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「“隠れる”ことでうまく生きる」古内一絵×平埜生成『東京ハイダウェイ』

集英社オンライン / 2024年5月29日 11時0分

「マカン・マラン」シリーズをはじめ、読者の心に温かく寄り添う作品を数多く生み出してきた古内一絵さん。

【関連書籍】『東京ハイダウェイ』



「マカン・マラン」シリーズをはじめ、読者の心に温かく寄り添う作品を数多く生み出してきた古内一絵さん。
最新刊の『東京ハイダウェイ』は、職場や家庭、学校など、ストレスフルな現代社会で生きる人々が、自分だけのハイダウェイ(隠れ家) にめぐりあう物語。
今回は、古内作品のファンだという俳優の平埜生成さんをお迎えし、今作の着想のきっかけとなったプラネタリウムでお話を伺いました。

聞き手・構成/小元佳津江 撮影/藤澤由加 ヘアメイク/榛沢麻衣(古内)、廣滝あきら (平埜) スタイリスト/渡辺慎也 (Koa Hole inc.) (平埜) 取材協力/港区立みなと科学館

平埜:ジャケット ¥66,000/シャツ ¥33,000/パンツ ¥35,200 (semoh/税込価格) お問い合わせ:Bureau Ueyama TEL:03-6451-0705

本屋さんが繫いだ不思議な出会い

 ――平埜さんは、古内さんの『山亭ミアキス』が文庫化された際に解説を書かれていますが、お二人はその前から交流があったそうですね。

平埜 そうなんです。僕が最初に読んだ古内さんの作品は『風の向こうへ駆け抜けろ』という競馬小説でした。手に取ったきっかけははっきりと覚えていないんですが、すぐに続編も読んですっかりはまってしまったんです。そこから『フラダン』を経て、「マカン・マラン」シリーズに入って……。
古内 え、そんなに読んでいただいていたんですね!
 

平埜 はい。そのあとが『鐘を鳴らす子供たち』でした。僕が井上ひさしさん脚本の『私はだれでしょう』という舞台に出演したときに、役作りのために時代背景が同じこの作品を読んだんです。そしたらあまりにもいろいろなことがリンクしていて。これはもうファンレターを書こうかと思って、迷いながらも古内さんのSNSを見つけ出し、思いきってDMをお送りしたんです。それが、コンタクトを取らせてもらったきっかけでした。
古内 確かにDMをいただいたんですが、その前から私の作品をこんなにたくさん読んでくださっていたことは知らなかったので、すごくびっくり。嬉しいです。『私はだれでしょう』にお誘いいただいて、それから平埜さんの舞台を拝見するようになったんです。先日主演を務めていらっしゃった舞台『兵卒タナカ』も素晴らしかったです。パンフレットに、平埜さんは週に二冊くらい本を読むと書いてありましたよね。でも、大人になるまで読書をしたことがなかったともありました。本を読まれるようになったきっかけは何だったんでしょうか?
 

平埜 僕、もともと本が嫌いだったんですよ。両親がかなりの読書家で、父からはずっと「本を読め」と言われて育ったので嫌になっちゃって、ずっと漫画に逃げてきました(笑)。古内さんは、盛岡にあるさわや書店さんってご存じですか。
古内 もちろん知っていますよ。
平埜 さわや書店さんに伺ったとき、店内に掲げられた手作りのポップが本当にすごくて、本を売る人の圧倒的な熱量に感動したんです。書店員さんイチオシの本に添えられたポップには「無料で貸してでもいいから読んでほしい」とあって、そんなに言うならと読んでみたらすっかりのめり込んじゃって、それから読書が習慣になりました。まさにヘレン・ケラーにとっての水みたいな、そのくらいパーンと世界が開けた感じがありました。
 

古内 ……びっくり。実は、私もさわや書店さんに発見してもらった作家なんです。
平埜 え、そうなんですか?
古内 私、デビュー当初は本が全然売れなくて。一から出直すような気持ちで『風の向こうへ駆け抜けろ』を書いたんです。それを大々的に取り上げてくださった書店さんの一つがさわや書店さんでした。
平埜 すごっ! 鳥肌が立ちました。
古内 そのとき、全国の書店さんを回らせてもらったんですが、さわや書店さんがものすごく大きなポップを作ってくださって。
平埜 じゃあ僕、もしかしたらそれを見て買ったのかな。
古内 そうかも。すごい……。当時の書店員さんはもういらっしゃらないそうなんですが、やっぱり本屋さんって出会いを与えてくれる場所なんですね。だから私はいつも自分のことを、本屋さんが育ててくれた作家だと思っているんです。

