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「夢をかなえるためになぜ私は全力を尽くさなかった」終末患者に聞いた「人生の後悔」5選「ふるさとに帰ればよかった…」

集英社オンライン / 2024年6月8日 10時0分

10年後、ほとんどのがんは治癒可能になる? ALS、SMAなどの「神経難病」にも有効なアプローチが続々の未来とは〉から続く

穏やかな死を迎えるために、準備しておくべきことをお金・病気など各分野の専門家8人が解説する書籍『死に方のダンドリ』。終末患者が最期を迎えるときに後悔する5つのこととは? 読んだ後には生き方が変わるかもしれない、死に方のダンドリとは?

80代車いす、余命数ヶ月の患者が最後に旅した場所

本記事では書籍から一部抜粋・再構成し、お届けする。

終末期の患者さんに訪れるのは身体的苦痛だけではない

私の職業は「緩和ケア医」です。これまでに約3000人の患者さんの最期と向き合い、主にがんの患者さんを対象にその心身の苦痛を和らげる仕事をしてきました。



特に末期のがん患者さんを苦しめるのは身体的苦痛です。お話をよく伺い、おおかたの場合、薬などを使ってその苦痛を取り除いていきます。

しばしば厄介なのは、精神的苦痛です。これは医師の力だけではどうにもなりません。患者さんから示される悩みは、もはや残された時間と体力では解決できないであろう問題も少なくないからです。私にできるのは、患者さんのお話にじっと耳を傾けることが中心となります。

人はいつ死ぬかわかりません。死ぬときに後悔しないようにするためには、私たち一人ひとりが健康なうちから悔いのないように生き、後悔を残さないように準備しておくよりほかありません。人間は、後悔なしに生きることはできないと私は思っています。私が最期を見届けてきた患者さんたちは大なり小なり、なんらかの「やり残したこと」を抱え、後悔していました。

そうした患者さんと何千人も接する中でわかってきたことがあります。それは「明日死ぬかもしれない」と思いながら生きてきた人は、悔いを残さぬためには何をしたら良いのかという思いが行動にもしばしば反映されて、後悔が比較的少ないのではないかということです。

しかも、みなさんが終末期に抱える後悔は意外と集約され、後悔する内容はだいたい決まっていることもわかってきました。

私の見てきた限り、いまわの際に「先生、私はもう思い残すことはありません」と言い切ることのできた患者さんは決して多くありません。そうした人たちは、世間一般で考えられているよりずっと前から後悔を残さないように「準備」を進めてきたように見えました。どの方も、いつ死んでも悔いが最小限になるように、問題を後回しにしない生き方をされていたのです。

死はいつ、誰に、どのようにやってくるかはわかりません。突然やってきた死期を目の前にして後悔することのないよう、私たちは常日頃からダンドリをつけておくべきでしょう。

ここから、私が看取りをしてきた方が後悔していたことを22項目に整理して紹介します。これらの中に、あなたが死に際に後悔しそうなことがあるでしょうか。それはどれですか。解決策は見出せそうでしょうか。

すでに不可能なこともあるかもしれませんが、できることがあれば後悔を減らすべく行動に移していきましょう。そうすれば、不意打ちが多いのが人生ではありますが、その中でも、なるべく後悔の少ない一生を送ることができるのではないかと思います。

私が遭遇した、終末期の患者さんが後悔する5つのこと

1    やりたいことをやらなかったこと

やりたいことをやらないと、最期に後悔します。やりたいことは、さっさとやるべきです。

「人生はあっという間であった」とは、私の接した患者さんたちの少なからずが言い残された言葉です。そのため、やりたいことはどんどんやらないと「あっという間に」人生の最期の日が来てしまいます。

日本人はうつによる自殺の多さからも透けて見えますが、我慢に我慢を重ねる性質がしばしばあります。そして、見えない鎖に縛られすぎていることも少なくないように感じています。

我慢し続けて良いことなどこれっぽっちもないというのが私の考えです。「あっという間に」人生の最期の日が来るという事実を直視すれば、度を越した我慢がいかに不適切なものかが理解されます。

