井上尚弥34年ぶりの東京ドーム興行の裏メイン…ど田舎地方ジムの世界王者・ユーリ阿久井と大手ジム・桑原の因縁マッチ「世界王者になっても僕はどこ行っても実質Bサイド(脇役)でしょ」
集英社オンライン / 2024年5月6日 9時0分
〈岡山・倉敷の極小ジムから世界戦を手にしたユーリ阿久井。資金不足も地方ハンデも乗り越えてボクシングを続ける阿久井とジムの原動力とは〉から続く
井上尚弥をメインイベントに据え、34年ぶりに東京ドームでボクシング興行が開催される。その前座で、地方ジム所属のボクサーとしては、20年に1人という世界タイトル戴冠を遂げたユーリ阿久井政悟の防衛戦が行われる。相手は井上尚弥と同じ大手ジムの桑原拓。一度完勝した相手との再戦に、阿久井は思うところがあった。
オファーがあったときは「舐められているなと」
2024年1月に行われた世界タイトルマッチ、12ラウンドを戦い終えた阿久井は晴れ晴れとした表情で相手陣営のコーナーに挨拶へ向かった。手応えがあった。その後、勝利者コールがアナウンスされた瞬間こそ雄叫びをあげたが、興奮はすぐに引いた。安堵感が広がった。
「やったぞ!ではないですね。しみじみ、やったなあ……と」(阿久井、以下同)
2月、メディア出演や挨拶回りに追われる日々が続くなか、ジムに入ると会長から少し緊張した面持ちで声をかけられた。初防衛戦は東京ドーム、相手は井上尚弥が所属する大手・大橋ジムの同門で、以前に対戦したことのある桑原拓に決まったという。
「オファーを聞いたときは、まあ舐められているなとは思いましたよ。だって前回はぶっ倒してますからね」
2021年7月に行われた阿久井対桑原戦はKO決着だった。岡山からアウェイの地・東京のリングに立った阿久井は、最終ラウンドに強烈な右ストレートで桑原を倒し、試合が終わった。桑原はそのまま立てずに担架で運ばれるほどのダメージだった。その日会場で試合を見ていた筆者は、桑原サイドの応援団が一瞬で静まりかえったのを今でも覚えている。
一度は引退を考えたという桑原はその後復帰し、勝ち星を重ねて東洋王者となった。阿久井はそんな桑原の復活を、応援しながら見ていたという。
「ただ、彼ぐらいのレベルになると相手が避けて、なかなか対戦が決まらなかったのだと思いますが」と前置きし、阿久井はこう続ける。
「僕との試合後、彼は国内競争を勝ち抜いてきたわけでもないじゃないですか。独自路線というか。なのに、そんなに簡単に世界挑戦のチャンスを与えていいものなのかなと」
「井岡二世」と呼ばれた挑戦者
ここで視点を少し桑原に移す。小学生からボクシングを始めた桑原は国体優勝などのアマチュア実績を引っさげ、大学卒業後に大手の大橋ジムに入門。大阪の興国高校から東京農業大学というアマチュアボクシングのエリートコースは4階級制覇の現世界王者・井岡一翔と同じで、「井岡二世」とデビュー当時から注目された。
しかし、井岡とは決定的に違う点がある。大学を中退していないことだ。井岡に限らず、東京農業大学は中退してプロ入りする選手が少なくない。一方で桑原は、自分も中退すると高校の後輩の推薦に影響することを配慮して、4年次には主将を務めながら大学を卒業したと伝え聞く。
筆者は一度だけ、別の選手の取材で、練習中の桑原に会ったことがある。サンドバッグを打ちながらこちらを振り向き、少し離れたところで立っている筆者に笑顔をみせ、大きな声で挨拶をしてきた。「こういう選手は、応援してくれる人が多そうだな」と率直に思った。
岡山出身の阿久井と大阪出身の桑原は同じ1995年生まれ。高校時代は全国大会で同階級の選手としてお互い意識はしていたが、対戦はなかった。初めての対決はプロ入り後、ともに26歳を迎える年だった。その時は先述の通り、故郷大阪を離れて名門ジムに入った「井岡二世」の夢を、故郷・岡山に残った日本王者・阿久井が打ち砕いた。
世界王者になっても「どアウェイ」
これまで岡山県の小さな会場で戦ってきた阿久井だが、前戦の世界戦は収容人数5000人ほどの大阪エディオンアリーナで戦った。次戦の東京ドームは最大5万人規模の会場となるが、「会場はあまり気にならないかな」という。
「東京は好きですよ。でも言うたら“どアウェイ”ですからね。世界王者になっても、僕はどこ行っても実質Bサイド(脇役)でしょ」
今回も前戦と同様、王者である阿久井が相手選手所属の大橋ジムの興行に“お呼び立て”され、東京で戦う。
「まあ、会場はどこであろうが、自分は勝つだけですけど」
岡山のジム所属で初めての世界王者となった阿久井は〝地方の星〟だ。しかし本人は、決して地方ジムを薦めているわけではないという。
「いろいろ苦労はありますよ。だってよく考えてくださいよ、世界王者になったからってジムが力を持つわけでもないし。そんなの誰がオススメするんですか」
珍しく語気を強めて言う。
「大きな舞台で試合をさせてもらうことにはすごく感謝しています。でもそれとは別に、初防衛戦がアウェイで相手の興行でリベンジマッチを受けるって、ねえ……なかなかないでしょう。簡単に『地方に残って頑張れ』とか言えないですよ」
しかし、所属する倉敷守安ジムを選んだことにもちろん後悔はなく、むしろ感謝がある。前回の桑原戦後にこんなエピソードがあった。
試合後にホテルで休んでいると、ドアのノックが聞こえた。開けると会長が立っていて、「これ」と言って封筒を手渡し、すぐに戻っていった。なかをみると一万円札の束が入っていた。
ジムの経営がラクではないことを知っていた阿久井は、少しこみ上げるものがあった。
「感謝してますし、環境のせいにはできないですよ。結局、自分しだいじゃないですか」
相手の度胸は評価してあげたい
ひとつ、心配な点もある。世界王者になったことや、一度勝っている相手との試合で、モチベーションが下がっていないかということだ。
「まあ、いつも通りですよ。目の前の試合に勝つだけだからこっちは」
今回も自信がある?
「そうですね。ただ、並大抵の神経では、倒された相手にリベンジマッチを挑もうってならないですからね。そこは相手を尊敬していますし、評価してあげないと。相当な覚悟で来るでしょう」
阿久井の初防衛戦は5月6日、“どアウェイ”東京ドームで行われる。
取材・撮影・文/田中雅大
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