足を運べる非日常を描きたい

 ――古内さんの新刊『東京ハイダウェイ』は、さまざまな屈託を抱えた六人の主人公たちが自分だけの隠れ家にめぐりあい、自身の生き方を見つめ直していく連作短編集です。平埜さんはお読みになってどんな感想を持たれましたか?

平埜 いやもう、本当に面白かったです。これまでの古内さんの作品とは一味違う印象も受けたんですが、それは物語の舞台が東京都内であることが大きいのかなと。僕は東京で育ち、東京を中心に活動しているので、自分が行ったことのある街や場所がいっぱい出てきたんですよね。これまでの作品でも、自分や現実とリンクする瞬間はたくさんあったけれど、『東京ハイダウェイ』はその境界線がもっとシームレスで、どこからが現実でどこからが小説なのかわからなくなるような、不思議な感覚に陥りました。
 衝撃的だったのが、「眺めのよい部屋」の話。主人公の久乃(ひさの)が、自分にとっての隠れ家でもある東京国立近代美術館にお母さんと一緒に行くじゃないですか。そのときにやっていたのが大竹伸朗(おおたけしんろう)展だったわけですが、僕もあの展覧会に行っていたんですよ。
 

古内 ええっ! すごいですね、シンクロが。
平埜 だから、小説を読んでいるんだけど現実と繫がる部分が多すぎて、僕も久乃たちとすれ違っていたかもしれないなって。そういう、これまでにない感覚が湧き起こってくるところが、読んでいてすごく面白かったです。
古内 「マカン・マラン」とかだと絶対に行けないものね。
平埜 あのカフェ、すごく行きたいけど(笑)。
古内 行きたいけど架空の場所だから行けない。じゃあ今度は実際に行けるところにしてみようかなと思って、『東京ハイダウェイ』を書いたというのはあるんです。
平埜 そうだったんですね。
 

古内 あと、東京ってお金がないと楽しめない街だと言われたりもしますよね。でも、実際に私自身が東京を歩いて回ったときに、そんなことないんじゃないかなと思ったんですよ。それが、この作品を書こうと思ったもう一つのきっかけでした。
 私、会社員時代は映画に関わる仕事をしていたんですが、すごくハードだったので、土日はずっと寝ていて全然どこにも行けなかったんです。でも、私のパートナーがジョギングが趣味で、私が作家になったとき、「会社を辞めたなら一緒に走ろうよ」と誘ってくれたんです。最初は面倒臭いなぁと思っていたんですけど、走ってみたら結構気持ちよくて。皇居の周りや代々木公園を走ったあと美術館に行ったりして、いろんな場所を巡るようになったら、東京って面白いなあ! と改めて気づいたんです。
平埜 素敵ですね。
古内 作中にも登場しますが、上野に行くと、奏楽堂(そうがくどう)も国際子ども図書館もありますからね。
平埜 全然知りませんでした。僕、科学博物館とか美術館とか動物園には行っているのに、そっちには行ったことがない。
 

古内 奏楽堂は東京藝大の院生や学生が演奏するコンサートが入館料の三百円で聴けるし、子ども図書館はもともと帝国図書館だっただけあって、建物の意匠が素晴らしいんです。一日いても飽きないし、無料で過ごせるし。あとはもちろん、このみなと科学館のプラネタリウムですよね。平日のお昼に無料で上映しているというのを知って驚きましたから。
平埜 すごいですよね。近くで働いていたら毎日通いたくなる。
古内 本当に。こんな都心のオフィス街で、お昼に二十分ぐらいぼうっと星空を眺めていられるところがあるなんて。東京って、探してみたら実はこんな宝箱みたいな場所がたくさんあるんだと知って、それで「ハイダウェイ=隠れ家」というテーマで書きたいと担当編集さんにご相談したんです。そこからは、「あなたにとっての隠れ家は?」というアンケートをとったり、隠れ家的な場所を取材させていただいたり。私、もともとプラネタリウムが好きだったんですが、改めてみなと科学館さんにも取材をさせていただきました。
 

