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給付金に消費減税。異様な“バラマキ”は戦前の「高橋財政」にそっくりだ

集英社オンライン / 2022年6月21日 8時1分

選挙を前に、与党も野党もバラマキばかり訴えている。たしかに日本は、昭和初期に大胆な財政出動で景気を回復させたことがあった。いわゆる「高橋財政」だ。しかし、高橋財政は軍部台頭を招いた危険な「劇薬」でもあった。慶應義塾大学教授・井手英策からの警告。

空前の歳出増だった「高橋財政」

参院選が近づき、コロナ禍を名目に、現金のバラマキが当たり前のように主張されている。みなさんは、これらの政策を正当化するときに、ある歴史上のできごとがしばしば成功事例として援用されていることをご存じだろうか。

それは「高橋財政」だ。

高橋財政とは、1931(昭和6)年12月から1936(昭和11)年2月に実施された高橋是清蔵相による独創的な財政政策をさす。



高橋財政が本格的に始まった1932年度の当初予算は、前年度の約15億円から一気に約20億円へと急増し、思い切った公共事業予算が計上された。国債への依存も急速に強まり、その国債は、日本銀行の引き受け、つまり同行からの借金でまかなわれた。

これにより、恐慌に苦しんでいた日本経済は見事に立ち直った。それだけじゃない。景気回復を見てとるや、高橋は1936年度予算で、税収増に相当する額の国債削減を実現した。あざやかな政策転換だった。

高橋財政が成功という誤解

急激な財政膨張と景気回復、そして、財政健全化へ……一見すると見事なシナリオに見える。だが、政策を細かく見ると、そのシナリオにはいくつかの留保が必要になる。

まず、財政出動だけが強調されがちだが、輸出の急増が経済成長を後押しした点は見逃せない。

高橋によって金本位制が停止され、金と交換できなくなった円は、大幅に安くなった。また、資本統制を行い、円安を維持することで、満州を中心とするアジア向け輸出が急増した。つまり、財政政策だけで経済が回復したわけではないのだ。

次に、日銀引受は、いちいち銀行と交渉せずとも、一気に日銀が国債を買い入れる点で政府にとっては楽な仕組みだったが、日銀のほうも、いったん引き受けた国債を、不況で融資先に困っていた銀行に「売却」していた。

景気が回復すると、銀行は国債を買うよりも、企業に融資するほうが得になる。「国債が売れない=景気回復」というシグナルがあり、日銀はこれを見逃さず、すかさず大蔵省に健全財政への転換を提案できた。

高橋財政では、日銀は引受けた国債を銀行に売却していた

第三に、「財政健全化」に成功したとは到底言えない点にも注意が必要だ。たしかに国債削減には成功したが、じつは、国民に見えにくい形で巨額の政府債務が形成された。

自然増収分の国債削減には成功したものの、軍事費が全体の5割近くに達していた当時の状況は変わらなかった。

おまけに、軍事費の後年度負担だけで、税収の約7割に達していた。戦艦のように建造に数年かかる場合は、そのうちの一年分しか予算に計上されず、残りは次年度以降の支払いとされたわけだ。とても健全な財政とは言えなかったのである。

「共通点」ではなく「相違点」に学ぶ

成功例として高橋財政を引き合いに出す人たちは、現代との「共通点」ばかりを強調し、さも同じことをすれば日本経済が回復するかのように主張する。だが、本当に重要なのは「違い」である。

まず、1990年代の後半以降、日本の経済構造は大きく変わった。

経済成長が外需への依存を強め、生産設備が海外にシフトし、円安になっても輸出が伸びない状況が生まれた。つまり、高橋財政の「財政出動」と「輸出」というふたつのエンジンのうち、後者のエンジンが機能していないのである。

金融政策のフレームワークも正反対だ。高橋財政では国債が「売却」された。ところが現代の金融政策の中心は国債の「買い入れ」だ。

景気が本格的によくなれば、物価が上がる。インフレとはお金の価値が下がる現象だから、世の中に出回るお金の量を減らすことがその対処法になる。つまり、日銀が国債を売却して銀行からお金を吸い上げれば、「市中の貨幣量」が減るという理屈だ。そうすれば、出回るお金の量が減って、お金の価値が上がり、インフレは抑制される。

