萩原健一(ショーケン)デビュー曲“歌唱拒否”の真相を暴露「変なアップリケのついたひらひらのユニフォーム着せられちゃってさ。あれには参った」
集英社オンライン / 2024年3月26日 11時0分
今から5年前の2019年3月26日、ショーケンの愛称で親しまれた俳優兼ミュージシャンの萩原健一が亡くなった。グループサウンズブームさなかの、17歳でザ・テンプターズのボーカルを務めたショーケンのデビュー秘話をお届けする。(サムネイル/2017年9月13日発売の『惚れた(2017 Remaster)』(WANER MUSIC JAPAN))
【画像】ショーケンが「こっ恥ずかしくてさぁ、イヤだったな」というデビューレコード
小学生のときに出会ったロックンロール
1966年6月に実現したビートルズの来日公演。それに影響を受けた日本のグループ・サウンズ(以下GS)ブームの中で、反体制的で危険な香りを持ち込んだのは、萩原健一(以下ショーケン)という稀有な表現者だった。
テンプターズの『神様お願い』が発表されたのは1968年3月。当時18歳のショーケンの歌声やその立ち居振る舞いからは、ロックンロールの初期衝動とも重なる不良っぽさが、ブラウン管を通してでも伝わってきた。
「ショーケン」と呼ばれる以前。まだ小学生だった萩原敬三は、年が離れた兄や姉と育ったが、いつも向かいの酒屋に遊びに行っていたという。目的は姉の同級生が持っていたレコードで、『監獄ロック』や『ハートブレイク・ホテル』といったエルヴィス・プレスリーの歌を聞かせてもらうことだった。
その2曲が音楽に関するもっとも古い記憶だというのだから、7、8歳の頃には早くもロックンロールに出会っていたことになる。
夢中になっていた姉たちに有楽町の「日劇ウエスタンカーニバル」に連れて行ってもらい、肩車されてステージの山下敬二郎に歓声をあげたこともあった。そして少年は次第にルーツ・ミュージックに深く入り込んだ。
「横浜に住んでいる姉の手伝いに行っていたのですが、山下公園の前には<カマボコ兵舎>というGHQの建物があって、その近くに『ゼブラクラブ』っていう、進駐軍向けのジャズクラブがあったんです。よくそこに行ってブルースとかを聴いていました。だから近所の子と初めて組んだバンドもブルース・バンドだったし、物心がついたときには僕の周りではブルースが鳴っていた。山下公園の前のブルース・ロックっていうのは、僕の幼い頃からの子守唄だったんです」(※) 2018年の春に開催されたライブ、および新曲発売に合わせて行った『TAP the POP』のインタビューより
1965年、中学3年生の時に、エレキバンドのテンプターズのステージに飛び入り参加し、ビートルズの『マネー』とアニマルズの『悲しき願い』を歌った少年は、ギタリストの松崎由治から「一緒にやんない?」と誘われた。
その後、自分で芸名を「萩原健一」と決めてテンプターズに参加し、翌年から渋谷や赤坂、六本木で、パーティーやジャズ喫茶のステージに立つようになった。
ギャラは5人で1日3500円…それでも音楽をやり続けた
「メンバーが着ていたユニフォームも、俺と松崎が言い出しっぺになって、やめさせちゃった。『みんな、バラバラの洋服にしようよ』って」
前からいたメンバーたちが、ビートルズやアニマルズ、デイブ・クラーク・ファイブなどを例に持ち出して反発しても、こう言い返して主張を押し通した。
「ローリング・ストーンズはユ二フォームなんか着てないじゃないかよ」
テンプターズのレパートリーは、ローリング・ストーンズ、アニマルズ、ヤードバーズといったイギリスのR&Bバンドだった。そしてショーケンはといえば、ミック・ジャガーにも見劣りしないステージ・アクションをやってみせた。
「ギャラは一日3500円。ただし、五人全員で。ひとり頭、1000円にもなりません。でも、とりあえず、食っていければいい、と思ってました。お金を儲けるよりもブルース・バンドとして、自分のやりたい音楽を続けていくことが大切だったから」
それから1年後。1967年に沢田研二のいるザ・タイガースがデビューして本格的なグループ・サウンズのブームが到来すると、いろいろな所からから様々な人たちがテンプターズをスカウトしにやって来た。
そして彼らは、ザ・スパイダースの田邊昭知が設立したスパイダクションと契約し、半年間の合宿生活を経てプロ・デビューすることになった。スパイダースに在籍していたムッシュかまやつ(かまやつひろし)は、デビュー前の彼らをこう回想している。
「しかし、ガラが悪くてまいった。スパイダースが出演しているジャズ喫茶に遊びに行くと、客席から『サティスファクションやれ!』などと怒鳴ったりするのだ。彼ら、ストーンズが好きだったから。懐しいね」
「もう、こっ恥ずかしくてさぁ、イヤだったな」
デビューが決まり、いざレコードを出すという時にも、事務所との食い違いが明らかになった。
「さぁ、いざデビューって時から、ぼくは文句ばっかり言っていた。だって、変なアップリケのついたひらひらのユニフォーム着せられちゃってさ。あれには参った。もう、こっ恥ずかしくてさぁ、イヤだったな。すごくイヤだった。ホンットにイヤだった。だから、デビュー曲の『忘れ得ぬ君』も、おれは歌わなかった。どうしても、歌いたくなかったから」
こうした事情があって、作詞・作曲した松崎が自分で唄うことになった。幸いにも1967年10月にリリースされたデビューシングルA面の『忘れ得ぬ君』はまずまずのヒットになり、ショーケンが唄ったB面の『今日を生きよう』も、同じくらいにヒットした。
周囲からの期待が高まる中、松崎によるセカンド・シングル『神様お願い』を1968年3月にリリース。ショーケンが歌って、スピード感と切迫感に満ち溢れていたことで大ヒットした。
ショーケンはここから一気に注目の的となり、人気の頂点にいたタイガースのライバル的なポジジョンを得て、沢田研二(ジュリー)に対抗するスターになっていく。
そして1970年代に入ると、二人のスター、沢田研二はソロ活動を選び、ショーケンは俳優の仕事へと比重を移していった。
俳優の仕事を始めた頃の萩原健一には、どこか寂しそうでナイーブなジェームス・ディーンのような柔らかさと、型破りで反抗的なマーロン・ブランドのような硬さが同居していた。
「50年もやっていると、二刀流ができるような“仕込み方”が分かってくる」
「音楽」と「芝居」について、ショーケンは後年のインタビューでこんなことを語ってくれた。
「音楽と芝居は180度違いますね。似て非なるものなんです。僕はそもそも歌を上手く歌うというより、“語る”ようにして、音と呼吸とリズムを崩さないようにしているんです。
僕の先輩たちは本当に歌が上手い。美空ひばりさんにしても、石原裕次郎さんにしても。けれども、ボブ・ディランの歌は喋っているみたいじゃないですか。マディ・ウォーターズにしても語っていますよね。だから僕は歌を上手く歌おうとは思わない。
ただ芝居は、煮詰めないといけないんです。表面だけじゃなく後ろも横もありますから、研究しがいがあります。だから片方ずつ(音楽と芝居)しかできなかったんですけど、今になってようやく両立してできるようになりました。
50年もやっていると、二刀流ができるような“仕込み方”が分かってくるんですよね。やっぱり、仕込みには時間が掛かるんです。」(※ 2018年の春に開催されたライブ、および新曲発売に合わせて行った『TAP the POP』のインタビューより)
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
<参考文献>
萩原健一著「ショーケン」(講談社)
ムッシュかまやつ著「ムッシュ! 」文春文庫
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