手書きの原稿を速達で日本に送っていた時代…1970年代の終わりに「ロードショー」との仕事がスタートしました。
当時は集英社のロサンゼルス支局というものがあり、開設スタッフとして勤務し、雑誌などの通訳やコーディネートを任されていた私が、ハリウッド映画や俳優への取材依頼を受けることになったのです。
その頃のハリウッドの取材はのんびりしたもので、取材する側とされる側の距離が今よりずっと近くて、無言の信頼感がありました。スターに取材を申し込む際には、「ロードショー」を相手に見せるだけで、写真を含めた誌面のクオリティの高さがものを言い、簡単にオーケーが出ました。
ムービーマガジンといえば、質の低いゴシップ誌しかないアメリカにあって、「ロードショー」の高級感のある雰囲気は強い通行証になったのです。
それにしても信じられないようなスケジュールを組めた、穏やかで親切なあの頃のハリウッド。
たとえばロマン・ポランスキー監督の『テス』(1979)のナスターシャ・キンスキー、『リトル・ダーリング』(1980)のテイタム・オニール、『青い珊瑚礁』(1980)のブルック・シールズと、人気トップスター3人に同じ日に取材スケジュールが組めたんです。
ホテルのロビーで待ち合わせると、本人がアシスタントひとりかふたり連れて「ハーイ」なんて現れる。
盗撮するスマホも、それを広めるSNSもなかった時代ですから、インタビューされる側も警戒心ゼロです。
自分の出演映画を多くの人に見てほしいから宣伝活動のインタビューを受ける。そんなシンプルな計算式で動いており、「取材してくれてありがとう」という感じでした。