私もたくさんの方の最期を見届けてきましたが、「生涯を愛に生きるため、新たな伴侶と生きた女性」「都会での暮らしを捨てて、高原で第二の人生を自然とともに生きることを実践した男性」「最期の瞬間まで、自分の作品に心血を注ぎ込んだ男性」は間違いなく輝いていました。死に顔は穏やかで、後悔などほとんどなかったのではないかと思われます。

後悔しない生き方とは、自分を取り戻すことです。意識せずとも、自分というものを体いっぱいに表現している子どものようになれば、人生の楽しみを取り戻し、後悔することも少ないでしょう。

言うは易く行うは難しかもしれませんが、その殻や鎖から少しだけ自由になることから始めてみましょう。

2 ふるさとに帰らなかったこと

死が近くなると、人は昔を思い出すものです。亡くなる1週間前ごろから「終末期せん妄」といって意識が変容して、時間や場所の感覚が曖昧になることがあります。そのとき、昔のことを語りだす人がいます。意識はしなくても、人の心の奥底に眠っていた幼少期のことや、かつて住んでいた場所、そこでともに生きた人の記憶が顔を出すのです。

そのためでしょうか、死が迫ると、ふるさとに帰りたい、親の墓参りをしたいという人も少なくありません。しかし、病状によってはすでに故郷に帰ることが難しくなってしまっていることもあります。そんなとき、人は後悔せずにはいられません。故郷に行きたいならば、健康なうちにするべきです。体が動かなくなってしまってからでは遅いのです。

私の知っている患者さんに余命が1、2か月以内とも思えるほど衰弱されてから、里帰りを実行した人たちがいます。それをきっかけに生命力を取り戻して何と1年近く生きた人、故郷で幸せな最期を迎えた人もいます。それらの方の場合は、故郷に行くことが人生にプラスの影響を与えたように見えました。

ただ、誰もが同じことをできるわけではありません。死期が迫ってから後悔しないように、早めに計画・実行していくとよいでしょう。

3   好きなものを食べておかなかったこと 

病気になると、味覚が変わることがあります。死が迫ると、だいたい食欲は落ちます。好物を食べても、同じように味わえないから、食べようと思ってもその気にならないのです。自分の好物を食べてもまったく美味しくなくなってしまっていることさえあります。

終末期において、無理やり食べさせる必要はありません。無理に食べたとしても、それによって余命が延びることはほとんどないからです。

だから、食べられるものだけ、美味しいと思うものだけ食べればいいのです。本人が食べたくないものを食べろと押しつけるより、彼らが本当に欲しいものを望んだときにそれを味わってもらうことが大切なのです。

これまで美味しいと思えなかったものが美味しくなることもありますから、希望は捨てるべきではありません。がんの終末期に炭酸飲料やカップラーメン、甘いものを好むようになる人もいます。アイスクリームやプリン、ゼリーなどは飲み込みが悪くなってからもしばらく食べられることがあります。ガリガリ君を好まれる方が結構いることも知られるようになって来ました。

好きなものは元気なうちに、食生活が偏らない程度に食べておいた方が後悔は少ないでしょう。

4  趣味に時間を割かなかったこと

終末期に、仕事ばかりの人生だったことを後悔する人がいます。「仕事=人生」だった人は、病気になり、入院が頻繁になると仕事ができなくなり、生きがいが奪われてしまうからです。仕事しか引き出しがないと、仕事ができなくなったときにつらい思いをする可能性が高くなるかもしれません。

私の知っている患者さんで、普通だったら散歩ができないほど筋力が落ちているのに「散歩に出るのが楽しい」と出かけていた人がいました。病床で死の数日前まで粘土細工に打ち込んでいた人もいました。ホスピスのロビーで趣味の歌を披露し、再び歌を歌いたいと生命の炎を燃やし続けた人もいます。

終末期のために趣味を持つ必要はありませんが、何らかの一芸を追求し続けるのは人生の引き出しを増やし、己の糧になるのではないかと感じます。それが最後まで、人を支え続けるものになったりもするのです。私の見てきた一芸を長く続けた人たちは、最後までそれを楽しみながら、後悔のない、よい最期を迎えられたように感じています。

