場で修業してきます」って出た。でも、状況劇場にいても余計分からなくなって、結局、新宿梁山泊を旗揚げして三十年以上になります。
蜷川さんも最後はシアターコクーンという牙城を持って、唐十郎という難題にずっと挑戦してました。アングラにコンプレックスがあったのかもしれませんね。そして、蜷川さんが倒れた後、僕が二〇一六年にコクーンで『ビニールの城』の演出をすることになった。
こんなに長い間アングラに関わっていると、僕も悟ったわけじゃないんですけど、人間の本質は全部アングラにあるなと思うようになった。女優の中に人間というものの全てが入っている。それを切り取るみたいに僕らは演技し演出し、日常を耐え、舞台に生きる。

大鶴 だから、ふだんの生活が楽しい人や、まっとうな愛に恵まれている人は、女優として大成しないことも多いですね。三度の飯よりも演劇に関わっていたいと思う人じゃないと。

だって、唐さんなんて朝書いて、昼はワイドショー見ながらネタを仕込んで、夜、宴会で、みんなに歌ったり踊ったりさせて、自分が思い出した一節なんか読ませながら、それで次の朝、また書くわけですね。芝居のための日常を送っていた。その日常が僕らにとっては非日常だったものですから、それは大変で。でも、だんだん麻痺してくるんですよ。僕は新宿梁山泊を作ったけれど、状況劇場を引き継いでいるという自負がどこかにあるので、今でも唐さんたちと一緒にいるつもりです。お金もないのになぜか演劇の神様が続けさせてくれている。こんな場所も観客も与えてくれている。

大鶴 見にくる観客は昔とは変わりましたよね。

変わりました。昔は何か下手なことをしたら罵声を浴びせてくるような、迫力のある感じだったけど、みな、おとなしくなった。昔は客のほうが俳優より強かったかもしれない。

大鶴 ロックコンサートみたいでした。今は逆に、文化的なことをお勉強しましょう、というような雰囲気を感じることもある。

かつては客も自分探しの旅をしていたから、主役に自分を投影した。六〇~七〇年代は時代がそうだったからかもしれないけれど、みんな何かと闘っていた。でも八〇年代の演劇ブームで、分かりやすく楽しく見せる演劇が主流になった。そして九〇年代辺りからは、平田オリザみたいに日常の中にドラマがあるという、静かな演劇も上演されるようになった。

大鶴 アングラとは正反対ですもんね。

僕らはこの単段式ロケットで膨大なエネルギーを使って日常という大気圏から出て、宇宙に行って遊ぼうとする。そしてまた戻ってこなきゃいけない。日常がそれだけ重いということでもある。でもエネルギーがないとそこから出ていけません。義丹はアングラや唐十郎の世界を「ファンタジックホラー」と表現したけど、ファンタジーでホラーな現場に行くには膨大なエネルギーが要るということでもありますね。
今でも僕はテント(の空間を使う演劇)を放棄できない。雨の中でも台風でもテントを張る。何でこんなことやっているのかという自問自答は常にありますね。でも、それを超えたところに、表現の場を自分らで作る、自ら滑走路を作ってそこから飛び立つという意識があります。この意識は誰にも邪魔できない。
今回の小説にも花園神社が出てきますよね。昔からあそこには芸能の神様が祭られていて、唐さんがそこでテントを張っていた。僕の「新宿梁山泊」という劇団名の、「新宿」は新宿花園神社の「新宿」なんです。「梁山泊」は『水滸伝』からで、「花園に集まりましょう」という意味です。僕にとっては花園神社は聖域です。今度の小説にはそのことも出てきて、うれしくて、うれしくて。

大鶴 演劇の神様という存在を感じることはあります。演劇以外のものに浮気すると、やっぱり許してくれない。

浮気というか、横道にそれたら許さない。その怖さはありますね。僕は演劇を全うしているから続けられているんだと思います。コロナでこの二年間、演劇界隈は大変だったけど、僕らは一度も中止しなくてすんだ。飲み会もできるときはずーっとやってた。なぜ飲み会をやるかというと、そこでの情報が必要だからです。上演しっぱなしじゃなくて、そのことを話し合う場、コミュニティーが絶対必要なんですよ。

