87歳現役トレーダーが乗りこなした時代の波…戦後のペットショップから雀荘経営を経て投資家に…資産10億を溶かしたバブル崩壊、阪神大震災を振り返る
集英社オンライン / 2024年4月21日 12時0分
〈「よう、来たな。僕は何も隠さへんよ」87歳現役トレーダーが資産18億円を築くまで「まずはズワイガニとモサエビや。君、ビール飲めるか?」〉から続く
87歳現役トレーダー、藤本茂。18億円の資産を有するという茂さんだが、最初から投資家だったわけではない。ペットショップ、雀荘経営…。そこには戦後日本の経済成長に結び付いた独自の戦略があった。茂さんのこれまでの職業遍歴を聞いた。
ペットショップ就職がすべての始まりだった
──茂さんが歩んできた人生についてじっくりうかがっていきたいです。まず、いつ頃から株式投資をやっているんですか?
藤本茂(以下同) 初めて株を買ったのは19歳のときや。今87歳だから、今年で68年目やな。
──株式投資をはじめたきっかけは?
高校を卒業して、神戸市の南京町のペットショップに就職したんですわ。そのペットショップにカナリアのえさを買いにきた、石野証券(現SMBC日興証券)の役員がいて、株のことをいろいろと教えてもらってたら「自分でもやってみたい」と思うようになったのがきっかけやな。
──なるほど。投資家になる前は、ペットショップで働かれていたんですね。
動物が好きでしたからね。ペットショップのあった南京町は今でこそ有名な観光地になってるけどな、僕が働いていた1950年当時は第二次世界大戦の神戸大空襲の被害からまだ立ち直ってなくて、神戸港に来航する船員向けのバーなんかが立ち並ぶ退廃的な街だったんですよ。そんな街のペットショップでの売れ筋は、犬、オウム、カナリア。犬は富裕層に好まれて、小鳥は一般家庭で好まれてたな。
──犬は“富の象徴”だったんですね。
そうや。他にはサルなんかも取り扱っててな。神戸港に来航する船員の人らが東アジアのボルネオなんかから小遣い稼ぎのために持ち込んで来た生き物を買い取ることが多くてなぁ。サルやオウムはその船員から買い取ってたんですよ。今では完全に違法やけどな。当時はそれが普通だったんや(笑)。
──2024年の今から考えると、無法地帯ですね(笑)。
そうですそうです(笑)。一番印象に残ってるのはオラウータンでな。珍しいから高く売れると思って80万円で買い取ったのに、オラウータン買うてくれる個人なんて見つかんなくてな。結局、15万円で動物園にツテのある業者に売る羽目になったんや(笑)。
──大損ですね……。
オラウータンと手ぇつないで神戸・三宮の一等地を散歩したこともあったなぁ。今は法律が厳しくなって絶対に無理なことやけどな。
──(笑)。それからペットショップをやめて、専属投資家になったのでしょうか?
いや。そのあと、まずはペットショップで独立したんや。仕事は楽しかったけど、雇われの身だと給料が安くて不満でな。
当時、同じ高卒で就職した人の初任給が1万4000円くらいだったのに対して、僕の給料は5000円ほどだったんですよ。1万円以上もらえる同世代の人が本当に羨ましくてなぁ。ペットショップでは1年だけ働いて、20歳で独立したんや。
──20歳で独立とは早いですね。独立後は上手くいきましたか?
戦争の被害から立ち直るにつれて癒しを求める人が増え、ペットブームが起こったことも幸いして、15年ほどペットショップの経営をすることができました。
──すごいですね。でも、15年で閉業したのはどうしてですか?
1970年頃、国鉄の神戸駅近辺の都市開発を行なうということで、評価額の約3倍の1500万円で土地を買うてくれるという話が舞い込んできてな。そのときに喜んで土地を売ったんや。今その土地には、立派なビルが建ってますよ。
次に経営した雀荘も大成功
──なるほど。それから専業投資家に?
いや。予想外の大金を手にしたから、その後は数年間、仕事もせずフラフラしてました。しばらく経ってからそろそろ仕事しようと思って、今度は手元に残ってた資金で雀荘を経営することにしたんや。もともと麻雀は好きだったんやけど、知り合いが「喫茶店か雀荘でも開きたいなぁ」ってつぶやいてたのを聞いて、「これや!」と思ってな。
──決断が早いですね。雀荘の経営も上手くいったのでしょうか?
