1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

「東大生は優秀ではありませんでした」生活保護世帯から数学者になった男が感じた同級生との強烈な“ずれ”とは…「この事実に私は落胆し、怒りを覚えました」

集英社オンライン / 2024年6月2日 12時0分

生活保護世帯から東大で博士号をとった秀才が、「貧乏でも頑張れば成功するという自己責任論をもっとも嫌悪する」と語る理由〉から続く

生活保護世帯から数学者になる――東大という日本最高峰の学力を誇る大学に入ったとて、数学者になるまでの道は険しい。まして生まれた環境が絶望的ともいえるなかで、その栄光を掴んだR.Shimada氏は、同じ東大で学んだ同級生たちをどのように見ていたのか。R.Shimada氏への聞き取りを通じてみえた“東大”とは。

【画像】東大学部時代の学友について語るR.Shimada氏

「東大生は優秀ではありませんでした」

生活保護世帯から東大を目指したR.Shimada氏の青春時代は、周囲との差を否が応でも意識せざるをえないものだった。



「東大を志したのは15歳のときです。地元でトップの公立進学校へ進学したものの、そこでも私のスタンスは理解されませんでした。

たとえば修学旅行へ行くためには、10万円という金額が必要でした。アルバイトなどで工面するにも相当数の時間を必要とするため、勉強時間を削ってまで参加する意義を見いだせず、行かない選択をしました。あとから聞いた話では、『ガリ勉だから修学旅行も来ない』と言っていた同級生がいたとか。

このように、他の同級生と抱えている事情が違うことを理解していたので、当時から自分も同じ高校生でありながら、『まだ彼らは高校生だから』と思うことでやり場のない怒りを逃がしていました。もちろん、恵まれた環境にいながらそれに無自覚な同級生たちを憎んだこともあります」

参加しなかった修学旅行に組み込まれていたプログラムには、“東大見学”があった。だが皮肉にも、同級生のなかで東大合格を果たしたのはR.Shimada氏のみだったという。

東大は説明不要の日本の最高学府。必然的に、将来は官僚など国の中枢で働く学生も多い。

東京大学学生生活実態調査(2021年)「問39.あなたの現在の生計を支えている方の昨年(2021年1月〜12月)の年間税込み収入(世帯年収)はどれくらいですか?」という問いについて、平均936.6万円という数字が出ている。翻って独立行政法人 労働政策研究・研修機構が行った調査では、2021年における日本の平均世帯年収は545万円となっており、平均的な東大生が経済的に裕福な暮らしを享受している様子が見てとれる。

彼らとのキャンパスライフは、R.Shimada氏にとってどのようなものだったのか。

「非常に簡単に言えば、想像していたよりも、あるいは期待していたよりも、だいぶ東大生は優秀ではありませんでした。彼ら彼女らとは、同じ国で育ったとは思えないほど生育環境に隔たりがあり、他者や社会の状況に対する洞察と思慮があまり感じられませんでした。

率直に言って、自分のことにしか関心がないのではないかと思える言動をする同級生は多かったと思います。この事実に私は落胆し、怒りを覚えました」

東大入学後に感じた同級生との“ずれ”

R.Shimada氏が感じた東大の同級生との“ずれ”はたとえばこんな場面だ。

「基本的に東大に入学してくる学生は名門校の出身です。名門校には、学問をする土壌が生成されています。私が高校時代に言われたような『ガリ勉』などの揶揄も少なく、学びたいことを自由に学べる雰囲気があるわけです。これは存外大切なことです。しかし、名門校出身の同級生たちは、それを重要なことだと考えていません。

だから、貧困家庭について『ちょっと貧しいくらい』と軽く考えていたり、『名門校であっても魔法のような授業が受けられるわけじゃないから、結局東大に入れない人は自分の努力不足』と考えている節があったりします。しかしそれは違います。本当の貧困を知らない人が頭で考えられるほど、貧困は生ぬるいものではないし、東大に入学できたことのすべてが自分の努力のおかげだと思うのも傲慢だと私は考えています」

本人の努力だけでは決して埋まらない差。その距離は通常縮まることはない。それに気づきもせず、認めようともしない同級生たちに対し、R.Shimada氏は苛立ち続けた。

