1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

「不登校の生徒は人間のクズだ」いじめられ、ひきこもった中学生が聞いた当時の朝礼…「頑張って学校に来たね、なんて受け入れてくれるわけじゃない」39歳男性が社会に戻れるまで

集英社オンライン / 2024年5月25日 12時0分

「母親なのに、ひきこもりやがって」優しかったはずの夫がなぜ…48歳主婦に訪れた悲劇と不登校になった子どもが気づかせてくれた“本当の自分”〉から続く

いじめをきっかけに無気力になり小5で不登校になった30代男性。中学生になると「理由なき不登校」だと追い詰められ、外界をシャットアウトしてひきこもった。高校には通えたが、頑張り過ぎてしまったのか精神を病んでしまう。その後、回復できたのは「多くの人の善意に支えられたおかげ」という男性の人生を追った――。(前後編の前編)

【画像】ひきこもる前は何度も表彰されたという男性の当時の賞状

優秀過ぎて、いじめの標的に

竹内健輔さん(仮名・39)は幼いころから飲み込みが早くて何でもよくできた。



小学校に入ると硬筆で何度も表彰されたり、絵を描くのも得意で県の美術展に出品したり。中学受験をするつもりで小学4年生から進学塾に通い始めると、学校の勉強が簡単すぎて、テストはどの教科も10分足らずで解き終えてしまう。まさにギフテッドと呼ばれるような優秀な子どもだった。

ギフテッドの中には突出した才能を持つゆえに、他人のことは気に留めない人もいるが、竹内さんは周囲の人の気持ちにも敏感で、クラスメートがケンカを始めると率先して仲裁に入ったりしていたという。

5年生になると担任の先生から「テストが10分で終わるんだったら、余った時間でわからない子に解き方を教えてあげて」と頼まれた。中にはちゃっかり「答えだけ教えて」と言う子もいたが、「それはダメだよ」と生真面目に断った。

頑張るほど否定される日々

だが、しばらくすると嫌がらせを言われるようになる。

「竹内くんは将来エリートなんでしょ」「ハッピーマンだからね」

率先して“口撃”してきたのは、女子の中心にいるプライドの高い子たちだった。

「すごい嫌味ったらしく言われて、ショックで、ものすごく傷ついたんですよ。そもそも塾で勉強しているからできるのに、自分が頑張れば頑張るほど周りからは否定される。で、どんどん無気力になっちゃって……」

それまで休み時間には校庭でドッジボールをしたり、外を走り回っていたのに、遊ぶ気力も出ない。

「学校に行きたくない」

竹内さんはそう言って、家にひきこもる日が増えていった。

母親に理由を聞かれても、「わからない」としか答えられない。最初のきっかけになったいじめについても、一切口にしなかったそうだ。

「1年生のころからずっと仲よくしていた子たちだったから、彼女たちの名前を売るようなことはできなかったんですね。自分でも、どうして気力が出ないのかわからないから、自分が我慢すればいいやと思って。家でも我慢させられることが多かったから……。

たぶん、うつ病みたいな感じだったんだと思います。歯磨きをしている最中に疲れちゃって学校を休むとかよくありましたから」

暴力的な父と兄の顔色を見る日々

竹内さん自身、当時はよくわかっていなかったのだが、実は無気力になってしまった裏には他にも要因があった。

竹内さんは3人きょうだいの末っ子で兄と姉がいる。小学校低学年のころまで兄と竹内さんは、父親に暴力をふるわれていた。5歳上の兄も成長して体が大きくなると、父と同じように妹弟に暴力をふるったり、暴言を吐いて思い通りに従わせたりした。

「顔や頭を、強めに平手打ちされたりとか。やられたら痛いし、泣いていたと思いますよ。でも、母親も止められず見ているだけでしたね。しょっちゅうというほどの頻度じゃないけど、いきなり殴られる。あまりにも唐突だから、ビクビクしていたし、何とか察することができないかと、いつも父や兄の顔色を見ていましたね。

姉は人の顔色を見るのが下手だったんですよ。自分の思っていることをそのまま言っちゃうから、兄に殴られたし、学校でもいじめられた。私は幼いころから姉の様子を見ていたから、自分の身を守るために同級生の顔色を見たり、自分の思いをあまり言わなくなったのかもしれないですね」

竹内さんが小学5年で不登校になる少し前に、中学生の姉が不登校になった。同級生から容姿についてからかわれるなど、いじめられたのが原因だ。

「学校に行きなさい」と言う母親と「行かない」と言い張る姉は家でぶつかってばかりだった。

「私が家に帰ると、母と姉がすごい喧嘩をした後みたいな感じで空気が殺伐としていたんです。私はまだ小学生だったから、その重い空気が結構、きつかったんですよ。私だって学校で嫌な思いをしているのに、家に帰っても気が休まらない。なんかいろんなものが重なって、もう無理って。それで、たぶん、無気力になっちゃったんですね。

『僕も行かない』と言ったら、母親に『悲しい』とは言われたけど休むことはできた。姉のことで手一杯だったから、私のことまで考える余裕がなかったんじゃないかな」

6年生になる前に進学塾も辞めた。中学受験をして受かったとしても、通えないと思ったからだ。それまで友だちは何人もいて、家を行き来して一緒にゲームをしたり、サッカーをしたりしていた。竹内さんが学校を休むようになっても、心配して変わらずに誘ってくれたが、遊ぶことも苦痛になってきたという。
 

