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72歳、第2の人生は地域と共に。親の介護、夫の死で何度も諦めかけた「高齢者のための場所を作る」夢は64歳でみごと花開いた

集英社オンライン / 2024年6月2日 11時0分

60歳で会社を辞めてモデルに転身した藤原民子さんの年齢にとらわれない生き方とは…「ダメならやめればいい」〉から続く

やりたいことがあっても、さまざまな事情で挑戦できないこともある。だが諦めなければ、いつか道は開けるかもしれない。

【画像】72歳、佐竹輝子さんの活動の数々

地域活性のために64歳で念願のカフェを開業し、後進の育成をしながら働いている現在72歳の佐竹輝子さん。

年齢にとらわれず、本当の自分らしい生き方を見つけてチャレンジしている60歳以上の女性51人をインタビューした『60歳からの生き方図鑑 いくつになっても「今がしあわせ」と言える女性でありたい』(グラフィック社)からのインタビューを一部抜粋、再構成してお届けする。

第2の人生は地域と共に。高齢者のための場所を作る

ひばりカフェを経営しています。今年で開業して9年目を迎えます。私は週1日お休みするくらいでほぼ毎日お店に出て、3人のスタッフが日替わりで手伝ってくれています。10時〜15時はモーニング、かんたんなランチメニュー、カフェメニューを、週3日「café bar ヒバリ」として16時〜21時の夜の営業を始めました。2階には教室などができるイベントスペースもあります。

そもそもカフェを始めたのは、かつて高度経済成長の象徴で自分の自宅からも近く、思い出があった相武台団地の活性化の役に立ちたくて、飲食を提供する場というより、ここに住む人たちのコミュケーションの場になればと思ったからです。

9年目を迎え、団地内の高齢者の方も来ていただけるようになり、絵画教室などのイベントを企画すると、たくさんの方が参加していただけるようになりました。

また、地域の子どもたちを見守る活動「NPO法人ひよこ広場」の理事をしていて、月に1度、子ども食堂を開催しています。地域活性化の講座の講師の依頼や取材なども多く、こういった地域の活動を知っていただけるといいなと思っています。

自分がやりたかった、高齢者の居場所を作ることができました。経営は今でもギリギリで私のお給料は出ない月もありますが、もともとお金儲けが目的ではなかったので、来てくださる方の笑顔が一番の報酬です。

団地に住んでいる高齢者の方がカフェに来てくれて、ここが憩いの場にもなっていることが一番嬉しく思っています。せっかく賑わいを取り戻してきたのに、自分がいなくなったら終わってしまうのではだめだなと思っています。

そういった意味で志を同じくする若い世代にカフェだけでなく、地域活性化の活動を受け継いでもらえるように人を育てていくのもさらに新しい目標の一つです。

20代は専業主婦。30代から働き始めて50歳から親の介護が始まる

20代は3人の子どもの子育てに奮闘していましたが、30代に入り、子どもも成長したので、33 歳から仕事を始めました。仕事内容は在日米陸軍の会計事務所での勤務でした。友人に誘われて米軍基地のゴルフ場にアルバイトに行ったとき、ちょうど退職者が出るので、働かないかと誘いを受け、働くことにしました。

基地内は、日本語を話す人がいたので、なんとかなりましたが、上司はアメリカ人だったので、意思疎通がうまくいかず、英語に苦労しました。連絡は全て英文、書類はもちろん英語。自分の無能さに嫌気がさし、ストレスから胃潰瘍になったり、精神的に不安定になったりしてつらかったです。でも子どもたちにはそんな姿を見せたくないと思い、気合いを入れ直してがんばりました。

50歳から実母の介護が始まり、介護、仕事、子育てに毎日忙しかったです。それでも仕事すること自体は好きだったので、59歳まで働き続けました。

転機は64歳。1枚のチラシが諦めていた夢を後押し

50歳になり、第2の人生の生き方を模索しているとき、散歩がてら久しぶりに現在の店がある相武台団地商店街の前を通りかかりました。私が子育てしていた頃は賑やかで人も多く活気があったのに、商店街のシャッターはほとんど閉まり、まるでゴーストタウン状態。お年寄りがぽつんと座っているという変わり果てた様子でした。

高度経済成長期を支えてくれたお年寄りの寂しい姿を見てなんとかしたい! と思い、この場所で高齢者の居場所を作ろうと考えました。それから実の母の介護をし、仕事しながら資金、カフェの知識、飲食の資格、などさまざまな準備を始めました。

母を看取りそろそろと思い始めた頃、58歳から今度は主人の母の介護が始まったため、59歳で早期退職してカフェをオープンする計画を断念。私が60歳の頃に義母が亡くなり、2年後に夫にがんが見つかり、夫の看病に徹することに。このときはもうカフェのオープンは諦めていました。

64歳の頃、夫の看病の気分転換に犬と散歩に行ったときに、あの相武台団地を管理する神奈川県住宅供給公社によって再生プロジェクトを始めることになるというチラシをもらい、商店街に入る店舗を公募していたのです。

その年の5月に夫は亡くなり、喪失感でつらかったのですが、子どもたちの励ましにより思い切ってテナントの公募に応募。見事に選ばれて、お店の準備を半年間で整えて、年末に開業にこぎつけました。

オープンしても、お店にはお客さまが全然来てくれなくて、売り上げがゼロ、固定費ばかりかかって不安な日が続きました。それでも年中無休でカフェを開き続けて、2階をイベントスペースとして貸し出したり、フラワーアレンジメントの教室を企画したりするなどしてようやく3年目くらいから、お客さまがコンスタントに来てくださるようになりました。

何度も諦めようと思った夢でしたが、自分がやりたいことだったので、ここまでやってこれたと思っています。

年金と10万円とカフェのわずかな収入なので、貯蓄を毎月10万円くらい切り崩して、カフェの運営費や生活費に充てています。

現在の住まいがひとりでは広すぎるので売却して、小さな家に住み替える準備をしています。

100歳までがんばりたいと思います! 店の最高齢のお客さまは97歳で、いつも元気をいただいています。カフェの経営を通して、若い人たちを育てていけたらと考えています。

『60歳からの生き方図鑑 いくつになっても「今がしあわせ」と言える女性でありたい』(グラフィック社)

百田なつき
『60歳からの生き方図鑑 いくつになっても「今がしあわせ」と言える女性でありたい』(グラフィック社)
2024/4/8
2,310円(税込)
単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 240ページ
ISBN: 4766138732

自分らしい生き方を見つけて輝いている60歳以上の女性51人をインタビュー。
人生100年時代を生き抜くヒントが見つかります。
目次:
PART1 60歳からは好きなことを仕事にする
PART2 60歳からの新たな挑戦
PART3 いくつになっても自分らしく働く
PART4 60歳からの自分らしい暮らし

60歳でモデルデビューをした女性、73歳で自分のお店を持った女性、
62歳で人生のパートナーに出会った女性、60歳をすぎてから上京した女性…
さまざまな女性が登場します。
彼女たちの生い立ちや経歴、考え方などから、年齢を言い訳にせず、いくつになっても輝き続けられる生き方が見えてきます。

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