「信じられないほどの労力がかかる」と自他ともに認めるピクサー映画が試作を8回も作り直す4つの理由「トラブルを“前半”のあいだに解決せよ」
集英社オンライン / 2024年5月20日 8時0分
〈ピクサーのオスカー映画「インサイド・ヘッド」が公開までに8回も作り直されたという逸話を知っていますか〉から続く
フルCGの名作映画を次々と生み出すピクサー・アニメーション・スタジオでは、公開版までに脚本から観客のフィードバックまでのサイクルを8回繰り返す。つまり私たちが目にしているのはバージョン9だったりするのだ。コンテンツ作りに携わっている人なら、このプロセスの膨大な労力に圧倒されるだろう。ピクサーはなぜそこまで作り込むのか。
【画像】「カールじいさんの空飛ぶ家」「インサイド・ヘッド」「ソウルフル・ワールド」の3作品でオスカーを受賞した映画監督、ピート・ドクター氏
#3に続いて、ベストセラー『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』より一部抜粋、再構成してお届けする。
アイデアはたいていうまくいかないが問題ない
「信じられないほどの労力がかかる」と、ピクサー・アニメーション・スタジオのクリエイティブ・ディレクター、ピート・ドクターは認める。だがピクサーのような反復的なプロセスにはそうするだけの価値がある。その理由は4つある。
第一に、自由に実験することができるからだ。エジソンもこの方法で大成功を収めた。「ばかばかしいアイデアを試せる自由が必要なんだ。そして、アイデアはたいていの場合うまくいかない」とドクターは言う。
このプロセスではうまくいかなくても問題ない。ダメなら別のアイデアを試し、さらにまた別のアイデアを試すことができる。そうするうちに、エジソンの電球のような光輝く何かが見つかる。「一発で成功しなくてはならないのなら、確実に成功するとわかっていることだけしかやらなくなる」。そして創造性を生命線とするスタジオにとって、それは緩やかな死を意味する。
第二に、このプロセスでは大まかなアウトラインから細かいディテールに至るまでのあらゆる部分が精査、検証される。おかげで実行フェーズに入る前に、曖昧な点がすべて解消される。
これが、よいプランニングと悪いプランニングの基本的な違いである。悪いプランニングでは、問題や課題、不明点が先送りにされるのがつねだ。シドニー・オペラハウスがトラブルに陥ったのも、そのせいだった。
ヨーン・ウッツォンは最終的に問題を解決したが、すでに時遅く、コストは膨張し、工事には何年もの遅れが出ていた。ウッツォンは解任され、その評判は地に墜ちた。また、問題が最後まで解決されないプロジェクトも多い。
シリコンバレーでもこの種の失敗は一般的で、それを指す名前まである。「ヴェイパーウェア」とは、鳴り物入りで発表されるものの、誇大宣伝を実現する方法が見つからず、いつまで経ってもリリースされない、蒸気(ヴェイパー)のように実体のないソフトウェアをいう。
一般に、ヴェイパーウェアは不正ではない。というより、最初から不正を目的としているわけではない。多くの場合、素朴な楽観主義と、がむしゃらな本気に駆り立てられている。それでも一線を越えれば不正になってしまう。
元ウォール・ストリート・ジャーナル記者で作家のジョン・キャリールーは、シリコンバレー史上最悪のスキャンダルの背後に、この力学が働いていたと指摘する。
カリスマ的な19歳のCEO、エリザベス・ホームズが創業したセラノス──取締役会にジョージ・シュルツとヘンリー・キッシンジャーの元国務長官も名を連ねた──は、画期的な血液検査技術を開発したと謳い、投資家から13億ドルを集めた。だがそれは幻に終わり、ホームズは詐欺罪で有罪判決を受け、セラノスは数々の訴訟を起こされ解散に追い込まれた。
トラブルを「前半」のあいだに解決する
第三に、ピクサーのような反復的プロセスは、心理学で「説明深度の錯覚」と呼ばれる、基本的な認知バイアスを克服するのに役立つ。