旅行を趣味とする人は、できるうちにしておきましょう。病気になってからの旅行は簡単ではありませんし、終末期になるとさらに大変です。体力的なことだけが問題ではありません。手続きが大変で、周囲の理解を得ることも必要になるからです。

たとえば、痛み止めの医療用麻薬を使用していても海外渡航はできますが、その持ち運びのための諸手続きや、海外で体調を崩したときのための英文の紹介状などが必要な場合があり、準備に時間がかかります。

80代で車いす、余命2、3カ月と推測される男性から家族とハワイに行きたいと言われたときには驚きました。しかし本人と家族の決意は固く、私は英語の文書作成に精を出しました。旅行から数カ月して男性は亡くなりましたが、「よい思い出ができた」と本人も家族も大変満足しておられたことが記憶に残っています。

病状が深刻になる前に旅行にはどんどん行くべきです。明らかに他者に迷惑をかける場合はやめたほうがいいと思いますが、そうでないなら行ったほうが後悔は少ないと思います。

5  夢を実現できなかったこと

若いころは無限に時間があるように感じられます。望めば何にでもなれるような気がするものです。しかし長じるにつれ、その万能感は少しずつ失われていきます。さまざまな夢があっても、かなえられたものは、ほんの一部でしょう。

これは私の感想ですが、死ぬ前に後悔するのは夢がかなえられなかったことそのものよりも、その夢をかなえるために自分が全力を尽くせなかったことにあるのかもしれません。

ただ、夢を持ち続けていさえすれば、それは最期の瞬間を迎えるまでかなう可能性があります。あきらめたら可能性はゼロになりますが、あきらめなければゼロにはなりません。

ピアノが上手な患者さんがいました。彼女は亡くなる前にピアノを演奏して、病棟の患者さんたちを涙させる演奏をしました。ピアニストになる夢がかつてはあったと聴きました。ピアニストにはなれませんでしたが、ピアノを弾くことで人を元気づけたり感動させたりできたら、という夢を持ち続けたからこその結果だったと思います。

夢や情熱がなければ、人間は単に生命を消費するだけの存在と化してしまいます。最期まで夢を持ち続けることができれば、たとえそれがかなわなかったとしても、後悔は少ないのではないでしょうか。


写真/shutterstock

死に方のダンドリ (ポプラ社)

奥真也
死に方のダンドリ (ポプラ社)
2024/3/6
1,100円(税込)
303ページ 
ISBN: 978-4591181386

病気で死ぬか、金が尽きて死ぬか…。それが問題だ。「生きてるだけ難民」急増中!!

そこそこ元気で、ぎりぎりお金があり、住むところに困らず、相続で揉めることもなく寿命を全うするには、若いうちからの準備が必要である。

その準備と対策をデータサイエンス、医学、マネー、不動産、相続……専門家8名が徹底解説!

序章  2033年、「お金が尽きて死ぬ時代」に突入する
冨島佑允(クオンツ、データサイエンティスト、多摩大学大学院客員教授)

第1章 「病気で死なない時代」の死に方のダンドリ
奥真也(医師・医学博士。医療未来学者)

第2章 100歳まで生活できるお金を貯めるダンドリ
坂本綾子(ファイナンシャルプランナー)

第3章 認知症になる前に財産を信託するダンドリ
岡信太郎(司法書士。司法書士のぞみ総合事務所代表)

第4章 老後に住める家を見つけるダンドリ
太田垣章子(司法書士。OAG司法書士法人代表)

第5章 100歳までボケない「不老脳」をつくるダンドリ
霜田里絵(医師・医学博士。銀座内科・神経内科クリニック院長)

第6章 最期を過ごす場所を決めるダンドリ
中村明澄(緩和医療専門医・在宅医療専門医。医療法人社団澄乃会向日葵クリニック院長)

終章 死ぬときに後悔しないためのダンドリ
大津秀一(緩和医療医。早期緩和ケア大津秀一クリニック院長)

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