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群馬・館林に住むロヒンギャの人々に民族を超えた未来を見た

集英社オンライン / 2022年6月20日 8時1分

6月20日は「世界難民の日」(World Refugee Day)だ。ウクライナからの避難民が日本でも1200人を超え(2022年6月13日時点)、その支援の輪が広がっている。一方でミャンマー政府の迫害から逃れたロヒンギャ難民も、日本におよそ300人が暮らす。彼らの最大のコミュニティがある群馬県館林市に、今月、一軒の食材店が新しくオープンした。取材に訪れてみると、そこには民族を超えた若者たちの絆があった。

ロヒンギャの食文化とは?

「これはロヒンギャが大好きなサカナ。カレーにして食べることが多いかな」

ひと抱えもある「リタ」という冷凍の魚を手に話すのは、この食材店「ALHミニマート」のオーナーにして、在日ビルマロヒンギャ協会の副会長アウンティンさん(54)。



「ロヒンギャ料理は、レモンやタマリンドで味つけした酸味のあるものが多いですね。辛いものもたくさんあります。肉はマトンや牛、それにヤギもよく食べます」

「リタ」という魚を手にするアウンティンさん。1キロ1000円だとか

ロヒンギャはイスラム教徒なので豚肉は食べず、扱う食材はすべてハラル(イスラムの教えで許されている食べもの)だ。店の中には肉や魚、それに主食の米や豆、調味料にスパイス、お菓子や紅茶やジュースやインスタント麺など、多彩な商品が並びエスニックなスーパーマーケットという感じだが、実のところ「ロヒンギャ産」はない。

彼らは自らの国を持てないまま、ミャンマーとバングラデシュの狭間で暮らしているエスニックグループだからだ。食材は、ミャンマー産やバングラデシュ産を中心に、インドネシア、トルコ、スリランカなどからの輸入で賄う。レシピだけはロヒンギャ流にアレンジするというわけだ。

店には多国籍化の進む館林に合わせてベトナムやインドネシアなどの食材も。「ここが交流の場になれば」とアウンティンさん

そもそもロヒンギャとは

そもそもなぜ、群馬県南東部にある人口約7万5000人のこの小さな町が、「ロヒンギャタウン」となっているのだろうか。この日のオープニングパーティーに訪れていたセリーム・ウラさん(60)が教えてくれた。

「私が館林に来た最初のロヒンギャなんですよ。30年ほど前のことです」

館林ロヒンギャコミュニティの土台を作ったセリーム・ウラさん

やはり難民として迫害を逃れて日本にやってきたウラさんは当初、東京のインドカレー屋で働いていたが、少しずつお金を貯めて、なにかビジネスをしようと思い立つ。そのときに頼ったのは、同じように日本で暮らすロヒンギャの親戚だった。

そもそもロヒンギャとは、おもにミャンマー西部に暮らすイスラム系の少数民族のことだ。しかしミャンマー政府からは「バングラデシュからの不法移民」と扱われ、国籍を与えられず、90年代から虐殺や村の焼き討ち、差別に苦しみ続けてきた。

その数はおよそ100万人といわれているが、大多数が迫害によって国を追われ、日本を含むさまざまな国に逃れていった。最も多く暮らしているのは隣国バングラデシュだ。いまも70万人ほどのロヒンギャが難民キャンプで暮らしている。

中古車ビジネスから始まった

バングラデシュに逃れた人の一部は現地の国籍を取得し、日本に渡り、そして群馬県や栃木県、茨城県といった北関東各地で中古車ビジネスを手がけるようになっていった。中古であっても世界的に人気の高い日本のクルマを、おもに途上国に輸出するという商いだ。

このビジネスを北関東で最初に始めたのはパキスタン人だといわれているが、同じイスラム教徒のよしみでバングラデシュ人も行うようになっていく。その中に「バングラデシュ国籍のロヒンギャ」もいたのだ。彼らから、ロヒンギャのウラさんはビジネスのノウハウを学んだ。

「埼玉県の羽生市で中古車ビジネスをしていたパキスタン人にも手伝ってもらって、館林に来ることにしたんです」

館林ならヤード(中古車を置く倉庫)用の広い土地が比較的安く、中古車オークション会場のある群馬県藤岡市、栃木県小山市、千葉県野田市にもアクセスがよく、かつこの地域は工場地帯として発展してきたためバブル期から南アジア系の労働者が多く、彼らがモスクもハラル食材店も作っていた。生活の基盤があったのだ。

そんな館林に定住し、ビジネスを始めたウラさんのもとに、どんどんロヒンギャが集まってくるようになる。世話焼きのウラさんは仕事や住むところなどの面倒をよく見たのだ。やがてアウンティンさんも迫害の続くミャンマーを逃れ、館林に合流した。