たとえば、あなたは自転車が走る仕組みを知っているだろうか? ほとんどの人は知っている「つもり」でいるが、簡単な図に描いて説明することができない。自転車のほとんどの部品がすでに描かれた図があっても、正しく描き上げられない。
「人は複雑な現象を、実際よりもはるかに正確に、整合的に、深く理解しているつもりでいる」と研究者は結論づけた。計画者にとって、説明深度の錯覚が危険なのは明らかだ。
だがこの錯覚は、ほかの多くのバイアスとは違って、簡単に解消できることも明らかになっている。理解しているつもりのことを説明しようとして、実はわかっていないことを自覚すれば、錯覚が解けるのだ。
ピクサーの監督はこの反復的プロセスによって、自分が物語で伝えたいことを、大きいものから小さいものまですべてくわしく説明させられる。おかげで、錯覚は高価な問題を引き起こしがちなアニメーション制作段階に入るずっと前に解消する。
このことは第四の理由とも関係している。
計画立案にはコストがそれほどかからない。もしかすると、絶対額では「安い」とは言えないかもしれない。ピクサーでは、監督が率いる脚本家とアーティストの少人数のチームが映画のラフを制作するが、これだけの人員を何年も働かせるのには相当なコストがかかる。
それでも、劇場公開版のデジタルアニメーション制作に必要な、数百人の精鋭人材や最先端テクノロジー、映画俳優の声当て、大物作曲家の楽曲提供などのコストに比べれば、たかが知れている。だから、実験的映像を何度もつくり直すコストは、相対的に「安い」と言える。
このコストの差が重要な理由は単純だ。大型プロジェクトではトラブルが起こるのは確実で、「いつ」起こるかだけが問題だからだ。反復的プロセスによって、その「いつ」が「計画フェーズ中」になる確率を大幅に高めることができる。
これが大きな違いを生む。たとえ映画のバージョン5で重大なトラブルが発覚して、すべてのシーンを書き直す必要が生じたとしても、時間とコストの損失は比較的軽くすむ。だが同じトラブルが制作フェーズで発覚して、すべてのシーンを制作し直さなくてはならないとしたら、膨大なコストと危険な遅延が発生し、プロジェクト全体が頓挫するかもしれない。
この単純な違いは、ほぼすべての分野のプロジェクトに当てはまる。計画を立てる間に、打てるだけの手を打っておこう。そして、計画はエクスペリリ(実験+経験)をもとに、ゆっくり、徹底的に、反復的に立てよう。
もちろん、ピクサーのすばらしい成功の理由は、優れた開発プロセスのほかにもたくさんあるが、それでもピクサーがハリウッド史上前例のない成功を収めているのは、このプロセスによるところが大きい。ピクサーは、ただ高評価で高収入の名作を制作しているだけでなく、それらを前例のないほど一貫して制作しているのだ。
第一作の「トイ・ストーリー」を公開した1995年にほぼ無名の新興企業だったピクサーは、その10年後にエンターテインメント界の巨人ディズニーによって、(2021年の金額で97億ドルで)買収された。
そのうえディズニーは、ピクサーのCEOだったエド・キャットムルに、長年低迷していた名門ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの社長を兼務してほしいと求めたのだ。
これが吉と出た。キャットムルはピクサーでヒット作を連発しながら、ディズニー・アニメーションの立て直しにも成功した。現在彼はピクサーからもディズニーからも退いているが、ピクサーでは彼の指揮下で開始された22件のプロジェクトのうちの21件、ディズニーでは11件のうちの10件が公開にこぎ着けた。ハリウッドの100年あまりの歴史の中で、ここまでの成功率は前代未聞である。
このプロセスはそれほど有効なのだ。
文/ベント・フリウビヤ 写真/shutterstock
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