わずか30分の共演、忌野清志郎と佐野元春が初めて一緒に歌った放送禁止曲「自由に好きな曲が歌える国に生まれて幸せだと思う」波乱のアースデー・コンサート
集英社オンライン / 2024年4月22日 18時0分
1980年代の日本の音楽シーンを作り上げていった忌野清志郎と佐野元春。今から21年前の4月22日、二人は初めて同じステージに立った。その歴史的な共演は波乱だらけだったというが、いったい何が起きたのか…。〈サムネイル/左:2024年3月6日発売『ロックン・ロール~Beat, Groove and Alternate~』(Universal Music)、右:2006年7月12日発売『THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004』(SonyMusic)〉
『スローバラード』の代わりに『あこがれの北朝鮮』を歌った忌野清志郎
2003年4月22日のアースデーの夜、日本武道館で開かれたTOKYO FM主催の「アースデー・コンサート」(現在は『EARTH×HEART LIVE』に名称を変更)は、夏川りみの歌声で始まり、次にミッチーこと及川光博に継がれて、序盤はつつがなく進行していた。
しかし、忌野清志郎(当時52歳)が張り出しステージに登場したところから、舞台裏ではちょっとした騒ぎが続くことになる。
ボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌った清志郎のソロ・コーナーで、3曲目に予定されていた『スローバラード』の代わりに、突然1995年に覆面バンド「THE TIMERS(ザ・タイマーズ)」として発表した『あこがれの北朝鮮』が歌われたのが発端だ。
忌野清志郎は歌い終わってから、「イラク戦争でちょっと影が薄くなったなと思って『あこがれの北朝鮮』、ひさびさにお送りしました」と、客席に向けてコメントしたが、観客の多くは唖然としていた。
そんな混乱を知ってか知らずか、清志郎は『ブーアの森』から『花はどこへいった』と続けると、「暑いぞベイビー!」と叫んだ後で、RCサクセションの人気曲『雨あがりの夜空に』のイントロを一瞬だけ弾いてみせた。
その音を聴いて期待した観客に向かい、「オーケー、今日はどうもありがとう」とはぐらかすかのように言うと、激しくギターをかき鳴らしながら、今度は『君が代(パンク・ヴァージョン)』に突入していったのだ。
『君が代』は、アルバム『冬の十字架』の1曲として1999年10月にリリースされる予定だったが、レコード会社によって発売が中止されるという過去があった。
予定になかった国家が歌われている間、ラジオから歌が聞こえないようにするために、女性アナウンサーは冷静にライブの模様を言葉で説明し続けた。
途中からは環境問題についての原稿などを読んでお茶を濁したので、『君が代』は遠くのほうから騒音のように聞こえてくるだけだった。
忌野清志郎と佐野元春が二人で痛烈な反戦歌を歌う
そんな『君が代』が終わると、メインステージにはザ・ホーボー・キング・バンド(H.K.B.)が登場、そこに忌野清志郎も加わって、ファンキーなR&Bのスタンダード曲『Them Changes』のセッションが始まる。
そこからは会場の空気が一変してホットになり、忌野清志郎がメインアクトの佐野元春を呼び込んだ。
「オーケー、オレの古いダチを紹介しよう! ごきげんなやつを紹介しよう! マイ・オールドフレンド! サノー、佐野元春ーっ!」
P.F.スローンが作詞作曲してバリー・マクガイアが歌った、1965年のヒット曲『明日なき世界』のイントロが流れ始めた。
核戦争後の恐怖を描いたこの歌は発表された当時、アメリカの各州で放送禁止になったにもかかわらず全米1位になった。
ハンドマイクの忌野清志郎、ギターを引きながらの佐野元春。二人が痛烈な反戦歌を歌うと、会場は一気にヒートアップしていった。
そして『トランジスタ・ラジオ』の演奏が終わった後、忌野清志郎と佐野元春はおたがいを紹介し合った。シャイな二人が照れながら交わす会話からは、いくつになっても失われない少年らしさが感じられた。
清志郎「一緒にやんのは初めてだね・・・」
元春 「初めて・・・ずっと聴いてた」
清志郎「ずっと聴いてた、俺も・・・ラジオとか・・・」
元春 「自由に好きな曲が歌える国に生まれて、僕は幸せだと思うよ」
清志郎「サンキュー、サンキュー」
清志郎「最初は気取ったヤツだと思ってた」
「自由に好きな曲が歌える国に生まれて幸せだと思う」という佐野元春の言葉は、いささか唐突な発言にも聞こえるかもしれない。
だが、忌野清志郎と主催するTOKYO FMとの間で、放送禁止歌を巡る長く続いてきた確執を考えれば、その微妙なニュアンスが伝わってくる。
そこから「僕にもラジオについての歌がある」と、ラジオつながりで始まったのが、佐野元春の『悲しきRADIO』。
忌野清志郎はコーラスとサックスで参加したのだが、曲の途中で演奏をバックにおたがいについて語り合った即興トークが印象的だった。
僕は小学校、中学校の時、よくトランジスタラジオを
夜、眠る前に枕元に置いて聴いてました。
そこから流れてくる曲はロックンロールやR&B、
そして日本のミュージシャンのレコードは、たとえばRCサクセション。
曲はたとえば「僕の好きな先生」、知ってる?
そして曲を聴いた時、ああ、僕にも、学校におじいさん先生だけど、
似たような先生がいるなぁと思って、その曲は大好きでした。
彼がその曲をいつ書いたのかは、僕はよく分からないけども、
でも何十年か経って、同じステージでこうやって一緒に歌えるなんて、
とても光栄だと思っている、忌野清志郎!
子供のころの気持ちをストレートに切り出した佐野元春。しばしの間があって、忌野清志郎が応える。
まいったなぁ、イエーッ。
まいったなぁ、佐野元春ー、イエーッ!
こいつはね、ごきげんなやつだぜ。
昔むかし、2回ほどイベントで一緒に出たことあります。
それから、彼が番組を持ってて、何度も呼んでもらいました。
そのたびに、最初は気取ったヤツだと思ってたんですが、
だんだん分かってくると、こんな面白い人はいません。
結構面白いですよ。スルメみたいに味が出てきます。
これからもよろしく頼むぜい、イエーッ!
佐野元春、イエーッ!
手拍子に合わせて佐野元春が、アドリブで観客に「PEACE、LOVE、NO WAR」と語りかける。そこからそのメッセージ繰り返されて、15分にも及ぶ『悲しきRADIO』は終了した。
忌野清志郎は自分の立ち位置の後ろに置いてあったご自慢の自転車に乗って、その夜のステージを後にする。同じステージに二人が立っていたのは、わずか30分にすぎなかったが、多くの人たちの記憶に残るライブとなった。
そしていつもならうまく言えたことがないという気持ちも、「スルメみたいに味が出てきます」というユーモラスな言葉から、この日は伝わって来たと感じた人も多かったことだろう。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
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