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生活保護世帯から東大で博士号をとった秀才が、「貧乏でも頑張れば成功するという自己責任論をもっとも嫌悪する」と語る理由

集英社オンライン / 2024年6月2日 12時0分

「生活保護世帯から東大で博士号をとるまで」。そう題された一連のnote記事が話題だ。そのタイトル通り、生活保護受給家庭で育った著者のR.Shimada氏が東大を志し、数学者になるまでに感じた社会の手触りを克明に記した渾身の自伝になっている。

【画像】R.Shimada氏の人生を変えた一冊

 

前途有望なアカデミアが自身の専門領域に閉じこもることなく、社会のあり方について発言したことの意図とはなにか。R.Shimada氏に聞いた。

社会への怒りを表明したワケ

無駄のない人だと思った。R.Shimada氏は余分な前置きを排して質問にまっすぐ返してくる。「noteによる発信でもっとも実現したかったことは?」と問いかけたときのことだった。



「貧困という境遇のためにチャレンジする機会さえ奪われている次世代を励ますこと、今なお放置されている格差という問題を指摘すること、が主な目的でした。

ただ、執筆していくうちに、こうした問題の当事者である私が”怒る役割”を担う意味もあることに気がつきました。現代社会において、怒りを表明することはさまざまなリスクが伴います。たとえば会社員であればなにかの拍子に失職するかもしれません。

しかし大学の研究職は、その職務をまっとうする限りにおいては、自らの思想信条を表明することが比較的守られていると考えます。また、数学者である私が政治について考えていることを発言するのも、政治学を専門とする人が言うよりは受け入れられやすいのではないかとも思いました」

R.Shimada氏のnoteはSNSを中心にさまざまな著名人や文化人によって拡散された。狙いは奏効したと言っていいだろう。これほどまでに訴えたかった思いの背景には当然、生活保護世帯で過ごした日々が深く関わる。

「私は高知県に生まれました。漁師だった父は家にお金を入れない人で、母はいつも困っていました。家計はおそらく母の仕事で支えられていたのだと思います。しかし母は精神的にやや不安定なところがある人で、幼少期、妹と私を並べて『どちらかが死ぬか選べ』と包丁を突きつけてくることもありました。

今になれば、母なりに切羽詰まっていたのだとわかります。母方の祖父が亡くなったのをきっかけに家族で祖父が住んでいた家に移り住みましたが、その頃にはもう父と母はあまり顔を合わせなくなっていたように思います。

また、記憶が定かではないものの、小学生のときの私はやや問題児寄りだったのでしょう。担任の先生に髪の毛を鷲掴みにされて、廊下の端から端まで引きずられるほど怒らせたりもしていました。母や教師など、大人を怒らせてしまって、毎日泣いてばかりいた記憶があります」

中学生になると、R.Shimada氏は勉強の真髄に触れることになる。だが当時はまだ、神童の片鱗は見えない。

「友人に誘われて訪れた地元の小さな個人塾での一幕は忘れられません。当時の私は、be動詞について先生が説明しているとき、『A動詞やC動詞もあるのでしょうか?』と真剣に聞いたほど、勉強はできませんでした」

勉強をすれば、母に「迷惑」がかかるのではないか

塾の同級生たちには笑い者にされたが、「起きている間はずっと勉強をしました」と語るほどのまくりを見せ、入塾わずか一ヶ月ほどでトップに登りつめると、県内トップの公立進学校へ入学を果たす。15歳のR.Shimada氏が描いたビジョンはもはや予言と言ってもいいくらいに的中していく。

「私は15歳のとき、数学者になろうと考えました。そのためには大学進学後、独立して生計を立てる必要があります。国公立大学の授業料免除制度を利用し、学生寮に入居し、条件のよい給付型奨学金を得ることができれば、実現できます。当時、条件のよい給付型奨学金は文系の難関大学に限られていました。そこで私は、東大に文系で入学し、理系へ転向する計画を立てたのです」

