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インボイス、マイナンバーに対して、ろくにストやデモもしない日本人の末路…米国のいいなりの日本政府、政府のいいなりの国民

集英社オンライン / 2024年5月31日 11時30分

岸田政権は、なぜ防衛予算の拡大を急いでおこなったのか。思想家の内田樹氏によると、アメリカに嫌われないため、ひいては政権を少しでも延命させるためだけの政策だという。だが日本国民は、防衛費の拡大ために増税があっても、あるいはインボイス、マイナンバー制度にも怒りの声を上げることはない。

【写真】使い物にならないほど時代遅れ(レガシー・プログラム)と言われている戦闘機

書籍『だからあれほど言ったのに』より一部を抜粋・再構成し、悲しい日本人の一番の問題点は何かを解説する。

アメリカの顔色をうかがう日本政府の悲哀

ある媒体からインタビューのオファーがあった。岸田文雄政権の新年度予算成立を受けて、「なぜ岸田政権はこれほど性急に防衛予算の拡大に進むのか」について訊かれたので、次のように答えた。



《今回の防衛費増額の背景にあるのは岸田政権の支持基盤の弱さだと思う。

彼にとって喫緊の課題は二つだけである。一つは国内の自民党の鉄板の支持層の期待を裏切らないこと。一つはアメリカに徹底的に追随すること。日本の将来についての自前のビジョンは彼にはない。

今回の防衛予算や防衛費をGDP比2%に積み上げるのも、アメリカが北大西洋条約機構(NATO)に求める水準に足並みをそろえるためであって、日本の発意ではない。日本が自国の安全保障戦略について熟慮して、必要経費を積算した結果、「この数字しかない」と言ってでてきた数字ではない。

アメリカから言われた数字をそのまま腹話術の人形のように繰り返しているだけである。

国民がこの大きな増額にそれほど違和感を覚えないで、ぼんやり傍観しているのは、安全保障戦略について考えるのは日本人の仕事ではないと思っているからである。

安全保障戦略はアメリカが起案する。日本政府はそれを弱々しく押し戻すか、丸呑みする。戦後80年、それしかしてこなかった。

その点では日本政府の態度は戦後80年一貫しており、岸田政権は別に安全保障政策の「大転換」をしたわけではない。政権によってアメリカの要求に従うときの「おもねりかた」の度合いが多少違うだけであり、そこにはアナログ的な変化しかない。だから、国民は誰も驚かないのである》

岸田首相の党内の政権基盤は決して堅牢なものではない。だから、長期政権をめざすなら、アメリカからの「承認」がその政治権力の生命線となる。

ホワイトハウスから「アメリカにとって都合のよい統治者」とみなされれば政権の安定が保証されるし、少しでも「アメリカに盾突く」そぶりを示せば、たちまち「次」に取って替わられ、政権は短命に終わる。

岸田政権が最優先するのは「政権の延命」

岸田政権にはとりわけ実現したい政策があるわけではない。

最優先するのは「政権の延命」だけである。たとえて言えば、船長が目的地を知らない船のようなものである。

自公連立政権という「船」を沈めないことだけが目下の急務であり、岩礁や氷山が目の前にきたら必死に舵を切って逃げる。だが、どこに向かっているのかは船長自身も知らない。

「国民の声を聴く」とか「個性と多様性を尊重する」とか「新しい資本主義」とか公約を掲げていた時は、首相になれば少しはこのシステムをいじれると思っていたのだろうが、実際に船長になってみたら「お前が動かしてよい舵輪の角度はここからここまで」と言われ、ほとんど政策選択の自由がないことを思い知らされたのだ。

防衛予算の積み上げも、まずアメリカからの要求があり、それに合うように予算が組まれ、さらにその予算枠に合うように「中国や北朝鮮の脅威」なる「現実」が想定されている。

ふつうの国なら、まず現実認識があり、それに基づいて国防戦略が立てられ、それに基づいて必要経費が計上されるのだが、今の日本はみごとにそれが逆立しているのである。

日本政府が購入を決めたトマホークにしても、その前に「爆買い」したF35戦闘機にしても、米国内でははっきりと「使い物にならないほど時代遅れ(レガシー・プログラム)」の兵器とされている。