大鶴 そういうプライベートな付き合いを一切しない演出家さんもいますね。最近増えていますが、僕なんかは戸惑ってしまいます。

そういう人は役者のいる場が嫌なんでしょうね。唐さんは真逆ですけど。

大鶴 どっちが正しいかではなくて、スタイルなんでしょうね。

いやいや、唐さんが正しい。商業ベースなら必要ないかもしれないけれど、そういうコミュニケーションがないと、芝居の新しい芽は出てこない。人と人のぶつかり合いがないと、新しいものは生まれない。コミュニケーションをしない、つまりぶつかり合わない演劇には、愛情の薄さを感じる。
義丹は逆に親からの偏執的な強い愛情を受けて反発したけど、その愛情が今、やっと分かるんじゃないかな。この小劇場の世界から出ていかなかったのも、やっぱりおやじ、おふくろの演劇に対する愛情と、自分に対する愛情を理解できたから。
唐さんは義丹とずっと対等だったんです。「義丹が俺を投げ飛ばしたんだよ」って僕に自慢したことがあった。唐さん一家がよみうりランド近くに住んでいたとき、鍵を持っていなかった義丹が便所のガラスを割って家に入ってしまった。唐さんは「俺の家壊すな」って義丹と取っ組み合いをして、あげく義丹に投げ飛ばされた。そのことを延々と自慢するんですよ。「金ちゃん、義丹強いんだよ」って。唐さんってそんな少年性を持ち続けている人なんです。
演劇人の基本は大人にならない何かがあることなのかな。大人になることで、幼少期に持っていたもの、例えば自然との交信とか、そんな芽が摘まれ、潰される。それを潰すのは偏った教育なのかもしれない。みんなと歩調を合わせなさいって、芽を一個一個刈り取っていって、人間性を失わせて、国のため社会のために犠牲になれる人間をつくる。戦争のような時に役に立つように。でも、誰かのために死ねと言われても、それをやらないのが演劇人。義丹は何も摘まれてない感じがする。唐さん、李さんの育て方がそうだったけど、摘まれなかった分、自由だから親にすごく反発して……それが今、全て許している。これからの小説、楽しみですよ。次の作品の題名は決まってるの?

大鶴 まだ決まっていないんです。子なし夫婦の話ですけれど、悲劇的な終わり方になる予定です(笑)。僕は破滅がないと駄目なので。小説家は十年しか書き続けられない、なんて言っている作家もいるそうです。でも最近、すごく文章が出てくるようになったので、四十代に「書けない」って拗ねてぶん投げてしまったのがよかったのかもしれない。今、書くことが楽しいです。

創造の地下水脈

コロナ禍以降、観客の性質はさらに変わっていくかもしれないけれど、舞台の作り手はそんなに変わらないと思います。変わらない人たちが残る。あとは淘汰されていきます。演劇はもう五百年、六百年、同じような人たちが同じようなことをやっているんですよ。だって、今のドラマにだって、シェークスピアのオマージュと言っていいのもある。世界にあるドラマのひな形は実は限られている、それを時代時代に合わせて作り替えているだけだ、という人もいる。時代は変わっていくけど、演劇のスタイルは変わらない。歌舞伎がさらに絢爛豪華に進化するということもあるかもしれないけど、唐十郎みたいな人がまた出てきて地下水脈を汲み上げ、変わらない人間の営みと喜怒哀楽を表現していくと思う。底にあるのはお金でも経済でもなく「人間らしさ」じゃないかな。僕らはその「人間らしさ」を、女優から学ぶのかな。
あるとき思ったんですが、唐さんのテーマというかモチーフに〝堕胎児〟があるんですね。胎内回帰も含めて子宮の中の宇宙をずっと書いている。堕胎された子供たちの叫び声を聞いて書いている。そう考えると謎が解けた。いわゆる中国残留孤児の人たちも、ある意味、日本という母国が堕胎した棄民と考えることもできる。ふるさとに帰るに帰れない。その叫び声を聞いて唐さんは書いている。
唐さんの舞台をやろうとしたら、たいてい羊水が出てくる。昨年末に演出した舞台の『泥人魚』に出てくる水槽の中の水も、羊水のようなものですよ。胎内の羊水。それが泥水だったら、その中を生き延びる術(すべ)として何を持つか……それがブリキの〇・二ミリのうろこ。ファンタジーとして表現されている。 『少女仮面』も結局、堕胎児たちの話ですよ。『少女仮面』では、腹話術師の台詞に出てきます。「あいつは、傘もささずに外にとび出していったんだ。それでどうしたと思う? 産婦人科の病院にどなりこんだのさ。『堕ろした子を返してくれ』って」
実際この芝居を見て、堕胎したばっかりの女性が泣き叫んで劇場から出ていったというのを聞いたことがある。もしかしたら、唐さんはもっと子供が欲しかったのかな。大家族のように暮らしたかったのかな。劇団員が代わりだったのかもしれない。空襲を受けて、自分の弟も栄養失調で失っているし……。

