こりゃあ客はキレるわ…野村證券の”軍曹”が大損したアラブ王族に送った、たった2行の運用報告書…回転売買手数料でボッタくるだけでなく、はめ込んだ「腐れ玉」とは
集英社オンライン / 2024年5月22日 8時0分
〈「顧客にどれだけ損をさせ」「何人部下を辞めさせたか」を自慢するかつての野村證券の営業マン…新人研修の担当部長は「法令違反を犯して表営業できなくなった社員」〉から続く
ヘッジファンド「タワーKファンド」を立ち上げ、800億円を超える個人資産を保有し、長者番付1位にもなった清原達郎氏。彼がファンドを立ち上げるに至るには、新入社員として入社した野村證券時代に海外部門に勤めた経験が大きいという。
【写真】個人資産800億円超。長者番付1位となった伝説のサラリーマン投資家・清原達郎氏
書籍『我が投資術 市場は誰に微笑むか』より一部抜粋・再構成し、中東に赴任した際のエピソードを紹介する。
軍曹
その人は「軍曹」と呼ばれていました。バーレーン(中近東)支店の日本株営業部長で、猪突猛進型の典型的な野村の営業マンです。見込み客がいれば地の果てまで追いかけていくタイプでした。
ロンドンに留学していたので英語も上手。本来エリート社員のはずなのに、なぜか砂漠の支店で「刀を振りかざして全員突撃!」のような日本株の営業を仕切っていたのです。まず自分が切り込むタイプの人だったので、あだ名が「大佐」とか「中佐」ではないんですよ。まさに「軍曹」って感じでした。
私が海外投資顧問室に2年ちょっと在籍している間は、海外出張が6回ぐらいありました。同期3人のうち私が突出して英語が下手だったので米国には連れて行ってもらえず、東南アジア、中近東要員となりました。マレーシア領ボルネオ島にまで外交に行ったこともあったんですよ。「どうせ相手も英語が下手だから清原でもやれるだろう」ってことで。
時は1982年、第二次オイルショックの頃です。サウジアラビアは超好景気に沸いていました。そこに日本株を売り込みに行こうってわけです。株式部の常務を筆頭に4人ぐらいの部隊(2人ずつの2チームに分かれます)を本社から送り込んで現地のセールスマンと合流して顧客開拓を行います。
やり方としては、まず現地の最高級ホテルで「日本株セミナー」を開きます。日本から来たアナリストがプレゼンし、そのセミナーに来た人の名刺を頼りに後で個別に外交するわけです。
ここで予期せざることが起きます。私は鉄鋼・非鉄担当のアナリストだったので「新日鉄」を推奨しようとプレゼンを用意していました。ところが、セミナーの前日に「軍曹」が「新日鉄は儲からないから日立のプレゼンをしてくれ」と言うんですよ。それで、夜中に国際電話をかけて担当アナリストに事情を説明し、ポイントを聞かせてもらい何とかプレゼンの資料を作りました。
セミナー当日、私は思いました。
「どうせ俺のプレゼンは酷いことになる。でも、この人たちに半導体の詳しい話をしてもどうせわからない。だったら、とにかく『日立』の名前を大声で連呼して覚えてもらおう」
プレゼンは20分ほどでした。軍曹は寝ていました。プレゼンが終わると、軍曹はこう言いました。
「いやあ清原君、素晴らしいプレゼンだったなあ。堂々としていてとてもよかった」
あんた本当に聞いてたの?
立場が逆だったら「縛り付けて拷問しただろう」
次の仕事はセミナーに来てくれた人へのアポ取りです。でも、それは現地のセールスマンがやるので、私の仕事は電話帳から王族っぽい名前を見つけて電話し(王族の典型的な名前は現地のセールスに教えてもらいました)、アポを取って外交することでした。
そしてある時、現地のセールスマンに「今晩、王族の夕食パーティーがあるので一緒に来てくれ」と言われました。「現地のセールスはそこまで顧客の懐に深く入り込んでいるんだ。さすが野村のセールスマンだわ。信頼関係をちゃんと築いている」と私は少し感激しました。
塀に囲まれた屋敷に行くと、広間で親戚一同が集まって談笑しています。ホストが「この人たちが野村の人だ」と紹介するととんでもないことが起きました。親戚一同(といっても全員男性でした。女性のパーティーは別ですから)に囲まれ、怒鳴られ、肩をゆすられ「コノヤロー」みたいな感じに迫られたのです。なんでも野村に金を預けたら損をしたとかで。
現地のセールスマンは慣れているようで、「あと15分我慢してください。収まりますから」と言います。「ならいいけどね」と思ってクレームを聞いていると、何やら一枚の紙を高く掲げた男がやってきました。
「これを見ろ!」と私に突き出したその紙を見ると、軍曹の書いた月次の運用報告書でした。中身はたった2行。マイナスリターンの数字と「我々は正しいので今後も同じストラテジーで行きます」というコメントが書いてあるだけです。
私は凍り付きましたよ。こりゃあ客はキレるわ。客と立場が逆だったら「縛り付けて拷問しただろう」と。生きてこの屋敷を出られるのかなあ、と思いましたが、現地セールスの言う通り、クレームはほどなく終わって平和な夕食となりました。