ウクライナ避難民とのダブルスタンダード

いま日本には300人ほどのロヒンギャがいるが、そのうち270人ほどが館林で暮らす。

「仕事は工場での労働が8割くらいで、あとは中古車や食材販売などのビジネスかな」

安定した生活をしているかのようにも見えるが、実はそのほとんどが「難民」として認められてはいない。難民としての申請は日本政府に却下されている。そのため自分たちや家族が味わってきた苦しみや差別を、否定されたように感じるロヒンギャは多い。

難民認定の代わりに彼らは「定住者」や「特定活動」といった在留資格を得た。だが就労をはじめさまざまな権利が認められてはいるものの、決して「難民」ではないのだ。国からの支援もない。日本は難民受け入れのための国際的な枠組みである難民条約に加盟しているにもかかわらず、基本的に難民を認めない国でもある。2021年の場合、日本に逃れ難民申請をした2413人のうち、認められたのはわずか74人だ。ウラさんもアウンティンさんも「定住者」となったが、

「本当は難民として認められたい」

とつぶやく。

さらに日本で暮らすロヒンギャの中には、「定住者」などの在留資格すら取得できず、「仮放免」という立場で暮らす人もいる。これは『出入国在留管理庁』によれば「難民申請を受けて審議する間、本来ならば結果が出るまでは入国管理局の施設に収容する必要があるが、人道的な見地から身柄は拘束せずに、〝仮〟に〝放免〟する」というものだ。

「仮」の滞在者なのだから日本に住民登録はできず、社会保険もないし就労も許可されない。生きていくすべがない。だから仲間たちで助け合ってはいるが、そんな状態で何年も「仮」のまま館林で生き、故郷へも帰れないという。

一方でウクライナからは「難民ではなく避難民」という名目で次々と受け入れを続け、就労や日本語学習のサポートなど手厚い支援がきわめて迅速に決められた。徒手空拳で苦労しながら館林で生き延びてきたウラさんやアウンティンさんは、

「ダブルスタンダードではないかと思います。私たちロヒンギャも同じ難民、同じ人間」

と悲しそうに話す。

民族を越えていく館林の若い世代

それでも館林を見ていると、希望も感じるのだ。

「ALHミニマート」がオープニングしたこの日、忙しく立ち働いている若者たちの姿があった。来客を案内し、料理を運び、食材の販売や説明をし、また、車でやってくる人々のために誘導や駐車場までの案内をしている。そのリーダーは、アウンティンさんの息子マモルさん(18)だ。

日本で生まれ育った彼は、中学2年生のときにここ館林でサッカーチーム「サラマットFC」をつくった。サラマットとはアラビア語で「平和」を意味する言葉だ。

「サッカーを通じて、ロヒンギャのことを知ってほしくて」

と始めたが、いつの間にかいろいろな顔ぶれが集まるようになった。ロヒンギャ、日本人、パキスタン人、ブラジル人、ガーナ人……その仲間たちが、今日は手助けに来てくれたのだ。

炎天下、駐車場までの案内をしていたのは日本人の縄野隼斗(なわのはやと)さん(18)だ。

「マモルとは小学校が一緒でした。いつも家族同然に扱ってもらってるんで、まあ助け合いっす」

なんて話す。

「小学校のときからまわりに外国人がいたし、いま自分は電気工事士なんですけど職場にはブラジル人もいるし、中国人の友達もいるし、それが普通っていうか」

館林はそういう土地なのだ。だからロヒンギャの人々にとっても暮らしやすかったのだろう。

「日本人だけじゃなくて、幅広く友だちが欲しいんす。文化は違っても、結局一緒なんで」

ちょっと得意げにそう言う縄野さんと、スマホで連携しながら駐車場で車の誘導に当たっているのは木村裕紀さん(18)だ。フィリピン人と日本人のハーフで、サッカーチームのメンバーではないがマモルさんの友人だ。

「こういうの初めてなんで、よくわからないんですが」

と笑いながらも、次々にやってくる車をさばいていく。なんとも手際がいいのだ。

「日本という力」があるから

彼ら「裏方」たちは、来客があらかた去った午後遅く、ようやくの昼食となった。ロヒンギャ風の牛肉煮込みや、ミャンマー風の豆カレーでご飯をかきこんでいく。男友達同士わいわい騒ぎながら、なんとも楽しそうだ。

マモルさん(左から2番目)、縄野さん(左から3番目)、木村さん(右から2番目)。友人同士で店を手伝う

マモルさんが言う。

「お父さんたちの世代と違って、僕たちの世代には〝日本という力〟があるから」

迫害から逃れてきたこの異国で、言葉もわからずアウンティンさんたちの世代はずいぶんと苦労をした。しかし日本で生まれたマモルさんは日本語の壁もないし、小さいころからの地元の友達が力になってくれる。それも、個性的で多様な仲間だ。

「だから、ロヒンギャのためにできることも、もっと多くなると思うんです」

大学では国際ビジネスを学び、父の手がける貿易や中古車の仕事をもっと大きくしたいとも思っているという。なんとも頼もしい日本生まれのロヒンギャ2世が、これからの館林を引っ張っていくのだ。

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