 中国との競争において、アメリカはAI軍拡で後れを取っている。もう大型固定基地や空母や戦闘機の時代ではない。AIに優先的に予算を投じるべきなのである。

しかし、アメリカには軍産複合体という巨大な圧力団体があって、国防戦略に強い影響を及ぼしている。兵器産業にいま大量の在庫が残されている以上、それを処理しなければならない。

だから、それを日本に売りつけるのである。日本に不良在庫を売りつけ、それで浮いた金を軍のヴァージョンアップに投じる。そういう「合理的な」メカニズムである。

不良在庫を言い値で買ってくれるのだから、アメリカにしてみたら日本の自公連立政権ほど「使い勝手のよい」政権はない。だから、この政権が半永久的に続いてくれることをアメリカが願うのは当然なのである。

属国の身分を利用するか、そこから逃げ出すか

日本国民は属国の身分にすっかり慣れ切っているので、自国政権の正統性の根拠を第一に「アメリカから承認されていること」だと思い込んでいる。「国民のための政治を行っていること」ではないのだ。

アメリカに気に入られている政権であることが何よりも重要だと国民自身が思い込んでいるので、自公政権がずるずると続いている。

だから、自公政権が防衛増税を進めても、インボイス制度やマイナンバーカードなどで国民の負担を増大させても、国民はデモもストライキもしない。

それは国民自身が「政府というのは、国民の生活のために政策を実施するものではない」という倒錯に慣れ切ってしまっているからである。

「政府はアメリカと国内の鉄板支持層のほうを向いて、彼らの利益を計るために政治をしている」ということを国民は知っている。そして、「政治というのは、そういうものだ」と諦めている。

問題は「政治はこれからもまったく変わらない」という諦念が広がると、国民の中から「この不出来なシステムを主権国家としてのあるべき姿にどう生き返らせるか」よりも、「この不出来なシステムをどう利用するか」をまず考える人たちが出てくることである。

このシステムにはさまざまな「穴」がある。それを利用すれば、公権力を私的目的に用い、公共財を私財に付け替えることで自己利益を最大化することができる。

今の日本がろくでもない国であることは自分でもよくわかっている。でも、そのろくでもない国のシステムのさまざまな欠陥を利用すれば簡単に自己利益を増すことができる。それなら、システムを復元するよりも、システムの「穴」を利用するほうがいい──。

そして、彼らはシステムを「活用(hack)」する。死にかけた獣に食らいつくハイエナのように。彼らはこの獣がまた甦って立ち上がることをまったく望んでいない。できるだけ長く死にかけたままでいることが彼らの利益を最大化するからである。

現状では、そういう人たちが政権周りに集まり、メディアで世論を導いている。

一方で、それとは違う考え方をする人たちもいる。このシステムの内側で生きることを止めて、「システムの外」に出ようとする人たちである。

地方移住者や海外移住者はその一つの現れである。彼らももうこのシステムを変えることはできないと諦めている。そして、システムの外に「逃げ出す(run)」ことを選んだのである。

私たちは今、二者択一を迫られている。hack or run。

その選択が令和日本の、特に若者に突きつけられているのだ。そして、ここには「システムの内側に踏みとどまって、システムをよりよきものに補正する」という選択肢だけが欠落している。


写真/shutterstock

だからあれほど言ったのに(マガジンハウス新書)

内田樹
だからあれほど言ったのに (マガジンハウス新書)
2024/3/28
1,100円(税込)
208ページ
ISBN:978-4838775231

不自由で、貧しく、生きづらい――この国の不出来なシステムを悪用するか、逃げ出すか、それとも……ウチダ流「日本人論」最新刊!!

失われた30年で「不自由な国」になってしまった日本。

新自由主義の迷走ぶり、経済格差や税の不均衡、少子高齢化、低レベルな政治、大手企業の不祥事など問題が山積となっている。社会全体に諦観が蔓延しており、一般市民は不自由さをも感じているが……。「不自由な国」への警告の書!

<項目>
★“大人”が消えている ――日本の危機
★ アメリカの顔色をうかがう日本政府の悲哀
★ 属国の身分を利用するか、そこから逃げ出すか
★ 食文化は「経済」ではなく「安全保障」
★ 日本の「ダメな組織」の共通項
★ 「21世紀の囲い込み」を目指す、現代の資本主義
★ 村上春樹が描く「この世ならざるもの」 
★ 自然と文明社会の「境界線」を守る
★ 人生は「問題解決のため」にあるわけではない ……etc.