大鶴 上野から第一原発の近くに疎開したんです。福島に。現地できょうだいを病で亡くしました。あの時代ですから、東京もん、ということで、酷い目にも遭ったらしいです。

そこでは同じ日本人に、よそ者ということで差別された。だから、日本人って何なのかを求めて、一九六九年の『少女都市』(のちに『少女都市からの呼び声』に改作)では満州も描いた。復員兵が、ガラスの子宮を作る話です。「少女にガラスの手術をほどこし」、ビー玉を中に一つ入れると、囚われのお姫さまのように輝き、最後にガラスの子宮がぱーんと割れて、洪水のように無数のビー玉が子宮の涙として舞台上にあふれ出す。圧巻です。
一九六六年初演の『アリババ』もすごい。 ある老人が男女の前で、突然フロシキから赤い子供の手を取り出す。 「なによ、これ。/手さ。/ああ、余り、温かいところにおいとくと、腐るよ。/人間の手でしょ、これ?/(…)これ、子供の手だろ?/ああ、英子の手だよ(…)/英子……って、誰だったのかしら……」。老人が五か月で流された子供の記憶をどんどん呼び覚まそうとする。老人は女をブランコに乗せて揺するんだけど途中で女が転げ落ちて、目をぶつけて初めて血の涙を流す。するとそれを合図のように、子供たちが出てくる。「母さん、もう、離れないでおくれ」って言って、「風と雨にさらされたんで、ずい分固くなっ」たへその緒を出して、女にはめてしまう……。

大鶴 おっかない話ですよね。でも、父の戯曲に出てくる不可思議な登場人物のほとんどが、解釈の仕方によっては亡霊や異界の人とも読めるんです。

「朝は海の中、昼は丘、夜は川の中、/それは誰あれ?ベロベロベ――子供さん。/ここは、アリババ、謎の町」メリー・ポピンズの「チム・チム・チェリー」のメロディで、くるったように堕胎児たちが歌い踊る。怖いですよ。母ちゃんは「(ポッツリと)ごめん」子供たちは「(たちまちしょげて)いいんだ、いいんだ。済んだことだもん」。
明るいんだよね、ずっと。

大鶴 今年六月に金さん演出、花園神社境内に特設した紫テントでやる予定の『下谷万年町物語』は、ちょっとSFっぽい。

一九八一年に西武劇場(現PARCO劇場)で初演、演出は蜷川さん。当時まだ〈演劇集団 円〉の研究生だった渡辺謙がオーディションで主役を勝ち取った。宣伝のために公園通りを百人以上の男娼役がパレードしたんです。劇場の入った洒落たビルの前に赤土を運んで、物干し台作って、自転車埋め込んで……雨が降ったら公園通りに赤土がダーッと流れた(笑)。
こんな唐さんの作品に義丹が関わる、それで何が生まれるか、これからも楽しみです。

(2022・1・9 新宿梁山泊にて)

「すばる」2022年4月号転載

関連書籍

女優
著者:大鶴 義丹
集英社
定価:本体1,700円+税

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