サウジの首都での新規外交は困難を極めました。町全体で土木工事をやっていて毎日のように道や建物ができていきます。だから、地図が間に合わないのです。ホテルでもらった地図はA4サイズの半分以下でとても地図と呼べるものではありません。
町の真ん中に「キングファイサル大通り」という通りがあるのですが、他の道には名前はなし。役所やホテルなどの大きな建物の位置が示されているだけです。
だから、アポ取り以上にアポを取った後にその場所にたどり着くのが一苦労でした。ホテルでハイヤーを一日中雇うのですが、訪問先の住所はわかっていてもそれがどこにあるのかわかりません。「なになにホテルの西のほう」みたいな話なので、バングラディシュ人の運転手に「わかんなかったら道を聞けよ!」と何度も怒鳴りながら、なんとか目的地にたどり着いたという感じでした。バングラディシュ人は、バングラディシュ人にしか道を聞かないので、こっちもストレスが溜まって怒鳴り散らかしていたのです。
ある時、アポの20分ぐらい前に目的地に着きました。クーラーのきいた車内で待っていると、ドライバーがハガキを取りだして読み始めます。バングラディシュの家族からのハガキだそうで細かい字がびっしりと書かれていました。
外交が終わり、ハイヤーに帰って来るとドライバーはまださっきのハガキを読んでいました。私はバカにしたような態度で「お前、まだそれ読んでるの?」と言うと、彼はこう答えました。
「私は字が読めないんですよ」
聞けば、母国に妻と子ども5人を残しての出稼ぎだそうです。字が読めないのに必死で家族からのハガキを解読しようとしていたのです。
「俺とこの人とどっちが偉い?俺は独身で何の責任もない身だ。それなのに調子に乗りすぎてないか?この人を怒鳴りつけるような立場かよ!」
このとき私の放った一言は、人生で最悪の一言です。私は忙しさのあまり、我を失っていました。その恥ずかしい一言を私は絶対に忘れません。
開拓した顧客に損をさせ、また一から顧客開拓をやり直し
サウジでは他にもこんなことがありましたねえ。常務とエレベーターホールで待ち合わせをしていると背の高い男が来て「お前、邪魔だからどけ!」と言われたのです。なんでも、もうすぐ王族の女性がここを通るとかで。
私は「自分はこのホテルのゲストだ。今ここで待ち合わせしているところだ。お前にああだこうだ言われる筋合いはない」と言ったら首をまれて投げ飛ばされました。こんな経験は後にも先にも初めてでしたねえ。
苦い思い出はほかにもあります。サウジアラビア出張は2月などの冬に行くのですが、現地はとにかく暑い。ホテルはギンギンに冷やされていて、外との気温格差が強烈。ホテルに出たり入ったりするだけで自律神経がやられて具合が悪くなります。また、中近東訪問の際には支店のあるバーレーンに最初に行くのですが、バーレーンの空港のチャイムは陰気すぎます。まずここで暗い気分になります。
「何で本題とは関係ないこんな話を書くの?」と思われるかもしれませんね。それは皆さんに「中近東は自分の金でいくところじゃない」と強く訴えたいからですよ。それは冗談として、中近東で私はこう思いました。
バーレーン支店の「軍曹」はとても優秀な方でした。留学もされて英語も堪能。軍曹の顧客が運用で決まって損をするのは、回転売買で手数料をボッタくるからというだけでなく、「腐れ玉」(行き場をなくしてしこっている株)をはめ込んで本社の株式部にいいところを見せたいという理由もあったと思います。バーレーンで日本株の営業をやっていても、そのうち忘れられて出世とは縁遠くなっていきますから。
「本部に存在感を示さないと」という理由で頑張るなんてあまりにも惨めなサラリーマン生活ですよ。せっかく開拓した顧客に損をさせ、また一から顧客開拓をやり直し、そんなことを何年続けても結局本社からは評価されず、お客からの評価も悪くなって人的財産も残らないなんて悲しすぎませんか?
軍曹はもっと若い時に野村證券を辞めるべきでした。軍曹は私より10歳ほど年上だったので、その世代ではまだ外資系への転職は当たり前ではなかったのかもしれません。この経験を経て、私の「この会社を絶対に辞める。そのために準備しなきゃ」という決意はさらに強くなりました。
結局、海外投資顧問室では2年ちょっと働きましたが、強烈な仕事量でした。いろんな業界の通訳をやったので各業界についてものすごくたくさんの知識を得ることができました。
その後は、スタンフォードビジネススクールに留学することになります。留学前日、徹夜で部下の書いたファナックの英語のレポートを全部書き直し、朝早くに寮に戻って荷物をまとめ、そのまま留学先のカリフォルニアのスタンフォードに向かいました。あのまま海外投資顧問室で仕事を続けていたら2年後には入院していたかもしれません。
清原氏写真/書籍『我が投資術』より
その他写真・イラスト/shutterstock
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