平埜 第一話「星空のキャッチボール」の主人公・桐人(きりと)と、同僚の璃子(りこ)が訪れるのがこの場所なんですよね。実は、僕もプラネタリウムは大好きなんです。
古内 いいですよね。実際、「おひるのプラネタリウム」に来てみると、スーツ姿のサラリーマンと思(おぼ)しきお客さんも多いんです。広報担当の方にもお話を伺ったのですが、正直お昼寝をしにいらしている方も結構いらっしゃると。でも、それもすごく素敵なことだなと思ったんですよ。
平埜 確かに。みんなが思い思いの時間を過ごせるのはいいですよね。
古内 アンケートは担当編集さんがすごく頑張ってくださって、かなり幅広い年齢層の方から集めることができました。そのなかに、「好きだった人が早逝してしまって、その人に夢で会うことが私の隠れ家です」と書いていた方がいらして。それがとても印象的だったので、実際に会ってお話を伺い、登場人物のモデルにさせていただきました。
 

平埜 そういった創作スタイルで、毎回執筆されているんですか。
古内 取材はかなりするほうだと思います。とにかくたくさん取材しながら書く。だからアンケートをとらせていただくことも多いんですが、そこでいつも思うのは、平凡な人なんて本当に一人もいないということなんですよ。みなさん、ものすごくドラマや物語を持っていらっしゃる。今回の『東京ハイダウェイ』の取材でも、自分が考えていただけでは到底思い浮かばなかったような隠れ家がたくさん出てきました。
平埜 想定していなかった発見があるのは面白いですね。
古内 取材しながら書かせてもらえるのは、とても恵まれたことだと思います。いろんな経験をさせてもらえるし、世界も広がる。一方で、いざそれを書くという段になると、きちんと物語に昇華させられるだろうかと怖くなったりもします。せっかく大事なお話を伺ったのだから中途半端なものは書けない。そう覚悟をもって臨んでいますが、やはりプレッシャーも常に感じますね。でも、『東京ハイダウェイ』は私自身、満足のいくものが書けたなと思っています。

作家と登場人物の関係は、監督と俳優の関係に似ている

平埜 今回、書くのが特に大変だった話とかってあるんですか。
古内 いやもうどれも……。資料を集めたり取材したりしているときはすごく楽しいんですが、物語に落とし込むときはとにかく大変で。まず、隠れ家はどこで、登場人物はどんな人で、あの方から聞いたお話をここに入れてみようという感じで書き始めるのですが、いつも最初の一、二行を書いては止まり、これ本当に最後まで書けるのかなという不安に駆られるんですよ。でも、不思議なもので、無理だ、全然思いつかないと思っても、一生懸命書き綴(つづ)っているうちに何か動き出す瞬間というのはやはり訪れるんです。
 作家にはいろんなタイプがいて、特にミステリー作家さんに多いそうですが、プロットを作った時点でラスト一文字まで全部わかるという方もいらっしゃると聞きます。作家って、そういう全部先にわかってしまう「神様系」と、私みたいな「憑依(ひょうい)系」の二つに大別されると個人的に思っていて、私の場合は先がわからないまま物語の登場人物になりきって書く。高校生の男の子なら高校生の男の子、バブル世代のおじさんならバブル世代のおじさんになりきるんです。彼らがどういう結論に辿り着くのか私にはわからないのですが、書いているうちに登場人物がちゃんと終わり方を見つけるんですよ。
 

平埜 面白い。もっと最初から緻密に計算して書かれているんだと思っていました。
古内 ただ、恐ろしいのは、下準備が足りていないと全く書けなくなっちゃうこと。憑依させきれないというか。そうすると、途中で登場人物から「俺、わかんないっす。季節はいつですか。風は吹いてますか。俺は今どこでどんな格好してますか。それがわからないと動けません」って言われちゃうんです。それで、「すみません、下準備が足りていませんでした」と改めて調べて彼らに教えていくと、「わかりました!」って動いてくれる。
平埜 まるで監督と俳優みたいですね。俳優でも、役を憑依させるっていう人はいますよ。
古内 平埜さんもそういうタイプなんですか? それとも自分から役に近づいていくタイプ?
平埜 僕はどちらでもないですね。うまく言えないんですが、近づくというか勝手になっちゃうみたいな。台本があって話し始めたら、もうその役になってますっていう感覚です。でも、演技ってどうしてもその俳優のパーソナルな部分が出ると思うから、それを生かしながら説得力を持たせるために、役についての下調べをしたりもします。
 