これもまた、ちょうどタイミングよく麻雀ブームが起こったんですわ。1969年から阿佐田哲也という小説家が『麻雀放浪記』いう小説の連載をはじめて、それがすごく流行ったんや。
──読んだことあります。すごい影響力だったんですね。
そやな。あとは、当時は"モーレツ社員"なんて呼ばれてた、朝から深夜まで馬車馬のように働くサラリーマンがたくさんいてな。終電を逃しては、よう雀荘に来てくれたんよ。「家に帰るよりもここで麻雀してたほうがいい」言うて徹夜で麻雀して、そのまま出勤する人も多かった。
──なるほど。
あと、近くに甲南大学いう大学があってな。甲南大学は、前身が社長や華族の子女を受け入れる旧制7年制高校だったこともあって、裕福な学生が大勢いたんですわ。
そんな感じで、雀荘を開いたらそこの学生が来てくれるんちゃうかって予想してたら、それがピタリと当たったんや。女の子を膝に乗せながら麻雀してた医大生なんかもおったわ(笑)。
──漫画みたいな話ですね。
昼は大学生、夜はサラリーマンがひっきりなしに雀荘に来てくれて、雀荘は予想以上に繁盛しました。最終的に、24時間経営の雀荘を3店舗経営するようになってな。
もう時効だから言うけどな、「24時間営業」いうのは風営法違反や。というても、交番の警察官とも仲よくしてたし、あの頃はそういう営業でも許される牧歌的な時代でもあったわ。
雀荘では月200万円くらい稼ぐことができて、その頃はいい思いをさせてもらいました。
──茂さん、なにやっても上手くいくんですね。そこからどうやって今のような専業投資家に……?
雀荘を経営してる間は忙しかったから、サラリーマンが余剰資金で投資するのと同じような感じで株式投資をしてたんやけどな、株っていうのは元手の多寡がものをいうやろ?
「もっと株で儲けるために資金をどう工面するか」って考えたとき、常日頃から「店を売り渡してほしい」言うてきてた常連さんのことが頭に思い浮かんでな。雀荘3店舗を6500万円で売り渡して、1986年頃から投資に専念するようになったんや。
専業投資家、バブル崩壊、そして阪神淡路大震災
──専業投資家になってからも順調だったのでしょうか?
専業投資家になった1986年の直後、すぐバブル景気がはじまってな。1985年に1万3000円ほどだった日経平均株価は、1987年には2万円、1988年には3万円を超えて、1989年には当時の過去最高値である3万8915円を記録したんですわ。ちょうどこの時期に専業投資家になった僕はバブルの波に乗ることができて資産はうなぎ上りに増えて、資産を10億円まで増やすことができたんや。
──また時代の波に乗れたのですね。しかし、1991年からバブルは崩壊していきましたね。
そやな。バブル崩壊時には10億円ほどあった資産は2億円ほどまで減ってしまいましたわ。今から振り返ってみると、やっぱりバブル期の株価は異常やったな。企業の実力以上に評価されてました。資産を減らしてからしばらくは投資に身が入らなくなってな、投資は片手間に、夫婦で海外旅行なんかに行ってましたわ。
──旅行したりしながら、気力の回復を待っていたのですね。
そやなぁ。けど、バブル崩壊の傷が癒えないまま、さらにショックなことに阪神・淡路大震災が起きたんや。1995年1月17日。神戸を最大深度7の激震が襲って、僕の住む神戸市東灘区は最も甚大な被害を受けました。
──ご無事だったのでしょうか…?
当時もここに住んでてな。朝5時46分にドーン! って寝床から突き上げられたと思たら大きく揺れて、あれよあれよという間にマンションの玄関部分が潰れてしまってな。逃げる場所はベランダの窓しかなくてな。「急いで逃げなあかん!」ってなんも持たずに女房と2人で窓から逃げ出したんや。
2人とも寝間着のまま裸足で早朝の神戸の街を歩いてな。途中で見かねた街の人からスリッパをもらったんやけど、もう二度と味わいたくない経験やな。全部を失って、震災前から私の自宅に残っているものといえば、目覚まし時計1つだけや。
──大変でしたね……。
わずか5年の間に、バブル崩壊と阪神・淡路大震災という、人生でもそうそう味わうことがないような逆境を経験したわけや。阪神・淡路大震災では、それまで僕が世話になっていた菱光証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)の社員も亡くなってしまって辛かったわ。その後、またしばらく株式投資には身が入らなくなってしまってなぁ。
──再び茂さんが株式投資に専念するようになれたのは、いつ頃だったのでしょうか?
本格的に再開したのは、震災から7年経った2002年頃やな。今となっては当たり前のことやけど、インターネットでの株取引というものに初めて出会って、こんなにも株取引が効率的になったんかと衝撃を受けたんや。
〈「株は究極のボケ防止や」脳梗塞、心筋梗塞、高血圧を経て18億円の資産を築いた“87歳現役トレーダー”「もう自分は年を取ったから、というのは逃げ文句ですわ」〉へ続く
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