<本文より>
2011年に神戸に凱風館という道場を建てた。一階が道場で二階が自宅である。道場では合気道、杖道、居合、新陰流などいくつも武道を稽古しているが、それだけではなく、能楽、義太夫、上方舞、落語、演劇、パンソリ、オペラなどの公演を行っているし、人を招いての講演会もしている。その点では、公共の武道場やホールと同じである。違うのは、凱風館では、私が「やりたいこと」だけしかやらないということである。ここは「貸しホール」ではない。

そうではなくて、凱風館は一種の「コミュニティ」なのである。

つい先日も門人たちと連れ立って海水浴に行ってきた。十数人の団体なので、旅館一棟を貸し切りにしてもらう。みんなで泳いだり、BBQをしたり、お酒を飲んだり、おしゃべりしたりして二泊三日を過ごしてきた。

凱風館は武道の道場のはずなのだが、私が作った時のコンセプトは「昭和の会社みたいなところ」であった。

若い人はもう知らないだろうけれど、私が子どもだった頃、昭和20~30年代の日本の企業はどこも終身雇用・年功序列制だった。ある種の疑似家族だった。だから、父の部下たちはよくわが家にご飯を食べにきた。みんなで麻雀をやったり、碁を打ったり、ハイキングに行ったり、山登りしたり、会社の海の家へ行ったりした。その集まり方が私はとても気に入っていた。

しかし、日本の企業はその後、終身雇用・年功序列制を「旧弊」として廃棄し、アメリカからきた成果主義と能力主義に衣替えした。もう就職してから定年まで一つの会社に勤めるという雇用形態ではなくなった。それと同時に、会社が疑似家族であることもなくなった。もともと近代化・都市化によって、かつての地縁社会・血縁社会が消滅し、共同体機能をかろうじて代替していた疑似家族もなくなったのであるから、都市の住民たちはアトム化・砂粒化していった。

そういうのはよろしくないと私は思っていた。そこで、もう一度、相互支援・相互扶助の共同体を立ち上げようと考えた。もう一度、昔の会社のような疑似家族的な「緩いコミュニティ」を再現してみたくなった。

地縁・血縁共同体は、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)である。生まれた時からそこに登録されており、自由意思で出入りすることができない。個人はその共同体に深く繋縛(けいばく)されている。 

企業は、ゲゼルシャフト(Gesellschaft)である。人為的に作られた集団であり、成員たちは打算的な契約によって結ばれ、互いを手段として扱う。

その中間に、ゲノッセンシャフト(Genossenschaft) というものがある。地縁血縁のような自然発生的なものではなく、成員の自由意思によって成立する共同体である。職人組合や協同組合がこれに当たる。

凱風館がめざしているのは、武道を核とした現代のゲノッセンシャフトである。門人たちは、好きな時に、好きな理由で入門することができる。いたければいつまでもいていいし、去りたければいつ去っても構わない。メンバーシップとして要求されることは一つだけ。それは凱風館という場に対して敬意を示すことである。師範である私に対して、ではない。私が師から贈られた知識と技術を門人に伝える場たる道場に対しては敬意を払ってほしい。

凱風館にはさまざまな「部活」がある。最初にできた部は甲南麻雀連盟。私が総長で、月次例会を開いて、年間王者めざして戦う。凱風館が建つ前、芦屋市立の武道場を借りて稽古をしていた頃にはじまってもう20年近くになる。

それから、みんなでスキーにゆく「ス道会」、聖地を訪ね歩く「巡礼部」、らくちんなところしか行かない「極楽ハイキング部」、歴史的なスポットを訪れて学習する「修学旅行部」、白樺湖畔で馬に乗る「乗馬部」などなど。海水浴も恒例行事である。暮れには餅つきをし、大晦日は越年稽古をして年越しそばを食べる。

そういう行事にフルエントリーしていると、うっかりすると自分の家族よりも長い時間を凱風館の仲間と過ごすようになる。――(「本文」より一部抜粋)

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