だが、そうすると国債は値下がりしてしまう。銀行も国債を一気に手放すだろう。そうなれば、国債は大暴落する。だから、インフレになっても日銀は国債を売れない。

直近のインフレで欧米の中央銀行が利上げ色を強めている。それなのに、日銀は金融緩和の継続を訴え、利回りを指定したうえで、無制限に国債を買い入れる「指値オペ」を実施した。国際潮流に反する動きだが、このように「買い入れ」の枠組みでは、高橋財政のようなあざやかな政策転換はできないのだ。

デフレ下であれば、国債買い入れ、資金の供給は、正当化される。だが、物価が上がり、ウクライナ侵攻以降、さらなる円安、さらなるインフレが懸念される。このような状況のなかで中央銀行が国債を買い続けるのは異様でさえある。

「成功」するから止められない矛盾

たしかに、高橋財政期には、他国に先駆けて大恐慌から脱出できた。しかも、国債の売却による資金の吸い上げがうまくいき、財政膨張にもかかわらず物価は安定していた。

だが、この成長と物価の安定という「成功」は、とんでもない問題を引き起こした。というのも、本当の意味での「政策の止めどき」を政治がなくしてしまったのである。

想像してほしい。物価が上がらず、景気が順調に回復する状況のなかで、なぜ、みなが喜ぶ財政出動を止める必要があるだろうか。軍事費を増やせと訴える軍部をどうやって説得すればよいだろうか。

高橋は緊縮財政への転換を叫んだ。だが、劇薬とも言うべき日銀引受については、まったくその中止を語らなかった。そして、景気刺激のために始められた日銀引受は、国際情勢の緊迫化とともに、軍事費をひねりだす道具と化し、戦時財政への道を準備した。そう、「成功」こそが「失敗」の最大の原因だったのである。

現在、物価がじわじわと上がり、さらなる円安が懸念され、軍事的な緊張が強まっている。そんななか、参院選をめざして、現金給付や消費減税が提案されている。

論理的にはありえないのだが、バラマキ論者が訴えるように、インフレ下でのバラマキが、インフレを加速させず、穏やかな経済成長をもたらすとしよう。そうだとすれば、日銀は利上げを実施する動機をなくすし、給付や減税への抵抗も消えるだろう。もはや、なんでもあり、である。

高橋財政の成功ではなく、失敗に学ぼう。当初は、景気対策、コロナ対策の名目でバラマキの幕が切って落とされる。だが、いずれは防衛費をGDP比で2%に高めるため、さらには核共有を進めるためなど、さまざまな理由で財政は膨らんでいくだろう。だが、かつてそうした政策の積み重ねの先にあったのが世界大戦であり、その結末が敗戦とハイパーインフレだったのである。

「民主主義の死」という最大の失敗に学べ

問題の本質は、「税と給付の関係」を断ち切ることの危険性にある。

なぜなら、ムダ使いが国民の負担の増大に結びつかないとすれば、「なにが必要で、なにが不要なのか」「どの税で、誰に、どのくらいの負担を求めるか」という民主的な対話がいらなくなるからである。

高橋財政期の政治は、まさにこの問題を浮きぼりにしていた。当時、5・15事件や2・26事件のようなクーデターやその未遂事件が起こり、天皇機関説事件や陸軍パンフレット問題のような民主主義への否定的挑戦が次々と起こっていた。だが、立憲政友会や立憲民政党は権力闘争に明けくれ、当時の新聞に「ほほう、まだ議会なんちゅうものがあったのかい」と書かれる始末だった。

左派の右傾化も深刻だった。社会大衆党は左派であったが、1933年頃から右旋回を始め、1937年総選挙で第三党に躍りでた。「対案路線」、そして「減税と借金で金を台所に届ける」という謳い文句の「大衆インフレ路線」へと舵を切った。

まるで、最近の野党と見まちがえそうな主張ではないか。前提にあったのは、社会的正義ではなかった。今日の「必要」さえ満たせば、大衆はしたがうという「愚民観」だった。

劇薬が必要なときは、従来の政策が機能しなくなる、歴史の混迷期である。だが、その劇薬が示す一時的な効果ゆえに、民主主義は衰退の一途をたどり、暴力が人間を支配する時代が訪れる。高橋財政の経験を、安易に成功へのノスタルジアとしてはならない。学ぶべきは、経済的成功と政治的失敗のあやういバランスなのである。


写真/Getty Images shutterstock

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