――とても詩的で美しい映画に出合えたという喜びと共に、他人事とは思えない恐ろしさを感じる作品でした。カンヌ国際映画祭以降、監督の耳にはどんな反響が届いていますか?
日本では割と「怖い」とか「身につまされる」とか、自分事のように受け止められる方が多いですね。今の社会に感じられる不寛容な空気や危機感を、みなさんが共有している気がしました。弱者を排除するような傾向は日本だけでなく世界中で起きていることなので、カンヌで上映した際にも「この物語は普遍的なものである」とか、「自分の親や祖父母のことを考えて泣いてしまった」とおっしゃる方もいました。
ただ、日本と違い、フランスのメディアからよく聞かれたのは「映画の中で日本人は“プラン75”をすんなり受け入れているように見えるけれど、それはなぜか?」ということ。「フランスで同じ制度が施行されたら、反対運動が起きてものすごく抵抗するはずなのに、不思議に映った」という声がありました。
――確かに、当事者である高齢者だけでなく若い世代にも、受け入れムードが漂っているように見えました。
決まったことだからしょうがないと受け身でいたり、反対するにしても矛先を向ける相手がわからなかったり、きっと変わらないだろうと諦めたり。あとは完全に思考停止してしまって決まったことにただ従ったりする。日本ではそういう人が大多数なのではないかと考えました。人々の不寛容に対する危機感からアイデアが生まれた作品ではありますが、そういった日本人のムードに対しても危機感を持っていたので、そこをしっかり描くことは最初から考えていました。