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プーチン・大統領就任式で「すべての計画を実現させ、共に勝利しよう」と演説。自分は絶対に間違わずに行動するリーダーという路線を生涯崩さない姿勢がもたらす未来とは

集英社オンライン / 2024年5月11日 10時0分

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5月7日、クレムリンでプーチンの大統領就任式が行われた。現在71歳のプーチン政権はどこまで続くのだろうか。長年、プーチンの動向を見続けてきた軍事評論家の黒井文太郎氏が解説する。

【画像】モスクワのルビヤンカ広場にあるKGB

長期独裁プーチン政権の読み方

5月7日、クレムリンでプーチンの大統領就任式が行われました。プーチンの大統領就任は5回目。途中、首相に退いて事実上の院政を敷いた時期もありますが、現在にいたるまですでに24年間も政権のトップにいます。

任期は今後6年間ですが、2020年の憲法改正で次の出馬も可能になっているので、本人が健康であれば、さらに6年追加で12年後の2036年まで独裁者の地位にいることが可能となります。現在71歳。2036年には83歳で常識的には引退の年齢ですが、彼がその気になれば再びの憲法改正で、さらに続けることも十分にあり得ます。

とにかくロシアでのプーチンの独裁権力は盤石で、ロシアの政官界でも軍でも、誰もがプーチンへの忖度を最優先しています。プーチンの独断で開始されたウクライナ侵略がもう2年以上も泥沼化していて、ロシア軍にも30~50万人もの大量の死傷者が出ていますが、ロシア国内ではプーチン批判はタブーなので、ウクライナへの侵略も一切、批判されません。

今回の大統領就任式を含め、プーチンはしばしば自分の声でロシア国民向け演説をしますが、それは常に自己正当化で貫かれています。今回も「すべての計画を実現させ、共に勝利しよう」と語っていますが、この計画はプーチンの計画ですから、つまりは今後も自分の方針は変更しないし、国民は文句言わずに自分に従えという意味になります。

前述したようにウクライナ戦は泥沼化しており、メディアではしばしば停戦の可能性について報じられますが、プーチンは侵攻開始時に自ら語った目的である「ネオナチ政権の打倒」つまりはウクライナ政府の打倒、と「ウクライナ軍の解体」つまりはウクライナ軍の降伏を取り下げませんので、プーチンの言葉が実現されない内容での停戦は現実的ではありません。

今回の大統領就任式での演説では「西側と対等な立場でなら対話は可能」と主張していますが、これは立場を軟化させたわけではまったくなく、前述したようなロシア側の要求を西側がのむならば、という従来の発言と変わりません。彼はロシア国内で長年にわたり、誰よりもタフなリーダー像を強く打ち出しており、間違いを認めて訂正するということはしません。ロシアでは、そんなプーチンの言葉を正当化することだけが、戦争を含むすべての政策で絶対的に最優先されます。

では、プーチンはどういう手段でこれほどの独裁権力を手に入れたか、経緯を簡単に説明します。

プーチンが絶対的な独裁者になるまで

まず、プーチンは前大統領のエリツィンに取り入って、1999年に後継者指名を受けました。ただ、プーチンは何の準備もなく、ただ棚ボタで大統領になったわけではありません。大統領後継指名の直後に、プーチン側から次の政権の方針についての文書が発表されていますが、その内容は強いロシアの復活に向けた実に詳細なものでした。政権奪取を見据えて充分に準備されていたことがうかがえます。

もっとも、プーチンはそれを単独で準備していたわけではありません。プーチンは旧ソ連時代にKGB(ソ連国家保安委員会)工作員でしたが、サンクトペテルブルク副市長時代に旧KGB人脈の仲間たちがいました。プーチンがその後、1996年にモスクワ政界に転じ、エリツィンに取り入って大統領府副長官、FSB(連邦保安庁)長官、首相と駆け上がっていくなかで、旧KGB人脈が彼を裏で支えました。つまり、ソ連崩壊後に不遇の時代を過ごしていた旧KGB人脈が復権していくなかでの、表の代表者がプーチンだったわけです。

プーチンはエリツィンの後継者として大統領になりましたが、就任後はエリツィン人脈を徐々に排除し、旧KGB人脈を取り立てていきます。旧KGB人脈を権力構造の中枢に集中させ、エリツィン時代に権勢をふるった新興財閥も排除していきました。新興財閥を排除し、治安機関強化で秩序回復を進めるプーチンに、エリツィン時代の無秩序ぶりを経験していた国民の多くが拍手しました。

プーチンは同時に、旧KGBが得意だった情報統制にも乗り出し、メディア支配を徹底。プーチンの実績を誇大宣伝し、国民の意識を誘導します。2003年からの国際的な石油高騰によってロシア経済は劇的に向上し、それもプーチンの人気を後押しします。こうしてプーチンは堅い支持基盤を手に入れました。他の有力者の人脈を追い落とすために当初は旧KGB人脈に支えられていたプーチンですが、徐々にプーチン個人の存在感が突出していき、絶対的な独裁者になっていきました。

2008年、大統領は連続2期まで(当時は1期4年間)という当時の憲法規定でプーチンは一時的に首相に転じますが、傀儡の大統領には旧KGB人脈の実力者ではなく、サンクトペテルブルク時代初期からの“子分”である軽量級のメドベージェフを充てました。2012年に大統領に復帰しますが、そのときはもう完全に独裁者でした。

プーチンの言葉を正当化することがロシア政府の判断の基礎

そんなプーチン独裁権力が究極的に極まり、事実上の「皇帝」となったのは2014年でしょう。ウクライナの政変への対処で、簡単にクリミア半島を手に入れ、ウクライナ東部でも親ロシア傀儡勢力の支配エリアを確立したプーチンは、ロシア国内で「ロシア系の同胞を救った偉大な指導者」として崇め奉られる存在になりました。

なお、プーチンは40代で権力者になった当初から、人々に軽く見られないよう、前述の強くてタフなリーダー像を打ち出してきました。独断で正しい行動ができる男らしい指導者という自らのイメージは、“皇帝”として絶対的なものになりました。

その後のプーチンは、すべてを自らの言葉で堂々と語り、絶対に選択は間違わず、果敢に行動するリーダーという偶像の路線を、頑なに守っています。それを崩すことは生涯ないでしょう。

したがって、ロシアの今後の動向を予測するうえで最重要なのは、皇帝プーチン本人の言動です。ロシアの客観的な政治経済・軍事状況とは関係なく、彼の言葉を正当化することがロシア政府の判断の基礎になっているからです。

5月9日、モスクワでは対独戦勝記念日の軍事パレードが行われましたが、その際の演説でプーチンは「私たちを脅かす者は誰も許さない。核兵器の運用部隊は常に即応戦態勢にある」と発言しました。すぐにでも使うと言ったわけではなりませんが、ロシアあるいはプーチン政権が危機に陥れば核使用することを示唆したわけで、自分の発言を絶対に撤回・訂正しないプーチンの言動としては、無視できない発言といえます。今後も彼の発言、とくに微妙な“言い回し”に要注目です。

文/黒井文太郎

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