“理転”と呼ばれるこの方法は、制度こそあったものの、進学先の文科Ⅲ類からの転向は東大史上前例のない挑戦だった。だがここでも、猛勉強の末に関門を突破してしまう。

もうひとつ、15歳のR.Shimada少年が数学者になりたいと考えた理由に聡明さが光る。

「数学を学び始めた当初、おもしろいとは思いましたが、研究する将来は見えませんでした。なぜなら、人間が作った数学という法則を学んでいるにすぎないと思っていたからです。たとえば将棋そのものはおもしろいとしても、駒の動かし方は人間が決めたことであり、そのルールを研究するのはおもしろくないでしょう。

しかしその考え方が間違いだったことを、私はある書籍との出会いで知ることになります。『ある数学者の生涯と弁明』と題されたその書籍には、数学が自然界の法則にしたがっていることが書かれており、私はがぜん興味がわきました。明確に『数学を研究したい』と意識したのは、このときです」

前代未聞の東大の数学科への転科に成功し、内部進学者の半数が落ちるとされる大学院試験に合格したR.Shimada氏は、大学院生のなかでも特に優秀な成績を修めた者しか獲得できないリーディング大学院(給与が支払われる修士課程の仕組み)に選出される。

だが決して前途洋々とそのキャリアを築いたわけではない。さまざまな給付金制度を組み合わせながら、相当時間のアルバイトをこなし、かつトップクラスの成績を維持し続けなければ、経済的な事情からいつ退学せざるをえなくなるともしれない。節目節目でそうした現実を直視してきた。こうしたプレッシャーもさることながら、別の精神的負荷に悩まされることもあったという。

「私が勉強を続けることで、母に『迷惑』がかかっているという意識は常にありました。そもそも大学進学を望まず、数学者になりたいという夢も持たず、大人しくアルバイトをして家計を助けていれば、母は困っていないのかもという思いはありましたね。

そうした思いを跳ね返すには、『自分には数学者の才能がある』と思い込んで、すべての局面において才能を証明しなければなりませんでした」

自己責任に帰することの違和感

極めて高度なレベルの戦いを一度のミスもなく切り抜け、そのたびに環境によるハンデを直視し続ける人生は、生きづらくはないか。筆者のそんな不躾な指摘にも、R.Shimada氏は極めて理性的に答える。

「確かに、私は生きづらさを感じています。精神的に病んだという自覚こそありませんが、微熱が1ヶ月ほど続くなどの身体反応としてあらわれることがあり、ストレスを感じていることを認めざるをえないでしょう。

私が思うのは、人間が自分のために怒りを継続させるのには、限界があるということです。私はいつからか、自分が辛いことは仕方がないと思えるようになりました。

けれども、同じく学びたいのに環境のせいでそれが叶わない後進がいる社会の実情には、我慢がなりません。次の世代の才能が潰されていっていることに、あまりに社会が無自覚だからです。そして社会に生きる人の多くが『仕方のないこと』と諦めたり、『貧しいのは自分のせい』と矮小化して自己責任に帰そうとしたりすることに、強い違和感を覚えます」

貧困問題などにおいて、必ずと言っていいほど持ち出される自己責任論。複雑に絡み合った因子があるにも関わらず、個人や世帯だけの責任にしていく世の中に対して、R.Shimada氏はこんな独自の視点を提示する。

「たまに、『世の中、たちの悪い数学者みたいだな』と思うことはあります。数学という学問は、本来もっと複雑な事象を単純化して考えるという側面があります。あるいは、現実にはありえない極端な設定にして思考を一旦単純化するんです。そのとき、要素を削ぎ落とす作業があります。もっとも、数学の場合は、考慮すべき重要な要素を削ぎ落とすことは通常しません。

しかし貧困に対する世の中の議論をみていると、『重要な要素を削ぎ落として雑な議論をしたために導き出された結論』になっていると思うことがままあります。本当はさまざまな変数を考えなければならないのに、それをばっさり切ってしまうから自己責任に帰結する。そんな風に思います。

だから、生活保護世帯から数学者になれたという私の例が、『貧乏でも頑張れば成功するから、成功していない人間は努力が足りない』と自己責任論に使用されることを私はもっとも懸念し、嫌悪します」

 

取材・文・写真/黒島暁生

「東大生は優秀ではありませんでした」生活保護世帯から数学者になった男が感じた同級生との強烈な“ずれ”とは…「この事実に私は落胆し、怒りを覚えました」〉へ続く

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