古内 そのときに本は使いますか。
平埜 もちろんです。特に時代物を演じる場合だと、現代と感覚が全然違うし、それこそ法律レベルでも違うじゃないですか。今の価値観で役に接するとどうしても摩擦が生じるので、だからそれを一回排除しなくちゃいけない。『兵卒タナカ』のときも、天皇制や徴兵制についてかなり調べました。当時の人たちがそれをどう捉えていたのかを知るために手記や証言にも当たって、役柄にフィットする価値観を自分のなかに落とし込んでいくという作業をしましたね。
古内 それって、すごく作家の仕事に似ていますね。

――東京ハイダウェイ』のなかで平埜さんが演じるとしたら、どの人物を演じてみたいですか?

平埜 役者の場合、やりたい役とやれる役って違ったりもするんですよ。僕はこの役に共感を覚えるけれど、自分の年齢や性別、外見なども含めてできないだろうなという場合もありますし。
古内 たとえば、女の子の役をやってみたい、といったこともあるわけですね。
平埜 そうですね。すごくシンパシーを感じるのが女性の役だったときに、舞台ならできる場合もありますが、映像だと作品の毛色がだいぶ変わって、伝わるメッセージも違ってしまうことがあるので、なかなか難しいですよね。だから『東京ハイダウェイ』の場合、やれる役で考えると桐人かなと思います。
古内 平埜さんに合っていますね。桐人は二十代後半の設定ですし。
平埜 桐人にはもちろん共感もするし、自分の真面目さや頑固さみたいなものも含めて演じられるだろうなと想像できるんです。だけど、やりたい役は光彦(みつひこ)なんですよ。
 

古内 光彦!? どうして?
平埜 自分の生き方とちょっと似ているなと。クラゲのようにたゆたっている感じや、流れに身を任せていたらたまたまここに辿り着いたみたいなところが。
古内 光彦は五十代だし、平埜さんは全然そんなふうに生きているとは思えないけど(笑)。
平埜 でも、一番共感を覚えるのは久乃なんです。久乃は四十代の女性だし、僕自身の属性からはさらに離れてしまうんですけどね。カフェチェーンの店長をしていて、今の状況には事足りているけれど、人が持つ“仮面”について思いを馳せているあたりとか。久乃が、自分は素顔をさらして生きているけど、仮面をたくさん持っていたら、うまく切り替えられることがあるかもしれない、と考える場面がありますよね。その気持ちはすごくわかるんです。

息苦しさを取り払うための隠れ家やスイッチを持ってほしい

 古内 作中でも書いたけれど、私、「自助」って嫌な言葉だなと思うんです。自分のことは自分でやるべき。それはみんなわかっていると思いますよ。わかっていてできない人たちがいるのに、それを切り捨てるような息苦しい世の中になってしまった。「隠れ家」というテーマを選んだのは、少しでもその息苦しさを取り払う手助けになるもの、気晴らしになるようなものを書きたいという気持ちもあったからなんです。平埜さんにとってそういう隠れ家的な場所はありますか?
平埜 この本を読んだ人は絶対に、自分にとっての隠れ家がどこなのかって考えますよね。僕も読みながらずっと考えていたんですが、自分の場合は「読書」なんじゃないかと改めて思ったんです。作中の言葉を借りると、隠れ家とは「ときに恐ろしいほど無慈悲になる世界と対峙(たいじ)するために、ささやかに自らを癒す場所」。つまり、「力を蓄える場所」ですよね。僕にとってはまさに読書がそういう場所だなと。
古内 それはすごく嬉しいですね。
 

平埜 もし隠れ家が見つからなかったら本を読めばいいんじゃない? というメッセージを、古内さんはこの作品に込めたのかなと勝手に思っていたのですが。
古内 『東京ハイダウェイ』も、そういう隠れ家になってくれたらいいなと思うし、作中に登場する場所に、実際に行ってみようかなと考えてくださったら、さらに嬉しいですね。
平埜 プラネタリウムには今日来られたから、次は上野に行ってみようと思います。なんだか行程表を作って聖地巡礼したくなりますね(笑)。遠方に住んでいる人も、旅行やお仕事で東京に来たときに足を運んでみてほしいです。

 

――古内さんにとっての隠れ家はどんなところでしょうか?

古内 この本でご紹介したところはどこも私のとっておきの隠れ家なんですが、あとは体を動かすことも隠れ家になると思いますね。
平埜 確かに。「タイギシン」の主人公の圭太(けいた)も、ボクシングに出会って変わっていきますよね。
古内 私、体を動かすのも好きなので、水泳や、それこそ最近はボクシングもやっているんですよ。担当編集さんはバレーボールをされていて、体を動かしているときは何も考えなくて済むからそれが隠れ家になっているとおっしゃっていて。それもいいなと思って「タイギシン」を書いたんです。
 あと私、公園で本を読むのが好きだったんですが、コロナ禍で難しくなった時期がありましたよね。それで仕事場のベランダにキャンプ用の椅子を買って、そこで外気に当たりながら本を読むようにしてみたんですよ。そしたら最高に楽しくて。ベランダも十分隠れ家になるなと思いました。今は隠れ家がないとなかなか生きづらい世の中ですよね。

 

――オンとオフの境界が曖昧になりがちな今の時代ですが、うまく息抜きをするコツは何でしょうか?

平埜 何だろう、難しいですね。だけど、作中でも取り上げられていたハラスメントとかコンプライアンスの概念が芸能界や演劇界にも浸透してきていて、結局のところ一番気を遣える人だったり、一番優しい人がつらい目に遭っちゃうんじゃないかとか、いろいろと考えさせられるところがありました。
 質問の答えになっているかわかりませんが、実はコロナ禍で同業の知人が精神的に追い詰められて、亡くなってしまったんですよ。そのとき、彼と僕とを分けたものは何だったのかとすごく考えたんですが、おそらく僕は鈍感だったのかなと。「鈍感」ってもしかしたらすごく大切なキーワードなんじゃないかと。いい意味で「まあいっか」と割り切れる鈍感さは、この複雑な社会を生きるうえで、意外と必要になるのかもしれません。
 

古内 それたぶん、鈍感さというよりは「スイッチ」なんだと思います。踏みとどまれるか踏みとどまれないかのスイッチ。どんな人にも危うい時期って絶対にあると思うんです。その人にしかわからないことも多いから一概には言えないんだけど、違いはそこにあると私は思います。だから、そこで踏みとどまったということは平埜さんのスイッチはきちんと機能したということ。なかなかその切り替えが難しいこともあるとは思うんだけど。
平埜 なるほど。作中で久乃が考えていたように、自分のなかにいろんな仮面を持つことも、スイッチを切り替えるうえで重要なのかもしれませんね。自分が何者なのか、母なのか女性なのか上司なのか。僕も、趣味のサウナやタップダンスのレッスンに行っているときの自分、筋トレをしているときの自分、本を読んでいるときの自分、家族と一緒にいるときの自分……何人かいますが、そういう仮面をたくさん持つことは大切かもしれません。
古内 そう思います。そうしてできるだけたくさんのスイッチと、たくさんの隠れ家を用意してほしいですね。そこから逃げることはできなくても、何かが過ぎ去ってくれるまで、少しの間だけでも隠れていられる場所。そういうものがあるだけできっと違いますよね。そのヒントをこの作品のなかから見つけていただけたら嬉しいなと思います。

 

――対談後、プラネタリウムで『まだ見ぬ宇宙へ』というプログラムをご覧いただきました。太陽系を脱して宇宙の果てまで旅をする、じつに壮大な内容でした。

平埜 いやあ、面白かったです。宇宙の広さを前に、なぜ自分はこんなことで悩んでいるんだろうって気持ちになりますね。解説を聴きながら幼い頃に通ったプラネタリウムの記憶が蘇りました。
古内 星の悠久の時間を思うと、自分が自分でいられる時間の短さが胸に迫り、その時間を大切にしなきゃと思いますよね。やっぱり、こういう素敵な隠れ家で、心身を解放して力をチャージする時間って大事だなあと思います。

「小説すばる」2024年6月号転載

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