「気力が出ないから、一緒にいても楽しめないし、しんどくて。でも、誘われたのに行けないと、今度は自分を責めるわけですよ。私、結構、完璧主義だったから、今までのようにできないことが、ものすごく悔しかったんですね」

「理由なき不登校」と追い詰められる

中学生になっても無気力な状態は続き、学校に行けない日が多かった。無理をして登校したのに、嫌がらせをされたこともあるそうだ。

「例えば、クラスの備品の辞書を窓から投げ捨てて、『竹内くんがやった』と数人で先生に言うんです。もちろん、嘘ですよ。でも、私がいくら『やってない』と言っても、多勢に無勢で先生も嘘を信じちゃって、私に取って来させる。すると、また投げるんですよ。で、『竹内くんが投げました』っていうのを何回もくり返されました。

だから、不登校の子が学校に戻るっていうのは、簡単じゃない。みんながみんな、『頑張って学校に来たね』なんて受け入れてくれるわけじゃないんですよ」

竹内さんはこのときも、いじめのことを誰にも言わなかった。登校したときは仲のいい同級生と普通に接していたので、教師や親も不思議がるばかりだった。

「私にとって本当の敵は無気力でした。でも、当時は無気力になる理由が自分でもわからなくて、『理由はない』と言うしかなかった。先生には『理由なき不登校だ』『理由がないなら学校に来い』と追い詰められて。ちょこちょこ行って、そのたびに精神がすり減って、疲れきっちゃったんですね」

自室にひきこもり昼夜逆転

夏休みに入った瞬間、張りつめていた糸がプチっとキレてしまう。竹内さんは外界の情報をすべてシャットアウトして、自室にひきこもった。

昼間は寝て、夜になったら起きる。家族が寝た後に自分で簡単なご飯を作って食べる以外は、朝までずっとゲームをしていた。新学期になっても、そのまま部屋から出ずに昼夜逆転の生活を続けた。

「ひきこもっている間って、自分の心に悪いモノばっか溜まっていくんです。学校に行かなきゃいけないのに、行ってない。ものすごい自責の念があって、行けない自分を責めたし許せなかったですね。昼間起きていると『みんなは学校に行ってるのに』とか考えちゃうから、ストレスが溜まる。だから、昼夜逆転は、自分の精神を崩壊させないための防衛策だったと思うんですよ」

不登校の生徒をサポートする教師がときどき家に来て、「映画を観に行かないか」「おたまじゃくしを取りに行こう」と外に連れ出してくれた。だが、昼夜逆転しているため、そうした熱心な働きかけも、当時は苦痛でしかなかったという。

「外出の予定が決まると昼間に起きていられるように準備するんだけど、1週間くらい前から緊張して、ひどく疲れました。その日が終わると一瞬で昼夜逆転に戻っていましたね」

翌年、新しい校長が赴任してくると、教師の訪問もなくなった。「不登校の生徒は人間のクズだ」と朝礼で話をするような校長だと、人づてに聞いた。

生きる力が湧いてこない

中学はほとんど登校しなかったので内申点がなく、定時制高校に進んだ。すると、それまでひきこもっていたのがウソのように登校できるようになったという。

「私がひきこもりから脱することができたのは、義務教育が終わって学校に行かなくてもいい年齢になり、自責の念がなくなったからだと思います。私が行った高校には、今まで関わっていた同級生が1人もいなかったから、同級生からの陰湿ないじめや、それを言えなかった自分、そういうものから解放されたことも大きかったですね」

高校ではバスケット部に入って勉強にも力を入れた。だが、ずっとひきこもっていたのと、もともとやせていたため、すっかり筋肉がなくなってしまい、体力がガクンと低下していた。なかなか疲れが取れないし、思うように頭も回らない。カラダがついて行かないのに頑張り過ぎたのだろう。2年生に進級したところで、また学校に行けなくなった。

「幻聴みたいな声が聞こえるようになって、自分から病院に行きたいと言ったんです。統合失調症と言われて入院したけど、薬を大量に処方されただけで、幻聴もおさまらないし、全然よくならない。薬を飲むと頭がボーっとして何もできないし、呂律も回らない。副作用だらけなのに、その副作用を止める薬を増やされて、副作用止めの副作用が出るんですよ。

そのころは自分のことを世の中で一番かわいそうな人だと思っていました。このままではいけないと思うけど、生きる力が湧いてこなくて、命を絶つことを常に考えていましたね」

退院して家で療養中のこと。突発的に、向精神薬、安定剤、睡眠薬などを大量に飲んでしまい、目が覚めたら丸一日以上経っていたとことがある。

そのまま死んでもおかしくない量だったが、若かったせいか大事には至らなかった。親が医師から叱られて薬の管理を徹底。その後は薬を服用しながら復学し、4年制の定時制高校を5年かけて卒業した。

卒業後も体調がすぐれなかったが、竹内さんはしばらくして元気を取り戻していく。きっかけは、意外な場所を訪れたことだった――。

取材・文/萩原絹代 

「自分は他人の心がわからない。わかろうと思ってもわからないんだよ!」39歳ひきこもり男性が自分のいじめの過去を打ち明けるきっかけとなった兄の悲痛な叫び〉へ続く

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください