「友だちとは、きょうだいよりも親しくなれる存在ですね」椎名誠『続 失踪願望。 さらば友よ編』
集英社オンライン / 2024年6月4日 17時0分
椎名誠さんが“失踪への衝動”を携えながらコロナ禍の生活日録を綴った『失踪願望。 コロナふらふら格闘編』(集英社刊)が刊行されたのは二〇二二年十一月。それに先だつ十月十三日、椎名さんと半世紀近く歩みを共にし、デビュー以来の椎名さんの本をほとんど読んできた目黒考二さんが聞き手となって同書について椎名さんにインタビューしていた。
友だちとは、きょうだいよりも
親しくなれる存在ですね。
椎名誠さんが“失踪への衝動”を携えながらコロナ禍の生活日録を綴った『失踪願望。 コロナふらふら格闘編』(集英社刊)が刊行されたのは二〇二二年十一月。それに先だつ十月十三日、椎名さんと半世紀近く歩みを共にし、デビュー以来の椎名さんの本をほとんど読んできた目黒考二さんが聞き手となって同書について椎名さんにインタビューしていた(『kotoba』二〇二三年冬号収載「ぼくの昏く静かな失踪願望について」)。
刊行の歓びも束の間、十二月十九日、「本の雑誌社」の浜本茂社長から、目黒さんが肺ガンで入院、すでにステージ四で余命一カ月だという電話が入った。呆然とする椎名さんだが、電話からちょうど一カ月後の二三年一月十九日、目黒さんは亡くなられた。
この度刊行された『続 失踪願望。 さらば友よ編』には、サブタイトルにあるように、目黒さんを失った椎名さんの哀しみが通奏低音のように流れている。
聞き手・構成=増子信一/撮影=山口真由子
荒っぽい青春時代
―― 今度の本には前作の続きとして、二〇二二年七月から二三年六月までの日録が収められていますが、「さらば友よ!」という書き下ろしのエッセイも併録されていて、「辛いことが多い一年だった。親友の目黒考二が亡くなってしまった」という一行から始まります。
本当に親しい友人の死というのは初めてだったような気がします。困りました、対処の仕方がね。
―― このエッセイには、椎名さんが二十歳の頃に生死に関わる自動車事故を起こして、その後、箱根に“失踪”するエピソードが書かれています。
精神的に一番過敏な頃に起きた事故と、それにつながる戸惑いの気持ちみたいなものがあったんですね。当時はまだ自分の中でいろんな可能性があると思っていたし、なんだか右往左往していた。まあ、面倒くさい頃の話なんだけど、どんどん突き進んでいこうという気持ちのほうが強かったかなあ。
―― 身許を偽って箱根の酒屋さんで働くわけですが、結局一カ月ぐらいで家に戻ってしまう。その辺の理由は書かれていませんが?
負けた、って感じだね。あんまり考えたくなかったんでしょう。他人事みたいにいいますけど、そんなもんでしたよ。自分の精神力の弱さに気がつかされて、へとへとになっていた。あの頃、ここには書かなかったけど、別の悩みもいっぱいあって……。
いま、新潮社の「波」に「こんな友だちがいた」という連載を書いているんだけど、そこで小学校からの親友のクリハラ君(仮名)のことを書いたんです。クリハラ君はぼくと体型が同じでがっしりしていて、中学では、彼はバスケで、ぼくは陸上やってたんだけど、毎日部活が終わった後に、二人で町の中を一緒に一時間ぐらい走っていた。二人とも体を鍛えることがすごく好きで、走りながら、「おまえ、将来どこの高校狙うんだ?」みたいな話をした。
ぼくもクリハラ君もボクシングをやりたかったので、当時ボクシング部が強かった習志野高校に行きたかったんだけど、彼は合格してぼくは落ちちゃったんです。そこがぼくの転機になるんですね。ぼくが入った市立千葉高校にはボクシング部がなくて、野球部と柔道部に誘われたけど、先輩がたくさんいる柔道部のほうに入ったんですよ。
一方のクリハラ君は、習志野高校のボクシング部でめきめきと力を発揮して、ライト級の全国高校チャンピオンになった。さらに、ちょうど二十歳のときに、東京オリンピックのライトウェルター級の日本代表になったんですよ。彼はサウスポーで、小学校のときにケンカしたのが最初だったんですけど、一発でやられちゃった。将来オリンピック・ボクサーになるようなやつにやられるならしょうがないけどね。
まあ、あの頃は日本中が荒れてた感じで、ぼくも否応なしにけっこう荒っぽい青春時代を過ごした。たとえば、総武線の電車の中でケンカしたことがある。相手は習高のボクシング部で、そいつがいきなりぼくの襟首をつかんで自分のほうに引き寄せる。なんとも屈辱的で、ぼくは殴りかかったんだけど、相手はボクサーだから簡単に避けられて、勢い余ったぼくの手がガラスに当たり、割れてしまった。それを見た周りの人がみんな逃げた──ということもあった。なんか、ねじくれてたんですね。
熱く、血がたぎるような親友
話があちこちするけど、クリハラ君は大学でもチャンピオンになって、オリンピックの代表にもなる。その後プロになってけっこういいところまで行ったんですが、どういうわけかやくざ社会に行くんですね。
あるとき新聞を見たら、アメリカに渡った彼が二百五十丁の拳銃を密輸しようとしてロス警察に逮捕されたという記事が出ている。あいつ、本格的なことやってるなあ、と驚きましたけど、しばらくして、そのクリハラ君がぼくに手紙を寄越したんです。逮捕されて刑務所にいるんだけど、その刑務所で犬みたいなひどい扱いを受けてる、なんとかしてくれないかと。
友人の弁護士の木村晋介にも相談したけど、どうしようもない。きっと刑務所暮らしがよほど耐えられなかったんでしょう、その後、彼は脱獄するんですよ。
―― 脱獄?
映画みたいでしょう。後で聞いたら、アメリカの刑務所の敷地の後ろ側がオープンになっていて、そこをどんどんどんどん歩いていくと外に出ちゃうんだって(笑)。後に彼はそのときのことを本に書いているんですよ。まあ、なんだかんだあって、彼はコスタリカで暮らすことになった。久しぶりに日本に帰ってきたときに、東京のどこかのホテルのバーで十何年ぶりに会いました。その頃ぼくはもう作家になっていて、やつも向こうの人と結婚して、子供が何人かいる。そのときにちょっとまとまったお金を彼にあげたんです。彼も荒っぽい世界にいますから、多分察したんですね、ありがとよって。これも映画みたいな話。
その後しばらく会わなかったんだけど、息子の岳がボクシングを始めて、後楽園ホールでデビュー戦をやったんです。ぼくは名古屋で仕事があったので試合は見られなかったんだけど、うちに帰ったら「あしたのジョー」みたいに目の上に大きな絆創膏を貼った息子がいる。負けちゃったんですね。そのときに、「こんなもんもらったよ」といって封筒をぼくに渡した。封筒には「奨励金」と書いてあり、中には一万円入っている。誰からだろうと思ったら、クリハラ君なんですよ。うれしかったね。
つまり、目黒と出会う前に、なんとも熱い、血がたぎるような親友がいたんです。クリハラ君とは会って話をすることは少なかったけど、でも、本当にお互いの力を認め合ってつき合っていた気がする。彼のことをちゃんと書かないと、自分の中で物書きとして始末がつかない気がしていたんです。そんなことがあって、「波」に彼のことを書いたんですけどね。
椎名誠の私小説、目黒考二の私小説
―― いま「本の雑誌」に連載されている小説「哀愁の町に何が降るというのだ。」は、目黒さんが「私小説の怒濤の奔流であるものをまだ椎名は書いていない、それはずるいじゃないか」ということに対する返答のようなものだと書かれていますね。
目黒のいう「怒濤の奔流」はセクスアリスのことなんですよ。でも、恥ずかしくてね。だからずっと書かずにいたんだけど、いざ書いてみるとやっぱりかっこ悪いんですよ。でも、目黒はそうは思わないんですね。
―― コロナ禍でしばらく会えなかった後に、久しぶりに会った目黒さんからいわれたそうですね。「シーナ、私小説を軽んじてはいけないよ。もっと真剣に覚悟を決めて、私小説の本質から逃げずに、真実に近いところをきっちり書きな。……いまや私小説は文学世界の片隅分野に追いやられつつあるけれど、だからこそ意地を見せるときでもあるんだ」と。
はっきりいってましたね。逃げているところが俺には見えるからって。とにかく厳しいんだ、あいつは。
『岳物語』みたいな、ああいう明るく楽しく健康的な小説は、私小説としてはうそだ、と彼はいうんですよ。うそじゃないんだけど、取り繕っているのは確かなのでね。
でもぼく自身、それまでの私小説といわれる小説を読んでいて、なんで私小説はみんなこんな暗くて厳しい話なんだろう、だったら、明るく楽しい私小説もあるんじゃないか、と思ってもいた。
―― それから何十年か経って、「自分の本当をさらけだす」ものを、いまだったら書けると?
そうですね。ここでちゃんとお勘定払っとかないと、食い逃げ、飲み逃げみたいな後味の悪さがありますね。
―― 目黒さんにとって、私小説というのは大事なジャンルだったようですね。
ただ、ぼくも目黒も、いまの時代に私小説が読まれるかというと、かなり失望していましたね。私小説は、いまの読者に決して厚遇されるものではない。やはり私小説は、エンターテインメントにはなりえないですからね。でも、ぼくたちの青春時代に読んでいたのは、志賀直哉にしても、太宰治にしても、みんな私小説だったんですよね。下村湖人の『次郎物語』なんか、次郎を自分に置き換えるという、ちょっと暗い読み方をしてましたけど、それが楽しかったんですよ。
私小説といえば、目黒は父親のことを相当尊敬していたし、書いてもいましたね。ぼくはそういう彼を尊敬していたんですよ。自分もそうしたいなあと思って。父と息子の関係というのは、私小説の原点ですからね。
ぼくの父親は小学六年のときに他界しているので、父親に関してのエピソードは人から聞いたものが主になっちゃう。かろうじて自分が体験しているのは、世田谷時代の不思議な森の中に住んでたような頃の記憶ですからね。その点、目黒の中の父親像というのは、本当に私小説みたいな感じです。
――『暗夜行路』の世界?
ええ。ぼくは何度か会って知っているんですけれども、目黒をもっと頑固にしたような感じで、本当に活字にのめり込んでいる人でした。いつも風呂敷を持って、たくさんの本を買いに古本屋なんかに行ってるわけですよ。目黒の中にある活字人間みたいなところが、父親の中にもあるんですよね。結局、目黒自身がそういう人になっていくわけだから、端で見ていておかしかったけど、うらやましくもありましたね。
―― 一時期、「本の雑誌」の発送を目黒さんのお父さんが引き受けていたそうですね。
ええ。部数が少ない頃ね。書店からの注文や読者からの電話を目黒のお父さんが受けたりもしていた。
―― 目黒さんのお宅が連絡先だったんですね。
そう。だから、お父さんは大変でしたでしょうけど、多分うれしかったんじゃないでしょうか。こんなふうに世界に挑戦しているような息子を見て。もうちょっとお父さんと会って話をしたかった。目黒を本当に暗く、暗く私小説化したような人間で、かっこよかったですよ。
日本で一番厳しい評論家でした
―― 例の自動車事故で入院して自宅に戻ったとき、「本を読むのが自宅療養の日々だった。このときぼくは人生でいちばん日本文学を読んでいたように思う」と書かれています。
そう、あのときはかなり集中的に読んだ。日本文学が主でしたけど、文学全集なんていうのは、あの頃しか読んでないですよ。
―― 家には大きな本棚があって、そこにたくさんの本がぎっしり詰まっていたんですね。
世田谷の家から運んできた高さ六尺(約一・八メートル)の太い木の本箱が三台あって、それがぼくの図書館だったな。その頃読んでいたのは、筑摩書房の『現代日本文学全集』。三段組みで活字がぎっしり詰まっている。あれ、鍛えられましたね。
―― おかしいのは、ひと月も“失踪”していた椎名さんが家に戻ってきたとき、みなさん何事もなかったように受け入れていることです。
まあ、ある程度その下地はつくってあったんですよね。下地っていうのもおかしいですけど、きょうだいがたくさんいたし、いろんな人が出入りしていたから、一人くらいいてもいなくてもいいというか、気がつかれなかったというか。
―― 格闘技系のお友だちが多い中で、箱根には、「素直でこころやさしい」高橋コロッケ君と一緒に行ったことで、お母さんも安心されていたようですね。
そういうのはあったでしょうね。高橋コロッケ君は、本当にお地蔵様みたいな人で、信用もされていた。ああいう欲のない辛抱強い人間がいるんだなと、後から考えると、実に頭が下がる思いです。
彼は不思議な人だね。ぼくの周りでも、彼がいま一番安穏とした生活してるんじゃないかな。本にも書いたけど、箱根から五十年ほど経って、ぼくのサイン会に来てくれたんですよ。
―― 百人くらいの列の最後尾に遠慮がちに並んでいたんですね。
ぼくの本を読んでくれていたんだというのがうれしかった。
―― 今回の本には、目黒さんはじめ、いろいろな友だちが登場しますが、改めて、椎名さんにとって、友だちというのはどんな存在でしょうか。
ひと言でいえば、きょうだいよりも親しくなれる存在ですね。ぼくにはきょうだいがいっぱいいるけど関係がけっこう複雑で、どこからが血のつながっているきょうだいだかわからないようなところがある。そういう意味では、作家になるにはふさわしいような家に育ったんです。
父親が亡くなったときにいろんなことがわかってくるという、私小説の世界によくあることを実際に体験しましたから、それはありがたい舞台装置でした。きょうだいとあまり親しく付き合えなかった分、友人たちとはすごく親しく付き合えた。
―― 友人たちの中でも、やはり一九七六年に「本の雑誌」を創刊して以来五十年近く併走してきた目黒考二さんは特別だったと思います。あるものが書き上がったときに、これを目黒さんがどう読むか、常に気になっていたのでは?
一番厳しい評論家と一緒に走っているみたいなものですからね。ときには、なんでこれをもっと評価してくれないんだと思うこともあるけど、そうはいえないですからね。「俺のこと褒めてくれよ」なんて、いったことない。
―― それでも、自分の一番の理解者に褒めてもらいたいというのは、ありますよね。
ありますね。わりと気合いを入れて書いたSFがあったんですけど、見事に無視されました(笑)。非常に悔しい思いをしましたけど、しょうがない。日本で一番厳しい評論家ですからね。
(『kotoba』二〇二三年冬号収載「ぼくの昏く静かな失踪願望について」)
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