東大には、尊敬できる人物はいなかったのか。

筆者の問いかけに、R.Shimada氏は「学力面において尊敬できる人物は残念ながらいませんでした」と断じたのち、間髪入れずに「ただ別の面で尊敬できる仲間はいました」と続けた。

「東大には学生寮として、豊島国際学生宿舎(豊島寮)と三鷹国際宿舎(三鷹寮)が存在します。1~2年生までの期間は教養学部に在籍して駒場キャンパスで過ごし、3年生の進学選択のタイミングで本郷キャンパスへ移ります。

このうち主に駒場キャンパスに通う学生のための寮として三鷹寮があり、本郷キャンパスに通う学生のための寮として豊島寮があります。

私の在学中、突如として豊島寮の改装に伴う寮の家賃の値上げの話が持ち上がりました。従来の月額家賃の10倍近くになる計画だったと記憶しています。そのとき、建築学科の大学院生が大学側との交渉の矢面に立ち、建築基準法などの専門的な観点から、改装が必ずしも必要ではないことや値上げの合理性がないことなどを指摘し、結局値上げの話は立ち消えになりました。

理不尽なことがあったとき、多くの人たちを代表して誰かが怒らなければ不利益な変更をされてしまうのだと実感した瞬間でした」

学力以外では尊敬できた学友

あるいは同級生のこんな行動力を目の当たりにして、R.Shimada氏は学力以外にも尊敬できる面のある頼もしい学友の存在に気づいたという。

「私は1~2年生のころ、三鷹寮に住んでいました。先ほど、主に駒場キャンパス(教養学部)に通う学生の寮として三鷹寮があるとお話しました。しかし正確には、駒場キャンパスに通うのは、教養学部の学生のほか、数学科の学生もいるのです。

当時の東大の寮の規則では、三鷹寮に住むことができるのは、教養学部に通う学生だけだとされていました。確かに三鷹寮に住む学生と駒場キャンパスに通う学生はほぼイコールです。しかしそれでは、数学科の学生たちは通うキャンパスが変わらないのにもかかわらず、住む寮を変えなければなりません。

簡単に住む寮を変えると言っても、寮からキャンパスまでの定期券代や通学時間など、変わってくるものがたくさんあります。私は金銭的にも時間的にも切り詰めた生活をしていましたから、それを微細な変更だと受け流すことができず、やはり怒りを覚えました」

厳密にはそうした呼び方ではないが、当時、R.Shimada氏は副寮長のようなポジションだった。同じく寮長のようなポジションにいた同級生は学業成績こそR.Shimada氏におよばないものの、行動力にあふれたリーダーの素質を持っていたという。

「その彼は大学側と何度も交渉を重ね、現行制度がいかに不利益に働く学生もいるのかということをしっかり理解してもらう努力をしていました。大学の規則はかなり堅牢で、簡単に崩すことはできません。

しかし、彼の粘り強い交渉と態度によって、職員らにも問題意識が共有され、結局、数学科の学生に関しては寮を引っ越す必要がなくなったのです。これは当時、画期的なことでした。

不条理な現実があったとき、私は怒りが先行して、問題解決のためにどのように立ちふるまえばよいかまで考えが回りませんでした。寮長的な存在の彼が職員たちを相手に見事に自分たちの要求をするりと通したとき、『絶対に解けない』と思っていた数学の問題を目の前で解かれたような、そんな感覚を覚えました」

noteで読むR.Shimada氏の活字は常に怒っている。著しく傾いた世の中にも、それを是正しないエスタブリッシュメントの怠惰にも。理路整然と、正しく怒っている。そしてその怒りを社会は受忍し、真摯に向き合うべきだろう。

アカデミズムで活躍が期待される気鋭の研究者が社会格差にもがき苦しんだこと。そして若き才能が抹消される危機に瀕することのない社会を願って声をあげたことの意味は、途方もなく大きい。

「東大は、どんな場所でしたか」

昔の頼もしい仲間たちのことを話す瞬間だけは、その抜き身の刀のごとき舌鋒の音色がわずかに落ち着き、目尻がたおやかな弧を描いた気がした。


取材・文・写真/黒島暁生

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください